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ー水の精霊王 凍舞ー

俺は斎藤(さいとう) 元彌(もとや)、日本人。

年齢は二十九歳で独身、容姿はまぁ人並だが、三流大学出のしがないサラリーマンだ。

好きなものはゲームとアニメ、いわゆる世間様に “オタク” と呼ばれる人種である。

だから恋人はよくある二次元の美少女キャラで、この歳までただの一度も “彼女” というものが居た事がない親泣かせの男であった。

だがどうせ居たところで、給料のほとんどはゲームやフィギュア、イベントへの遠征費やグッズへと消えるため、正直 三次元の女とデートをしている暇も無ければ金もない。

そして周りにどう思われようが、俺は俺なりに自分の人生を謳歌(おうか)しているつもりだった。

ところがある日のイベント帰り、ウキウキといつもの路地を曲がった俺は、いきなり現れた黒い穴へと落ちてしまった。

そして辿り着いた先は、何故か天井までキラキラと凍りついている不思議な氷の洞窟で、これはゲームやアニメの中である、異次元へのトリップかな?とは思いつつも、いわゆる世間的には脇役(モブキャラ)に過ぎない自分が、何故こんなご大層な事態に巻き込まれているのかと、大真面目に首を(ひね)った。

しかし人間という生き物は、自分の想像を遥かに超える事態に直面すると、真面(まとも)に考える事すら放棄(ほうき)してしまうものらしい。

しばらくしてポンっと一つ手を叩いた元彌(もとや)は、あっさりとこう呟いたのだった。


「あ、わかった!俺、頭打って意識失ったんだ?だからこれは夢なんだ、きっと」

そう言いながら、元彌(もとや)は自分の出したもっともらしい答えに満足する。

これが夢なら、黒い穴に落ちてこの洞窟に来た事も、自分が今まるで物語の主人公(ヒーロー)のようになっている事も、すべてに納得が出来た。

そうでなければおかしいだろうと思いつつ、元彌(もとや)は勝手にそう結論付ける。

何故なら今、自分の目の前に居るのは、キラッキラな容姿の見たこともない美形。

(つや)やかに流れる(くせ)のない美しいプラチナブロンドに、白磁(はくじ)(ごと)く白く滑らかな肌。

鼻筋はすっきりと通っており、口唇は薄めで上品に形良く整っている。

そして目はキリリとしたアーモンド形で、そこに最高級のサファイアを連想させる、美しい透き通るような青い瞳が(はま)っていた。

おそらく男性でなければ、間違いなく “傾国けいこく)の美女” と(しょう)されてもおかしくないだろう。

それほどの絶世(ぜっせい)美貌(びぼう)だった。

しかしいくら美形とはいえ、あくまでも普通(ノーマル)な元彌は、『間違いなく男なんだろうけど、そこらの女より綺麗(きれい)な顔だなぁ』と思ったぐらいで、特に何の感情も()かなかった。

だから元彌(もとや)呑気(のんき)な口調で、正直に思った事をそのまま口にしてしまう。


「いやぁ、これまたおっそろしいほど綺麗(きれい)な顔した兄さんだねぇ…。まるでゲームかアニメの王子様キャラじゃないか。俺は男に興味なんかないけど、それでもこれはもう普通にちょっと得した気分だな」

