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神の指先がささやく  作者: 此道一歩
第9章 彩が背にする心の闇
24/26

怒りに震える星野のペン先

 そして一ヶ月後

『あなたは海堂彩の真実を知らない』と題した記事が週刊誌『こんなことでいいのか』に掲載されると、それはすさまじい勢いで売れていった。


 

 記事には次のように書かれていた。


 七年半前、海堂彩医師は伐々大学病院に勤めていたが、当時、彼女の指導医を務めたのはあの長島裕也であった。その頃の高島教授はこの二人に相当な期待をしていた。既に誰もできないような困難なオペを日常的にやっていた長島裕也は言うまでもないが、高島教授は、海堂彩はいつか神の領域に足を踏み入れると称賛していた。

 しかし、高島教授が突然亡くなってしまい、当時准教授だった滝宮から、常に無謀なオペだと罵倒されていた長島は、海堂とともに大学病院を追われることとなった。ここまでは、読者もご存知のとおりである。


 長島と海堂は口をそろえて「大学病院を追われたこと等、何とも思っていない。そのことだけに限定すればむしろ感謝したいぐらいだ」と言う。

 確かにその通りだろう。大学病院を追われたことで、長島は先送りにしていたアメリカへ行き、輝かしい功績を残したし、海堂もまた西塔会病院で実績を重ね、【神の指先】をもつ女医とまで言われるようになったわけであるから、恨むような理由はないはずだ。


 ただ、そこには関係者しか知らない悪夢があった。

 当時、二人が大学病院を追われることとなった時、長島が執刀するオペが既に三件、亡き高島教授の意志で決まっていた。

 一人は四十代の働き盛りの男性、二人目は、子供がまだ一歳にもならない二十代の女性、そして三人目はまだ十七歳の女子高生だった。

 しかし、亡くなった高島教授に認められていたオペであったにも拘わらず、後任の滝宮は「無謀だ」と言ってこのオペを中止してしまった。


 特に、その十七歳だった女の子は、病院に来た時は『手術はしない、どうせ私は死ぬんだから』と言って、家族も疲れ果てていて、取り付く間もなかった。

 でも、海堂彩が、時間が許す限り、その子の病室に行って、色々な話をしたらしい。語りたくない自分の過去を話し、何とかその子を前向きにしようとして必至だった。やっとその子が心を開いてオペすることを納得し、その子に笑顔が戻って来た。

 その子が

「元気になったらカラオケに行きたい…… 彩先生も一緒に歌おうよ」って、微笑んで話していたのを誰もが知っていた。

 若い母親は、まだ一歳にならない子どもに『ママ、ぜったいに元気になるからね、後、少しだけ待ってね』と言って微笑んでいた。

 四十代の男性も中学生の娘に励まされ涙を流していたらしい。

 

この三人は他の病院で見放され、長島裕也を頼ってこの病院に来たのである。

 長島のオペが決まって、一度は死を覚悟した彼らに微笑みが戻り、彼らは再び前向きに生きて行くことを考え、オペの日を心待ちにしていた。

 しかし、前高島教授が許可していたこのオペを滝宮新教授は決して認めなかった。

 長島裕也はどけ座して額を床にこすりつけ、涙を流しながら「三人の命を救わせて欲しい」と懇願したが、彼に返ってきたのは「そんなにオペがしたいのなら、無医村にでも行って好き放題やれよ」という言葉だった。


 海堂の脳裏には、未だにその十七歳の女の子の笑顔が鮮明に残っているらしい。長島もまた同じであった。

「救える命だったんだ! なのに何故救えなかったんだ」涙ながらに悔やむ彼が印象的であった。

 海堂も終始涙を流していた。


 多くを語らない海堂の心を長島が次のように語った。


「海堂彩だって、救いたいんだ。そんな滝宮の娘でも、救える命は救いたいんだよ。でも七年前、その救えなかった少女の笑顔が彼女の脳裏から離れない。そんな状態では【神の指先】はささやかない。誰よりも彼女がそのことをよく知っている。彼女がメスを握れば、このオペは必ず失敗する。彼女はそれがわかっているから黙って耐えているんだ」


 海堂医師は「私の弱さです。滝宮は憎い! でも娘さんに罪はない。私が耐えればいいんです。オペができないのは私の弱さ、救える命があるのに救えないのは私の弱さです。でも指先が震えてどうにもならない……」

 涙ながらにそう語り、記事は書かないで欲しいと懇願した。


 私は、高島教授の死に疑問を持って以来、この長島裕也と海堂彩を七年間、追い続けている。

 その七年の間に、海堂彩が誰かのことを悪く言ったのは見たことも聞いたこともない。

 しかし、その海堂の口から、初めて『憎い』という言葉を耳にした。

 その少女を救えなかった無念がいかに大きいのか想像がつく。彼女は七年経った今もその闇を背に生きている。


 しかし、海堂は言う。

「この事実を公表することは、滝宮の娘さんに父親の罪をぶつけることになってしまう。 助けてもらえるかもしれないという希望を持っていた少女が、その希望を無くした上に、さらに父親の罪をぶつけられるなんて、そんなことは絶対にだめ!」

