前編-異端子-
薔薇の花言葉をご存知ですか?
赤薔薇は「情熱」
白薔薇は「尊敬」
ピンク薔薇は「感謝」
黄色薔薇は「嫉妬」
紫薔薇は「王座」
青薔薇は「奇跡」
では、黒薔薇はご存知ですか?
まだ一肌が恋しくなる二月。それは、白い吐息さえも鬱陶しく思えてしまうほどの湿気が空気と交じり合う、ある日の早朝。
悠里は机の上の鏡で髪を整えた。丁度、棚に置かれている写真の己と目が合う。それは、親友と小学生の頃、初めて撮った写真だった。
「いってきまぁす」
自分の部屋を出て、玄関で靴を履き、玄関を出る。
そして、新しい一日の始まりによし、と活を入れたのだった。
倉下悠里は思わず零した溜息をマフラーで隠すかのように口元に引き上げた。一瞬寒さに震えたあと、歩調を速める。
悠里の容姿は遠目で見ると、さほど印象に残らない。しかし、近くで見ると少し癖があるが艶やかな黒髪、くっきりの二重瞼、きちんと整えられた眉。中の上はいくであろう、整った顔立ちをしていた。
「ゆーりっ」
「あ、冬馬。はよ」
悠里は笑顔で挨拶をした。
「はよう!…じゃねぇよ!なぁ、今日、会っちまった!」
悠里に冬馬、と言われた少年は悠里の横に並び、歩きながら興奮気味に頭をガシガシと掻き毟る。その光景を一歩下がって見ていた悠里はまたかぁ、と心の中で囁く。
彼――佐崎冬馬は悠里と同じ学校の幼馴染だ。小学校からの腐れ縁で――親友だ。
「会っちまった…て、彼女に、か?」
「そう!あの沖田野ばらに!」
頭を書いていた手を止めて、胸の前で握り締めて、そう言い放つ様は恋する少女といっても不思議はないだろう。微妙に頬が赤いのも寒さだけではないはず。
「沖田、野ばら…ねぇ」
悠里は冬馬に気付かれないよう、器用に方眉毛をあげた。しかし、すぐに笑顔で尋ねる。
「良かったな、で、声でもかけたか?」
「……それができたら苦労しねぇよ」
はぁぁ、と長い溜息を白いと息と吐き出した冬馬は、悠里と同じ高校生とは思えない、長身で甘いマスクをしている。一時期はモデルもやっていたというその身のこなしは洗練されていて、隙がない。それでいて本人の気取らない性格のせいか、ムードメーカーとして、クラスに慕われている。
「冬馬の顔で振り向かない女なんか、ほっときゃいいのに」
「だからこそ振り向かせたいんだよ!」
「…声もかけられないのに?」
「う……」
冬馬は反論できずに項垂れ、無言のままトボトボと学校まで歩いた。
沖田野ばら。一言で言うと「才色兼備」。艶やかな腰上ほどまである黒髪にくっきり二重瞼は小顔の彼女には大きい。唇は真紅の薔薇のようにしっとりと紅く、加えてバランスの取れたしなやかな肢体、細く白い手足。欠点と言う欠点が見つからないほどの美少女だった。
しかし、裏ではいつも本を読んでいたり、独り言をブツブツと呟いていたりと、根暗で有名だ。なので、女子には邪険にされ、男子には高嶺の花・・・いわゆる、異端子として、クラスに居座っていた。美しくもあり、異端子で暗くもある。そんなわけか、【黒薔薇】というあだ名が付けられたのだった。
* * *
「…黒薔薇よ」
「ホント。私あの子嫌い」
「私もー」
ひそひそと何処からともなく聞こえてくる陰口に、野ばらはただ、背筋を伸ばして目線を高めて、聞こえないフリをした。
そして、早足で立ち去る。これが野ばらのいつものやり方だ。
このところ、教師さえも野ばらを要注意人物として見据えていた。成績は良くても、この高校という集団行動の中でポツリと浮き出た存在は邪魔なのだろう。
野ばらが教室に入ると、一斉に視線を感じる。それをサラリとかわし、素早く席に着いた。そしてホッと息をついた。教室は人口密度が高いせいか廊下よりも暖かで、野ばらは思わず、赤くなっているだろう耳朶を指で抓む。その冷たさで少しあがった鼓動と冷静になっていく己に疎外感を感じていた。
(なに、やってるんだろう)
野ばらはふと、疑問に思った。しかし、すぐにそれを打ち消す。私は私の意志でここにいるのだ、と。
【黒薔薇】という名もどうせ東堂が言いふらしたのだろう。
