ー最初の街ー
穏やかな夕暮れ時、街の広場の近くにある小さな井戸からキラキラした光が漏れていた。
もしそこに人が居れば、おそらく不思議そうにその中を覗き込んだ事だろう。
だがその日は誰も居らず、街の住人達はその事にまったく気付かなかった。
そしてその光が出始めてしばらくして、突然ザバァッという大きな水音と共に、井戸の中から大きな丸い水の塊が飛び出してくる。
明らかに何らかの意図を持って動いているそれは、そのまま近くの石畳の上まで移動すると、まるで風船のようにパチンと弾け、跡形もなくどこかへと消え去った。
「あ…れ?ここ、どこ?」
水の塊が消えた途端、ふいにその場に呑気な若い男の声が響く。
キョロキョロと挙動不審に辺りを伺うのは、言うまでもなく元の世界では ”オタク” と分類される、自称 “脇役“の斎藤 元彌であった。
そして彼の隣には、もはや尋常じゃないレベルの銀髪の美形が立っている。艶やかに流れる癖のない美しいプラチナブロンドに、白磁の如く白く滑らかな肌、そして最高級のサファイアのように美しく透き通った青い瞳。
明らかに人間というには整い過ぎている容姿を持つその人物は、つい先程 元彌がうっかり従えてしまった水の上位精霊 凍舞であった。
思わず『月とスッポン』『猫に小判』といったことわざが頭を過ぎるが、今はそれよりも現状把握の方が優先される。
そこで元彌は手っ取り早く隣に立つ美形に、率直にこう尋ねてみた。
「ねぇ、凍舞。ここって…どこ?」
「…カラリス王国の外れの街、トラビィサ。先程までいた洞窟から一番近い人間の街だ」
透き通るような美しい声音で、実に面倒臭そうにそう答えた凍舞は、そのままスッと元彌の方へと近付く。そして驚いて固まる元彌へと向かい、たった一言『私はしばらく休む』とだけ言い残し、すうっと元彌の右手の中指に嵌っている指輪の中へと消えてしまった。
あまりに突然の事に、何も出来ず呆然と見送ってしまった元彌だったが、しばらくすると突然ある事に気付く。そして元彌はひどく焦りながら、指輪に向かってこう叫んだ。
「ちょっ、ちょっと待って?俺、この世界の金なんて持ってないし、そもそも言葉も通じるのっ⁉︎俺、日本語しか喋れないんだけど⁉︎ねぇ聞いてる、凍舞っ‼︎」
思わず自分の右手の指輪に向かってそう訴えたが、凍舞はもう何も答えない。
自慢じゃないが、英会話すらまともに出来ない自分が、こんな異世界の言葉を完璧に理解して話せるとは到底思えなかった。
しかしこの時、元彌はうっかり忘れていた。
先程カラリス王国騎士団なる連中と遭遇した際に、元彌は彼等と何の問題もなく会話出来ていたという事を。
…つまり言葉はちゃんと通じるのだ。
あとはお金の問題だけなのである。
そしてその事に元彌が気付くのは、第一街人を発見し、勇気を振り絞って声を掛けた後であった。
ホカホカと白い湯気を立てながら、美味しそうな料理が所狭しと卓の上に並ぶ。
それをヨダレを垂らしそうな勢いで眺めながら、元彌は今 小さな幸せを噛み締めていた。
ここはカラリス王国の外れの街、トラビィサの中にある一軒の宿屋。
あの後、偶然通りがかった街人に思い切って声をかけたところ、元彌が “彷徨い人” という事もあり、あっさりとここへと案内された。
何でもカラリス王国では、国を挙げて “彷徨い人” を保護・支援しているらしい。
そのお陰で元彌は城からの迎えが来るまでの間、タダでご馳走にありついたのだった。
「さぁさぁ、たんと食べな?さっきお城へは使いをやったから、すぐに迎えに来るよ」
「はいっ、いただきます!」
人の良さそうなおばさんにそう言われ、元彌は元気良く手を合わせて食事を始める。
そう言えば、今日のイベントではロクに食事も摂っていなかったなと思いながら、元彌は遠慮なく目の前のご馳走を平らげていく。
「あ、これ美味い!お、これもなかなか…」
一人でそう言いながら、パクパクと平らげていると、急に横から視線を感じた。
ふとそちらに目線をやると、一体いつからそこに居たのか、ひどく薄汚れた格好の子供が一人、ジーッと元彌の食事を見つめている。
