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黒薔薇  作者: 澪里
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後編-タトゥー-

 

 悠里はいまだ信じられない気持ちで、廊下を歩いていた。後ろから、冬馬が追ってくるような気さえ、した。

(何で…どうしてだ…なんで…)

 頭には疑問符しか浮かんでこない。おぼつかない足取りで下駄箱へと向かう。そして、冬馬の下駄箱を見た。

「あ、れ?」

 なにか、黒いものが靴箱の蓋に挟まっていた。悠里は靴箱から出した靴をいったん下に置き、冬馬の靴箱に近づいた。

「なんだ、これ…花びら?」

 それは。

 黒い、花びらだった。造花ではない、生花の。

 変な好奇心と、衝動に駆られて、悠里は靴箱を開けた。

「…黒い、薔薇?」

 そこには、一厘の黒い薔薇が大輪を咲かせつつ、静かに置かれていた。

「黒、薔薇…なんで…」

 不思議と、背筋に悪寒が走る。表現し難いいやな汗が、額に浮かび、鳥肌が立ってゆくのが分かる。

「もしかして…」

 もしかして。ふと、冷静に、ある可能性について考えていた。そういえば、冬馬は最近、あの【黒薔薇】と急激に親しくなってはいなかったか。

「沖田野ばら…」

 胸に急に現れた突っかかりに、自分自身恐れながら、まさか、と思う。

 

 まさか、そんなまさか。


 沖田野ばらが、冬馬の死に何か関わりを持っているのではないか?と。


                   * * *


「…あら、悠里くん」

「…こんばんは」

 ゆっくりと開かれた玄関の扉から出てきたのは、冬馬の母親だった。

悠里はその日のうちに、冬馬の家を訪ねていた。

「久しぶりね…半年振り、くらいかしら?」

「…えぇ」

人間は、半年会わないだけでこんなにも変わるものだろうか?久しぶりに会った冬馬の母親は、随分やつれ、疲れているように見えた。まだ、40前後でも若々しい印象が深かった彼女は、今は老けているように感じる。

「この度は、ご愁傷様です」

「まぁ、そんなに改まって…とにかく、上がって?」

 ニコリと、静かに皺を深くして笑った彼女に悠里ははい、と返事をした。

「ごめんなさい。散らかっているけれど…」

「お気遣いなく…」

リビングに通され、ソファに座った悠里にお茶でも、と立ち上がった彼女を留まらせた悠里はすぐさま、本題に入ろうとした。

「あの…」

「…冬馬のことでしょう?」

「…はい」

悠里は頷くと瞼を伏せる。睫で頬が翳りを帯びた。それをじっと見つめながら、彼女が口を開く。

「最近…冬馬がすごく、嬉しそうだったと思わなかった?」

「あ…それは…はい」

ね?と念押しされて、確かに、と頷く。冬馬はとても嬉しそうだった。

「冬馬…ね。死んでいる顔が、とても、幸せそうだったの」

 頭を殴られたような痛みが走った。思わず、目を瞬かせ、拳を膝の上で強く握った。

「…沖田、野ばらという名前に、心当たりは?」

「おきた、のばらさん?」

 さぁ…と首を傾げ困ったように言う彼女は本当に知らないようだ。そうですか、と返して、どうしたものか、と思った。

 悠里がここに来た理由はもちろん、沖田野ばらについて冬馬との接点を探るためだった。しかし、無駄足だったらしい。それでも、冬馬に手を合わせていこうと思い、話を切り出す。

「線香をあげていっても?」

「もちろん。こっち」

 嬉しそうな微笑にホッとしたのも束の間、立ち上がった彼女に続き、六畳間の和室へ移動した。ごゆっくり、と言われ、頭を下げ、仏壇に向き直った。

(冬馬…どうしてだよ)

 悲しさや、切なさの中でもなぜ、という戸惑いが大半を占めていた。

 ――死んでいる顔が、とても、幸せそうだったの。

 不思議でたまらないまま、線香を上げた。写真の中の冬馬を見ていても、その思いは拭えない。

(お前は…死に際、幸せだったのか?それに…沖田野ばらが関係しているのか?)

 仏壇の前に座ったまま、思案していた悠里は居てもたってもいられず、立ち上がり、部屋を出た。トイレを借りようとして、冬馬の部屋の前を通った。

「冬馬の、部屋か…」

 悠里は辺りを見まわし、唾をごくりと飲み込んでから、ドアノブに手を掛け、ドアを押し開いた。

 まず、目に入ったのは学校の指定カバンだった。ベッドの上に置かれたそれは、綺麗に形が整えられていて、大雑把な冬馬のカバンとは思えないほどだった。

「ごめんな…冬馬」

 恐る恐るカバンの中を探ると、ある物が、指先に触れた。

「…もし、かして」

 薄暗い、電気をつけていない部屋では視覚では分からなかったが、指先の感覚で悠里は判ってしまった。

「―――花びら」

 生花の花びらは一枚だけ、カバンに紛れ込んでいたようだった。それをポケットに入れ、悠里は部屋を出る。廊下の明かりに多少眩しさを感じながら悠里は目を細め、ポケットの中身を出してみた。