そう言って何気なく相手の顔に手を伸ばすと、途端にパシッと素気(そっけ)無く叩かれる。

手に鋭い痛みを感じ、元彌(もとや)は叩かれた右手をジッと見つめながらポツリとこう呟いた。

「なんか…リアル?ホントに痛いんだけど」

「…さっきから、何を訳分からん事をほざいているんだ、貴様は」

突然目の前の美形が、顔に似合わないキツい口調で、元彌(もとや)に対して文句を垂れる。

それを呆然と見返しながら、元彌(もとや)はあれぇ?と思いこう呟いた。

「…なんかまた随分とリアルな夢だなぁ。こんな感じのキャラが出てくるゲームって、俺やった事あったっけ…?」

「夢?ゲーム?何を言ってるんだ、貴様は。頭がおかしいのか?」

怪訝(けげん)な顔で相手が(にら)みつけてくるが、これを現実だと思っていない元彌(もとや)は、完全にそれを無視して一人で軽く首を傾げる。

「うーん…思い出せないなぁ。名前を聞いたら思い出すかな?兄さん、お名前は?」

「…あるわけないだろう。そもそもあったとしても、何でわざわざ貴様にそれを教えなければならんのだ?」


ムッとしながらそう答える相手に、思わず元彌(もとや)はキョトンとした顔をする。

「え、名前ないの?」

「だから、あるわけないと言ってるだろう!私は人に仕えてるわけでもないし。そもそも勝手に人の上に降ってきた不審者のくせに、何を好き勝手にほざいているんだ⁉︎」

幾分イライラした口調で相手の美形は怒っているが、まったく空気が読めない元彌(もとや)は、あっさりとこう告げる。

「…ホントに名前ないの?それって不便じゃない?」

そう言って大胆にも、相手の肩にポンっと右手を置くと、元彌(もとや)はにこやかにこう話す。

「あんただったら俺と違って、例えば “凍舞(トウマ)” とか、そういった華麗(かれい)な名前が似合いそうだけどな」

「…!お前…っ」

目の前の美形が蒼ざめた瞬間、バチィッ!と雷が落ちたかのような衝撃(しょうげき)が走り、元彌(もとや)は思わずその場に崩れ落ちた。

「…いったぁ!な、なんだ?静電気か⁉︎」

慌てて衝撃(しょうげき)を受けた右手を見た元彌(もとや)は、そこにあり得ない物を発見して思わず固まる。

いつの間にか元彌(もとや)の右手の中指には、まるで氷から掘り出したように美しい、透明に輝く鉱石の指輪が(はま)っていた。

もちろん人並みの容姿との自覚のある元彌(もとや)が、オシャレで()めていた物ではない。

自分で言うのもなんだが、多分結婚するまで指輪なんて物とは縁がないと思っていただけに、元彌(もとや)は自分の指に(はま)っている物に気付くと同時に、思わず驚きの声を上げる。

