表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神の指先がささやく  作者: 此道一歩
第8章 両親の真実
19/26

両親の眠る地

 そして十月半ば、外務省の中野麗奈(れな)に付き添われ、彩と奈津子は日本を離れた。

 十二時間を超える機内で、彩は幼い頃の両親を思いだそうとしていたが、髙井病院長のオペの日に、初めて両親に守って、とお願いし、初めて両親の笑顔に触れ、父が大丈夫だよ、そして母が最後まで守るからね、と…… 微笑みかけてくれた、その笑顔しか脳裏には浮かんでこなかった。

 幼い頃、一度だけ動物園に行ってとても楽しかった記憶があるが、どうしてもその時の両親の顔が思いだせない…… わずかないら立ちはあったが


( 仕方ない、私は三十年もの長い間、両親を遠ざけてきた。私の中に残っている両親はもう何もないのかもしれない。でも、もし生きているのなら、また一から始めればいい )

 

 彼女は、その後の星野からの情報を得ていなかったので、両親が生きているかもしれないというかすかな望みを捨て去ることができないでいた。

 

 スイス国際空港についた三人は、スゴイ王国の外務担当官に丁重に迎えられ、小型ジェット機に乗り換えた。 まるで国王の専用機さながらの豪華な機内で、三人はこの上ないもてなしを受け、四時間のフライトの後、スゴイ王国の空港に到着した。


 多くの人々に迎えられる中、その先頭にいる高齢の紳士が手を合わせ深く頭を下げた。


「国王です」日本語の流ちょうな外務担当官が口を開いた。

 驚いた三人は、立ち止まり深々と一礼をした。

「どうして国王が……」驚いた彩に

「あなたが、この国を救ってくれた海堂夫妻の娘さんだからです。我が国は最高の敬意をもってあなたをお迎えしています」

「そっ、そんな……」彩の困惑は誰の目にもはっきりとしていた。


 国王の専用車に載せられた三人は宮殿へ向かったが、車内では誰も口を開かなかった。

 その途中、壮大な寺院の前で車が徐行し、運転手も国王までもが寺院に向って一礼したのを見て、彩は、信仰深い人達なんだと思ってうれしくなった。

 車の外に目をやると、歩く人、誰もが国王の車よりも、寺院に向い手を合わせ深く一礼する。 誰一人として通り過ぎる者はいない。

 彩は、微笑みながら、

( 何て素敵な光景なのっ、こんな国の人々が無理やり両親を閉じ込めて、働かせたりするわけがない。 もし、二人がここに居るのなら、それは二人の意志に違いない、何か事情があったのだろうが、二人の思いに違いない )

 そう確信して、スゴイ王国に足を踏み入れた彩の心から不安は一掃されてしまった。


 三人は王宮殿で、それぞれの部屋へ案内されその豪華さに驚いていると、しばらくして国王から話したいことがあると伝えられゲストルームへ出向いた。



[ここからの会話は通訳を挟んで語られたが、煩雑を避けるため日本語で表記いたします。]



「明日は、ご両親が眠っていらっしゃる寺院にご案内いたします」

 国王が彩に向って話すと

「えっ、やはり亡くなっているのですか……?」

 彩の落胆に、もしかしたらまだ生きているのではないかというかすかな希望を持っていたのだろうという彼女を察した国王は

「申し訳ないです。この国を救っていただいたのにあなたのご両親を救うことができませんでした。私にはお詫びすることしかできません」と目を閉じて静かに頭を下げた。

「いえ、とんでもないです」そう答えたものの、彼女の落胆は隠せなかった。

「どうぞ、こちらへ」

 国王に導かれ、三人は奥へ進むと、一室の前で立ち止まった。


 その壮大な扉には『海堂夫妻』と書かれていた。

 驚いた彩は

「これはどういうことなのですか?」と、目を見開いて尋ねた。

「どうぞ、お入りください。三十年前あなたのご両親が天に召された部屋です」

「えっ、この部屋で、こんな特別室みたいな部屋で最期を迎えたのですか……?」

 扉が開かれると彩の驚きはひとしおであった

「はい、この部屋で天に召されました」国王が悲しそうに答えると

「当時のことをお話しいただけますか?」彩は聞かずにはいられなかった。

「はい、もちろんです」 

 

