ー闇市場ー
バール王国の首都、タッカルバ。
世界一の規模を誇る闇市場を持つこの都は、不夜城としても名高く、常に不特定多数の外国人で溢れていた。そのため昼間でも、明らかにその筋の人間とわかるガラの悪い連中が街中を闊歩し、脛に傷を持つ訳ありの者達が多数入り込んで生活している。
そしてそんな状態の街で物をいうのは、やはり金と権力であり、元彌はそれを誰に教えられるでもなく、ヒシヒシと肌で感じていた。
そして昨夜遅くこの街に辿り着いた元彌は、さして苦もなく一軒の宿屋を見つけ、そこを当座の拠点として一晩を明かしていた。
本人は思ったより良い宿屋に泊まれたと思っていたが、実際は街に入るなり質の良くない連中に目を付けられ、いいカモだと盗賊御用達の宿屋に誘導されていたのである。
そのため元彌は与えられた部屋で眠りにつくなり、盗賊達の襲撃を受けたのだが、襲撃を受けたと言っても、盗賊達は実際には元彌の部屋に入る事すらかなわなかった。
何故なら元彌には守護精霊である凍舞が付いて居り、彼が全ての盗賊達をドアの前で追い払ってしまったからである。
そのため元彌は盗賊御用達の宿であるにも関わらず、しっかり朝まで熟睡し、旅の疲れを取ったのであった。
そして今朝は件の精霊の子を攫ったという、人買い達の手掛かりを掴むべく、元彌は情報を仕入れに街に繰り出していた。
彼等はこの街のどこかで開催されている、奴隷市場の競りに参加しているはずである。
そうは言っても時すでに遅く、精霊の子が売られた後である可能性もあったのだが、街中で得た情報によると、今月の奴隷の競りはちょうど今夜からで、元彌は自分がギリギリ間に合った事を知ってホッとしたのだった。
そんな元彌の様子を眺めながら、軽食を扱う出店の主人が、重ねてこう問いかけてくる。
「兄さん、目当ての子が居るのかい?」
「あ、はい。人に頼まれて、探している子がその中に居るかもしれなくて…」
素直にそう答える元彌に、店主は目に見えて顔を曇らせる。
「そうかい、だが金はたくさん持っているのかい?奴隷の競りってのは、金持ちもたくさん参加するからねぇ…。綺麗な子だったら、結構な高値がつくかもしれないよ?」
「あ、そっか。そういう心配もあるのか…」
はたとその事に思い当たり、元彌はうーんと悩み出す。ここに来る前、ダーミッシュ伯爵からたくさんの金貨は貰っていたが、そもそもこの世界の物の相場が良く分からない。
しかも元彌が参加しようとしているのは、奴隷市場の競りであるため、当然売りに出されるのは人間である。人間が売り買いされるような社会で生きて来なかった元彌にとって、まったくの未知の世界であった。
「えーっと…おじさん。とりあえず聞いてみるけど、子供の奴隷の相場ってここでは幾らくらいなのかな?」
あっさり考える事を放棄した元彌は、そのまま店主に問いかける。すると親切な店主は、さらりとこう答えてくれた。
「まぁ…ピンキリだね。スタートは金貨一枚からってのが多いみたいだが、安けりゃ金貨ニ〜三枚、高けりゃ金貨数百枚だよ」
「え、何でそんなに差があるの⁉︎」
あまりの値段差に思わず元彌がそう叫ぶと、店主は呆れたようにこう答える。
「そりゃあ競りだからね。見目の良い子なら欲しがる金持ちも多いから、値段も当然釣り上がるし、逆に見掛けがイマイチの子は、人気がないから安くなる。当たり前さね」
「な…なるほど…。言われてみれば確かに」
そう呟きながら、元彌は冷静に考える。
今回 攫われたのは、大地の女王の子供。
つまり凍舞と同じ上級精霊である。
精霊は魔力の強さがそのまま容姿の美しさに反映するという種族のため、おそらくその子の容姿も相当と考えて間違いない。
『あ、こりゃ絶対に予算オーバーだわ。穏便に競り落として連れ帰りたかったところだけど、見目が凍舞ばりの美形の子供となると、間違いなく高額商品だね』
そう心の中で溜め息をつくと、元彌は色々と教えてくれた店主に丁寧に礼を言って、その場から離れた。
そして周囲の様子を伺いつつ、ササッと人気のない路地へと入ると、元彌は路地内に誰も居ない事を確認してから、小声で右中指の指輪に向かって話し掛ける。