「ゆ、指輪ぁ⁉︎なんだこれ?いつの間に俺の指にこんな物がぁっ⁉︎」


わたわたと慌てる元彌(もとや)の目の前に、突然ゆらりと誰かの影が立ちはだかる。

何気なく振り仰いだ元彌(もとや)は、そこに怒りに肩を震わせながら、もの凄い形相で元彌(もとや)(にら)みつけている例の美形を見つけ固まる。

さすがの元彌(もとや)も何か仕出(しで)かしたのだろうか?と不安になったが、その美形は突然、元彌(もとや)の襟元を)めあげるとこう(なじ)り始めたのだ。

(だま)し討ちとは卑怯(ひきょう)な…!ただの馬鹿(バカ)かと思って油断した…っ!まさか強制的に契約を結ばれるとは…」

「は…?契約?」

「とぼけるなっ!先程勝手に、私に名付けただろう!」

「ん?名付けた…?」

言われている意味がわからず、キョトンとする元彌(もとや)に美形が告げる。

「先程私の肩に手を置きながら、勝手に名を口にしただろうが!」

「…あぁ。もしかして、例えば “凍舞(トウマ)” って言ったあれ…?」

そう不思議そうに聞き返した途端、目の前の美形の目が驚きのあまり見開かれる。

そして信じられないといった様子で、彼は(しぼ)り出すような声でこう呟いた。

「…ま…さか、何も知らずに、この私に名付けを行ったのかっ⁉︎」

「名付けって…単にそういう名前が似合いそうって言っただけじゃん?それともホントにあんたの名前、“凍舞(トウマ)” だったの…?」


不思議そうにそう聞き返すと、途端にガクッと相手がその場に崩れ落ちる。

何だかよくわからなかったが、目の前の美形は相当のショックを受けているようで、完全に元彌(もとや)の前に座り込み、頭を抱えていた。

それを見て何となく気の毒になった元彌(もとや)は、美形に合わせて自らもしゃがむと、視線を合わせながらこう尋ねる。

「…あの、なんか俺やっちゃったの?」

その台詞に相手が盛大な溜め息をつく。

その様子を見て、どうも何かやってはいけない事をしたらしいと察した元彌(もとや)は、日本人らしく、とりあえず謝っておく事にした。

「あの…何やらかしたかはさっぱりわかんないんだけど、とりあえず…ごめんな?一応謝っとくわ」

「…謝られたところで何の解決にもならん」

不機嫌そうにそう告げる相手に、思わず元彌(もとや)がムッとする。

人が素直に謝っているのに、こいつは一体何様なんだ⁉︎とは思ったが、その後に続いた相手の台詞に、さすがの元彌(もとや)も蒼くなった。

「もう貴様とは、主従関係が結ばれてしまったしな…」

「はっ?主従関係…?」

そう聞き返すと、スッと相手が元彌(もとや)の右手に(はま)っている指輪を指差す。

そして心底気に入らないとばかりに、視線を外しつつ、溜め息混じりにこう告げた。


「…その指輪だ。それは私との契約の指輪。貴様が安易(あんい)に私の身体に触れ、勝手に名付けた事で主従契約が結ばれてしまったんだ」

「は…あぁぁあ⁉︎そ、そんな事でっ⁉︎」

「そんな事とは何だ!本来名など持たない精霊に、敢えて “真名(まな)” を(さず)ける事で、その精霊を自分の支配下に置くというのは、貴様ら人間が編み出した邪法(じゃほう)だろうが」

キッと相手に強く睨みつけられ、元彌(もとや)は慌てて両手と首を同時に振る。

「し、知らない、知らないって!そんなRPGみたいな事になるなんて、知らなかったし!あ、あと俺、別に精霊とか要らないし!」

「…だが実際に契約は結ばれ、私はお前の支配下に入れられてしまったんだ」

不機嫌そうにそう呟く相手に、元彌(もとや)は必死で訴えかける。

「だからごめんって!ホントに知らなかったんだって!な、なぁ、今からでもその契約だかって解除出来ないの?ほ、ほら通販でも、クーリングオフ制度とかあって、七日以内なら返品出来るじゃん?あれみたいに、やっぱ無しって事に出来ないのかよ…?」

「そのクーリング何とかってのはよくわからんが、 ”真名(まな)” の契約は絶対だ。主人(あるじ)であるお前が死ぬまで、この契約は解除出来ない」

「そ、そんなぁ!例え事故の契約でも⁉︎」

「それでもだ。一度結ばれてしまった契約は絶対だ。もっとも私がお前を殺してしまえば、自動解除されるがな…」


唐突に物騒(ぶっそう)な事を告げられ、元彌(もとや)は蒼白な顔で両手を上げながら首を横に振る。

「え、遠慮しときます…。俺、まだやり残した事もあるし…」

「…私も無駄に命を取るつもりはない。お前自身に悪気がなかった事もわかったしな…。ただ “真名(まな)” の契約も知らず、私の領域に突然出現した事といい…お前は一体何者だ?」

