ー人間と精霊ー
たくさんの甲冑姿の騎士達が、呼ばれもしないのに大広間に集まってきていた。
その中央のポッカリと空いた空間には、この場に不似合いなほど平凡過ぎる青年と共に、他者を圧倒するほど眉目秀麗な人物が立っている。正直 後者が美し過ぎるため、その性別がどちらなのかは悩むところであったが、その背の高さと膨らみのない胸を見る限りは、どうやらこの人物も男性のようであった。
そして一体どういった繋がりなのか…平凡な容姿の青年は、オドオドと周囲に落ち着きのない視線を送りつつも、美貌の主の背に隠れながら戸惑っている。
明らかにおかしな組み合わせの二人であったが、両者が既知の仲なのは一目瞭然で、周囲はこの二人が一体何者で、どういった関係なのかを興味津々で眺めていた。
そしてそんな痛いほどの注目の中、平凡な容姿の青年、元彌は心の中でこう思う。
『え、何で俺、こんなに注目されてんの⁉︎』
青ざめた顔で上辺だけの笑顔を浮かべながら、元彌はダラダラと冷や汗を流していた。
そもそも元の世界ではその存在を忘れられる事すらあったのに、この世界に来てからは、やたらと目立っているような気がする。
理由はおそらく今 自分の前に居る、この絶世の美女と見紛うばかりの容姿を持った精霊、凍舞のせいだろう。
つい先程教えてもらったばかりだが、どうも精霊はその見た目の美しさと魔力の強さとが比例する生き物らしい。そう考えると絶世の美女級の容姿を持つ凍舞は、おそらく精霊の中でも最上級に位置する存在で、それを何故かうっかり従えてしまった自分は、分不相応な主人である事は間違いなかった。
『で…でも、俺まだ死にたくないしな…。いくら分不相応だとしても、凍舞が自由になる為には俺が死ななきゃならないって言うし…』
そう思いつつ、チラッと眼前に控える凍舞に目をやると、明らかに面倒くさそうにそっぽを向いている。おそらく自分が事前に指輪の中に戻る事を禁じていなければ、とっくの昔にこの場から姿を消していたに違いない。
そもそも精霊である凍舞にとって、人間なんてどれだけ居ようが、道端の石ころのようにしか思わないのだろう。だが同じ人間である元彌にとって、今の事態は一大事であった。
自慢じゃないが生まれてこの方、こんな衆人環視の最中に立たされた事などない。
自分は常に脇役で、主役になどなりたくもないし、なれるはずもない存在だったのだ。
だから他者から注目される事にまったく慣れてない元彌は、最初から一人でこの場に立つ勇気など持ち合わせてはいない。
今すぐ逃げ出したい衝動を必死に堪えながら、精一杯の勇気を総動員して、平気なふりをし続けるのが関の山なのである。
そんな明らかにおかしな組み合わせである二人を見ながら、この城の統括を任されているダーミッシュ伯爵は、表面上は平静を装いながらもひどく驚いていた。
聞けば精霊の後ろに隠れ、怯えまくっているこの青年は、つい先程この世界に落ちて来たばかりの “彷徨い人” だと言う。
着いてまだ一日も経っていないというのに、どうやって稀少な存在である精霊を従えたのか…まったく想像もつかない事態だった。
そこで伯爵は相手に気付かれないよう警戒しつつも、そっと探りを入れてみる事にする。
もしこの “彷徨い人” が、危険思考の持ち主であるなら、今この場で取り抑えておかないと国全体に危機が及ぶ可能性がある。
それだけは国を守る一人の騎士として、絶対に避けなければならない事であった。
そして頭の中で様々な可能性に備え、忙しく対応策を練りながらも、伯爵は愛想良く元彌に向かって話しかける。
まずはこの “彷徨い人” だと言う、青年の為人を見極める事が、何よりも先決であった。