「凍舞、聞こえてる?出て来なくていいから、声だけで返事して」
そう元彌が話し掛けると、頭の中に凍舞からの心声が響く。
『どうした、元彌?』
「凍舞!あのさ、今 情報集めてたら、どうも奴隷の競りは今夜から始まるらしいんだよ。それでまだ人買い達がどこに居るのかはわからないんだけど、捜してる子も今夜にも競りに出されちゃうんじゃないかと思って…」
そう心配気に元彌が説明すると、案の定 淡々とした口調で凍舞が答える。
『十中八九、出されるだろうな。大地の女王の子なら、相当美しいはずだ』
「だ、だよねぇ…。絶対、正攻法で連れ帰るのは無理だよねぇ」
『正攻法…とは、競り落として連れ帰るつもりだったのか?』
「うん…まぁ。揉めずに連れ帰るとしたら、その方がいいかなと思ったんだけど…」
そう素直に元彌が答えると、心声だけにも関わらず、凍舞が盛大に溜め息をつく。
そして呆れ気味に、元彌に対しこう答えた。
『…つくづくおめでたい奴だな、元彌。例え無事に競り落としたとしても、誰にも邪魔されずに、連れ帰れると思っているのか?』
「え…?」
『闇市場での競りだぞ?お前みたいなのが競り落としたとしても、金だけ取られて追い払われるか、受け取った途端に他の客か売主に襲われて横取りされるかのどちらかだ』
あっさりとそう決めつけられ、元彌は多少は納得しつつも、思わず反論する。
「ひ、ひど…っ!必ずしもそうなるとは限らないじゃん!」
『お前、自分がどれだけカモられやすそうに見えるか、わかってるのか?昨夜だって街に入った途端、質の良くない連中に目をつけられて…』
そこまで語り、凍舞はふいに黙り込む。
昨夜、元彌が盗賊御用達の宿屋に誘導され、そのまま泊まってしまった事を、当の元彌自身はまったく気付いていない。
凍舞としては、言ったところで無駄だと判断し黙ったに過ぎなかったが、元彌の方は急に口を閉ざされた事で却って気になってしまったようだ。すぐに続きを促すよう、凍舞に向かって問いかけてくる。
「凍舞?俺がどうしたって?」
『…いや、何でもない。それより平気で人を売り買いするような連中が、まともな商売をすると思うのか?競り落としたところで、街を出るや否や絶対に取り返しに来るぞ』
敢えて事実を告げつつ、肝心のところをはぐらかした凍舞に、元彌はあっさり騙される。
「う、うう〜ん、確かに…」
そう呟いて、真面目に悩み始めた元彌に向かって、凍舞はさらに悪戯っぽく語りかける。
『どうせ争う事が避けられないのならば、最初から穏便に済まそうとしなければいい』
「…凍舞?それってどういう…」
何となく不吉な予感に捉われつつ、そう呟いた元彌の前にスウッと凍舞が姿を現わす。
サラリと透けるような銀髪を靡かせ、凍舞はその美しい顔に意地の悪い笑みを浮かべた。
「どうせお前の事だから、本来の目的の子に限らず、その場に居る全ての子供を助けたいと言うのだろう?」
「うっ、そ、それは…確かに言う…かも…」
突然 凍舞に痛いところを突かれ、元彌はモゴモゴと口籠る。実際に助けるよう依頼を受けたのは精霊の子についてだけだったが、そもそも元彌の中では同じ人間が売り買いされる事自体が納得出来ていなかった。
頭の中に昨日パンを恵んだ子供の姿が蘇る。
あんな細くて小さな身体なのに、不似合いなほど重くて冷たそうな鉄の首輪をしていた。
かなり薄汚れた格好をしていた事からも、食事に限らず入浴も満足にさせて貰えず、人間らしい扱いすら受けていないのだろう。
あんな哀しい姿の子供は見たくなかった。
出来る事なら全員助けたい、でもどうすれば良いのかわからないというのが正直な気持ちである。そしてそんな元彌の考えを読んだかのように、凍舞は淡々とこう続けた。
「私に考えがある。この方法ならお前も私も堂々と競りに参加出来るぞ」
「と…凍舞?」
何となく嫌な予感に捉われ、そう呟いた元彌に凍舞は無言でニッコリと微笑んだ。
赤々と照らす街中の光を避けるように、その店はひっそりと路地裏に建っていた。