 海堂は懸命に記事を書かないように懇願した。


 私もそのことに一度は納得したが、でも海堂彩がこのまま悪役を演じることが私には許せなかった。

 海堂彩には絶対に幸せになってもらわなければならない。私の中にそんな強い思いがある。

 三十年前、彼女が五歳の時、医師と看護師だったその両親はエボラ出血熱で苦しむ人々を救うためアフリカに渡り、スゴイ王国で命が尽きてしまった。

 それを知った幼い少女から、笑顔が、そして表情が消えてしまった。彼女はその後、母方の祖父母に育てられ、両親がいない境遇にあっても医師になり、理不尽にも大学病院を追われ、それでも恩師の教えを守って西塔会病院で懸命に経験を積んで、あの若さで名医と言われるようになった。彼女がいなければ救えなかった命がいくつもあった。

 彼女ほど、命を救うことにどん欲な医師を私は見たことがない。


 悲しい過去を持ちながらも懸命に生きてきた海堂彩を……

「救える命は救いたい」と訴えながらも、震える指先を自らの弱さだと涙する海堂彩を…… 

 ここまで罵倒されても滝宮の娘を思って耐え続ける海堂彩を……


 誰が責めることができるのか!


 読者は理解できるのか、海堂彩を!


 彼女を罵倒した者に、罪の意識はないのか、この事実を知っても、罪の意識はないのか!

 愚かな記事を信じ、目に見えるものだけで勝手な思いを語り、恥を知るべきだ。


 さらに私が驚いたのは、オペを中止された三人に対して大学病院側から説明をした准教授の松原は

「長島裕也はオペが怖くなってアメリカへ逃げた」と説明したらしい。

 このことは、三人が亡くなったことを知った海堂医師が、せめて墓前にお詫びをしたいと思い、出かけた十七歳の少女のお墓でその父親に遭遇し、長島医師を憎む彼から事情を聞いて大学側のたくらみを知ったのである。

 当時、大学を解雇されることとなった二人は、三人の患者に会わせてもらうことができず、詫びることも、別れを告げることもできないまま大学を追われてしまった。

 病院あてに手紙を出したらしいが、おそらく届いてはいないのだろう。


 私は、この記事を書くにあたって、多くの方々から協力と裏付けをいただいた。

 長島裕也の解雇が決まった時、自らの意思で大学を去った二人の医師、今も現役で看護師を続ける人達、かつて滝宮の秘書をしていた女性、そして事務局に勤める者達、誰もがこの真実に心を痛めていた。言葉にしたくても言葉にできない苦悩の中で彼らも闇を引きずっていた。

 しかし、海堂彩がここまで罵倒されているのを目の当たりにして、彼らは積極的に証言してくれた。彼らの勇気に感謝する。

 また亡くなった三人の方々の遺族は、真実を知って、皆さん一様に長島裕也に詫びたいと涙した。


 そして、長島のコメントが海堂を気遣う。


「彼女の【神の指先】はもうささやかないかもしれない……  でも、許してやって欲しい……!

彼女ほど自らを犠牲にして人の命を救うことに懸命な医師はいない。

私が最も尊敬する医師である。

何年間も一人で戦い続けてきた彼女の指先がもうささやかないのであれば、それは神の意志だ。【神の指先】に敬意を払わなかった我々の罪である。

だけどここまで頑張り続けた彼女を許してやって欲しい 」

 

 最期に、彼女の両親をまで罵倒した者に言いたい。


 海堂彩の両親が、どんな思いでアフリカに渡ったのか知っているのか!

 海堂夫妻は三十年前、確かに五歳の海堂彩を両親に託してアフリカに向った。

 彼らを制止しようとする周りの者達に、父親は

『私達がいなくても、彩にはお祖父ちゃん、お祖母ちゃんがいてくれる。だけど、アフリカでは家族を亡くして、それでもたった一人で病気と戦っている子ども達がたくさんいる。死んでいく両親の枕もとで祈っている子ども達がたくさんいる。医者がいれば助かるかもしれないのに、医者がいないために亡くなっていく命が数えきれない。これを見て見ないふりをすることはできない。

ほんの少しだけ、自分たちの幸せを犠牲にすれば、救える命があるかもしれない。娘が大きくなった時に、話してあげたい。あの時、お前ががんばってくれたから、たくさんの命を救うことができたんだよって、話してあげたい』

 そう言ってアフリカの地に向ったのである。


 二人が、命尽きたアフリカのスゴイ王国で神のようにあがめられていることを知っているのだろか? 