「元彌殿…であったか?まずはお疲れのところ、この場までご足労いただき痛みいる」
にっこりと友好的な笑顔を浮かべつつ、伯爵は元彌に対して穏やかに話しかけた。
貴族らしくその物言いは柔らかで、甲冑こそ纏っているが、面差しといい立ち居振る舞いといい、上品な雰囲気を醸し出している。
一見すると優しげで品の良い壮年の騎士といった感じであったが、これでも若い頃は常に激戦区を駆け回り、数々の美女と浮名を流してきた、なかなかの男であった。
そんな伯爵の声に反応し、おずおずと元彌が凍舞の後ろから顔を出す。
注意深く様子を窺う伯爵の前で、元彌はその見た目通り、ごく普通の反応を返してきた。
「あ…いえ、その…お気になさらず…」
そう答える姿は、少し変わった服装をしている事を除けば、本当にどこにでも居る善良そうな青年のものだった。
ますます何故こんな普通の青年が、最上級の精霊を従えているのか、その事実に違和感を覚える。そもそもこの世界の者にとっても、精霊との遭遇は非常に稀な事なのだ。
それなのに今日この世界に落ちてきたばかりの “彷徨い人” が、いきなり精霊と遭遇したばかりか、そのままその主人として収まってしまうなど、まさに前代未聞の事件である。
しかもその従えた精霊というのが、明らかに最上級レベルの者で、本来ならば人間になど従うはずもない存在であった。
もはや幸運というより奇跡とも言うべき事態なのだが、当の本人はと言うとまるでその事を分かっておらず、オドオドと連れの精霊を盾代りにするばかりである。
それをひどく冷めた目で眺めながら、伯爵は心の中で独りごちた。
『…精霊はその人間の本質を見て、主人を選ぶと言う。そうなると一見普通に見えるこの青年も、実は只者ではないという事か…?』
そう思ってはみたが、何度見直しても青年に変わったところは見られなかった。
失礼ながら可もなく不可もなくで、何故これほどの精霊が彼を主人に選んだのか…何かの間違いではないかという思いが頭を擡げる。
だがすでに部下からの報告で、この精霊が目の前の青年を庇うように登場し、魔物を一撃で消滅させたという事も聞いていた。
信じがたい事ではあるが、事実は事実なのである。
『…まぁ彼に敵意がないのならば、逆に戦力として取り込むべきなのだろうが…。果たして信用するに値する男なのかどうか…』
今ひとつ元彌を測り切れない伯爵は、探るような視線を彼に向ける。
するとそんな元彌を庇うように、スッと銀色の美しい影が伯爵の視線を遮った。
そして思わず目を奪われた伯爵に対し、透き通るように美しい青い瞳が向けられる。
明らかに美しすぎる相手に呆然としていると、その容姿と同じく冴え渡る氷のように冷たく美しい声が、静かにその場に響いた。
「…一城を預かる身として、相手を疑ってかかるのは当然の事だが、これは貴方が思うような者ではない。ごく普通の一般人だ」
まさかプライドの高い精霊の方から話しかけてくるとは思わず、さすがの伯爵も一瞬動揺を覚えたが、すぐに衝撃から立ち直ると実に不敵にこう答える。
「…ごく普通の一般人は、君みたいな精霊を従えては居ないよ?彼は一体どんな技を使ったのかな?」
探るようにそう言った途端、ふいに緊迫した場に相応しくない、やたらと呑気な声が割って入ってきた。
「あ、それは単なる事故です」
一瞬即発の雰囲気をぶち破るかのような一言に、さすがの伯爵も唖然としたが、元彌はそれに気付かないのか淡々とこう続ける。
「たまたま俺が落ちた場所が凍舞の結界の中で、何も知らないまま名付けをしちゃったんです。で、無駄に殺生をしたくなかった凍舞が、まだ死にたくなかった俺に同情して、そのまま正式契約をしてくれたんです」