厳つい監視役の男達の間をすり抜け、長く暗い階段を下まで降りると、入口からは想像も出来ないほど大きな空間が広がっている。
そこには仮面を付けた、いかにも金持ちと思われるたくさんの男女が、酒を片手に今か今かと競りの開始を待ち侘びていた。
ここはタッカルバの闇市場。
今日から始まる競りに参加する為、各国からたくさんの金持ちが集まって来ていた。
彼等は金を持て余した王侯貴族であったり、その名を知られた大商人であったりするのだが、皆一様にその正体を隠す為、薄暗い店内の中でも敢えて仮面で顔を隠している。
だが見る者が見れば相手が誰であるかなどは一目瞭然で、その場に居る者達は相手の正体に気付きつつも、素知らぬ顔で見て見ぬ振りをするのであった。
そんな曰く付きの店内のステージ裏で、同じように仮面を付けた一人の青年が、キョロキョロと落ち着きなく周りを見回している。
そのいかにも慣れてなさそうな様子に溜め息をつきつつ、その横に立つ長衣を纏った人物は小さな声で青年を咎めた。
「…少しは落ち着け。店の者に怪しまれる」
「あ…そ、そうだね、ごめん」
そう答えたのは、元彌であった。
もちろん彼の側にいる長衣を纏った人物は、彼の守護精霊である凍舞である。
凍舞はその美しすぎる容姿を隠す為、帽子付きの長衣を深く被り、周りからは一切その姿が見えないよう全身を隠していた。
だが元彌はその程度の事で、本当に気付かれずに済むものなのかと疑っていたのだが、長衣には気配を消す魔法がかかっているとの事で、意外にも誰も凍舞の事を気にしない。
また場所が場所だけに、怪しい姿の人間が居ても特に気にもされず、元彌の心配を余所に店への潜入は順調そのものであった。
だが心配性の元彌は、周囲の様子を気にしつつも、おずおずと凍舞に問い掛ける。
「ねぇ、本当に大丈夫かな…?顔すら知らない子を、俺はちゃんと見分けられるんだろうか…?」
不安のあまりそう訴える元彌に、凍舞はやけに自信有り気にこう告げる。
「…大丈夫だ。すでに私と契約しているお前ならば、きっとその子に何かを感じるはず」
「で、でも俺には何の力もないんだけど…」
重ねてそう訴える元彌に、帽子の奥から凍舞の微かに微笑む気配がする。そして凍舞は、謎めいた一言でその話を締め括った。
「お前は…お前らしくあればいい。そうしていれば、きっとその子の方からやって来る」
「え…?それってどういう…?」
そう呟いた元彌の耳に、ふいにステージからやけに張り切った男の声が響いてくる。
「レディースアンドジェントルマン!大変長らくお待たせ致しました!ただ今より、今月度の初競りを開始致します!」
オオッと会場全体に、期待に満ちた低いどよめきと歓喜の気配が広がっていく。
それを聞いて、弾かれたようにステージへと目をやった元彌は、それっきり隣に立つ凍舞に問い質す機会を逸してしまった。
そしてステージ上からは、司会の男の競りに関する説明が会場に響き渡る。
「すでにご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、競り初参加のお客様の為に、簡単なルール説明をさせていただきます」
そこで一旦言葉を区切ると、司会の男は勿体を付けるかのようにこう続けた。
「当市場の競りは自由参加です。ごく普通の平民の皆様から王侯貴族の皆様まで、どなたであろうと気軽に参加して頂けます。お気に召した子がいらっしゃいましたら、是非手を上げて、司会に金額をお知らせ下さいませ。商品は最高額を付けていただいたお客様に、お譲りとさせていただきます」
ザワザワと期待を込めた眼差しと共に、客達が己の自尊心を誇示するように胸を張る。
それを更に煽るかのように、司会の男は最後にこう言ってその場を締め括った。
「今宵は滅多にお目にかかれない、最高級の逸品もご用意させていただきました。皆様には是非、財布の紐を緩めてお待ちいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。それではご来場の皆様、大変長らくお待たせ致しました。今から競り開幕です!」
