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神の指先がささやく  作者: 此道一歩
第4章 心の隙間に彩のメスがささやく
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幸せになって欲しい人

 その後、暫くの間、時間は静かに流れ、彩にとっても両親のことを考えてみるにはとても穏やかな日々であった。

 

 一方、幸一から、奈津子と結婚したいと打ち明けられた彼の両親は、覚悟はしていたものの

「お前の人生だから、反対を押し切るつもりはないが、私達にも血のつながっていない孫ができることになる。お前の中では瑠璃ちゃんはもう実の子供のようになっているのだろうが、正直言って不安がある。私達にも少し時間をくれないか……」と言って即答は避けた。


 しばらくの猶予ができたものの、彼らの答えは決まっていて、ただ、彼らはこのことをどのように消化するべきか悩んでいたのだが、そのことにも気づかないまま迷路をさまよっていた。


 幸一から両親に話したことを聞いた彩は、ある日の午後、幸一の母親が病院長室に入って行くのを目にして、彼女もそのドアをノックした。


「お疲れ様です」

「彩ちゃん……」

「幸一たちのことですか?」

 二人の暗い表情を察した彩が切り出した。

「相手が奈津子さんだから、彩ちゃんは賛成よね」

 玲子が静かに微笑んだ。

「私は決してお二人を説得しようなどとは考えてはいません。ただ、幸一には幸せになって欲しいし、もちろん奈津子にだって…… でもそれ以上にお二人にはこれからの時間を大切にしていただきたいと思っています」

「ありがとう……」

「お邪魔ではないですか? お二人はこれからそのことを話し合うんですよね」

「邪魔どころか、彩ちゃんに結論して欲しいぐらいだよ」

 病院長が苦笑いした。

「そんな……」

「二人で話そうとしても、睨めっこするだけなのよ」

 玲子も自分自身に呆れているようだった。

「親のいない私にも、何となくわかるような気がします。幸一は瑠璃ちゃんのことも含めて奈津子を愛していますから、それに彼の人柄を考えれば、瑠璃ちゃんを実の子のように愛していくんだろうなって思います。 でもお二人は複雑ですよね……」

「そうだねー、何を悩んでいるのかさえよく分からない……」

 病院長が小さくため息を漏らした。

「私の想像を話してもいいですか?」

「彩ちゃんが、このことの結末をどのように想像しているのか、ということかね?」

「はい、私の想像って言うか、推測って言うか」

「ぜひ、聞かせて欲しい。彩ちゃんの思いに従うよ」

「そんな大したものではないですよ」

「ああ、でも、ぜひ聞かせて欲しい」

 病院長の言葉に、妻の玲子もすがるような思いで彩を見つめた。


「私は、お二人は反対しないだろうなって思っています。ただ、瑠璃ちゃんにどのように接していけばいいのか、それができるのかどうか、そして幸一に本当の子供ができた時に差別なく瑠璃ちゃんを愛せるかどうか悩んでいて、理屈の上では瑠璃ちゃんも同じ孫なんだと考えていても、ふとした時に瑠璃ちゃんを傷つけてしまうかもしれない…… そんな人間にはなりたくない、そう思っていて、だから結婚に対する答えは出ているのに、結婚した後の道筋が見えなくて、結局は入り口のところで立止まっているんだろうな、って思ったんです」

 彩が優しく微笑むと

「彩ちゃん、すごいね! もう笑うしかないよ。私は自分でも何を悩んでいるのかよくわからなかったけど、こうして言葉にしてもらうと、なるほどって思うよ。よくわかる。その通りだと思うよ」

「先日、奈津子と話していて、色々なことがわかったんです。奈津子の思いがわかったから、何となくお二人の思いがわかるような気がしたんです」

「奈津子さんも、あの人なりに悩んでいるんでしょうね……」

 玲子も静かに(つぶや)いた。


「でも、あの子の悩みって言うか、心配事ははっきりしているんですよ」

「えっ、聞かせてもらえるかな」驚いた病院長が彩を見つめた。

「あの子は、もしお二人に了解してもらって、結婚できたとして、幸一との間に子供ができた時に、お二人は瑠璃ちゃんに気を使って、血のつながっている実の孫を思い切って愛せないかもしれない…… 彼女が心配しているのはそのことだけなんです。 お二人にそんな思いだけはさせたくないって思っているんです」