元彌としては大真面目にそう答えたのだが、言われた伯爵の方はポカンとしている。
そして凍舞はというと、額に手を当てつつ、困ったように深い溜め息をついていた。
それを見て、さすがに『何かマズい事を言ったか?』と思った元彌だったが、すぐに驚きから立ち直った伯爵が大声で笑い出した。
「は…っ、ははは!う…うっかりって…!同情って!それはないよ、君!」
「え、ええ?」
突然の相手の大爆笑に、元彌が大いに戸惑っていると、伯爵はひとしきり笑い終わった後に、涙を拭きながらこう答えた。
「…元彌殿。君は何か勘違いをしているようだが、精霊に限って同情での契約はないよ。精霊は非常にプライドが高く、人間に仕える事を良しとしない種族だ。余程の事がない限り、まず契約など出来ない」
「え?でも…」
動揺する元彌に、伯爵は力強くこう続ける。
「精霊はその人間の本質を見ると言う。君が自分の事をどう思っているのか知らないが、少なくともそこの精霊の彼にとっては、君は契約するに値する人間だったという事だ」
「え、ええ?で、でも俺はごく普通の一般人ですけど…っ⁉︎」
驚いてそう叫ぶ元彌に、伯爵は再び笑いながら首を横に振る。さすがに伯爵が嘘を言っているようには思えなかったが、凍舞が自分に対し、契約するだけの価値を感じたからと言われても、特に何もした覚えがない。
せいぜいカッコ悪く、『まだ死にたくないです』と正直に訴えたぐらいである。
「えっと、やっぱ勘違いじゃないですかね?俺には他人に誇れるような特技もないですし、凍舞に助けられる一方で、今のところは何も返せていないのですが…」
自嘲気味に元彌がそう答えると、何故か伯爵は更に楽しそうに笑いながら、納得したようにこう呟く。
「…なるほど、君のそういう謙虚なところが彼を惹きつけるのか」
「は?」
「元彌殿。大抵の人間はね、精霊を便利な道具のように思ってる。そして自分より寿命が長く魔力がある彼等に対し、体を張って庇おうとか何か返そうとかなんて思わないのさ」
まるで他人事のようにそう言われ、元彌は衝撃を受けると共に、反射的にこう返す。
「え?で、でも精霊も同じように生きてるわけで、その大切な命を張って守ってくれてるわけでしょ?それを当然だなんて、とても俺には思えない…」
動揺しながらもそう答えると、ふいに伯爵が笑いを収め、深刻な表情でこう語る。
「…そうやって精霊も人間と同じ生き物なんだと考え、素直に感謝出来るところが、君の良い所なんだろうね。言われてみれば確かに君の言う通りなんだけど、我々人間はどうしてもその事を忘れがちだ。何故なら精霊は、人間よりもずっと長生きで強いからね」
淡々とそう言われ、元彌は思わず絶句する。
そもそも一般庶民である自分の感覚では、一方的に尽くされる関係なんて有り得ない。
自分がまだ精霊というものを理解していない自覚はあるが、それでも伯爵の言う普通の人間と精霊の関係は歪だとしか思えなかった。
大体契約したら最後、主人である人間に命を賭けて尽くす一方だなんて、哀しすぎる。
もしそれが本当なら、確かに精霊が人間と契約しようなんて思わないはずだ。
『だって尽くされるのが当然ってなんだよ⁉︎精霊だけが一方的に命を賭けて尽くすだなんて、それじゃ主従契約というより、奴隷契約そのものじゃないか!』
思わず怒りすら覚えながら、元彌は思う。
自分だったら絶対にそんな事はしない。
確かに契約上は主従になるのかもしれないが、出来る限り相手と対等で居たいと思う。
そして一方的に相手を支配するのではなく、お互いを認め合い、普通の友達のように損得抜きで一緒に居たいと思う関係を築きたい!
