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神の指先がささやく  作者: 此道一歩
第6章 長島裕也の真実
13/26

【悪魔の手先】、長島裕也

 七年前、星野は愚かにも、当時准教授だった滝宮の口車に載せられ、この【悪魔の手先】と罵倒された長島裕也の記事を書こうとしていた。

 当時、滝宮から大事にされていた星野は、事あるごとに彼から情報を与えられ、「君は真実を書くべきだ」と言われ続け、「彼こそ本当の医師だ」と信じ、半ば彼に陶酔していたところがあった。


 ある日、彼は長島裕也を捕まえると、完成した原稿をぶつけて勝ち誇ったように

「命を命とも思わないあなたの医師としての愚かさを世論に問いますからねっ!」と詰め寄った。

 

 原稿を読んだ長島裕也は、鼻で笑って

「どうぞ、好きに書いて下さい。医術は真実しか語らない。 メスを動かせば救える命があるのに、メスを動かさないのは罪ですよ。 メスを動かせない医師にはそれが許されても、メスを動かすことができる医師にはそれが許されない。だから、私はメスを動かすだけ……!」

「でも…… 無謀なメスは命を奪ってしまうかもしれないじゃないか」

「ははっ、馬鹿な…… メスを動かせない医師には無謀であっても、メスを動かせる医師にとって、それは医術なんですよ。 あなたがどのように書こうが、私は痛くもかゆくもない。医術は真実しか語らない」

「どういうことですか、その医術が語る真実って何なんですか」

「あなたのように、何も見えない人に説明してもわからない。自分で考えてみて下さい。そうすれば真実が見えてくる、忙しいので失礼しますよ」

「逃げるんですか?」

「なぜ逃げる必要があるんですか…… 馬鹿らしい」

「私は書きますよっ!」

「だから書けばいいって言っているじゃないですか……」

 立ち上がった長島裕也が微笑んで去って行くと、星野は言い知れぬ不安に陥った。


( あの自信は何だろう…… それに、メスを動かせない医師と、メスを動かすことができる医師って何なんだ……! 誰だってメスは動かせるだろう…… わけのわかんない奴だ。やっぱり滝宮さんの言うとおりだ )


 そう思いながら出口に向っていた時、一人の女医に出会った彼は、大きな瞳が印象的で、あまりにもかわいく、愛くるしい女性だったので、ついうれしくなって声をかけてしまった。

「あのすいません……」


「はい、何でしょうか」


「長島医師が、メスを動かせる医師と、メスを動かせない医師ってよく言っていますよね」

 何も知らない彼が適当に話したのだが

「そうですね、あの人の口癖ですよね」その女性が微笑んで答えると

「それって、今一つわかりにくいんですが、あなたはどのように理解されているんですか?」

 星野は、この愛くるしい女性に、ぜひ尋ねてみたかった。


「全然、難しくないですよ。例えば、困難な患部があって、その周囲には重要な血管や神経が張り巡らされているようなところだったら、わずかなメスのブレで大変なことになってしまいますから、腕のない医師はとてもメスを動かすことはできないけど、腕のいい医師はそこにメスを入れて人の命を救うことができる…… そう言うことだと思いますよ」

「えっ、でもそれって、無謀っていう見方もできますよね」

「それは全く意味が違いますよね。無謀って言うのは、できもしないのにメスを入れるっていうことですよね。だけど、客観的に自分を知っている医師であれば、そんなことはしないし、逆にそんなことをする人は医師ではないですよね」

「なるほど、そういう意味で言えば、長島医師はメスを動かすことができる医師、決して無謀な医師ではないということですね」

「どうしてあの人が無謀な医師なんですか。 彼は私の指導医でしたから、何度も彼のオペに立ち会っていますが、彼のメスはすごい、とにかくすごいとしか言いようがありません。自信をもってメスを動かしているのがよくわかりますよ。それにだいたい、あの人が失敗したことなんてないでしょ……」

「えっ」

「聞いたことありますか?」

「いえ、そう言われれば……」そう思いながら、彼は彼女の名札に『海堂』と書かれていたのが気になって仕方なかった。


 その時

「彩、油売っている暇があったら早く片付けろ、明日も忙しいぞっ!」

 二人を目にした長島裕也が声を上げた。

「はいっ」彩は慌てて頭を下げると小走りに去っていったが


「長島さん」星野が再び長島にかけよった。

「何ですか、好きに書いて下さいよ、私は痛くもかゆくもないんで!」

 彼はぶっきらぼうに話したが

「いや、そうじゃなくて、今の女性は海堂彩さんとおっしゃるんですか?」

「それがどうしたんだ!」彼の眼つきが変わった。

「アフリカで亡くなられた海堂夫妻の娘さんですよね」

 星野は軽い気持ちで同意を求めたのだが

「そのことは言うなっ! 彼女の前で口にしてみろ、絶対に許さんぞっ!」

「どっ、どうしたんですか……」

「ふざけるなっ、お前みたいに、見たもの、聞いたものしか理解できないような人間に何がわかるっ! 俺のことはいくらでも書けばいい、でも彼女の過去に関わるなっ、絶対に後悔させてやるぞっ! 」