 それは、黒い、花びら。

 予想通りの答えに、悠里の中で芽生えていた可能性が確信に近づいた。

 それをポケットに戻し、静かにリビングへと戻る。

「…あら、もう、いいの?」

 冬馬の母親はリビングで、コーヒーを飲んでいた。悠里に気づくと、にこやかに尋ねた。

「はい。長居して、すいませんでした。もう帰ります」

「…そう」

 悲しそうに顔を伏せた彼女は次にはまた来てね、と微笑んだ。

 それに頷き、玄関へと向かう。

 玄関に向かうと、来た時は分からなかったポピーに気付いた。

「綺麗ですね」

「あぁ、それ?」

 悠里の言葉の意味に気付くと、ふふ、と少し嬉しそうに笑った。

「もらったの。結構カッコいい人でね?…冬馬の担任の先生だって。それじゃ、悠里くんの担任でもあるわね」

「……え?」

(――おかしい。俺の担任は、年配のオヤジだぞ?)

「…なまえ、何て言ってました?」

「えっと…あ、そうそう、東堂って言ってたわ」

 とうどう。頭の中で反響するその言葉に、黒い、何かがずっしりと胸を圧迫する気がした。

(担任の名前が、東堂だって?俺の担任は、岡田・・・)

 思ったことは顔に出さず、悠里は彼女に向き直った。

「…お邪魔しました」

「お構いもしませんで、ごめんなさいね?」

「いえ…」

 悠里は、振り返らず、家を出た。

 最後まで、犯人の話はしなかった。

 自分の中にある、予想する犯人像を、いや、確信している犯人を言ってしまいそうな気がして。


 冬馬の家を出てからは、あまり記憶がない。いつの間にか、自分の家の近くまで来ていた。

「あれ。…車?」

 家のすぐ傍に、黒い乗用車が止められていた。その黒はポケットの中の花びらを思い出すようで、体に緊張が走った。

「――倉下、悠里様ですね?」

 気がつくと、車から、若い男が出てきていた。黒いスーツに身を包み、気配を消して佇んでいる様子に、悠里は警戒心を強くする。

「なにか、俺に、御用ですか?」

「…えぇ。佐崎、冬馬さんのことで」

「じゃあ。…あなたが、東堂さんですか?」

 冬馬の名前が出た時点で悠里は、彼が東堂だということは確信していたが、保障が欲しかった。

「えぇ。では、あなたは気付いていらっしゃると?」

「!あなた…沖田野ばらの知り合いなんですね?じゃあ、冬馬は沖田野ばらのせいで、死んだんだな!?」

 自分のヒステリックな叫びに悠里は自分が敬語を崩してしまったことに気付いた。

 しかし、それをわざわざ訂正する余裕はない。

「――好奇心旺盛なことで。…しかし、それが」

 わざと答えないのも、肯定を指すのだと、悠里は用意に想像出来た。

 東堂は言葉を切ると悠里の前に手をかざした。

「命取りになると、知っていますか?」

―――目の前が真っ暗になり、意識が急激に遠退く。

「っ…てめッ――」

 悠里は膝から崩れていき、そのまま東堂に受け止められた。

「最後に、教えて差し上げましょう。黒薔薇は私だけのもの、という花言葉を持っています」

 知っていましたか?と聞かれ、そんなもの知るか、と悠里は胸の中で呟いた。今はただ、意識を失わないようにするので精一杯だったからだ。

 それでも、最後に見たものは、彼の掌に刻まれた薔薇のタトゥーと東堂の静かで怪しげな笑みだった……。


                    * * *


「…あれ?」

 気がつくと、悠里は自分の部屋のベッドに寝ていた。頭がぼうっとして何があったのか、思い出せない。

「俺…何してたんだっけ?」

 手で頭を押さえつつ、腹筋で上半身を起こした悠里は首を傾げた。

「えーと…」

 思い出そうにも、魔法にでもかかった様に、意識が霧散する。

「あれー?」

 そして悠里は結局、今日の出来事を思い出せないままだった。


 しかし、悠里は知らなかった。

 机には、白い紙と黒い花びらが一枚、置かれていたことに

『As for you, it is stolen me』

 その言葉が白い紙に刻まれていたことに

 そして、机の上の写真が悠里一人になっていることさえも


 そして――…


  【黒薔薇】という名が、指名手配犯として、

                   世間を騒がしていること、さえも



                                    END


後編終了しました。

わかって貰えたでしょうか?たぶん、「?」のままで、終わったと思います。今後、「その後」ということで、続編を書く予定ですので、気に入ってくださった方はそちらもどうぞ。藤野美雨でした。

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