そう言って司会の男が丁寧に一礼をすると、会場は一気に異様な盛り上がりを見せた。
それをどこか他人事のような気分で眺めながら、元彌は誰に言うでもなく独り言る。
「人が人を売り買いする…。金さえあれば人さえも買えてしまうこの世界を、『歪んでいる』と感じてしまうのは、俺が “彷徨い人” だからなのかな…」
何気なく呟いた一言ではあったが、隣の凍舞がさらりと答える。
「いや…お前は正しい。そもそも生きとし生けるものは全て平等であるべきなのに、人間だけはそれに値段をつけて、差別化を図ろうとする。実際は命に差などはないのにな…」
「…凍舞…」
思わず相手の名を呼び見返すが、分厚い長衣が邪魔をして、今 凍舞がどんな表情をしているのかがわからない。その事が妙に元彌を不安にさせたが、凍舞はそんな元彌の気持ちを察したかのように、こう付け加えた。
「だがそれも人間という種の性なのだろう。私には理解出来ない事ではあるが、だからといって否定するつもりもない。あるがまま…そういうものだと思うだけだ」
そう言われ、ふいに元彌は納得する。
おかしいと思えど、自分には考え方の違いそのものを責める事は出来ない。
何故ならまだ自分は、この世界の事を何も知らない。知らないから、まずはどうしてこうなったのか、その理由から知る必要がある。
そう思った元彌は、その心のままにこう答えていた。
「…うん、そうだね。俺もそう思うよ。こうなったのにもきっと何か理由があるんだろうけど、俺はその経緯を知らない。知らないから全面否定も出来ないけど、だからといって理解も出来ない。俺は俺の信念の下に、人が売り買いされる事には断固反対する」
キッと前を見据え、元彌は静かに宣言する。
それを受けて凍舞が、分厚い長衣の中で静かに微笑んだ。
「好きにするといい。私はお前のやりたい事を助けるだけだ」
「うん…。でも凍舞がやりたくないと思ったら、別に協力してくれなくてもいいからね?俺には俺の考えがあるけど、同じように凍舞には凍舞の考えや事情があるだろう?だから無理に俺に合わせる必要はないからね」
相変わらず自由にしろという自らの主人に、凍舞は思わず苦笑する。
契約の縛りこそあるが、自分達は常に対等で、選ぶ権利は各自にあると元彌は言う。
その精神こそが逆に凍舞を惹きつけ、仕えさせているのだという事をまったく気付いていないようだが、そこがまた元彌の良いところでもあった。
だから凍舞は敢えて別の事を口にする。
「…大丈夫だ。今回の件は私にも関わる事だからな。あと他の子達を一緒に助けるのも、特に異論はない」
「うん、ありがとう…。あ、あとさっきからずっと気になってたんだけど、その…本当に大丈夫なのかな?途中でバレたりとか…」
モゴモゴと不安を口にした元彌に、凍舞が少しムッとしながらこう返す。
「あの影の事なら心配ない。仮にもこの私が作った影だぞ?人間ごときに見破られる訳がない」
「あ…うん、そこはもちろん信用してるんだけどさ。その…やっぱりあの子も凍舞の一部なわけで、俺としてはそれが物みたいに売られるってのは嫌というか、気分が悪いというか…」
突然そう言い始めた元彌に、凍舞が長衣中で軽く頬を染める。
実は競りに参加する為、凍舞が髪から作った自らの分身を商品として競りに出品したのだが、元彌はその事に最後まで反対していた。
その理由がまさかそんな事とは、予想もしていなかった凍舞は、柄にもなく照れまくる。
そして今ほど姿の見えない長衣を被っていて良かったと思いながらも、凍舞は敢えて感情を隠すよう冷たくこう言い放った。
「問題ないと言っているだろう。敢えて姿も変えて作ったし、例え買われたところで私の髪一本の話だ。その気になれば、ここからでも即消し去る事が出来る」
そう言うと、元彌は更に複雑そうな顔でこう答える。
「あ、うーん…。でもあの子ももう生きてるわけで、それを消すってのはちょっと…」
「…私の影だぞ?」
「うん、それでもあの子はあの子なんじゃないかな?凍舞から生まれたとはいえ、すでに命も意思もある別の存在だし…。だから俺はあの子の事もぞんざいには扱いたくないよ」
