かすかな影
そしてその翌日、星野は外務省の中野麗奈という女性に面会した。
この女性は、彩の入国に際して、スゴイ王国から同行する外務省職員として指名された人で、その秘密情報を入手した彼は、その事情を聞かないわけにはいかないと思っていた。
「何故、あなたが指名されたのですか? 国交のない国が何故あなたの名前を出したのですか」
「私も、困惑しています。正直言って、思い当たることが全くありません」
「そんなはずはない。スゴイ王国の王子が七年間、日本で学んだところまでは調べています。その時に何かあったんじゃないですか?」
「調べてもらっても結構ですが、そんなスゴイ王国の王子が日本にいた記録なんて全くないですよ」彼女は懸命だった
「【神の指先】をもつ女ってご存知ですか?」
「えっ、唐突にどうしたのですか……?」
「知っていますか?」
「はい、聞いたことはあります。誰もできないような手術をすることができる凄い医師だということは知っています」突然の質問に彼女は困惑したが、それでも冷静に答えた。
「海堂彩なんですよ、その女医は!」
「あっ、それで聞き覚えがあったのか……」
「彼女が五歳の時、両親は人命救助に出かけ、スゴイ王国で命が絶えてしまった。それを知った幼い少女から、笑顔が消えてしまったらしいです。彼女はその後、母方の祖父母に育てられ、そんな境遇にあっても医師になりました。大事にしてくれた教授の突然の死によって彼女は大学病院を追われ、それでも恩師の教えを守って西塔会病院で懸命に経験を積んで、あの若さで名医と言われるようになった。彼女がいなければ救えなかった命がいくつもあった」
「そんなこと言われても……」中野麗奈は困惑していた。
「幼い頃から両親を恨んでいた彼女が、ようやく両親に向き合い、両親が眠る地を訪れようとしている。今まで真実に耳を傾けなかった彼女が、初めて真実を知って、両親の眠る地に行こうとしているんです。絶対に彼女の身に何かあってはいけない。彼女は日本医学会の宝なんです。それに何より、彼女は絶対に幸せにならなければいけない。三ヶ月後には敬愛する医師との結婚が待っている。その彼女が帰ってこないようなことがあっては絶対にならない!」彼の思いが訴えかけてくる。
「そんな、帰ってこないなんて……」
「いや、絶対的な保証はない。実は私の父も……」
彼は父親のこと、そしてその父親が持ち続けていた不信感を話した。
「まっ、まさか生きているかもしれないなんて……」
「でも、否定できますか? 全く国交もなく、訪れた者もいない。その国を信じていいんですか……」
「星野さん、その判断を私にしろというのですか……?」
「そうじゃないです。私は彼女のために可能な限りの情報を集めたいのです。もし、あなたが王子をご存知なら、その人柄を教えていただきたい。あなたには絶対に迷惑をかけるようなことはしません、だからあなたが感じた思いを話していただきたい。少しでも不安があれば、彼女を行かせるべきではない、私はそう思っています」
しばらくの沈黙ののち、彼女は生唾を飲み込むと、一点を見つめ意を決したように話し始めた。
「あなたのおっしゃる通りです」彼女は姿勢を正すと静かに話し始めた。
「やはり……」
「私は海外から来られた方々を支援する部署で働いています。彼は卒業間近の三月初めにインフルエンザにかかってしまい、ボランティアの余裕がなかったもので私が出向いてお世話をしました。三日ほど通う中でいろいろな話をしましたが、最後に彼は、『あなたの恩に対して失礼があってはいけない』と言って、自分の身分を明かしてくれました」
「やはりそうでしたか……」
「でも、私は聞かなかったことにしてしまいました。残り僅かで帰国する彼を、今さら不正入国だと言って騒いでみたってどうなるんですか、彼が出国してしまえば何もなかったことになる…… だからそれでいいと思ったのです」
「それが正解ですよね。私もそう思います。それで彼はどんな人間でしたか? あなたの感じたままでいいです。それを聞かせていただけないですか?」
「彼の国であなたが言うようなことが行われているとはとても思えません。彼は日本人以上に日本の心を大事にしている人でした。 帰国前に、『私の国は神の国を冒涜してしまった。遺族にお詫びしてけじめを付けなければいけないことがあります。その時は、是非、力を貸して下さい』そう言っていました」
「遺族って言ったんですか?」
「はい、はっきりと…… 言葉の意味が解っているのかどうか心配だったので、【遺族】の意味が解っていますか、と尋ねたら『亡くなったご夫妻の娘さんです』と言っていました」
「そうですか、間違いないですね」
「はい、星野さんの話を聞いて、彼の国は恐らく亡くなってしまった海堂夫妻の遺骨を隠しています。だけど、彼が日本で学ぶ中で、自分たちの罪に気が付いたのでしょう。だから遺骨を返したい、そう考えているのだと思います」
「ありがとう。これで安心して彼女を送り出すことができます。増してあなたが同行して下さるのなら、絶対に大丈夫だと思います」
「実は、私は同行することをお断りしているのです」
「えっ」
「でも、お話しを伺って、私も行かなければと思いました。もう一度、上にかけあってみます」
「ぜひ、お願いします」
外務省を出た彼は、憶測の中であまりにも多くの不確定な情報を彩に話したことを後悔していた。
( いずれにしても、行くという彼女の決心は変わらない。それだったら、今以上の話を彼女に伝えるのは止めよう )
そう思った彼は中山総合病院の病院長夫人である玲子に連絡を入れた。
『わたしなりに調べた結果、彩先生の入国は問題ないと思います。おそらくスゴイ王国は万全の態勢で彼女を迎えると思います。決して彼女の身に何かが起きるようなことはないと私なりに確信しました。ですから病院長夫人も安心なさって下さい』
『ありがとうございました。星野さんの思いを聞いて安堵しました。この思いは彩さんにも伝えますので……』
『はい、よろしくお願いします』