その決意と共に、元彌は静かな怒りすら漂わせながら冷静に答える。
「…他の人はともかく、俺は凍舞を一方的に支配しようなんて思っていません。例え俺がどう言おうと、凍舞がやりたくない事はやらなくてもいいと思うし、その命を賭けてまで守ってもらおうとも思わない」
そう答えた姿は、先程まで自らの精霊の影に隠れ、ひたすら怯えていた青年と同一人物とは思えないほど毅然としていた。
本人はまるで気付いていないが、怒りが頂点に達すると、逆に腹が座るタイプらしい。
そして自分が納得出来ない事には、とことん抗い誰が何と言おうと信念を貫く。
決して周囲に流される事なく、確固たる意志の強さで自らの主張を通す…そんな “オタク” と言われる人種ならではの強さで、元彌は今 真っ向から伯爵と対立していた。
それを見ながら今まで能面のように無表情だった凍舞が、ひどく穏やかに小さく微笑む。
そんな二人の姿を信じられない思いで眺めながら、伯爵は心の中で呟いた。
『この者達は…違う。彼等の関係は、すでに普通の人間と精霊とのものではない。まるで本当の友人同士のような…お互いがお互いに好意を抱いているからこその関係に見える』
スウッと目を細めると、伯爵は素早く頭の中で一つの決断を下した。
根拠はないが、長きに渡り自分を生かしてきた勘が、彼等こそが適任だと告げている。
そこで伯爵は、思い切って元彌達に話を切り出してみた。
「…元彌殿、そして精霊殿。貴公らを見込んで頼みがある。どうかこの城を救うために、協力してくれないだろうか…?」
「頼み…?この城を救うって…?」
急に重たくなった話題に、元彌が面喰らって一歩下がると、伯爵はニッコリと微笑みながら優雅に語り出した。
何故この土地から大地の精霊が消えてしまったのか、その理由をーーー。
数週間前の事、突然 国中に響き渡るような心声が、城中の人間の頭の中に響いた。
『何故…っ⁉︎居ない、居ないわ!誰があの子を連れ去ったの⁉︎返して、返して、私の愛し子を…っ‼︎』
それは聴く者の胸すら痛くなるほど、悲痛な母親の叫びだった。
強制的に繋がれた視界に、目まぐるしく国中を探し回る誰かの視界の映像が流れていく。
まさしく国中を飛び回り、必死になって探し続けるその映像からも、おそらく精霊の子の一人が行方不明になったのだろうという事は理解出来たが、城の者達にはまるで覚えのない話だった。
「…精霊を怒らせるなんて、常識のある人間ならまずやらないよ。精霊は全ての生命の源であり、この世界そのものなのだから」
そう淡々と語る伯爵は、静かな怒りを漂わせながら話を続ける。そして彼は困ったような深い溜め息と共に、こう話したのだ。
「その精霊はこう言ったんだ。『私の愛し子を返せ。返さない限り、全ての土地から精霊は永遠に消え去るだろう』と。そしてその言葉通り、翌日には国中の全ての土地から大地の精霊が消えたんだ」
淡々と語られたとんでもない内容に、思わず元彌は驚きの声を上げる。
「く、国中っ⁉︎え、ここだけじゃなく⁉︎」
「…そう、国中。どうやらその心声の主は、大地の精霊の女王のものだったらしい」
「え、女王…?って事は、攫われた精霊の子って、まさか…」
「そう、大地の精霊の女王の子供だ。おそらく数千年に一度しか生まれないという、次代の大地の女王だよ」
淡々と語りながらも、伯爵は心底困った表情でこう続けた。
「もちろん我々も必死で行方を探した。だが我々は、その精霊の子がどんな姿をしているのかもわからない。捜査は難航を極めたが、それでも数週間前この地に人買いの一行が来ていた事がわかった。おそらくその連中が何も知らず、その精霊の子を連れ去ったのではないかと睨んでいる」
「そ、そこまでわかっているなら…っ!」
どうして即取り戻しに行かないのかと言おうとした時、伯爵は苦い表情でこう答えた。
「もちろん彼等がまだカラリス王国内に居るのならば、どんな手を使ってでも精霊の子を取り返したさ。だが彼等はすでに国境を越え、隣国に入ってしまったらしい」
「そ、それじゃ…」
「…そう、お手上げ状態なんだよ。他国で勝手な事は出来ないし、下手に協力要請をしようものなら、かえってその精霊の子の命が危うくなる。隣国にとっては我が国が滅びるのは、かえって好都合な話だからね」
思わず言葉を失った元彌に対し、凍舞は何の感情も読み取れない瞳で伯爵を見つめ返す。
そして実に冷静にこう切り出したのだ。
「…つまり我々に、その精霊の子を取り返してきてくれという事か?」
「話が早くて助かるね…。そう、そういう事になる。我々は国に縛られて動けないが、君達は違う。君達ならなんの障害もなく隣国へと入り、人買い達から精霊の子を取り返して来れるだろう?」
