腹ペコの貧乏神4
夏希の注意を受けた直後だ。
「――ッ?」
全身から、何かが抜け落ちる感覚がした。
それが何であるか、はっきりと言葉にはできないが、妙な喪失感を抱く。
倦怠感にも似たそれは、体の端から徐々に広がって、右腕に向かっていく。
右腕のミヤビに噛まれている部分に。
「……あむ……んっ」
彼女の小さな口は、甘い蜜を求めるように吸いついてくる。
甘噛みしてくる歯は、痛いというよりどこかくすぐったい感じで、柔らかな舌が僕の肌を這う。
そうして味わうように動いていた口が、ふと離れた。
ミヤビは目を閉じたまま、熱っぽい息を吐く。満足したように。
その様子をどこか色っぽく感じていると……
「――ッ!」
頭を衝撃が襲った。
何が起きたのか、とっさに理解できなかったが、足元に落ちてきたものを見て納得した。
天井パネルだ。
偶然剥がれて落ちてきたものが、たまたま僕の頭にぶつかったのだろう。
そんな偶然が、たまたま起きるとも思えないけれど……。
「これって――」
もしかして、と思った時には次が襲ってきた。
そばにあった棚が、僕に向かって倒れてくる。大きな揺れがあったわけでもないのに。
「うおっ!?」
とっさに棚を受け止める。
少しでも反応が遅れていたら、下敷きになっていただろう。
けれども、これで終わりではなかった。
――ガシャーン
と、大きな音を立てて、窓ガラスが割れた。
ガラスの破片と一緒に野球ボールが僕に襲いかかる。
「痛っ……いたたッ!」
倒れてきた棚を受け止めている僕に、ガラス片とボールを避ける余裕などなく、全身を襲う小さな痛みに耐えるしかない。
こんなことになっている原因は、ひとつしか思い浮かばない。
ミヤビに幸運をあげたから。
つまり、今の僕は不幸に遭遇しやすい状態になっている。
「え、えっと……さっそく大変ですね」
「……とりあえず、事務所がボロボロになるから夜まで帰ってこないで」
心配そうなかえでと、冷たく言い放つ夏希。
反応の差に泣きそうになった。
「――」
そんなこんなで結局、外に追い出された僕である。
特に行く場所もないので、適当に時間をつぶすしかない。
そうしてやってきたのは、事務所のすぐ近くにある商店街、アメ横だった。
上野駅から、隣の御徒町駅までずらーっと商店が並んでいる。その数は百や二百どころではない。
これだけの店舗があるのだから、時間つぶしにはぴったりだ。
とはいえ、さっきからいろんな人にぶつかられたり、足を踏まれたり、不良にからまれたり……不運の連続だった。
これがミヤビに幸運を食べられた、ということか。
せっかくアメ横に来たものの、楽しく遊ぶという感じでもなさそうだ。
まぁ夏希の話では、数時間もすれば元に戻るらしいので、それまでの辛抱だろう。
「とりあえず、どこ行こうかなぁ……?」
時間をつぶすお店を吟味していると、ふと視界の中に黒いものが入った。
「あの、えっと……と、通して……ください」
それは、か細い声をもらしながら人込みに揉まれている。
「あれって、もしかして……?」
僕の位置からは姿がはっきり見えなかったが、わずかに覗く長い黒髪と、黒い着物には見覚えがあった。
ついさきほど僕が幸運を食べさせた女の子に違いない。
「……うぅ、通れない……」
彼女はまっすぐ進もうとしているようだが、人に邪魔されて右往左往していた。
「えっと……」
とりあえず助けに行くか。
人をかき分けて進み、ミヤビの手を取る。
「ほら、こっち」
「わっ……え、え……?」
困惑した様子の女の子を引き連れて、人込みから抜け出す。
人通りが少ないところまで来ると、ミヤビはやっと手を引いていたのが僕だと気づいたようだ。
「あ……やっと追いついた……」