 皆が国王に促され、ソファに腰かけた後

「当時、同行していたWHOの関係者は体調がよくないということで、あなたのご両親はお二人でやってこられました」と国王が話し始めた。

「誰も同行していなかったのですか?」中野麗奈が驚いて問い直した。

「はい、医薬品や物資は大きなトラックで送られてきましたが、運転手は荷を下ろすとすぐに引き上げてしまいました」

「そんな……」中野麗奈は何とも言えない悲しそうな表情をしていた。

「お二人は、到着するとすぐに隔離室を何種類か用意されて、病気にかかっている者、感染の危険度が高い者、低い者の判別を行い、我々はその指示に従って動きました。我が国には三十人の医師がいましたが、みんな慌てるばかりで何もできませんでした。それでも指示をしてくださる方が現れて、彼らもそれに従って懸命に治療にあたりました。私はもうこの国は滅亡してしまうかもしれない、そう思っていましたが救世主の出現に、神に感謝しました」

「……」

「現在でこそ、ワクチンや血清のことが言われていますが、当時は対処療法しかなく、脱水症状を起こしている者に対して点滴を行ったり、抗凝固薬等の投与が行われたりするだけでした。それでも、ご両親の的確な指示と、献身的な治療によって、患者は徐々に少なくなっていき、国は少しずつ落ち着きを取り戻し始めていました」

 そこまで話した国王は、俯いて涙をぬぐい、静かに顔を上げると、かすかな嗚咽を交えながら再び話し始めた。

「でも、そんな時、あなたのお父さんに感染してしまいました」

「そうですか……」

「それでも彼は、隔離室から指示を出し続けました。 私達は、ただオロオロするばかりで、私は再び国の滅亡を意識してしまいました。 それでもあなたのお父さんは、毅然として、何かに取疲れたように指示を出し続けました」

 再び泣き崩れてしまった国王にしばらく沈黙が続いた。


「それなのに、しばらくしてお母さんにも感染してしまって…… 」

「……」

「お父さんが倒れて以来、お母さんの疲労はもう極限状態に達していましたから、お母さんの衰弱はとても速かった…… 」

「国王……」

「申し訳ない、本当に申し訳ない、この国の全てを差し出しても、私達の受けた恩は消えない……」

「そっ、そんなことはないです。両親の宿命だったのです」

 国王はそれを耳にすると俯いて懸命に瞼を抑えた。蘇ってくる当時の苦悩と彩の両親を助けることができなかった罪悪感に彼は次の言葉が出て来なかった。


「それで、両親はそのまま亡くなってしまったのですか?」

「はい、本当に申し訳ないです。 私達は、絶対にお二人を死なせてはいけない、この国を救ってくれた二人を死なせてはいけないと、とにかくお二人をこの部屋に移し、わが国の医師二人がついて懸命に頑張ったのですが……」

「でも、そんなにまでしていただいて両親は感謝していると思います」

 国王はその言葉に再び子供のように泣きじゃくった。

 当時が蘇ってしまい、どうしようもない中、それでも国王は、懸命に一言一言、かみしめるように続けた。

「お母さんは何もしてあげられないまま、倒れた二日後に亡くなってしまいました…… ただ、意識がなくなる前に、隣のベッドに横たわるあなたのお父さんを見つめて、声にはならなかったけど、その口元が『あや』と動いたのを私ははっきりと見ました…… 彼女の無念を思うと私はもう立っていることができませんでした」

「そうでしたか…… 母が私の名を…… 父もその後は早かったのですか」

「はい、でも、それだけではないのです」

「えっ」

「最後には私にまで感染してしまって、私も、覚悟を決めました。でも、奥さんが先に亡くなってしまい、絶望の淵にあったはずのあなたのお父さんなのに、それでも彼は諦めなかった」