そう伯爵が告げると、元彌は案の定 相手の目論見通りにこう叫ぶ。
「行きます!一刻も早く助けないと、その子の命も危ういのでしょう⁉︎それに人を攫って売買するだなんて、絶対に許せないっ!」
怒りと正義感から頰を赤らめつつ、そう叫ぶ元彌に対し、凍舞は仕方ないなといった視線を投げつつ溜め息をつく。
それを穏やかに見つめながら、伯爵は心の底からの感謝の意を述べた。
「ありがとう。君ならきっとそう言ってくれると思ってたよ」
ニッコリと人の良い笑みを浮かべると、伯爵は手を叩いて、ずっしりと重たい金貨の入った財布と旅装一式を部下に持って来させた。
そしてそれらを元彌に渡させながら、自らは地図を広げてこう語る。
「…人買いらが向かったのは、隣国のバール王国の首都 タッカルバだ。ここには大規模な闇市場があって、日々違法な取引が行われていると聞く。人買い達はおそらく、その市場で連れている子達を売り捌くつもりだ」
「じゃあ、精霊の子も…⁉︎」
「ああ、おそらく売りに出される。もし競りに出されてしまったら、誰が買い取るかもわからない」
そう説明され、元彌は勢いよく凍舞を振り返り、意志の強い瞳でこう告げる。
「凍舞、お願い!俺は一刻も早く精霊の子を助けたい。だから俺に協力してくれる?」
「…わかった。だが助けたところで、その子がお前に感謝してくれるとは限らんぞ?おそらく人間不信になっているだろうしな…」
そう告げると、元彌はハッキリこう答える。
「別に感謝してもらおうなんて思ってない。ただ俺が嫌なんだ。人間だろうと精霊だろうと、人が物のように売り買いされるなんて」
そこまで言うと、元彌はふいに伯爵を見返してこう告げる。
「精霊の子は必ず俺達が助けます。あとその子を返す時に、大地の精霊達に元の土地に戻って貰えるよう頼んでみます」
「感謝する、元彌殿。この世界に来たばかりの君に、何もかも任せる形になってしまってすまない…」
「いえ、それよりその子を返したところで、大地の精霊の怒りがおさまるかどうか…」
どう考えてもそれだけでは怒りがおさまらない気がして、元彌が思わずそう呟くと、伯爵は軽く首を振りながらこう答える。
「それは覚悟の上だ。だが精霊の子を返さなければ、確実にこの国は滅ぶ」
「…わかりました。貴方がたがそう思って下さっているのなら、俺は迷いなくその子を助ける事が出来る」
そうきっぱりと元彌が言うと、その答えを聞いた凍舞がスッと動く。
「…では行き先は、バール王国の首都 タッカルバでいいな」
「もちろん!…って、え?まさか…」
ふと嫌な予感に捉われ、元彌が凍舞を振り返ると、一瞬にしてグワッと大きな水のうねりが元彌の周囲を取り囲む。
「ちょ…ちょっとぉ、凍舞ぁ⁉︎」
「行くぞ」
短い応えと共に急速に視界が効かなくなる。
驚き慌てふためく騎士達の前で、その水のうねりは元彌と凍舞だけを包み込むと、二人と共に一瞬でその場から消失していた。
そのあまりに突然の出来事に騒めく大広間の中で、衝撃からいち早く立ち直った伯爵が、まるで祈るようにこう呟く。
「頼む…どうか我が国を救ってくれ…」
そう伯爵が願ったように、元彌は異世界生活一日目にして、早くもカラリス王国の命運を握る大事件に巻き込まれたのであった。
夜空にたくさんの星が瞬いていた。
だがそれらを搔き消すほどたくさんの灯りが、赤々と街中を照らしている。
そして石畳の狭い路地には、たくさんの怪しげな店や天幕が立ち並び、きつい香水の匂いを纏った娼婦やマントで顔を隠した怪しげな老人、脂ぎった身体に下卑た笑いを浮かべた商人などが、熱心に客引きを行っていた。
もちろん訪れる客の方も訳ありで、皆マントや仮面で素顔を隠し、思い思いの品物を求め彷徨っている。そんないかにも怪しげな一帯で、どこからか美しい歌声が響いていた。
よくよくその声を辿ると、それはある店の地下から漏れており、そこには鉄格子の窓越しに夜空を眺めながら、一人の子供が誰に聞かせるでもなく静かに歌っていた。
よく見るとその子供の首には、小さな身体に不似合いなほど重そうな鉄の首輪が嵌り、その細い足には鉄の足枷と共に、鎖で繋がれた大きな鉄球がぶら下がっている。
明らかに子供が逃げられないよう、何者かによって付けられたと思われる拘束具は、子供の動く自由を奪い、この地下から勝手に出て行けないよう縛り付けていた。
だから子供は唯一自由になる声を使い、歌を歌って自らを慰めていたのである。
だがそれも酔っ払って顔を赤くした見張りにどやされ、子供は仕方なく口を噤んだ。
よく見るとその地下には、その子供と同じように首輪と足枷を嵌められた子供達が、シクシクと泣きながら、閉じ込められている。
ざっと二十人ほどは居るだろうか?
