表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

夢の船

 私が感じていたのは、理紗さんといる事の安心感と、今までとは違う生活で、地に足がついていない不安感。そして理紗さんが本当は自分を疎ましく思っているかもしれないという疑心だった。

 もちろん、理紗さんはそんな事を態度には表さなかった。理紗さんの部屋に転がり込んだ翌日、私はまだ暗い早朝に起こされた。

「おい、起きろ、出かけるぞ」

 その時は寝ぼけていてあまり覚えていないが、私は理紗さんの高級セダンに乗り込み、敷地の広いトラックだらけの会社に連れていかれた。駐車場に車を停めた理紗さんは助手席の私に向かって言った。

「いいか、おまえはあたしの母親の妹の娘だ、つまりあたしの姪っこな」

 家族さえわからなかった私は半分も理解していなかったが頷いた。とにかく私は理紗さんのメイッコだという事だけ頭に叩き込んだ。

 車を降りて倉庫のような建物に向かっていくと、何人かのおじさん達とすれ違った。理紗さんは、「おっはよー」とか、「おっす」とかお互い挨拶をかわしていたが、皆一様に私を見ていた。

「その子どうしたの」

「ちょっとね」

 そんなやりとりをしながら歩き、大きな建物の一角にあるドアを開けると、女性がカウンターに座っていた。

「理沙ちゃんおはよ、ん? その子は?」

 私は理紗さんのズボンを掴んで後ろに隠れた。

「ああ、姪っ子、しゃちょー!」

 理紗さんは女性には挨拶もそこそこに奥の人を呼んでいるようだった。

「どうした、高田」

「この子なんだけど」

 カウンター越しに男性がひょっこりと顔を出した。私は恐る恐る見上げた。丸々と太っていて頭は剥げているが、パリッとした作業服にネクタイをしていて清潔そうだ。

「どうしたんだその子は」

「叔母さんが入院しちゃってさ、預かってんだ、で、着の身着のままできちゃったからこの子の服とか買いたいんだ」

「ふむ、それで?」

「ちょっとデジタコの履歴がおかしくなるけど勘弁してよ」

 男性は少し考えると仕方ないと言った風に言った。

「1時間だ、荷物は急がないのに変更してやる、国道沿いのAオンなら止めるスペースあるだろ」

「サンキュー社長、大好き」

 それから私はトラックだらけの場所に連れていかれ、大きなトラックの中に押し上げられた。でっかいハンドルが目の前にある。それからさらに理紗さんが上ってきて私を横に押しやった。シートベルトをかけられてわけもわからずなすがままになっていた。理沙さんが板に貼り付けられた紙のようなものをじっと見た後、天井のポケットに入れながら、エンジンをかけた。

 音の大きさに少しビクっとしたが、何故か私はワクワクしていた。トラックが動き出すと、私はシートを押しながら精一杯目線を高くして前を見た。何か大きな船に乗って出航するような気分だった。

 トラックの中から見る町の風景は初めて見るものだった。私はひょっとしてとんでもない冒険の旅に出たのではないだろうかと錯覚していた。それからまた大きな建物のある広い会社のような所に行き理紗さんはトラックを降りた。私はシートベルトを外し、運転席の窓を開けようとしたが、開け方がわからない。仕方無くドアについているレバーを引いて重いドアを押した。少し開いた隙間から後ろを見ると、理沙さんはトラックの一番後ろで何かしている。すると突然ウィーンと音がしてトラックの後ろが開き始めた。理紗さんが私に気付いて叫ぶ。

「助手席の前に開ける所あんだろ、そこにゲーム機入ってるから」

 私はドアを閉めて助手席まで行き、言われた所をまさぐってなんとか開けた。そこにあったのは当時流行っていた携帯ゲームだった。私はろくに操作方法もわからないゲームに夢中になった。