 突然、すさまじい形相で襲いかかってきた長島裕也にただならぬ気配を感じた彼は、初めて背筋がぞっとするという感覚を味わった。


( どういうことなんだ…… なんか訳がわからなくなってきた。でも海堂夫妻の忘れ形見が医者になっているのは事実、これは間違いない。でも、長島は何であんな顔して怒ったんだ……? それに、彼女の言ったメスを動かせる医師と、メスを動かせない医師って、確かにその通りなのかもしれない。長島医師は無謀な医師ではない? 彼女はいつもオペに立ち会っているって言っていた。それに何より、失敗したことがない? ちょっと待て、なんかおかしいぞ…… まさか滝宮さんが変なことを言っているとも思えないし、でも、俺の情報源はあの人だけか……! ひょっとしたら、とんでもない間違いをしているのかもしれないぞっ……! )


 その翌日、彼は強引に高島教授に面会し、真偽を確かめようとした。


「教授、長島裕也医師なんですが、実際のところどうなんですか?」

「どうなんだって言われても、それこそどういうことかね?」

「無謀なオペが結構ありますよね、問題はないんですか?」

「無謀なオペって言うのは、君が見て判断しているのかね」

「はい、後から状況を伺って、結果、成功しても、やはり無謀なオペと言わざるを得ないですよね」

「君はどうして無謀だと思うのかね」

「そりゃー、誰も手を出せないようなところにメスを入れているんだから、無謀でしょっ」

「はははっは、滝宮君か……」

「いやっ……」

「彼も責任感の強い医師なんだが、自分にできないことは未知の領域だと思っているからね、そこが困るんだよね」教授が笑いながら思いを語った。

「……」

「長島君のように、とんでもないとこにメスを入れる医師は、無謀だって思うんだよねー。

だけどね、当の長島君にすれば日常的に扱うことができる領域なんだよね。滝宮君にはもっと大きな目で世界を見て欲しいんだよね。もう自分の技術よりも、若手を育てることを考えて欲しいんだが……」

「大事なことですよね」

「それからもう一人、海堂君っていう女医がいる。この人もすごいよ」

「えっ……」

「彼女はいつか神の領域に足を踏み入れる…… 長島君が指導していればそんなに遠い未来じゃない。私はこの二人が楽しみだよ…… まっ、長島君はもうレールに乗っているから、何も心配ないけどね、その内にはアメリカへ行かそうと思っているんだ」

「海堂彩さんは、三十年前、アフリカで亡くなった海堂夫妻の娘さんですよね」

しばらく沈黙があった。

「彼女のメスとそれは関係ないと思うよ。(はた)から見れば何故だろう? って思うようなことでも、本人にすれば触れられたくないことだってあるだろう。まして、彼女が五歳の時の話だろ、彼女はそれ以来、両親の話には頑なに耳を閉ざしたそうだ。だから父親が医師だったことも知らないんだろう…… どんな境遇で育ったのかは知らないが、それでも医師になって、日々、明るく生きているんだ。静かに見守ってやってくれないか……」

「はい、決して彼女を苦しめるのが本意ではありませんから……」

「そうかね、よろしく頼むよ」


( 人間が違う、滝宮さんとはレベルが違う…… もう一度、しっかりと検証してみよう )


 その二日後、滝宮が催促の電話をしてきた。


『記事はまだでないのかね』

『はっ、はい、最終段階で検証に時間がかかっているみたいで……』

『どこの出版社なんだね、私がひと押ししてあげるよ』

『ありがとうございます。でも、もうそんなに時間はかからないと思いますので』

『そうかね、じゃ、よろしく頼むよ。日本医学会のためだ、期待しているよ』


 しかし、調べれば調べるほど、滝宮の評判は悪く、長島のことを悪くいう者はほとんどいなかった。

なかでも、器械出しをしている看護師が

「長島先生の時は、ついていくのが精一杯です。でも、他の病院では見放されてしまって、諦めていた患者さんが元気になって帰って行くのを見ると、先生の足を引っ張らないように私もがんばらなければって思うんです」と言ったのが印象的だった。


 星野は目からうろこが落ちた思いだった。

 医療のこと等、何もわからないのに、滝宮の口車に載せられてしまって、真の医師を侮辱してしまった。それだけでなく彼を罵倒する記事まで書こうとしていた…… 


(なんてことだ…… 愚かにもほどがある…… 情けない限りだ)

 

 五日後、彼は長島裕也を再び訪れた。


「もういいかげんにしてくれませんか! 好きに書けばいいって言っているじゃないですか…… これ以上、どうしろって言うんですか?」

 長島がいら立ちの中で言葉を吐き捨てた。


「いいえ、今日はお詫びに来ました」

「えっ、今度は何ですか!」

「全て、愚かな私の思い違いでした。お詫びして許していただけるとは思っていませんが、それでもお詫びしないでやり過ごすのは、あまりにも情けないと思い、参上しました。 殴るなり、蹴るなり好きにしてください」