綺麗(きれい)な青い瞳に見つめられ、そう問われた元彌は少し考えこう答える。

「えー…っと、俺は会社のシステム管理をするのが仕事のサラリーマン…、つまり企業戦士…です」

「企業…?よくわからないが、“戦士” という事でいいのか?名前は?」

斎藤(さいとう) 元彌(もとや)…です」

相手が盛大に勘違いしている事は、何となく分かったが、だからといって何をどう説明したらいいのかもわからない。

間違いなくファンタジーな事になってきたなと思いつつ、とりあえず自分が支配下に置いてしまったという相手を見つめる。

自分の事を精霊だと言った美形は、明らかに整い過ぎるほど整った容姿をしている他は、特に自分と変わりがないように見えた。

別に耳が(とが)ってるわけでもないし、背中に羽根があるとか、爪が長くて鋭いとか、(きば)尻尾(しっぽ)が生えてるってわけでもない。

『つまり見た目は人間と同じだけど、魔法が使える系って事でいいのかな?こいつ…一体何が出来るんだ?』


これは事前に確認しておく必要があるなと、元彌(もとや)が思った時だった。

突然バチバチィッという激しい音と共に、洞窟の壁が青くスパークしながら裂けたかと思うと、ポッカリと空いたその黒い空間から、複数の武装した兵士が現れた。

まるで中世ヨーロッパの騎士のように剣と盾を手に、鎧兜(よろいかぶと)(まと)った兵士達が七〜八名ほどと、その後に長い木の杖を手にした、(くす)んだ灰色っぽい長衣(ローブ)(まと)った、いかにも魔法使いらしき人物が一名、その場に降り立つ。

それを見て冷や汗を掻きつつも、思わず元彌(もとや)は皮肉っぽく呟いてしまった。

「わぁお、ますますファンタジーっぽくなってきた…?しかも軽くピンチ?」

その呟きが相手にまで聞こえたのかはわからなかったが、明らかにこいつが隊長だなとすぐわかる、他より豪華な鎧兜(よろいかぶと)とマントを身に付けた騎士が、偉そうに前に進み出てきて、元彌(もとや)達に向かってこう告げる。

「お前が噂の水の上位精霊か?喜べ、我が国の陛下がお前をご所望(しょもう)だ。今すぐ我等と契約を結び、我が国へ仕えよ!」

「へ?水の上位精霊って、誰が?」

呑気(のんき)にそう呟いた元彌(もとや)の横で、ひどく冷めた視線を向けながら、例の美形がこう告げる。

「…私に決まっているだろう、阿呆(あほう)が。まったく今日は珍客が多すぎる。どいつもこいつも勝手に人の領域に上がり込んで、契約しろなどと、非常識極まりない…」

明らかにイラついている美形に、元彌(もとや)の顔色がサーッと蒼ざめる。

そして慌てて彼のご機嫌を取るかのように、元彌(もとや)は精一杯の言い訳を並べ始めた。


「だからぁ、ごめんって!あれは事故だし、ここに来たのだって、ついうっかり黒い穴に落ちちゃっただけで、気が付いたらここに着いてただけなんだって!」

慌ててそう説明するが、相手は相当怒っているらしく、ツンとそっぽを向いてしまう。

まだ知り合ったばかりだが、それでも目に見えて邪険(じゃけん)にされると、人間それなりに傷付くものなんだなと元彌(もとや)は哀しく思った。

しかしそれに対し、敵の隊長はイラついたように剣を壁に叩きつけると、二人に向かってこう怒鳴り散らす。

「おいっ、我々を無視するんじゃない!特にそこの精霊!さっさと我等と契約を結ばないと、その命を貰うぞ?我等の力にならないのならば、危険な芽は()むに限るからな!」

その横暴過ぎる台詞を聞いた瞬間、ふいに元彌(もとや)の怒りが爆発する。

今この男は何と言った?