前髪が長くボサボサで、顔の半分以上を隠してしまっているため、正直男の子なのか女の子なのかもよく分からなかったが、元彌はその子供の首に鈍く光る重そうな鉄の首輪に、思わず言葉を失った。
「お…前…。なんで首輪なんて…?」
思わずそう呟くと、それに気付いた宿屋の女将さんがひどく眉を顰めてこう怒鳴る。
「ちょいと…どこの奴隷だい?そんな汚いなりのまんまで、うちの店に入って来ないでおくれよ?お客様に失礼だよ!」
しっしっと手酷く追い払われ、子供はショボンとした様子で宿屋の外へと出て行く。
その悲しそうな姿を見て、元彌は思わずその子の後を追いかけてしまった。
そして勢い良く宿屋の外へと飛び出した元彌は、その場から一人去ろうとしていた子供を見つけ、慌ててその背中に呼び掛ける。
「ねぇ、君!」
そう声をかけると、ビクッと身体を震わせて子供が肩越しに振り返った。
そして元彌が追いかけてきた事に驚いたのか、その子は小さな身体を小刻みに震わせながら、不安げに元彌の方を見上げてくる。
それを見て、元彌はそれ以上 子供を怯えさせないよう注意しながら、その子の前で片膝をつき、目線を合わせて優しく語りかけた。
「君…お腹空いてるんじゃないの?さっき俺の食事見てたよね?」
元彌にそう指摘され、その子は慌てて無言で首を横に振る。だがすぐにお腹の方が正直にぎゅぎゅぎゅーっと大きく鳴ってしまい、子供は真っ赤になって俯いた。
それを見ながら元彌はくすりと笑うと、努めて明るい様子で子供にこう告げる。
「…やっぱり。はい、じゃあこれあげる!」
「…!」
ポンッと無造作に手渡されたパンやチーズ、果物などの軽食に子供が思わず目を見張る。
するとそれを感じた元彌は、更にニッコリと微笑むと優しくこう答えた。
「遠慮しなくていいよ?俺はこの世界に来たばかりで、ここの常識とかはよく分からないけど、でも俺の居た世界では目の前に腹を空かせた子供が居たら、迷わず食べ物を分けるのが普通なんだ。だから…あげるね」
ニコッと安心させるようにそれだけ言うと、元彌は少し強引にその子に食べ物を押し付け、すぐに宿屋の中へと戻っていった。
後に残されたのは、渡された食べ物を手に、どうしたものかとオロオロする子供だけ。
それでもしばらくすると鳴り響くお腹の音に負けたのか、子供はまだ少し迷いながらも、元彌に押し付けられた食べ物の中からパンを選び、それを恐る恐る口へと運ぶ。
途端にふわりとした柔らかな食感と共に、鼻に抜けるような香ばしい小麦の香りが口一杯に広がって、子供はその瞳を輝かせた。
そして一口食べてしまうと、もはや空腹も限界だったのか、子供はガツガツと堰を切ったように与えられた食べ物を食べ続ける。
あっという間にそれらを全てお腹に納めてしまうと、子供はようやく人心地がついたのか、思い出したようにポツリとこう呟いた。
「あの人…誰…?優しい…好き…」
少し頰を赤らめながらも、子供は宿屋の窓から自分を助けてくれた元彌の様子を伺う。
すると少し奥まった卓で、元彌は宿屋の女将さんに安易に施しをするなと叱られていた。
それを外からそっと伺いながら、子供は密かに一つの決意をする。
「…あの人が…いいな。ううん、あの人以外は絶対に嫌だ…」
不意に子供の口調がひどく大人びる。
サァッと風に流れるように、子供の長い灰色の髪がゆらりと周囲に揺らめいた。
そしてボサボサの前髪の間から、不似合いなほど美しい緑の瞳がキラリと光る。
「待ってるから…必ず来て…」
そう子供は哀しげに言い残すと、すうっと闇に紛れるようにその姿を消した。
荘厳な石造りの城の中、ガシャガシャと大きな音を立てながら、甲冑姿の騎士達が行き交っている。騒音の原因は彼等が腰に付けている大きな剣で、それが歩く度に揺れて甲冑に当たり、周囲に耳障りな音を響かせていた。
そんな中、物珍しげに周囲をキョロキョロと見回しつつ、一人の青年が歩いている。
他が中世の騎士のような甲冑姿であるのに対し、彼だけは長袖Tシャツにジーンズという現代風の軽装で、当たり前の事ながら周囲から完全に浮きまくっていた。