真剣に悩みながらそう答えた元彌に、凍舞は思わず言葉を失う。この競りに参加する為、自分が髪一本から作ってみせた影にさえも、気遣いと優しさを見せる元彌。
完全に使い捨てにする気だった自分とは違い、元彌は影の事も助けようと考えていた。
ここまで来るとお人好しにも程があるというものだが、その一方で内心それも悪くないと思っている自分も居て、凍舞は自分の支離滅裂な感情に複雑な思いでこう返す。
「本当にお前はお人好しだな。私の影にすら同情していたら、とてもこの世界では生き残っていけないぞ?」
「うーん…でもさぁ。全然知らない人のならともかく、凍舞の影だと思うとどうしても気持ち的に放っておけないんだよなぁ」
そう言って少し困ったように呟きながらも、元彌はまったく動じない。
本人はまったく気付いていないようだが、元彌の考えはすでに聖人君子のそれである。
精霊も人間も凍舞の影すらも全て救おうなどとは、普通ではなかなか持てない発想だ。
『短い命しか持たない人間は、身に余る事態に直面するとまずは自分の命を優先し、他人の事など見て見ぬ振りをする。だがこいつは常に自分の事より、他人の事を優先して考えている…』
そう思った凍舞は、長衣の下から改めて自らの主人を顧みた。
見掛けは相変わらずごく普通。特に美しくもなければ、不細工という程でもない。
だがその精神は、おそらく人という器が持つにはあまりにも大きく尊すぎる。
そしてその考えや行動を貫き通すには、元彌の肉体はあまりにも脆弱過ぎるのだ。
それならば元彌の肉体と精神は、自分が守ってやろうと凍舞は思った。口先だけの綺麗事ではなく、ちゃんと行動も伴っている元彌だからこそ守るべき価値がある。
そしてそう思う間にも、店のステージでは競りが盛況に行われ、次々と商品である子供達が下卑た金持ち達に競り落とされていく。
少しでも良い値段がつくよう事前に入浴させられ、シンプルながらも真新しい服に着替えさせられた子供達は、その細い身体に似合わない鉄の首輪や足枷をしていなければ、どこにでも居る普通の子供にしか見えなかった。
中には幼いながらも、将来が楽しみな容姿の子供も居て、 金持ち達はそういった美しい子供を少しでも競り落とそうと、惜しげもなく派手に値段を釣り上げていく。
そんな様子を、驚きと嫌悪感に苛まれながら眺めていた元彌の目に、ふいに見覚えのある一人の子供の姿が飛び込んできた。
長いボサボサの前髪が顔の半分以上を隠し、正直男の子なのか女の子なのかもよく分からない痩せっぽちの子供。
背を覆うほど長い灰色の髪は、整えられる事もなくそのままに、見た目を小綺麗に取り繕われた他の子供達とは違い、その子のみは薄汚いなりのままで明らかに異質であった。
思わず目を奪われた元彌と同じく、先程まで異常なほどの高揚感に包まれていた会場からも、明らかな動揺の騒めきが漏れる。
すると司会の男の口から、すかさず補足説明が響き渡った。
「えー…、会場の皆様。大変お目汚しな状態でのご紹介となり申し訳ございません。本来ならば、もう少し身なりを整えてからご紹介すべきところですが、大変な危険を伴うため我々も迂闊に触る事が出来ません」
ザワッと会場から、大きな騒めきが起こる。
それと同時に元彌も、まさかという思いが頭を擡げた。そんな元彌達の耳に、司会の男の信じられない説明が響く。
「これは本日の逸品の一つ、『精霊』でございます。まだ名付けもされていない、主人なしの精霊です。今はこのように薄汚れておりますが、容姿については我々が保証させて頂きます。競り落とされた方はぜひ、名付け後にじっくりとお確かめくださいませ」
ドオッと会場が揺れたかのようであった。
その存在を知ってはいても、一生の間にお目にかかれる者などほとんど居ないこの世界で、まさかその主人になれるチャンスが巡って来ようとは、自尊心の塊のような彼等にとっては、まさに垂涎ものの逸品であった。
途端に異様なほどの盛り上がりを見せた会場を余所に、元彌は一人蒼い顔で、冷水を浴びせられたかのように固まっている。
頭の中では自らの心声が、ガンガンと木霊のように鳴り響いていた。