 どれぐらい時間が経ったろうか、理紗さんが戻って来た。

「お待たせ、あ、動いている間は酔うからゲーム禁止な」

 そうしてまたトラックは動き出した。私はゲームの事など忘れてまた流れ行く町並みに夢中になった。途中、理紗さんは私を連れて大きなショッピングモールに寄り、私の服をあーでもないこーでもないと選んだ。

「うーん子供服って難しいな」

 そう言っていたが、私は数種類の服を買ってもらった。その中にはスカートもある。はたして私はスカートをはいた事があるのだろうかと考え込んでしまった。それからモール内のハンバーガーショップで朝食も買った。

 ハンバーガーを食べるのも初めてだった。その美味しさといったらなかった。一度に色んな事がありすぎて頭がこんがらがっていた。

 私はそれらが到って普通の事だとは知らなかった。


 高速道路にも乗った事が無かった私は何も無い道路をぶっ飛ばすのが新鮮で爽快だった。私は運転席の理紗さんをじっと見た。理紗さんは視線に気付いたのか、ちらっとこっちを見て言った。

「どうした」

 私は理紗さんがかっこいいと思って半ば陶酔のようなものを感じていたが、それをうまく表現できなかった。

「変なやつ」


 そうして何時間走ったろうか、途中の休憩所でカレーを食べたりアイスを買ってもらったりしながらトラックは随分遠くまで来たようだった。私はいつの間にか寝ていた。理紗さんはその間に荷物を下ろしたようだった。

 私が目を醒ましたのは何か言い争うような声を聞いたからだった。私は本能的に寝た振りをしていた。こういうときのとばっちりの受け皿はいつも私だからだ。いつもの癖だった。

 理紗さんはトラックの中で声を荒げていた。電話で言い争っているのだ。何の話をしているのかはわからないが、理沙さんの怒気が強まるにつれ、体が震えだした。条件反射だ。

「もういいよ! 二度とツラ見せんなタコ!」

 私はビクっとして身構えた。理紗さんがこちらを見て苦笑いした。

「わりぃ、驚かせたな」

 理紗さんの目には涙が浮かんでいた。それを手首で拭うと笑って言った。

「たこやき食いてーけど停める場所がないんだよなー」

 その夜は郊外で食事を取った後、スパリゾートなる施設で体を洗い、理紗さんとトラックの天井にある小部屋で寄り添って寝た。何もかもが初体験の旅だった。理紗さんに何があったかはわからなかったが、私は幸せだった。放浪の旅でもいいからずっと理紗さんと一緒にいたいと思った。


 マンションに戻った理紗さんは私に住所を聞いた。室見愛が私の名前だが、この時初めて教えた。住所を聞いてどうするのかと思っていると、日帰りの仕事のあと、家に立ち寄ったようだった。どうやったのかはこの時は知らなかったが、私のランドセルや教科書や書類などと服数点を持って帰ってきた。

 私は久しぶりに学校に通う事にした。理沙さんの手作り弁当を持って。それからはしばらく日帰りの仕事ばかりで私は平日は学校で、休日は留守番をしていた。理紗さんの帰りを待つのが楽しかった。幸せだった。そんな日曜日の夕方のこと。ゲームをしていると、ドアチャイムが鳴った。基本的に来客は無視しろと言われていたのでほうっておくと「お届けものでーす」という声が聞こえて来た。

 仕方なく玄関まで行った。スコープを覗きたかったが背が足りない。

「だれですか?」

「白猫便です」

 それなら荷物を受け取った事がある。私は安心してチェーンを外してロックを解除した。するといきなりバンとドアが開いて男の人が立っていた。サングラスをしていて大きくて明らかに怖い人だった。

「おめぇが理紗が拾ったっていうガキか、理紗はいつ戻る」

 私は足が震えたが、友好的ではないこの男から理紗さんを守らなければならないと思った。

「か、か、き、今日は帰ってきません」

「嘘つくんじゃねぇ!」

 男が頬を張って私は吹っ飛んだ。じょろじょろと失禁してまた亀のように丸まった。

「オラ来い」

 私は髪の毛を掴まれて、ずるずると部屋の奥に向かって引きずられた。その時だった。

「てめえ!」

 背後から理紗さんの声がした。

「だ……だめ」

 私が声にならない声を上げていると、男がうっと呻いた。私は解放されてごろりと転がり、上を見上げた。

 理紗さんが背後から男の首に取り付いている。男は苦しそうに顔を歪め、腕を解こうとしているが理紗さんは離れない。30秒ほどそうしていたろうか、男はなよなよと崩れてぐったりした。しかし理沙さんは手を緩めない。