勝手に精霊の領域に侵入してきて、勝手に自分達の配下に(くだ)れと言って、それが出来ないなら殺す…だと⁉︎一体何様のつもりだ⁉︎

そう思った元彌(もとや)は、その感情のままに敵に向かってこう叫んでいた。

「何だよ、それ⁉︎自分達の物になれとか、ならないなら殺すとか…あんた等、一体何様のつもりだ⁉︎そんなに人間が偉いのかよっ!」

「…なんだ、貴様は?人間か?」

「ああ、ただの人間だよ!三流の脇役(モブキャラ)さ!でもあんた達と一緒にしてもらっちゃ困るね?あんた等はもう人間じゃない!畜生(ちくしょう)だっ!」

「な、何だと⁉︎無礼な…!我等をカラリス王国騎士団と知って、そう言っているのか⁉︎」


完全に怒りが頂点に達した隊長が、わなわなと震えながら元彌(もとや)(にら)みつける。

それが怖くないわけではなかったが、それでも同じ人間として、彼等の間違った行動と言動を許すわけにはいかなかった。

そして元彌(もとや)はブルブルと震えながらも、両手を大きく広げて、背後に美貌の精霊を(かば)う。

「…こいつは連れて行かせない!こいつが望んでもいない事を、お前等が無理強(むりじ)いするなんておかしいんだ!恥を知れ!」

そう威勢(いせい)良く啖呵(たんか)を切ってみたものの、実は元彌(もとや)の頭の中はすでに後悔で一杯である。

『あー、もう何やってんだぁ、俺は⁉︎絶対もう終わった!ジ・エンドだ!殺されるっ!』

そう思ってギュッと強く目を(つむ)ったところで、いきなり背後から実に軽快な笑い声が、聞こえてくる。

そうっと振り返ると、例の美貌の精霊が何故か実に楽しげに、大笑いをしていた。

それを見た途端、あまりの理不尽(りふじん)さに思わず元彌(もとや)は泣きたくなる。

「ちょ…ちょっと、あんた⁉︎人に(かば)ってもらってんのに、その態度って何っ⁉︎」

「ははは、別に私が頼んだわけじゃないぞ?あとそこの馬鹿ども!ここまで来てもらってなんだが、私はすでに主人持ちでな…。お前達の国王だかには仕えられんよ」

「な、何だと⁉︎いつの間に契約したのだ!」


突然の精霊からの告白に、王国騎士団と名乗る連中に衝撃(しょうげき)が走る。

それを見た瞬間、更に元彌(もとや)は後悔した。

『やっべー…。これ、絶対に俺が殺されるパターンだ…』

泣きそうになりながらそう思ったところで、騎士の一人が目敏(めざと)く、元彌(もとや)の右手の中指に輝く契約の指輪に目を止める。

「おい、あれはまさか契約の指輪⁉︎もしかして貴様が、そこの精霊の主人か⁉︎」

そう怒鳴られ、元彌(もとや)は『もうバレた!』と蒼くなって固まったが、その時ふわりと目の前に、綺麗(きれい)なプラチナブロンドの髪が流れた。

そして信じられない事に、彼の美貌の精霊が元彌(もとや)(かば)うように敵の前に立ちはだかる。

そして驚いて固まる元彌(もとや)に向かい、その精霊は不敵(ふてき)に笑うと、楽しげにこう告げたのだ。

元彌(もとや)…と言ったか?お前は人間にしては、なかなか面白い奴だな。正直契約は破棄(はき)しようかと迷っていたが…気が変わった。どうせお前の寿命が尽きるまで、百年ほどの事だ。それまでお前の人生に付き合ってやるよ」

「…え?」

信じられない思いで元彌(もとや)がそう呟くと、美貌の精霊 “凍舞(トウマ)” が、実に優雅(ゆうが)仕草(しぐさ)で、元彌(もとや)の右手の甲に口付ける。


その途端パァッと契約の指輪から、(まばゆ)いばかりの閃光(せんこう)が放たれ、そしてすうっと目の前の精霊の雰囲気が変わった。

見た目がどうこうと言うわけではない。

うまく言えないが、元彌(もとや)と精霊の何かが内面的に(つな)がったような、そういった不思議な感覚が身体の内側を走り抜け、それと共に精霊の中の何かが確かに変わったのだ。