「…なにをやってるのかしら、あいつも」
ポツリともらした野ばらの独り言に一番近くにいた少年がびくりと肩を竦ませた。顔を赤らめながら、こちらをちらりと見て、傍にいた少年に小声で何かを話している。話しかけられた少年は眉を下げ、しょうがなさげに失笑して見せた。
「……」
野ばらは首を傾げ、そのまま視線をそらした。肩からは艶やかな髪が一房滑り落ち、光の反射で輝いた。そして、その後も2人から異様に視線を感じ続けたのだった。
***
「ねぇ、東堂?」
「何でしょうか、お嬢様」
野ばらの声に車を運転していた東堂はバックミラー越しに野ばらを見た。野ばらは後部座席から鏡ではなく、本人の背中を睨みつける。
「あなた、学校に【黒薔薇】を広めたでしょう」
「…えぇ、それが何か?」
怪訝な声で尋ねてもさらりと言い返されてしまった。野ばらはそれにも動揺せず、小首を可愛らしく傾げ、なぜ?と尋ねた。
「お嬢様のためにもその方がよろしいかと」
藤堂は静かに微笑んだ。静かに、無感情に。
感情を一切入れず言って見せる東堂は安全運転のためか、前方から一切視線をそらさない。先ほどのバックミラー越しのほうがまだマシだろう。
「それと。…あと、2日でございますよ?」
「それなら判ってるわ。順調だもの」
くすり、と隠微な笑みをして見せた野ばらにさようで、と東堂は頷き返した。
「今回は久々にいい相手が見つかったしね。楽しませてもらうわ…」
窓の外に目をやり、不穏な言動を隠さずに野ばらは楽しそうに笑っていた。
***
「冬馬、最近うれしそうだな?」
「まぁなぁ」
ウキウキとした様子の冬馬に悠里は和やかな眼差しを向けた。どうやら、悠里もご機嫌らしい。
「悠里だけには、教えてやろう」
「…?なにをだ?」
耳かせ、と仕草をする冬馬に疑問を持ちながら悠里は素直に耳を近づけた。二人はまるで秘密話をするかのように接近した。
「…実は、明日、帰りデートするんだ」
「…誰と?」
「…沖田野ばらと」
にしし、と女子が見ていれば気持ち悪がられただろう笑みをして、冬馬は言った。
「…冬馬、現実と妄想をごっちゃにしちゃいけないぞ?」
「嘘じゃねぇよ!今日、下駄箱に手紙が入ってたんだ!」
父親が子供に諭すように言う、悠里に、怒鳴りながらかつ小声で話す冬馬は、かなり器用だ。そんな事を考えなら悠里はふぅん、と曖昧な頷きをした
一体、どんな心境の変化だろう。いままで、視線を感じていただろう彼女はそれを受け入れたわけだ。もしかして、彼女も冬馬のことを好きだったのだろうか?
(人ってわかんね)
悠里はそう思いながら嬉しそうにそのときの状況を話す友人に暖かな微笑を向けたのだった。
***
―――二日後。
「おい、皆大変だ!」
慌しい朝の時間に、教室に駆け込んで大声を上げたのは生徒会役員の須加だった。
「なんだ?どうした?」
「そそそ、それがよ……佐崎が、亡くなったって!」
さほど大きくもないその言葉に始めは気にも留めていなかったクラスメイトたちはたちまち無言になった。悠里はバッと顔を上げ、おもわず、冬馬の席を見る。
「お、い。何の冗談で――」
「冗談なんかじゃないって!……おれ、生徒会の仕事で朝早くに学校来て、職員室前で聞いちまったんだ。……他殺じゃないかって・・・」
悠里は音というものの存在を忘れた。暖かいはずの教室でさえ、寒さを震えを感じた。
「冬、馬……」
それは、絶望にも近い声だった。
あいつは、僕の親友で。
いつも明るくて、優しくて。
一緒にいると楽しくて。
いつも誰かが周りにいて。
孤独さえ感じなかっただろうお前が。
最近、笑顔がもっと増えたお前が。
―――死んだ?
その日、担任から須加の言葉が真実であることが伝えられ、その日は帰宅となった。教師たちは皆、明日の通夜にでも参列するのだろう。
その日、沖田野ばらは休みだった。
はじめまして。初投稿になります、藤野美雨です。
この話は私が気に入っている作品で、初投稿にはぴったりかなぁと思い、投稿しました。
感想お待ちしています。