もちろんそれはつい先程この世界に迷い込んでしまった、“彷徨い人” の斎藤 元彌である。
元彌はあの後、宿屋まで迎えに来てくれた騎士達と共に、トラビィサの街の外れにある国境の城まで連れて来られていた。
そして実に簡単な事情聴取の後、すぐに城の中に個室を与えられ、何の拘束も制限もないまま、あっさりと解放されたのだ。
この緩すぎる対応に、さすがの元彌もそれでいいのか?とかなり戸惑ったが、担当騎士が言うにはトラビィサには “彷徨い人” がかなりの確率で落ちて来るため、皆慣れてしまって、誰も疑ったり驚いたりはしないらしい。
とりあえず明日からは、まずこちらの世界について色々と学び、慣れてきたところで今後どうするかを決めるとの話だった。
特に元彌の場合は、最初からこちらの世界の言葉が理解出来ているため、一ヵ月もすれば即 城から自立する事になるらしい。
その後はこのままトラビィサで働き口を見つけて永住するも良し、他の国や街へ移動するも良しで、好きにしていいようだった。
しかも明日にはこの世界での戸籍も出来るらしく、元彌は怖ろしいほど簡単に、この世界の一員として受け入れられ始めていた。
だがもちろん “彷徨い人” の中には、まったく言葉も文字も分からず、最低限の意思疎通すらままならない者も居るらしい。
だから一言で “彷徨い人” と言っても、その保護レベルは様々で、元彌のようにこの世界の常識や地理などの知識さえ身に付ければ済む者もいれば、まず言葉を習得するところから始まる者も居るようだった。
そしてそんな後者のような者の場合は、実に何年もの間 国に保護された状態になるため、その分 元彌のように言葉が通じる者は、かなり短期間で自立させるのが常のようだった。
そんな受け入れの際の話を思い出し、元彌は誰に言うでもなくこう独り言る。
「…それを思ったら、俺はこの世界の言葉がすんなり理解出来て良かったよなぁ。何で公用語が日本語なのかはわかんないけど、俺的にはすごいラッキー。だって俺、英語も中国語もスペイン語も出来ないんだもん」
しみじみと感想を述べながら、元彌はふいにある事に気付いて首を傾げる。
元彌が気になったのは、先程からすれ違うこの城の騎士達が、何故城内でも完全武装したままでいるのかという点だった。
いくら騎士とはいえ同じ人間なのだから、普通は警護にあたる時間以外は、重たい甲冑などは脱いで楽な服装をしているものである。
だがこの城内の騎士達は、誰一人として甲冑を脱がず、まるで常に臨戦体制を取っているかのように見えた。
「…これって逆に言えば、城内に居ても危険って事か…?」
そう呟いた途端、急に元彌の右中指の指輪が目映く輝き出す。驚いてそこに目をやると、光の中からスウッと凍舞が姿を現し、元彌はそのあまりに唐突な出現に、思わず蒼くなって小さく叫んでいた。
「と…凍舞…っ⁉︎ちょ…っ、いきなり出てきたら…っ!」
慌ててもう一方の手で指輪を隠しながら、元彌が相手の非常識を窘めようとすると、それを完全に無視して凍舞が端的に警告を出す。
「…来るぞ」
「へ、何が?」
そう呑気に問い返すと、元彌の立つ通路の壁がドォ…ンという鈍い音と共に崩れ落ちた。
そして嫌な予感と共に恐る恐る振り返ると、いつの間にか元彌の背後には、十以上の赤い目を持つ蜘蛛のような化け物が現れていた。
それを確認し、思わず蒼白になりつつ固まる元彌の耳に、かなり遅れて周りの人々のつん裂くような悲鳴が響き渡る。
そして蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う人々を尻目に、優に二メートルはあろうかというその化け物は、周囲に大量の涎を撒き散らしつつも、喜々とした様子で周囲を見回した。
それを見た途端、元彌の脳裏に実に冷静なツッコミが入る。
『あ、こいつ明らかに俺達の事、餌だと思ってるね…?』
心の中で冷静にそう皮肉りながらも、身体の方は恐怖のあまり固まってしまい、どうにもその場から動けない。
そんな矛盾した状態の元彌を見つけたそいつは、迷わず猛烈な勢いで突進してきた。
それを視認し、元彌は涙目でこう叫ぶ。