『あの子が精霊…?あの時の子が…⁉︎』
ステージに立つ薄汚れた身なりの子供。
まさか昨日トラビィサの町で出会ったあの子が、精霊だなんて思わなかった。
そしてあの子が精霊だというなら、どうやってトラビィサに居た自分の前に現れたのか、何故助けも求めずに消えたのか、次から次へと疑問が溢れてくる。
『本当に精霊なのか?あいつらの口から出まかせという事は無いのか?』
そうは思いながらも、自分の中の何かがあの子が精霊である事を確信している。
そして魔力の強さがそのまま容姿の美しさに反映する精霊の場合、今の薄汚れた姿しか取れないあの子の魔力の強さは、大した事はないとしか言えなかった。だが、何故かそれも妙に引っかかり納得出来ない。
そして元彌は、おそらくこの場で唯一その答えを知っているであろう自らの精霊に、無意識に問いかけていた。
「凍舞、あの子は一体…?」
「…間違いなく精霊だ。そしておそらく我々が捜し求めていた人物だと思う」
淡々とそう答える凍舞に、迷いは一切見られなかった。同じ精霊である凍舞が断定するのだから、間違いなくあの子が捜し人であるはずなのに、その姿は想像とは違い、どう見てもそこらに居る子供と変わらない。
もしこの子が本当に大地の精霊の女王の子供ならば、もっと美しいはずではないのか?
そう思った元彌は、自分でも半信半疑のまま、隣に立つ凍舞に問いかける。
「で、でもそれにしちゃ姿が…?」
「…擬態だな。雨が降った後の大地が泥濘むように、あの子もわざと姿を変えている」
「そ、そんな事が出来るの⁉︎」
「我々には造作もない事だ。だが魔力封じの首輪と足枷を嵌められた状態のまま、なおも擬態し続けているとなると、かなりの魔力の持ち主だと思っていい」
さらりとそう答えながら、凍舞はステージの上に立つ子供を見据えていた。
長衣の帽子を深く被っているため、凍舞の表情までは読み取れないが、同じ精霊同士、何か感じるものがあるのだろう。
『よく…わからないけど、あの首輪と足枷に魔力を封じる力があるのなら、あれを付けたままでも擬態を続けているあの子は、やっぱりただ者じゃないってことか』
本当の姿ではないと言われても、今 目の前に居るのはごく普通の一人の子供で、その事が余計に元彌の心に突き刺さる。
他の子達の時もそうだったが、そもそも同じ人間が人間を売り買いするなんておかしい。
どんな環境、種族の下に生まれようと、子供は子供、そこに何の差があるというのか。
どの子も親だけでなく、周囲の者にも大事にされながら、大人になっていくべきだ。
そんな当たり前の事さえ守られない世界など、すでに歪んでいるとしか思えない。
そう思い無言でステージを見据えた元彌は、ふいにそこに立つ子供と目が合った。
灰色のボサボサの前髪の間から覗く、美しい澄んだ緑の瞳。そしてその瞳に僅かな驚きと歓喜の色が浮かんだのを確認し、元彌は自分でも無意識のうちにこう叫んでいた。
「凍舞!」
「承知した」
叫ぶと同時に駆け出した元彌の背に向かい、短い応えと共に隣の凍舞が動く。
そして突然ザァッと大きな水柱がステージ上に現れ、一気に精霊の子を包み込んだ。
「あ!おいっ⁉︎」
「せ、精霊が…っ!」
会場のあちこちから悲鳴に混じり、そんな叫び声が聞こえてくる。しかし元彌はそれらを一切無視し、そのまま勢いよくステージへと駆け上がった。そして引かれるように真っ直ぐ水柱へと近付いた元彌の耳に、パキィ…ンという何かが砕け散る甲高い音が響き渡る。
それと同時に隠布が取り払われたかの如く、水柱は跡形もなくその場から消え去った。
「おお…あれは…っ」
会場に低いどよめきと共に、未知のものへの恐怖が広がっていく。それをどこか遠くに感じながら、元彌は目の前に現れた子供に向かって、ニッコリと微笑みかけた。
「やぁ…また会ったね」
そう元彌が話しかけたのは、トラビィサの町で出会った一人の子供だった。
薄汚れた服にボサボサの灰色の髪、お世辞にも綺麗とは言えない痩こけた奴隷の子供。
しかしその身体から、鉄の首輪と足枷はなくなり、子供は再び自由を手に入れていた。