 三十年経った今でも、二人のために建立された壮大な寺院の前を通る時、誰もが手を合わせることを知っているのだろうか……


 海堂彩の父親は、自らが感染した後も、ベッドの上から懸命に指示を出し続けた。夫が倒れた後も、海堂彩の母親は、懸命に夫の指示に従い、戦い続けた。

 感染した海堂の母親が亡くなったのは、感染して倒れた二日後だった。夫が感染した後も戦い続けた彼女の疲労がどれほどのものだったのか、彼女がどれほどの衰弱の中で戦い続けたのか、容易にそれが推察できる。


 それでも父親は、自らの命が尽きようとする時、感染してしまったスゴイ王国の国王を救うため、エボラ出血熱にかかって回復した人を探させ、その血液を国王に輸血することを指示した。彼は誰もやっていなかったことを三十年前に指示して、国王の命を救ったのである。

 

 両親に背を向けていた海堂彩が昨年秋、初めて両親に手を合わせたいと思い、スゴイ王国を訪れた時、彼女の両親を救えなかったことを一言、その娘に詫びたいと思った無数の人達が、寺院の広場を埋め尽くしたことを知っているのか……


 車を降りてその人達の思いに応えようとした海堂彩の前に一人の男性が跪いた。彼は、エボラ出血熱にかかって回復した人のO型の血液を輸血してもらって助かった人なのだが、後から海堂医師がO型だったことを知って、自分は輸血してもらうべきではなかった、海堂医師に輸血していれば彼は助かったかもしれない…… そんな思いで三十年近く生きてきたらしい。

 海堂彩はその男性に向って

「父は自分がもうだめだとわかっていたんだと思います。救えない命より、救える命を救いたかったのだと思います。感謝の思いがあるのであれば、そんなことは忘れて、今後の人生を幸せに生きて欲しい。父もそれを願っているはず」と話したらしい。


 海堂彩はそういう人なのだ。


 またその時、スゴイ王国の王子は脳腫瘍に侵されていた。国の慣習で国外に出ることができない王子を海堂彩は、外務省職員の制止も聞かず、その国でオペしてしまった。

 初めて入国した国で、どんな危険が伴うのかもしれないのに、彼女は「救える命は救いたい」と言ってわが身を顧みずオペに踏みきったのである。

 これが海堂彩なのだ。


 そこに整っていた施設、設備は、海堂彩の父親が三十年前、「腕のいい医者が何人いても、設備がなければ誰も救えない。でも設備がととのっていれば、腕のいい医師が一人いれば命を救うことができる」と諭したことによって、その教えを受けたスゴイ王国の医師が常に最新の設備を整えて維持してきたものだったのだ。


『力もないのに正義感だけを振りかざして目立ちたいだけの人』に、ここまでできるのか!

『力もないのに正義感だけを振りかざして目立ちたいだけの人』に、スゴイ王国の国王が、そして国民が、ここまでの敬意を払ってくれるのか!


 彼らへの侮蔑は絶対に許せない。

 これほど崇高な人達を、同じ日本人として誇りに思うべきではないのか!

 私はこの夫妻を罵倒した者には地獄に落ちて欲しい、心からそう願っている。


 そして最後に

 マスコミ各位は、直ちに海堂彩とその両親に謝罪するべきである、と締めくくった。



 滝宮は思ってもいなかった罪を指摘され、愕然とした。

 ただひたすら長島裕也と海堂彩を解雇することに懸命になっていた彼は、三人の患者の死が自分の決断に起因するなどとは思ったこともなかった。

 彼自身も、この記事を読んで初めて七年以上前の罪に気が付いたのであるが、それはあまりにも遅すぎた。


 この週刊誌が全国を駆け巡った二日後、学長から呼び出しを受けた滝宮医学部長は、辞職を勧告され、素直にそれに従った。


 彼の辞職後、かねてより疑いのあった裏口入学について、詳細な内部調査が行われ、医学部に在籍している現在の学生の中に六名が滝宮の強引な口利きで入学していたことが判明した。

 大学側は訴訟を覚悟で彼らに自主退学を求めた。

 しかし、彼らは全員、静かに大学を去って行った。その中にコメンテーター、瀬川の息子がいたことは言うまでもない。


 さらに瀬川は、名のあるレストランを経営していたが、そこは料理長の創作料理が人気で、その料理長によって経営が維持されていた。

 しかし、彼が突然退職し、瀬川は慌てていた。

 その料理長の母親もまた、海堂夫妻とともにボランティアでアフリカに渡った看護師で、彼は幼い頃よりその話を聞かされていたため、オーナーである瀬川が海堂夫妻を罵倒したことに怒りを覚え、テレビが放映された日からひそかに退職する準備を進めていた。

 瀬川はテレビからの仕事依頼も全くなくなり、レストランは傾き、医者になるはずだった息子も大学を退学し、この事態に陥って初めて、崇高な魂を持った海堂夫妻を罵倒したことを後悔したが、ここからの彼の人生は下り坂を落ちて行くだけであった。


 また手のひらを返した大学病院から、滝宮の娘、環奈は転院を迫られ、母親は困惑したが、その事情を知った西塔会病院の髙井病院長が彼女の受け入れを申し出てきた。



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― 新着の感想 ―
[一言] なんてスカッとする場面でしょう。涙しながら、読み続けてきて、この壮快さはなんとも言えません。
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