「ギャーッ⁉︎やっぱり俺っ、俺なのっ⁉︎」
慌てて回れ右して走り出しつつ、元彌が大声でそう叫ぶと、呆れた顔をしながらもスッと凍舞が元彌と化け物との間に割って入る。
まるで主人を護る中世の騎士のような振る舞いに、元彌は思わず身の危険も忘れ、足を止めて凍舞の方へと向き直った。
「と…凍舞っ⁉︎危な…っ!」
慌てて止めに入ろうとした元彌の前で、凍舞がスィッと右手の人差し指を横に切る。
その途端、刃と化した水によって化け物の体は派手に切り裂かれ、跡形も無く霧散した。
そのあまりに鮮やかな手並みに呆然としていると、さも当然と言わんばかりの態度で、凍舞がチラリと元彌に視線を寄越しこう呟く。
「…この程度の小物相手に、この私が遅れを取るわけがなかろう」
「…え…?あれ、小物だった…?」
どう見てもヤバそうな奴だと思ったのだが…と思う元彌に、凍舞は淡々とこう答える。
「小物だな…。知能も低いし、防御能力もさして高くない」
何でもない事のように答える凍舞を見て、おそらくそれだけの実力差もあるのだろうとは思ったが、それでも元彌は凍舞の無事を確認し、ホッとして胸を撫で下ろした。
先程から見せられる技の数々からも、凍舞がかなり上位の精霊だという事は分かっていたが、それでも心配なものは心配なのだ。
だから元彌は思わず自分の胸中を、そのまま素直に口にする。
「…そ…っか。凍舞が強いってのは何となく分かってたけど、あいつ見た目が凄かったし、ああして真面に立ち向かわれると、思わず怪我でもするんじゃないかと焦ったよ…」
良かった、良かったと一人で納得する元彌を尻目に、凍舞は何も答えずにその白磁のような頰に少しだけ朱を走らせる。
しかし彼はすぐにそれを引っ込めると、何事もなかったかのように別の事を口にした。
「…それよりこの事態の方が問題だな。魔物が人間の居住区にまで入り込むとは…。この地はかなり穢れているとみえる」
「穢れてる…?それってどういう事??」
まったく意味が分からず、素直に聞き返した元彌に対し、凍舞が面倒臭そうに説明する。
「…そのままの意味だ。土地が邪気を帯びると魔物が跋扈し、人間の住む所まで押し寄せてくる。この城がまさにそれだ」
「え!何でそんな事に…⁉︎」
「知るか。…ただこの地に大地の精霊の気配はない。おそらく何か普通でない事態が起きて、精霊がこの地を見捨てたようだな」
淡々と事実のみを述べる凍舞に対し、重ねて元彌がこう尋ねる。
「よく…わからないけど、精霊が居ないってのは、そんなに大変な事なのか?」
無知丸出しの質問ではあったが、この世界に来たばかりの元彌にこの世界の常識など分かるはずもない。それが分かっているからか、凍舞の方も特に気にした風もなく、その質問にあっさりと答えてくれる。
「…物にはすべて精霊が宿る。精霊が宿って初めて物は物と成り得る。その生命の源とも言うべき精霊が居ない土地など、もはや何の恵みも生み出さない。おそらく今後この土地は、何の植物も動物も育めないだろう」
淡々とそう語る凍舞に、元彌は今更ながらに事態の深刻さを理解し無言で慄く。
何も育たない土地。それは土地が砂漠化し、生物が住めない状態になる事を意味する。
この城に入る前に見た土地は、多少荒れつつはあったものの、まだまだ普通に見えた。
だがそれも今だけの話で、大地の精霊に見捨てられたこの土地は、近い将来必ず死滅すると凍舞は言う。
「…何とか…ならないのか?このままじゃここに、人が住めなくなってしまうんだろう?」
最悪の事態を想像し、蒼白な顔で元彌がそう問うと、それを受けて凍舞がどこまでも冷淡な口調でこう告げる。
「まぁ…遠からずそうなるだろうな。大地の精霊に見捨てられた土地に未来などない。彼等が思い直して戻ってきてくれるならば話は別だが、そもそも何が原因でこうなったのかもわからない事には何の手も打てん」
「原因さえ分かれば、何とかなるの…?」
「内容次第だな…。例えばすでに失われている命を取り戻せとか、同じ状態に戻す事が出来ない事が原因の場合はどうしようもない」
きっぱりとそう言い切る凍舞は、あくまでも他人事のような態度だった。