そしてそれを確認するでもなく、子供の方も実に穏やかにこう返す。
「はい、そうですね。ずっと貴方が来て下さるのをお待ちしておりました」
「俺を…?君は俺が助けに来るって事を、知っていたの?」
不思議そうにそう問う元彌に、子供はゆっくりと首を横に振る。
「…いいえ。でも初めてお会いした時から、そうなるような気がしていました。そして私も助けに来ていただけるのなら、貴方が良いと思っていました」
「どうして俺?あの時、君とはほとんど話さなかったと思うのだけれど…」
そう素直に問いかけると、子供はその見た目に似合わない大人びた口調でこう答える。
「…私にパンを恵んで下さったから」
「え?でもそれは俺の世界では、特に珍しい事でも何でもないんだけど…?」
戸惑う元彌に、子供はふわりと笑いかける。
「確かにあの時もそう仰ってましたね。でもこの世界でそんな事をして下さるのは、おそらく貴方だけです。そんな貴方だからこそ、その御方もお仕えしているのでしょう」
そう言って子供が視線を投げた先には、いつの間に側に来たのか、凍舞が立っていた。
相変わらず長衣で姿を隠しているが、同じ精霊である子供にはその正体がわかるらしい。
「…わかるんだ?凍舞が君と同じだって事」
「はい、人間と精霊では纏う気配が違いますから。それにその御方の魔力は強い。だからどこに居ようとすぐにわかります」
そう言うと子供は凍舞に向き直り、丁寧に頭を垂れて礼を言う。
「助けて下さってありがとうございます、水の御方」
「…それが元彌の願いだったから、手を貸したまでだ。お前に礼を言われるような筋合いはない」
相変わらず淡々と、何事にも興味無さそうに答える凍舞に、子供はふわりと笑いかける。
そして見かけによらず、ひどく大人びた口調でこう答えた。
「例えそれが気紛れの事であったとしても、私が貴方に助けられた事実は変わりません。それにこうしてお会いしてみると、噂でお聞きしていたほど冷淡な方には見えませんね」
「噂?え、噂になるほど凍舞って、有名人だったの?」
そう素直に問うと、目の前の子供が弾かれたように元彌を見詰める。
「…元彌様はご存知ない…?何も知らないまま、その御方と契約なさったのですか⁉︎」
「え、まぁ…その…。俺がこの世界に来たのはつい昨日の事で、凍舞との契約もホント事故みたいなもんだし、正直詳しくは…」
そうしどろもどろに答えると、明らかに目の前の子供が動揺する。それに対し凍舞はスッと人差し指を口元に立て、子供にだけわかるように無言で合図を送ると、元彌に何事もなかったようにこう話しかけた。
「そんな事より元彌。早くこの場から去らないと、面倒な事になりそうだぞ?」
「あ、そうだった!凍舞、他の子達は?」
「もうすでに私の影がトラビィサの城に転送した。あとは我々が脱出するだけだ」
その言葉と共に、その場にスッと凍舞の影が現れる。凍舞が自らの髪で作ったその影は、黒髪に黒い瞳ではあったものの、その容姿はどことなく主人である凍舞によく似ていた。
だがどんなに姿形が似ていようとも、影には凍舞のような他者を圧倒する迫力はない。
それでもその美しさは、その場に居る者達の度肝を抜いたようで、どこからともなく会場からは、感嘆のどよめきが沸き起こった。
それと同時に主催者側と思われる、いかにも質の良くない連中が、口々に何事かを叫びながらステージ上に駆け上がって来る。
それを見て、確かにのんびりしている場合ではなかったと焦った元彌は、素早く凍舞に向かってこう宣言した。
「じゃ、じゃあ凍舞。早くこの子達と一緒に脱出しようっ?」
「承知した」
短い応えと共に、凍舞の右手がスッと大きく真横に振られる。それと共に巨大な水の渦が彼等を包み込み、今にも襲いかからんとしていた追手との間に強固な水の壁が作られた。
そして戸惑う追手達の前で、水はより一層その回転を増すと、ふいに何かに切り裂かれたように、千々にその場から消えてしまう。
消え去った水の渦と共に、元彌達もその姿を消してしまい、ステージ上には狐につままれたような表情をした追手達だけが残されたのだった。
続く