「えっ、私達は見抜かれているのか……! 言われてみれば確かにそんなことになるかもしれないような気がするよ」

「あの子は瑠璃ちゃんのことは気にしないで欲しいって思っているんですよ。このまま二人で生きて行くことを考えていたんだから、そんな夢みたいな明日がやって来るんだったら、瑠璃ちゃんにだってそのことはわかって欲しい、血がつながっていなくても、こんなに大事にしてもらったんだ、こんなによくしてもらったんだってことを理解して、感謝できる人に育って欲しいって思っているんです」

「……」

「だって、奈津子にすればどちらも実の子なんだから、自分が愛してあげれば何の問題もないって思っているんですよ」

「ふーむ、私達は若い二人に教えられたね」微笑んだ病院長が妻に囁いた。

「そうですね、なんか、悩んでいたのが馬鹿みたい」彼女も笑顔で夫に応えた。

「そうだね、やっぱり彩ちゃんに救われるんだな」

 病院長が彩に微笑みかけると

「そんな、よして下さい。私は奈津子の気持ちを伝えたかっただけなんです。あの人は若いけど、私なんかよりよっぽど世の中を知っているっていうか、人の思いとか、気持ちがわかるって言うか……」

「ほんとにね、最初は彩ちゃんのこと、呼び捨てにしていたから同じ年なのかって思ったら、四つも若いのね」

「そうなんですよ。出会った頃は『彩さん、彩さん』って言っていたんですけど、あの人のことを知れば知るほど彩さんて呼ばれるのが、なんか気持ち悪くなって、『彩』って呼んでほしいって私が頼んだんですよ」

「あの年でシングルマザーで、子供をしっかり育てているんだものね、ほんとに感心する」

 

その夜、幸一の両親は久しぶりにすがすがしい思いの中にいた。


「今だから言うんだけど、私達は彩ちゃんが幸一と一緒になってくれたらって、いつも思っていたよね」

「そうですね…… 」

「でもね、私はその一方で、そうなった時、病院の経営はどうなるんだろうって心配していたんだよ。 お義父さんから託されたこの病院の将来が心配だった。幸一が経営していけるなんて思えないし、まして一線でメスを握る彩ちゃんだって無理だろうし……」

「そうですね、それは私も同じなんですけど、でも、それは第三者に託すことになっても仕方ないと思っていましたよ。 私達はそれだけ彩ちゃんが好きだったんですよ」

「そうだなー…… でも、こうしてみると、やはり流れなんだなーって思うよ」

「……」

「幸一の人生、彩ちゃんの人生、そして奈津子さんの人生、この病院にだってやはり流れがある」夫が納得したように話すと

「……」妻は無言でうなずいた。

「親父が言っていたよ。俺を養子にくれって、君のお父さんから頭を下げられたらしい」

「えっ、そんな話は初めてね」

「君と俺が付き合っているのを知った時、地域の人々のために俺を養子にくれって……」

「そうなの」

「お義父さんがよく言っていただろ」

「えっ」

「この病院がなくなったら、一番困るのは、町の人々だって……」

「……」

「流れている川の水道(みずみち)を変えようなんて、人間の傲慢(ごうまん)だって言っていただろ」

「……」

「人の道を踏み外さなければいいって……」

「そうですね」

「こうなることが幸一の人生にとっても、この病院にとっても自然の流れなんだよ。正直に言うと、奈津子さんだったら、この病院の経営は全く心配ない、以前に彩ちゃんから、幸一には別に好きな人がいるって聞いて、奈津子さんだって思って、その時、これで病院の将来は安心だって思ってしまった」

「そう言われてみると、なるようになったって感じがしますね…… でも……」

「どうしたの?」

「彩ちゃんの人生はどうなって行くんだろう、あの子の幸せはどうなるんだろうって思うと……」妻は遠くを見つめ、うっすらと瞼に涙を浮かべていた。

「大丈夫だよ、きっと大丈夫だ。幼い時に両親を亡くして、心を閉ざしてしまったあの子がお祖父ちゃん、お祖母ちゃんに育てられて、それでも頑張って医師になって、それもトップレベルの外科医だよ、天性の才能があることは否めないが、それでも努力は人一倍していると思うよ……! そんなあの子が幸せになれないはずがない!」

 病院長の言葉は、自らに言い聞かせているようでもあった。


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