おそらく同じ精霊である凍舞にとって、今回の事態はすべて人間側が招いた自業自得の事だと思っているのだろう。
それでも同じ人間である元彌は、その土地に住む人間達が困るのを見過ごせなかった。
出来る事なら大地の精霊にお戻り頂いて、元のように未来ある土地になって欲しい。
それが人間のエゴだとわかっていても、ほんの一部の悪人のせいで、数多くの善良な人々が不幸になるのは我慢出来なかった。
そしてそんな元彌の心情を読んだのか、凍舞が溜め息交じりにこう尋ねてくる。
「…原因を探したいのか?」
「うん…やっぱり俺も人間だから、どうしても同じ人間が困る事態は見過ごせないよ…」
そう正直に語りつつも、元彌は凍舞がこの件にあまり乗り気でない事はわかっていた。
だから凍舞の協力を得るのは難しいだろうと覚悟していたのだが、意外にあっさりと凍舞はこう答える。
「わかった…。原因を探ればいいのだな?」
「え…っ、協力してくれんの⁉︎」
思わずそう問い返した元彌に、凍舞が至極当然とばかりにこう返す。
「今のところ私の主人はお前だからな。自分の心情はどうあれ、主人であるお前の望みを叶えるのが私の役目だ」
そう凍舞が答えると、元彌は目に見えてわかるほどしょんぼりとしながら、心底申し訳なさそうにこう呟く。
「そ…うなんだ…。凍舞の意思に関わらず、俺がそうさせちゃうんだね…」
「…元彌…?」
何故か自分の答えに傷付いているらしい主人に対し、凍舞が怪訝な視線を向ける。
するとそれに気付いた元彌が、力無く微笑みながらこう答えた。
「なんかその…申し訳なくて…。俺がうっかり契約しちゃったばっかりに、凍舞に無理ばっか強いてるんだなと…」
「…」
「あ、でもホントに嫌だったら、無理しなくてもいいんだよ…?俺的には命を取らないでくれるだけでも、ラッキーなんだし…」
そう告げる元彌の手は、微かに震えていた。
そして自らの動揺を隠すかのように、敢えて明るく凍舞にこう語る。
「あーあ…、ホントにやっちゃったよなぁ。俺もあの騎士達の事、言えないよね?だって凍舞の意思に関係なく、俺も凍舞に自分の言う事をきかせてしまってるんだから…」
そう力無く告げた元彌に対し、凍舞は表面上はあくまでも淡々とこう返す。
「…何を勘違いしているんだか知らないが、私を誰だと思ってるんだ?」
「凍舞…?」
「私がその気になれば、お前を殺して自由になる事くらい朝飯前だ。だが私はお前がこの世界で何を思い、どう変えていくのかに興味が湧いた。だから今、私は私自身の意思でお前の側に居る。だからその事で、お前が思い悩む必要などない」
明らかに慰めているとは言えないほど、素っ気ない言葉だったが、それでも凍舞なりの優しさが垣間見えて元彌は思わず言葉を失う。
今までずっと契約のせいで、仕方なく自分に付き従ってくれているものだと思っていたのに、凍舞が自分の意思で側に居ると言ってくれて、元彌は本気で嬉しかった。
でもそんな元彌の気配を感じたのか、凍舞は照れてフィッとそっぽを向いてしまう。
その綺麗すぎる横顔に、元彌は満面の笑みを向けると、勢いよく凍舞に抱きついていた。
「も〜凍舞ってば、ホントにツンデレなんだからぁ!でもサンキューな。凍舞にそう言ってもらえて、気が楽になったよ」
そう言ってギュウギュウ抱き締めると、凍舞は焦ったように身体を引き、元彌を手で押し退けながらこう答える。
「わ…わかったから離せ。あと気安く精霊に触るな。他の精霊にこんな事をしたら、普通はその場で殺されるぞ?」
「…え、まさかぁ?だって抱きついただけで、特に何も…」
のほほんとそう答えようとしたら、呆れたように凍舞が言う。
「お前…もう忘れたのか?人間が精霊の身体に触れて、そのまま名付けを行なったらどうなるんだった?」
「あ!」
途端に飛び退った元彌が、蒼くなって呟く。
「…主従契約…?」
「そういう事だ。精霊の方にお前を受け入れる気がなければ、その場で殺されるぞ」
淡々とそう答えた凍舞に、元彌はこれ以上ないほど蒼くなりながらこう答える。
「気をつけます…」