「まだ何か手立てがあったのですか?」彩は驚いた。

「あなたのお父さんは、息も絶え絶えになりながら、我が国の医師に、かつてエボラ出血熱にかかって回復した人を探すように指示しました。 血液型は私と同じB型の人を探すようにと…… 」

「国内にいらしたのですか?」

「はい、二人いてその内の一人がB型、もう一人はO型でした」

「国王はその方の血液を輸血されたんですね」

「はい、あなたの父上の指示で…… 私が回復方向に向うとあなたのお父さんは微笑んで、『娘に…… すまなかったと伝えて欲しい、できればあなたの口から……』そう言って息を引き取りました」

 彼はそこまで話して泣き崩れてしまった。


「父は抗体にかけてみたんだ、そんなことを考えていたのか……」

 彩は父親の最後の賭けにも似た行動に感心していた。

「その後も、被害は小さくなっていき、国の機能もほとんど回復しましたが、それでも患者がゼロになることはなかったのです。 私達は、エボラ出血熱にかかって回復した人の血液が薬になるんだと国民に訴えました。 するとさらに十二名の者が名乗り出てくれて、ようやく終結を迎えることができました」

 話し終えた国王はぐったりとして疲れ果てていた。

「思ってもみなかったことを知ることができて、本当によかったです。 ここを訪れて本当によかったです。そんなによくしていただいて感謝の言葉もありません」

 彩が涙ながらに礼を繰り返すと

 国王は顔を振りながら、

「あなたのお父さんの意志によって、私達は、その後、エボラが発生した国に対して、元患者の輸血が有効であるということをお知らせしてきました」

「……」

「あなたのご両親にこの国は二度救われました。最初は国民が、そしてその次には国王である私が、お二人が命をかけて救って下さいました。 それなのに私達は何の恩返しもすることができていない……」


 その夜、彩は、ほとんど夕食を口にすることができなかった。

 両親が眠るこの地でせめて手を合わせたい、そんな思いを持ったことが始まりだった。それは、もしかしたら二人はまだ生きているのかもしれないという希望に変わり、言い知れぬ不安と期待が交錯する中で、彼女はこの地に立った。

 両親が生きているかもしれないというかすかな望みは瞬時に崩れ去ったが、それでも両親が亡くなった部屋で、両親の真実を聞くことができて彼女の心は満たされていた。

 しかし、彼女はその満たされた思いの中で、両親の偉大さを知り、最期に自分に詫びた父の無念を思い胸は張り裂けそうであった。

 両親を遠ざけてきた後悔よりも、その真実はあまりにも大きく、そしてあまりにも衝撃的であるが故、彼女は先が見えず、ただあふれる涙に両親を思い浮かべようとしていた。


 その時、その場へ王子が一人の女性に手を引かれてやって来た。

 彼は、外務省の中野麗奈に、深々と頭を下げ、礼を言った後、皆に挨拶を済ませて席についたが、どうも視界が侵されているようであった。


「私達は、海堂彩さんにお詫びしなければなりません」

 慌てて顔を上げた彩は涙をぬぐうと

「お詫びなんて必要ありません。むしろ両親のことは感謝しています」とが答えたが

「そうではないのです……」王子は懸命に言葉を探していた。

「えっ、どういうことでしょうか」驚いた彩は彼に目を向けた。

「我が国は、神の国から来られた神様を盗んで我が国のものにしてしまいました」

「海堂夫妻の遺骨のことですね」中野麗奈が静かに尋ねた。

「そうです。我が国は、海堂夫妻が亡くなった後も、彼らに留まって欲しくて、日本政府に遺骨はわからないとお答えしました」

「えっ、遺骨はあるんですか?」奈津子が初めて口を開いた。

「はい、本当に申し訳ないことをしました。 お返ししなければいけないと考えています。神の国を冒涜した私は、こうして罰が当たってしまいました。 脳腫瘍に侵されているらしいです。 日々、はっきりと見える時間が少なくなって、償いの場所に向っているのがよくわかります」彼は罪を知り罰に納得しているようだった。

