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神の指先がささやく  作者: 此道一歩
第2章 彩の思い
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脳腫瘍に侵された恩師

 それから約一ヶ月後、年が明けて間もない時のことであった。

『私、東京の西塔会病院の、副病院長をしております髙井良太と申しますが、海堂彩先生をお願いします』と電話が入った。

『はい、少々お待ちいただけますか』


「奈津子さん、彩先生はオペですかね? 東京、西塔会病院の副病院長から電話なんですが……」

「私が代わるわ」奈津子が受話器を受け取って


『はい、もしもし……』と応答すると

『あっ、彩? 俺だよ、俺、良太だよ!』と不快な声が聞こえてきた。

『もしもし、私、以前お宅の病院でお世話になっていました秋山奈津子と申しますが……』

『えっ、あの器械出しの秋山?』

『はあー、あなたに呼び捨てにされる筋合いはないですけど!』

『彩と話したいんだけど……』

『どのような御用でしょうか?』

『はあー、大事な話なんだ。看護師なんかには関係ないよ!』

『そうですか、それでは失礼します』

『ちょっ、ちょっと待ってくれ!』

『看護師なんか、およびじゃないんでしょっ!』

『だっ、だから彩に代われよっ!』

『はあーっ、あれだけ彩を傷つけたあなたが、今さら何の話があるのよっ!』

『君には関係ないだろっ!』

『言っておくけど、私を通さないと彩にはつながないわよっ!』

『なんでそんなことになるんだ!』

『忙しいからもう切るわよっ』

 ガシャン


 電話を切った奈津子は、総合案内を初め、関係部署に彩への電話は、全て自分へつなぐように依頼をした。


 一時間後、再び電話をかけてきた良太に

『何度電話しても同じよっ! 彩の携帯に電話すればいいじゃない! 番号は変えていないわよ』

『出てくれないんだ! 』

『じゃあ、話したくないのよ、固定電話にかけたって同じことよ! 』

『ちょっと、頼みたいことがあるんだ、だから……』

『ふざけないでよ、どのツラ下げてそんなことを言っているのよっ。この恥知らず! 』

 ガチャン


 その日の夕方

「彩、東京の馬鹿良太から、電話が入って、何か頼みたいって言うから、電話、切ったわよ」

「ええっ、何か困っているのかしら……」

「あんたねー、お人好しもいい加減にしなさいよっ、どうせスぺ患のオペでもして欲しいのよっ」

「あっ、そうかもね」

「携帯にだって電話が入っているはずよ」

「ああっ、あれ、良太の番号か……! なんか見覚えのある番号から電話があってよほど出ようかって思ってた」

「絶対にだめよ、あんたのお人好しに付け込んでくるのは見えているんだから。それにここの患者だけでも大変なのに、あそこの患者の面倒なんて見ることできないわよっ」

「確かに…… 」

「だから、あなたにかかった電話は、全て私につなぐように指示したから……」

「ええっ、大丈夫なの?」

「大丈夫よ、あんただって、断るにしたってあんなのと話したくないでしょ……」

「ありがとうね、助かる……」


 しかし二日後

『もしもし、私、東京の西塔会病院理事長の髙井と申しますが、海堂彩先生をお願いします』


「奈津子さん、また西塔会病院からです。今度は理事長からです」

「げっ、あのおばはんかっ……!」


『もしもし、海堂はただいま手が離せませんが、どのようなご用件でしょうか?』

 奈津子が応対すると

『それでは手が空いたらお電話をいただけないでしょうか』

『私、以前にお宅の病院でお世話になっていました看護師の秋山奈津子と申しますが……』

『えっ、そっ、そうなの…… お久しぶりね……』彼女は少し気まずそうであった。

『今さら彩にどんな話があるんですか? 』

『ちょっと、お願いしたいことがあって……』

『あなた恥ずかしくないんですか? あなた達親子が彩にどんな仕打ちをしたのか忘れたんですか?』 

 突然、口調の変わった奈津子は突き刺すように話した。

『……』

『馬鹿息子を押し付けて、あれをしてやれ、これをしてやれ、もっと優しくしてやれって、彩を責めて、別れるって言えば、病院にもいられなくなるって脅かして、辞めるって言えば、急過ぎるって睨み付けて、よくもお願いしたいことがあるなんて言えますね!』