「分かればいい。いいか?お前が思っている以上に精霊は残酷だ。中には人間を受け入れる振りをして、そのまま八つ裂きにして楽しむ輩も居るぞ」
「…え?まさか精霊なのに…?」
信じられないとばかりにそう呟くと、凍舞がその綺麗過ぎる瞳に自分を映してこう語る。
「精霊だからこそだ。お前がどう思っているのかは知らんが、精霊は気紛れで自分の欲求に素直だ。気に入れば過剰なほどの加護も授けるだろうが、嫌われればこれ以上ないほど残酷な仕打ちも平気で行う。人間であるお前に、到底理解出来るものではない」
「…そんな…だって凍舞は…」
そう言葉を濁したが、凍舞はそれを遮るようにこう答える。
「私も同じだ。たまたま気紛れでお前を主人としただけで、いつまた気が変わってお前を殺して自由になろうとするか分からんぞ」
そう凍舞は言ったが、元彌はどうしても凍舞がそんな事をするとは思えなかった。
まだ出会って間もないが、凍舞はいつも元彌を守りこうして助言を与えてくれる。
他の精霊はどうかは知らないが、凍舞は絶対に自分を裏切らない…そんな確信があった。
だから元彌は忠告する凍舞に向かって、再びその手を伸ばす。抱きつかれて思わず戸惑う凍舞に、元彌は殊更明るくこう言い放った。
「凍舞は優しいから大丈夫!そんなに強いのに、敢えて俺を殺してまで自由になろうとはしない。それは余計な殺生をしないように…だろ?まだ会ったばかりの俺に対して、そこまで気遣えるんだ。だから大丈夫!」
「お…前…っ、だから精霊には触るなと…!」
「うん、でも凍舞は別でしょ?だって俺の精霊だからね」
ニコッと笑ってそう言うと、凍舞は呆れたように黙り込み、そのままそっぽを向いた。
その頃になってようやく、遠巻きに見ていた城の人間達が恐る恐る声を掛けてくる。
「あ…のう…その方は貴方の精霊…ですか?」
「あ、はい。ちょっと色々と手違いがありまして、一応そういう事になってます」
にこやかに元彌がそう答えると、途端にザワッと周囲がざわめいた。何故そうなったのかがよく分からず、元彌がキョトンとしていると、親切な者がおずおずと教えてくれる。
「精霊は…見た目の美しさと魔力の強さが、比例する生き物だと聞いています。そういう意味で言うと、貴方の精霊はおそらく相当強いのでは…?」
そう言われ、まじまじと凍舞を見てみると、確かに凍舞の美しさは絶世の美女レベルだ。
他の精霊はまだ見た事はないが、確かに凍舞の美貌は群を抜いているように思う。
そして本人は何でもない事がないように言うが、使う技も明らかに大量の魔力を消費しそうなものばかりだし、そして使ったところでまるで消耗した様子も見せない。
つまりそれだけ凍舞が強いという事だ。
それを踏まえて、元彌は正直に答える。
「あ…多分…?俺は “彷徨い人” なんで、よくわからないけど…」
そう答えると、周囲がざわめき立った。
中には聞こえよがしに、『まさかの棚ボタかよ…』といった悪口雑言も聞こえてくる。
それに戸惑っていると、隣に居る凍舞が実に冷やかにこう答えた。
「…口を慎め。何の努力もせずに他人を羨むような者など、どんな下っ端精霊でも主人には選ばん」
敢えて不機嫌な空気を隠さずそう答えた凍舞に、元彌は自分が庇われた事を知る。
美しさ=魔力の強さと言うならば、おそらく凍舞以上の精霊などそうは居ないはずだ。
だから最上級の強さを持つ精霊を怒らせて、命の危険を感じない者など居ない。
暗に不穏な空気を漂わせ、それ以上 元彌が責められる事がないよう相手を黙らせた凍舞に、元彌はくすぐったいような気分になる。
単なる偶然で始まった関係だけれど、意外と自分は凍舞に好かれているのかもしれない。そう思うと元彌は嬉しくて仕方がなかった。
そしてその頃になってようやく、その場に遅ればせながら、甲冑姿の騎士達が現れる。
ところが出現したはずの魔物はすでに退治され、それが元彌と凍舞に依るものだと瞬時に理解した彼等は、丁寧ながらも緊張した様子で元彌達に自分達との同行を求めた。
そして元彌はいきなり大広間へと案内され、この城を統括しているという、ダーミッシュ伯爵の前へと引き出されたのである。
続く