そして水の上位精霊 “凍舞(トウマ)” は、すっと敵に向き直ると、その見た目通りに美しく、優雅(ゆうが)仕草(しぐさ)で右手を軽く一振りした。

その途端、ドォ…ンと何かか崩れるような大きな音がして、まるで滝のような勢いの水が敵の一団に降りかかる。

あっという間に洞窟の中は水で一杯となり、偉そうにしていた敵の一団は、洪水の流れと共に強引に外へと押し出されていった。

その光景を呆然と眺めながら、元彌(もとや)凍舞(トウマ)の作ったと思われる、丸い防御壁に囲まれた空間の中で、一滴も濡れてない自分の身体を不思議そうに確認する。

そして改めて、自分が “凍舞(トウマ)” と名付けた精霊の方を、信じられない表情で見返した。

『ひょっとして…こいつかなり強いんじゃ?あんな簡単に洪水起こすなんて…』

そう元彌(もとや)が思ったところで、再び凍舞(トウマ)が軽く手を振る。

するとピタリと嘘のように増水が止み、まるでビデオを巻き戻すかのように、みるみる水が引いて、元の氷の洞窟へと戻った。

そしてそれを確認したかのように、フッと元彌(もとや)の周りの防御壁が消える。


まるで先程の光景が夢であったかのように、シンと静まり返った氷の洞窟の中で、元彌(もとや)は美し過ぎる凍舞(トウマ)の横顔を無言で見つめた。

するとその視線に気付いたのか、凍舞(トウマ)がふと元彌(もとや)の方に視線を返す。

「…どうした?驚いて声も出ないのか?」

そう尋ねた凍舞(トウマ)に対し、元彌(もとや)はハッと我に返ると、急に先程の技について、頰を紅潮(こうちょう)させながらこう語りだした。

「あ…んた、すげぇんだなっ!さっきの奴等が上位精霊とかって言ってたけど、上位になるとあんな事まで出来るのかよ?」

そう言って、興奮気味に詰め寄ってくる元彌(もとや)に対し、凍舞(トウマ)は幾分呆れたようにこう返す。

「別に…あの程度の事なら、中位程度の精霊でも出来る。別段難しい事でもない」

「え、あれで中級レベルなの⁉︎あれでも十分すごい技じゃん?俺出来ないし!」

そう言って褒めちぎる元彌(もとや)に、凍舞(トウマ)は照れたように視線を外しつつ、こう答える。

「…当たり前だ、そもそも種族が違う。私は水の精霊、言うなれば水そのものが形を成したようなものだ。それよりも先程の連中が、まだ()りずに結界の外をウロついているぞ。これ以上、ここには長く留まらない方がいいと思うが…」

「え、そんな事までわかんの?」

そう元彌(もとや)が尋ねると、凍舞(トウマ)はまた溜め息をつきつつ、こう答える。

「当たり前だ。ここは私が作った結界領域。自分の領域内なら、手に取るようにわかる」

「へー…、防犯センサー要らずだな。便利なもんだ」


感心してそう答えると、それを聞いた凍舞(トウマ)が不審げに首を傾げる。

「…先程から思っていたのだが、お前は時々よくわからない事を言うな…?お前、一体どこから来た?」

突然 核心を突かれ、元彌(もとや)は自分なりに推測していた結論を、そのまま正直に口にする。

「…えーっと…多分、異世界から…?」

「なるほど、“彷徨(さまよ)い人” か」

自分でさえ自信がない結論だったのに、何故かあっさりと凍舞(トウマ)に受け入れられてしまい、今度は逆に元彌(もとや)が驚く。

「えっ、あっさり信じちゃうの⁉︎」

「嘘なのか?」

「い、いや違うけど、でもその…普通は胡散(うさん)臭いとか言われるものかと…」

そう正直に告げると、凍舞(トウマ)は実にさらりとこう答える。

「別に異世界からの来訪者は、お前の他にも居るからな。この世界は他の世界に比べて、かなり不安定らしくてな。定期的に他の世界と(つな)がってしまうんだ。そしてそこから色々なものが落ちてくる。物や動物、植物、時には人間もな。だからお前も、そういった次元の穴の一つから、ここに来たのだろう」

「ええっ⁉︎俺以外にも、異世界から来た人が居るのか⁉︎」

「ああ…居る。この世界ではお前のような者は、“彷徨(さまよ)い人” と呼ばれ、出現した場所の者達に保護されるのが普通だ。中にはお前と同じ世界から来た者も居るだろうが、この世界のどこに居るのかまではわからない」