「君は阿保か!」

「えっ」

「それじゃあ、遠慮なくって、手を出せるかっ……」

「確かに…… でも……」

「もういいよ、君にだっていつかはわかると思っていたんだ。記事が出た後、真実が見えたら、君はどうするんだろうって楽しみにしていたんだよ」

「そうだったんですか……」

「でも、君は記事を出す前に気づいた。運の良いやつだ。」

「なんか、お礼を言うのもおかしいんですが、ありがとうございます」

「ところで、医術は真実しか語らないっていう意味が解ったかい?」

「はい、あなたのオペは失敗しない、失敗しないということは無謀ではない。失敗はしていないという真実が、メスを動かすことができる人だということを物語っている…… そういうことだと思います」

「ほう、一つ、目に見えないものを理解したね。でも、この前、彩の奴が大分ヒント言ったらしいじゃないか……」

「そっ、それもあるかもしれませんが、再検証を進める中で、何となく理解できました」

「わかった。もういいよ、でも彩の両親の話は、彼女の前でしないで欲しい」

「わかりました。本当に申し訳ないです…… 」

「いいよ、もう気にするなよ。救える命を救うことしか考えていないんだよ。こんなことに腹立てている余力はないんだよ」

 

 星野は、

( 人として、医師としてのレベルが違う…… 滝宮さんとはえらい違いだ、やはりあの高島教授が指導しているだけのことはあるんだ……)そう思って家路を急いだ。


 彼は狭いアパートの一室で、書きあげていた原稿を読み返しながら、あまりにも愚かだったことを思い、苦笑いした。

 その時だった。


『滝宮だが、記事はどうなっているんだよ』電話口の彼は少し苛ついているようだった。

『あれはもう止めました』

『何だとー、どうしてなんだ! 』

 初めて星野が聞く荒々しい声だった。

『検証していくうちに、真実にたどり着いたんですよ』

『何だとー、そんなことはどうでもいいから、とにかく記事を出すんだ。出版社なら私が紹介してやる』

『いや、とにかくあの記事は出せませんよ』

『あんなに面倒見てやったのに、私の言うことが聞けないのかっ!』

『あなたは私を自分の思い通りに操るために、いろいろ情報をくれたのですか』

『それ以外に何があるんだ! 子供じゃあるまいし、私の善意とでも思っていたのか……』

『やはりそうでしたか…… ついに本性を現しましたね』

『もういい、お前には頼まん! 後悔することになるぞっ、よく覚えておくんだな』


( 俺はまだまだ人を見る目がないな……)

 そう思った彼は、その後、海堂夫妻の死の真相を追ってみようと考えていた。


 しかし、その一週間後、教授室で滝宮と雑談をしていた高島教授が突然倒れて、亡くなってしまった。


 滝宮は懸命に蘇生を図ったが努力の甲斐もなく教授は息を引き取ってしまった。彼は人前で涙を流し、教授の死を悼み、よく衝突もしたが自らがいかに教授を尊敬していたかということを懸命にアピールした。

 滝宮が先頭に立った教授の死因調査は、淡々と実施され、長島と海堂は遺体に触れることさえできなかった。

 誰もが偉大な医学者の死を悼み、悲しみに暮れる中、星野ただ一人がこの死に疑問を持っていた。


 その一ヶ月後、高島教授の後を受けて新教授に就任した滝宮は、直ちに長島医師と海堂医師を解雇し、既に決まっていた三つのオペを中止してしまった。

 その解雇が言い渡された日、星野は長島を訪ねた。


「先生、高島さんの死に疑問をもってはいないんですか?」

「疑問? どういうことだ……」

「おかしいでしょ、殺されたのではないですか?」

「殺された! 馬鹿なことを言うなよ、誰があの人を殺すんだよ」

「滝宮ですよ」

「おい、かりにも医師だよ、まさかそんなことをするはずがない」

「でも、私が長島さんの記事を書いていた時、彼が必要以上にせかしてきたんですよ。何か、焦っているような感じがあったんです」

「まさか……」

「何か、彼が焦らなければならないようなことに心当たりがないですか?」

「うーん、わからないなー……」

「そうですか、何か思いだしたら連絡下さい、調べてみますから…… これからどうされるんですか?」

「うーん、おそらくアメリカかな、以前から教授にも言われていたし…… ただ……」

「どうしたんですか?」

「うーん、ただ、海堂のことがあるから、これまでも先延ばしにしてきたんだけど、やはり彼女のことが心配でね……」

「まだ若いですもんね……」

「お前さー、この前の記事のことで貸しがあるよなー」

「えっ、ご迷惑をおかけしたことは反省しています」

「うるさいよっ、俺に借りを返せ」

「えっ、何をすればいいんですか?」

「どこかの病院で経験積ませるからさ、時々、彼女の近況を知らせてくれよ」

「それぐらいのことでしたら、喜んでさせていただきます。」

「でも、彼女の前には顔出すなよっ」

「はいっ」


 その後、長島の紹介で、彩は西塔会病院に勤めることになり、長島はアメリカへと渡った。


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