「そんな、罰だなんて……」彩は言葉が続かなかった。

「私は七年間を日本で過ごして、日本人の偉大さを知りました。そのたびに罪の深さを感じて、子孫や国民に罰が当たる前にけじめを付けなければならないと思い帰国しました。どうかお許し下さい」王子の無念が突き刺してくるようであった。

「そんな、許すだなんて……」彩も困惑していた。

「遺骨が祀られている場所はここからは遠いのですか?」奈津子が尋ねた。

「いえ、直ぐです。空港からここに来るまでの間に、大きな寺院があったのですが…… 誰もが手を合わせ深く一礼していた場所があったのですが、気が付きましたか?」

 外務担当官が尋ね返した。

「はい」

「あの寺院です」

「ええっー!」

「あの寺院は海堂夫妻をお祀りするために建立したものです」

「……」

 彩はまるで時間が止まってしまったかのような感覚の中で息を飲んで一点を見つめた。


( まさかあんなすごいところに二人だけで…… ええーっ、じゃあ、皆は両親に手を合わせていたのっ……! そっ、そんな……)

 考えたこともなかった。まして想像したこともなかったような現実に彩の心は揺れ動いた。

( なんてことなの…… どうしよう…… 明日、初めてお参りに行って、両親は何か語りかけてくれるのだろうか…… 私はどうすればいいのだろう……)

 真っ白になってしまった頭の中で何かを考えようとするが、その内に何を考えたいのかもわからなくなり、彼女は困惑してしまった。


 そして、翌日、朝食を終えた彩たちは、国王の車に同乗して寺院に向かったのだが、寺院の敷地入り口で門扉が開くのを待つため、一度止まった車から、寺院まで五十メートルほど続く、幅十メートルほどの石畳の両サイドに数えきれないほど人々が立ち尽くしているのを目にした彩は、その後、車がまさに門を通過しようとした時

「車を止めて下さい」と思わず言ってしまった。


「この人達は?」

「皆、海堂夫妻の忘れ形見に、一言でいいからお礼を言いたい、感謝の思いを伝えたいと思っている人達です。 車の中のあなたでもいい、一目見て、心でお礼を言いたいのです」

 国王が国民の声を代弁した。

「そんな、私は何もしていないのに…… 」彩の困惑は筆舌に尽くしがたかった。

「それでもあなたは海堂夫妻の娘さんです。 海堂夫妻の一人娘が両親を亡くして悲しい日々の中で生きてきたことを誰もが知っています。 おそらくあなたは神の国で、周りの人達に助けられて生きてきたのでしょう。 それでも両親のいる子供よりは辛い人生を送ったはずです。 誰もがそのことをお詫びしたいのです。 我が国を救ってくれた海堂夫妻なのに、二人を救えなかったことを、彼らは一言でいいから、あなたおに詫びしたいのです」

 それを聞いた彩は、両手で顔を覆って泣き出してしまった。

「ごめんなさい。嫌なことを思いださせてしまいました」

 国王が詫びると

「国王様、違うんです。彼女は皆さんの思いがうれしいのです。こうした暖かい人の思いに触れた時、日本人は感激のあまりに涙を流してしまいます」

奈津子が説明すると、

「私達は彼女の両親を死なせてしまったのに、彼女は私達の思いに涙を流してくれるのですか」

「そうです。 彼女は皆さんのことを恨んだりはしていません。 むしろ、こんなに手厚く祀っていただいて、いつも皆さんに手を合わせていただいて、彼女は皆さんに感謝していると思います」

「なんと…… 」

「彼女の言うとおりです。とても感謝しています」顔を上げた彩が国王に微笑むと彼は両手を合わせ彩に一礼した。

「私は、三十年近く経った今もなお、こんな思いでいて下さる皆さんの前を車に乗ったまま素通りするなんてできません。せめて歩かせて下さい」

「わかりました」

 