そう答えた凍舞(トウマ)の言葉に、元彌(もとや)は自分だけではなかったのだと思い、勇気付けられた。

そしてその思いのままに、思わずこう呟く。

「俺…俺、会ってみたい…。この世界のどこかに居るっていう、俺と同じ世界から来た来訪者に…!」

その言葉を受けて、静かに凍舞(トウマ)が答える。

「…では探しに行けばいいだろう。人が居る場所に行けば、“彷徨(さまよ)い人” がどこに居るかの情報も手に入る。国によっては、国が保護する事になってる所もあるので、一度に多くの “彷徨(さまよ)い人” に会えるだろう」

そう凍舞(トウマ)に穏やかに後押しされ、元彌(もとや)はすぐに旅立つ決意をする。

そしてふと、自分が支配下に置いてしまったという目の前の精霊に、こう声をかけた。

「えっと、“凍舞(トウマ)” でいいのかな?俺、俺と同じ “彷徨(さまよ)い人” に会ってみたい。そしていつか俺と同じ世界から来たっていう人に、巡り会ってみたい!いつまでかかる旅かもわからないけど、俺と一緒に来てくれる…?」

そう問われた凍舞(トウマ)が、驚きで目を見開く。

普通、人間の支配下におかれた時点で、精霊には選択権などあるはずもないのに、一体この人間は何を言っているのだろう?

だが元彌(もとや)の表情は真剣そのもので、凍舞(トウマ)が嫌だとでも言おうものなら、本当に諦めて一人で行きそうな感じがした。


それを想像し、ふいに凍舞(トウマ)がくすりと笑う。

思えば元彌(もとや)は最初から、精霊である自分さえも普通の人間のように扱っていた。

何の力もないくせに、命を()けて自分の事を必死で護ろうとしたり、契約の事にしても真剣に謝ってみたり…。

例えそれが単なる世間知らず(ゆえ)だとしても、その心と魂は、今まで出会ったどの人間の物よりも高潔(こうけつ)で美しかった。

だからこそ自分も彼を殺す気になれず、そのまま本当に契約する事にしたのだ。

どこまでもお人好しで、何となく放っておけない雰囲気のある元彌(もとや)を、すでに自分は結構気に入っているのかもしれない。

そう思った凍舞(トウマ)だったが、実際に口にしたのはまったく別の言葉だった。

「…お前と契約したからな。どうせ嫌でも、一緒に付いていくしかないんだ、私は」

「あ!そっか、ごめん!俺と契約してる間は離れられないんだ?うーん、でも解約するには俺が死なないといけないって言うし…、俺もまだ死にたくないしなぁ」

そう言って真剣に悩み出した元彌(もとや)に、凍舞(トウマ)は影でくすりと笑う。

そしてそれを元彌(もとや)に悟られないよう、わざと冷たくこう言い放った。

「…今更悩んでも仕方がない事だろう。それより、行くぞ?とりあえず手近な街へ跳ぶ」

「えっ、そんな事も出来るの?」

「行きたい場所にある水と、ここにある水とを空間で繋ぐだけだ。大した事はない」

そう言うと、何故か興奮しキラキラした目をした元彌(もとや)がこう叫ぶ。

「すっげぇ〜!それって完全ワープじゃん?超便利っ!」

「…お前の言っている事は、よくわからん」

呆れたように凍舞(トウマ)はそう言うと、まだ興奮して何かを語ろうとする元彌(もとや)の手を引き、強引に手近な水溜りの中に飛び込む。

「ちょっ…と、凍舞(トウマ)!俺っ、カナヅチなんだけど〜っ⁉︎」

「知らん」

そういう声を残し、すうっと二人の姿が水溜りの中へと消える。

そしてその一瞬後に、凍舞(トウマ)の作った氷の洞窟は跡形(あとかた)も無く崩れ去ったのだった。


続く

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