皆 攫われたり親に売られたりして、ここに連れて来られた奴隷の子供達であった。
もはや売られるのが時間の問題とばかりに、悲観し泣き崩れる子供達を他所に、先程歌を歌っていた子供は、まだ諦めていなかった。
「…待っているから…。早く来て…」
そう呟きつつ目を閉じると、瞼の裏に浮かぶのは出会ったばかりの自分に、パンやチーズを分け与えてくれた優しい青年の姿。
助けを呼ぶため意識だけを飛ばし、彷徨っていた時に偶然出会った人間だった。
一目見て、何故かひどく彼に惹かれた。
理由はない、根拠もない。
ただまるで引き寄せられるかのように、気がついたら彼の前に姿を現していた。
おそらく彼の持つ暖かい陽だまりのような気配に、無意識に彼ならばと思ったのだろう。
そして自分は賭けたのだ。
彼が自分を助けに来てくれる事にーーー。
『あの人からは、すごく強い…精霊の気配がした。母様とはまるで違う、でも同じくらい強い気配。もしあの精霊が助けてくれるのならば、ここから出られるかもしれない』
チャラリと足枷の鎖が鳴る。
捕われた時に嵌められたこの首輪と足枷に、強力な魔力封じが施されているらしい。
そのため今の自分に出来るのは、この身体から僅かの間、意識を飛ばす事だけである。
そんな忌々しい枷を睨みつけながら、子供は再び空を見上げる。外の喧騒を嘲笑うかのように、月が静かに青白い光を落としていた。
そんな薄闇の中、長めの前髪で隠された子供の緑の瞳が、月光を弾いてキラリと光る。
「…早く来て…」
消え入りそうな声でそう囁くと、子供は自らの身体を抱き締め、小さな膝に顔を埋める。
タイムリミットは明日の夜。
おそらく自分は明日には競りに出され、そのままどこかへと売られてしまうだろう。
どんどん生まれ故郷から離されていく事に、先天的な恐怖を覚えながらも、子供はただひたすら一度会っただけの元彌を待つ。
その姿を月だけが、優しく照らしていた。
その頃タッカルバの街外れの泉から、突如青白い閃光が差していた。昼間ならば水を求めて、街の人々も集まる場所であったが、夜も更けた今となってはこんな森の中の泉に居るのは、夜行性の動物ぐらいなものであった。
それが幸いし、泉の中から突然ザバァッと大きな丸い球体状の水の塊が出て来ても、それを目撃していた者は一人も居なかった。
そしてその水の塊はスウッと近くの草の上へと移動すると、パチンと弾けて跡形もなく消え失せた。
「…あ…れ?ここどこ?」
本日二度目の台詞だなと思いつつも、思わずそう言ったのは、言うまでもなく “彷徨い人” の斎藤 元彌であった。その隣には、怖いほど整った容姿の水の精霊 凍舞が立っている。
見た目通り、実に美しい所作で街明かりの方を指差した凍舞は、至極淡々とこう告げた。
「…あれがタッカルバの街だ。いきなり街中に現れると騒ぎになるので、街から一番近い泉に道を繋いだ」
「え、じゃあもう着いちゃったの⁉︎」
そう驚く元彌に、呆れたように凍舞は言う。
「だから行きたい場所にある水に、道を繋いで移動しただけだ。昼間も言ったろう」
「で、でもあの時は、水溜りに飛び込んだじゃん?今回水溜りなんてなかったよ?」
真剣にそう答える元彌に、ああと言いたい事が理解出来た凍舞が補足する。
「別に水でさえあればいいからな。その水が自然な物であろうが、私が魔力で出した物であろうが関係ない」
「え、それってつまり」