『あっ、あの時は息子と結婚して欲しかったし、病院に残って欲しかったから……』

『かってなこと言わないで下さいよっ。彼女はここの患者さんだけで手いっぱいなのっ、あなたのお願いを聞く余裕はないし、聞く気もありませんから……』

『そっ、そんなこと……』

『もう電話しないでください。彩だって電話があったことを聞けば不愉快になるから……』

『ちょっ、ちょっと失礼でしょ。看護師のくせに、なに偉そうなこと言っているのよっ!』

『看護師で悪かったわね、そんなことだから、良い看護師が辞めて行くのよっ! 』

『もっ、もういいわっ!』

 ガシャン


 東京の西塔会病院では……

 腹立たしさのあまり電話を切ってしまったものの、諦めきれない妻が

「ねえ、あなた、彩さんに電話してみたら……」夫に電話を勧めていた。

「馬鹿なことを言うんじゃないよ。彼女だって忙しい人だ、無理は言えないよ。それに、ここまで悪くなってしまうと、さすがの彼女でも難しい。彼女に汚点は創らせたくない」

「だって、六年もいたのよ。六年もお世話したんだから、それくらいしてもらっても罰は当たらないんじゃないの……」

「君は何を言っているんだ。助けてもらったのはこっちの方だよ。迷惑はたくさんかけてしまったけど、私達が彼女のためにしてあげたことは何もないよ」

「でも……」

「もうよしなさいっ」


 病院長の高井定弘は、脳腫瘍に侵されていた。

 悪性の腫瘍ではないが、視神経や重要な血管を巻き込んでいて、脳腫瘍の中では摘出が最も難しいと言われているものであった。

 加えて一部でも残してしまうと再発の可能性が高く、場合によっては視神経がやられてしまい、体温の調整ができなくなったり、睡眠障害を引き起こすなどの症状が懸念されるものであった。


 事実、病院長も視界はままならず、突然、寒気に襲われことがあり、夜も眠れず、その症状は顕著であった。医者としての務めは果たせず、また、専門医にかかってみても『ここまで進行すると、ちょっと摘出は困難です……』と逃げ腰で、現状では、放射線治療に頼るしかないところまで追い込まれていた。


 こうした中、まず、息子の良太が、そしてその母親が電話をしてきたのであった。

 しかし、彩と話すことができなかった病院長の妻、亜美は中山総合病院の病院長にかけあうことを決意して静岡までやって来た。

 それは、奈津子が彩に代わって電話を受けた二日後のことであった。

 受付から連絡を受けた奈津子は、さすがに追い返すわけにはいかないと思い、病院長室に通すことを了解したが、挨拶を済ませた後、亜美の第一声は

「お忙しいことはよく存じておりますが、彩さんを二~三日お借りできないでしょうか。お金ならいくらでもお支払いしますので……」

 あまりにもぶしつけで、非常識であった。


「えっ、ちょっと待って下さい。物じゃないんですから、貸すの、貸さないのって言われましても……」

さすがに穏やかな病院長も冷たい視線を浴びせた。

「ちょっと困ったことになっておりまして、無礼を承知でお伺いしました」

 亜美は懸命に訴えたが

「でも、そういうことでしたら、まず彩さんにお話ししていただかないと、私が彩さんをお貸ししますなんて、口が裂けても言えませんよ」

「でもいくら電話しても、奈津子さんが邪魔して彩さんに繋いでくれないんです」

「そうですか……」

 以前にいくらかの事情を聞いていた病院長は、

( これは奈津子さんに相談した方がいいな )そう思って

「わかりました。彩さんは今、手が離せませんので、しばらくお待ちください」

 彼は妻にお昼を共にするように伝え、直ちに奈津子を呼び、事情を説明した。


「病院長、あの親子が彩をどれだけ苦しめてきたのか、私はそれを傍で見てきました。あの馬鹿息子は、彩との結婚が決まっても、女遊びを止めず、母親も息子を叱るどころか、彩が優しくしないからだと彼女を責めて…… 何かあったらすぐに、あれをしてやれ、これをしてやれって…… 休む間もなく働いている彩のどこにそんな時間があるのよっ……」