「り……理紗さん、死んじゃう」

 そこでようやく投げ出すように男を解放した。ゴトリと頭が床に落ちる。

「トラックドライバーの腕力舐めんじゃねぇタコ」

 そう言いながら履いたままのスニーカーで顔をガスガス踏んでいる。鼻や口から血が垂れてきた。

「ちっ床が汚れるじゃねーか」

 そう言うと男の脇を軽々と抱えてズルズルと玄関まで引きずって行き、放り出して鍵を閉めた。そして振り返って怒鳴った。

「鍵開けんなっつったろが!」

 私は涙でぐちゃぐちゃであろう顔をさらにクシャりとして謝った。

「ごめんなざいー」

 しかし理紗さんは私に駆け寄って膝をつき、抱きしめた。

「怖かったろ、もう大丈夫だからな」

 震えていた体が徐々に収まっていくのを感じた。暖かかった。でも理紗さんはうわ言のように小声で呟ていた。

「何が喧嘩上等だよ、子供に手ぇ上げやがって、あんなやつだと思わなかった、別れて正解だよ」

 なんとなく意味はわかったが、理沙さんは少し寂しそうだった。


 それからしばらくして、学校では授業参観が行われた。私の親が来るはずないし、理紗さんに頼むのも筋違いだろうと思って何も言わなかった。だが当日、父兄が入室し始めた頃にクラスの男子がひそひそと何か言っている。

「誰のお母さんだよあの若くて綺麗な人」

 綺麗な人には私も興味があるので振り返ってみると、理沙さんが手を振っていた。初めて見るスカート姿でお洒落もしていた。

「やっほー、アイー」

「うっそだろ室見のかーちゃんかよ、初めて見たわ」

「ねーちゃんじゃねーの?」

 私はカァっと赤面して前を向き俯いた。それと同時に涙が溢れてきた。なんでわかったんだろう。謎は残るが私は嬉しくて仕方がなかった。その授業で私は一生懸命手を上げたが、指される事はなく、悔しい思いをした。

 三者面談では、先生は怪しむ目つきで理沙さんを見て、どういう関係なのか聞いたが、理沙さんは堂々と言った。

「母です」

「あー、えっと……」

 先生は戸惑っていたけど私はニヤニヤしてしまった。すると理紗さんが追い討ちをかけた。

「なんかロクデナシに囚われていたので助け出しました、なので今は私が母です」

「あー、あっはー」

 先生は苦笑いしながら察したようだ。


 2人で駐車場まで歩く間、私は理紗さんに聞いてみた。

「なんで今日の事知ってたの?」

「ん? ああ、ゴミ箱にあんな事務用品みたいな紙が丸めて捨ててありゃぁなんだろうと思うだろ、うちじゃあんなゴミは出ない」

 実家では殴られても涙も出ない人形だったが、理紗さんには泣かされっぱなしだった。車に乗り込むと、私は運転席でエンジンを掛けた理沙さんに言った。

「お」

「ん? なんだ」

「お……かあさん」

 理紗さんが一瞬ポカンとしたので図々しかったかと激しく後悔したが、理紗さんはにっこりと笑った。

「なんだ、愛」

 私は心の奥がじーんと痺れた。お母さん。そう言えば、いつ以来この言葉を言ってないんだろう。私は元の家族を一刻も早く忘れる事を決意した。私の家族はこの人だけなんだ。私は新しい母と一緒に帰るのが誇らしかった。

 でも、地面すれすれの真っ黒な高級車で学校を出るのはちょっと恥ずかしかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