 彩が車から降りると、皆が涙を流しながら、悲哀にも似たすすり泣くような小さな歓喜が、幾重にも重なり合って、彼女の心に突き刺さってきた。

 彼女はその中を一歩ずつ、瞼に一杯の涙を浮かべ、左右の人々に頭を下げながら進んでいった。

 彩の後ろを少し離れて国王と、奈津子たちが続いた。

 この国では国王の前を歩くこと等は絶対に許されないことであったが、この彩だけにはそれが許された。

 

 彼女が十メートルほど進んだ時であった。

 左前列にいた高齢の男性が、突然正座をして地面に額をこすりつけて、泣きじゃくった。

 驚いた彩は、彼に近づくと手を差し出して

「頭を上げて下さい。何も謝るようなことはありません」と話しかけたが、その男性は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、

「私は、あなたの両親に助けてもらったのに、何もできなかった。 あなたのお父さんがO型だったことを後から知りました。しかし彼は私に輸血してくれたんです。 私は生きるべきではなかった。 彼に輸血していれば彼が助かったはずです。 私は死ぬべきだった。 そして彼が生きるべきだった」

「それはちがうと思いますよ。父はもうどうにもならないって知っていたんだと思いますよ。 助けられない命を助けようとするよりも、助けることができる命を救いたかったのだと思います」

 慌てた彩はとっさに自らの思いを語った。

「……」

「あなたは生きるべき人だったのです。そして父は去って行く人だったのです。あなたが罪を感じるようなことは何もありませんよ。 もし助けてもらったという思いがあるのであれば、ここからの人生は、悔やまないで楽しく生きて下さい。父はそれを望んでいると思います」彩が諭すように微笑むと

「うううっうう……」

 彼は子供のように涙を流しながら零れ落ちる涙をぬぐおうともしないで、ただ彼女に向って手を合わせ、何度も何度も頭を下げた。


 さらに数歩進むと、一人の女性が一歩前へ出て跪くと、顔を伏せたまま両手で一枚の紙を差し出した。

「先日亡くなった母の思いです。この三十年、いつの日かあなたにお会いして、お詫びを申し上げたいと願って生き続けてきた母が、あなたが来られることを聞いて、とても喜びました。這ってでも、ここに来てあなたにお会いしたいと願っていましたが、思いが届かず、三日前に亡くなりました。亡くなる前、母が懸命に書きあげたものです。どうか受け取って下さい」

 彩も跪き、その一枚の紙に書かれた文字に目を向けた。

 そこには、震えながら、形は整っていないが、それでも、ひらがなで「ごめんなさい。ありがとう」という文字が書かれていた。

 その文字を目にした時、その人の渾身の思いが…… 人生、灯が消えようとする最期の時に、どれほどの苦しみの中で書き綴ったのか…… その光景が(まぶた)に浮かんだ彩は泣き崩れてしまったが、それでも懸命に頭を振り、嗚咽に遮られながらも、

「お母様のお気持ち、確かに受け取りました。こちらこそ心よりお礼を申し上げます」

 そう答えると、彼女の背中を優しく摩って、彼女を立たせ、深く一礼すると再び歩き始めた。


 五十メートルほど進むのに二十分以上かかった彩が寺院に入ると(おごそ)かに、そして華麗に飾られた正面の祭壇中央にある扉が開かれた。

「右がお父さんで、左がお母さんです」国王が静かに手を差し伸べた。

 その祭壇には花が祀られ、無数のお供え物が並べられていた。

 近づくと、彩は無言のまま、手を合わせ静かに目を閉じた。

 あの髙井病院長のオペをした時のように両親の顔は思い浮かばなかったが、それでも「やっと来てくれたのね、ありがとう」という声が聞こえるようで

「わたしこそ、時間がかかってごめんなさい」彩は心で詫びていた。


 その時、こんなによくしていただいたのに、「ありがとうございました」ってお礼だけ言って帰るの? そんな思いが彩の心に生まれた。

( 遺骨を持って帰るなんてできない、このままここで祀っていただく方が両親だってうれしいはず…… だから、遺骨はここでって、お願いすれば、みんな喜んでくれるはず、それが私の気持ち、皆さんへの恩返し……)


 そう思って一度は彩も気持ちを収めた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] もう涙が止まりません……
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