 過去を思いだした奈津子は、怒りに唇を震わせ涙ぐんでいた。

「うーん、あの人を見ていると何となくわかるねー」

「とんでもない親子ですよっ」

「病院長が連絡してきたのなら、私だってこんなことはしません。でも、あの親子だけは絶対に……」

「君がずっと彩ちゃんを守っていてくれてたんだね……」

「そんな…… でも、どうするんですか?」

「ただ、気になる情報があってね。あの奥さんは話さなかったが、どうも病院長が脳腫瘍に侵されているらしくてね」

「ええっ、病院長がですかっ!」

「うむ、そうなんだ…… 色々、調べてみたんだが、どうも手の施しようがないらしい。良性なんだが視神経をやられ、睡眠障害に陥っていて、もう放射線に頼るしかないらしいが、これも副作用だけで効果は期待できないらしい」話す彼も辛そうであった。

「あの病院長が……」

「私も、彩さんに知らせるべきかどうか悩んでいたところなんだよ」

「でも…… あの病院長がそんなことになっているのなら、知らせてやって下さい。彩も無理はしないと思いますが、それでも自分の目で確認したいはずです」

「わかった……」


 そして、午後三時、彩は久しぶりに西塔会病院理事長であり、もと婚約者の母、高井亜美に会うことになった。亜美は二人での話を希望したが、奈津子の強い要望で病院長が同席することになった。


「彩さん、内の病院長が脳腫瘍に侵されて、悪性ではないんだけど、もう視神経がやられていて、普通の医師ではどうにもならないところまで来ているの……」

「病院長が……」驚いた彩は一点を見つめ、固まってしまったが

「だから、あなたにオペをお願いしたいの…… 内に来てくれないかしら……」と亜美は続けた。

「そうしたいのはやまやまなんですが……」我に返った彩が弱々しく答えた。

「あなた、六年も病院長にお世話になっておきながら、そんな恩知らずな人だったのっ!」

 彩に対峙すればすぐに快諾が得られると思っていた亜美は、語気を荒げ本性を露わにしてしまった。

 様子を見ていた病院長は彩が俯いてしまったことを心配して

「理事長、お気持ちはわかりますが、彩さんは医師です。今もなお多くの患者さんを診ています。その中には目の離せない方もいらっしゃる。彩さんにその方々を見捨てろとおっしゃるのですか……!」静かに口を開いた。

「そっ、そんなことは言っていません。ただ、この人は病院長のことを尊敬していたから、直ぐに行きますって、言ってくれるのかと思っていたのに……」

 自らの発言が全く身勝手なものであることには気が付かず、望みどおりにならないことに落胆した亜美の言葉は責めているように聞こえた。

「理事長、しばらく時間を下さい」

 突然、顔を上げた彩がはっきりと言葉にした。

「でも、もう時間がないのよっ、あなただって病気の見当はつくでしょっ」

「はい、そんなにはお待たせしません!」

 理事長は少し苛立ちを覚えたが、病院長がいたこともあり、口を荒らすことなく東京へ帰って行った。

 

 その夜、病院長夫妻に幸一、奈津子親子、そして彩の六人は和食の店で食事を取りながら話し始めた。


「病院長、あの人は六年もお世話になって……って、言っていましたけど、六年お世話をしたのは彩の方ですよ」

「奈津子、どうしよう?」彩が辛そうに顔を向けた。

「病院長だから、何とかしてあげたいよね……」

「仮に何とか時間のやりくりをして、一日だけ東京に出向いたとしても、おそらく一日では済まないよね。詳細な検査も必要になるだろうし……」中山病院長が静かに切り出す。

「そうですよね」奈津子も心配そうに答えた。

「……」

「やはり来ていただくしかないのかな……」

 病院長が二人の様子を見ながら諭すように言葉にした。

「でも、理事長が納得しないかもしれません……」彩が目を伏せる。

「……」


「わかった。明日、私が行ってくる。病院長に会って説得する。彩の気持ちを伝えて、絶対に連れて来るから……」

 彩の悲しそうな表情にたまりかねた奈津子が意を決したように彼女に微笑んだ。

「奈津子……」彩は涙ぐんでいた。


 かつて、祖父の再手術を断念した日、彩は初めて人前で涙を流した。

 そして、今日、病院長夫妻が彼女の涙を見たのは二度目であった。


「幸一、お前も副病院長として同行しなさい。そして二人で何とか彩さんの思いに応えてあげなさい」


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