5話
人間の血……
私は、しばらく固まってしまった。
「ん!? どうしたんだい?」
彼の言葉で、はっ! と我に返った。
そうだ。この人は吸血鬼なのだ。
頭ではわかっているつもりだった。
「人間の……血…」
今から自分の目の前で…
人間の血を飲もうとしている彼を見て、ぞっとしたのである。
「麗香!? 僕は吸血鬼と言っただろう。大丈夫かい? それより、お腹が空いているんだ」
彼はそう言うと、今かとばかりにあの言葉を待ちわびえていた。
「あ、はい。ご主人様」
私はぎこちなかったが……
「萌え萌えキュンキュン!」
そして、少し震える手でハートを作った。
そのハートを、血が注がれているワイングラスに向かって
「美味しくな~れ!」
「ああ~! 何とも言えないこのキュートさ。素晴らしい!」
彼は相変わらずのナルシスト感満載だった。
ゆっくりと食事を楽しむように、ワイングラスの中の血を飲み始めた。
そのナルシスト感を見て、少し落ち着いてきたのである。
「あの~ご主人様!?」
「何だい!? 麗香。僕にはわかっている。君は僕が怖くなったのかい?」
私は、今までの彼の行動や言動を思い返していた。
確かに彼は吸血鬼だ。
でも、優しいところもあるし、紳士的なところも見た。
「人間の血を飲もうとしているご主人様を見て、最初は怖いと思ってしまいました。でも、もう大丈夫です」
「麗香、それは悪い事をした。だが、これが僕の食事なのだ。分かってくれたまえ」
彼の言葉に、やっと安心感が出てきたのであった。
彼の心使いが伝わってきたからだ。
「それにしてもご主人様。吸血鬼って、人間の首筋にガブッと嚙みついて、血を飲むものではないのでしょうか?」
あ、私は何て恐ろしい事を聞いてしまったんだろう。
「麗香、私も吸血鬼だ。もう何百年も前の話だが、僕は確かに人間を襲って血を飲んでいた事がある」
彼はそう言うと、血のおかわりを私に催促するそぶりを見せた。
私は静かに血を注ぐと、彼はまた話し始めた。
「昔は吸血鬼の仲間がたくさんいた。人間を襲っていたらどうなると思うかい!?」
「えっと~。吸血鬼退治ですか?」
私は、映画や本の中ではそれがお決まりだと思い、そう答えたのであった。
「そうだ。その通りだ。僕の仲間達は次々と退治されていった……」
彼は悲しそうな表情になっていた。
「人間と吸血鬼。どちらが正しくて、どちらが悪いというわけではない。私はそう思っている。たくさんの仲間を失った私は、争い事にうんざりしてしまったのだ」
「では、どうやって人間の血を手に入れるのでしょうか?」
明らかに今の彼は、人間を襲う事はないという事がわかった。
私は尚更安心して、彼の話を聞き続けた。
「人間は裕福な人もいれば、貧乏で食べる物さえ買えない人達もいた。僕は、日々食べる事さえをも困っている人達を見つけては、交渉をして血を分けてもらいお金を払っていたのだ」
ああ、この人の優しさはここからきているんだ。
確かに誰も傷つかないし、退治しようだなんて思う人もいなくなるだろう。
「地下にある血は、そうやって集めたものだ。そして、今の時代はとても便利なものがある」
彼はそうい言うと…
「麗香、何だと思うかい?」
彼は笑みを浮かべながら、私に答えを言い当てられるか、楽しみそうに聞いてきた。
「今の時代に関係するって事よね」
私は安心しきって、思わずタメ口になっていた。
「そうね~。何かしら!? 血に関係する事だから……あ! もしかして献血の事?」
「麗香。その通りだ! 君は実に素晴らしい!」
ん!? でも、献血って…人間が使うはず…
「疑問に思っているのだろう。献血は人間が考えた事だ。その血は人間の輸血のために使われる。しかし、僕は考えたのだ。自分のための献血を」
「ちょっと待って! 私も何回か献血した事あるけど、吸血鬼のための献血って聞いた事ないわ」
彼は、ふっ! と笑みをこぼした。
「麗香、堂々とそんな事をするわけがない。僕の正体は明かしてはいないが、そういう組織があるのだよ。ホームレスや借金を抱えた人達を集めて、献血バスを買い与え、献血の仕事をさせているんだ」
「え! それって詐欺じゃん」
私がそう言うと
「な、何を言う!! これは詐欺ではない! 人間と吸血鬼が争わなくて済む、最善の方法なのだ!」
彼は急に慌てた様子だった。
そういう彼を見て何だか笑いがこみ上げてきた。
そして、からかいたくなってきたのである。
「キャハハハハ!! だって、それは正真正銘の詐欺よ! まぁ、せいぜい警察にバレないようにね。ご主人様」
彼は笑う私を見て、満足そうだった。