「出口に水のあるところさえ指定出来れば、入口はいつでも作れる」
淡々とそう答える凍舞に、思わず元彌が真剣な顔で詰め寄る。
「それ早く言ってよ!あ、あと魔力で作った水でいいなら、何で最初の時は水溜りに飛び込んだの⁉︎」
「深い意味はない」
「俺、めっちゃ死ぬかと思ったんだけど⁉︎」
「水溜り程度の水量で、死ねるわけがない。まぁ空間を繋いでなければ、首の骨は折ったかもしれんが」
相変わらず淡々と事実のみを述べる凍舞に、元彌は思わず頭を抱える。
『駄目だ、完全にわかってない!カナヅチの俺にとって、あの体験がどれほど恐怖だったかなんて』
そうは思うが、凍舞なりに気を遣ってくれた結果なのだろうと思うと、元彌はそれ以上の反論を諦める。
「まぁ…いいや。とにかく目的地にすぐ連れてきてくれて助かった。とりあえずあの街明かりを目指して行けばいいんだな?」
「ああ、そうだ。あと私はしばらく指輪の中に戻る。私が側に居ると目立つからな」
凍舞にそう言われ、元彌は確かにと思う。
明らかに美しすぎるその容貌は、一目で周りの人間に彼が上級精霊だという事を知らしめてしまう。そしてそんな彼を従えているという事が、どれだけ人々の羨望を誘うか…つい先程 元彌は嫌と言うほど味わっていた。
そのため元彌は凍舞の申し出に対し、素直に頷きつつこう答える。
「うん、そうだね。確かにその方がいいかも…。でもさ、これ一体どうなってんの??こんな小っちゃな指輪の中に、凍舞はどうやって収まってるわけ?」
右中指の指輪を見つつ、元彌が素朴な疑問を口にすると、凍舞はあっさりとこう答える。
「それは単なる入口だ。私はその指輪を通じて、別の空間に居る」
「え?この中に居る訳じゃないの??」
「いや、居る事は居る。ただその中が異空間になっているというだけの話だ。細かい原理の説明は省くが、要するに見た目通りの大きさではないという事だ」
「…異空間…」
そう呟きつつ眺めて見るが、見た目は普通の指輪にしか見えない。
月に翳したり、角度を変えて見て見たりもしても、正直違いがさっぱりわからない。
そんな元彌を呆れたように眺めながら、凍舞は面倒臭くなったのか、ポツリとこう呟く。
「…とにかく私はしばらく指輪の中に戻る。何かあったら名前を呼べ」
「あ、ちょっと、凍舞⁉︎」
言うが早いか、またしても凍舞はスウッと指輪の中へと消えてしまった。
それをポカンと見送った後、元彌は気を取り直し盛大な溜め息をつく。
「ま、仕方ないか。どうせ連れて歩いてると目立って仕様がないんだろうし…」
そう言いつつも、元彌はブチブチと文句を垂れつつ、伯爵に持たされた荷物の中を漁る。
「それにしてもこんな夜の森の中で、ボッチってありかよ⁉︎こっちは灯りも持ってないってのに…。せめて森の出口まで、案内がてら一緒に居てくれてもいいじゃん!」
そう言いつつ荷物を探ると、簡易のランタンと共に火打ち石が出てくる。
その事にちょっと安堵しつつも、元彌はガシガシと頭を掻きつつこう呟いた。
「はー…こんな時にボーイスカウトでの経験が役立つとはなぁ…。人間何でもやってみておくもんだなぁ」
そうボヤきつつ、その昔 親に強制的に放り込まれたボーイスカウトでの経験が、今まさに役立ちそうな事に驚きつつも、元彌は手早くランタンに火を灯した。
「さて…。ホントは夜の間は動かない方がいいんだが、今回はそうも言ってられないからなぁ」
そう呟くと、元彌は呑気に歩き出した。
続く