所長とコーヒー7
「…………」
どうする、逃げるべきか?
料理をして暗黒物質を作り出すような人が淹れるコーヒーだ。
確実に命に関わる。
しかしお世話になっている身で、そんな無礼なことをしていいものか?
そうやって悩んでいるうちに、時間切れとなってしまった。
秋穂さんがコーヒーカップを二つ持って、戻ってくる。
「はい、ど~ぞ」
カップのうち一つが、僕の前に置かれる。
「――っ」
ごくり、と息を飲む。
カップの中身は……普通だ。
しかし、味がどうなっていることか……?
「ほら、飲んで飲んで~。今日頑張ってくれたヤツカちゃんへのご褒美よ」
追撃となる秋穂さんの言葉。
僕のために淹れてくれたというなら、飲まないわけにはいかない。
「よ、よしっ」
覚悟を決め、カップを手に取る。
そして、勢いに任せて一口だけ流し込む。
「…………あ、美味しい」
「でしょ~」
予想外なことに、普通に美味しかった。
いや、普通どころではない。かなり美味しい。
ほどよい苦みと酸味が、疲れ切った体を癒してくれる。
「うふふ、コーヒーだけは上手に淹れられるのよ~」
得意げに胸を張った秋穂さんが、ふと遠くへ視線を投げた。
「私を助けてくれた悪霊さんに、美味しい淹れ方を教えてもらったの」
その悪霊はコーヒーがとても好きだったと、懐かしそうに語る。
「だからなのかしら……藤堂の家を出た時にね、真っ先に喫茶店をやりたいって、そう思ったのよ」
「それが、このお店ってことですか」
「そうなるわね。だから、このお店も私の自己満足なのよ」
秋穂さんが困ったように笑う。
「私は自己満足で家を出て、それに夏希ちゃんまで巻き込んじゃって……自己満足のお店でも小鈴ちゃんやヤツカちゃんに頼りっきりで……」
よくよく思い返してみると、彼女はいつも笑顔だけれど、困ったように笑っているが多い気がする。
「……よくないわね」
それはとても、笑顔とは呼べない笑顔だった。
「――」
僕に言わせると、秋穂さんはかなりの実力者で、とにかくすごい人だ。
でも、そんな人でも何か悩んでいることがあるのかもしれない。
だとしても、僕に言えることはない。
彼女ほどの人にかけてあげるアドバイスなんて浮かぶはずもない。
だから僕は、ただ自分が思ったことは口にした。
「そんなことはないと思いますよ」
「……ヤツカちゃん?」
戸惑う秋穂さんに、僕は続けて言葉を投げる。
「夏希は嫌なことは嫌だとはっきり言うヤツだから、好きで秋穂さんに付き合ってるんだと思います」
だから、家を出たことに負い目を抱く必要はない。
そして、お店のことも。
「お客さんたちの顔、見てなかったんですか?」
みんな、笑顔だった。
秋穂さんに会えたから、という理由もありそうだが、普通に喫茶店のメニューも楽しんでいた。
誰かを幸せにできたなら、それはもう自己満足ではない。
他人を満足させているのだから。
「だから、それでいいんじゃないですか?」
僕の言葉に、彼女はすこしだけ驚いて。それから――
「ふふ、ありがとう」
満面の笑みを返してくれた。




