神様雇います3
「うおっ!」
一瞬の出来事で、まったく理解できなかった。
とりあえずわかったのは、彼女が恐怖のせいで足腰の力が抜けてしまっていること。
そして、そのことに気づかず無理に立たせようとした僕のほうが、踏ん張りきれず倒れてしまったこと。
それから……倒れた先が、やけに柔らかかったこと。
「えっと……」
うん、意外といろいろなことを理解できてた。
自分がやばいことをしてしまった……ということも理解できた。
しかし待ってほしい。この柔らかさがなんであるかは、確認するまでわからない。もしかしたら、僕の想像とはまったく違う何かかもしれないじゃないか。
「あ、あの……いきなりこういうのは……よ、よくないと思います」
弱々しく消え入りそうな彼女の声。
「……」
うん、これはやっぱり確定だろう。
どうやら僕は、彼女に覆いかぶさるように倒れてしまったらしい。
つまりこの柔らかな感触は彼女の……。
「ご、ごめんっ!」
納得してからは早かった。
反射的に謝って、上体を起こそうと手を付く。
だが――
「ひゃんっ!」
手のひらにさらなる柔らかい感覚と、彼女の短い悲鳴が聞こえた。
「…………」
体を起こすことはできた僕だが……開けた視界に飛び込んできたのは、彼女の胸をがっしり鷲掴みにしている僕の手だった。
「うおぉ!? ごめん! わざとじゃないんだ!」
慌てて手を離すが、すでに手遅れだろう。どんなに言い訳をしても、やってしまったことに代わりはない。
ここで彼女にぶん殴られても、文句は言えない。
それだけのことをしたし、そうなったら甘んじて受け入れよう。
そう覚悟を決める僕に、彼女は頬を染めて困ったようにほほ笑む。
「いえ……私のほうこそごめんなさい。腰が抜けちゃって、うまく立てなくて……ケガとかしてませんか?」
天使かと思った。
「僕が言うのもおかしいけど、そこは怒っていいと思うよ?」
「えぇ! そ、そんな……命の恩人に怒るなんてできません!」
焦った様子で答えた彼女は、それに、と付け足した。
「わざとじゃないってこともわかってます。私のことを助けてくれたいい人なんですから、そんなことしませんよね」
一度助けただけなのに、彼女から信頼が厚すぎる……!
まぁ、無罪で済んだからよかったけど。
ほっと安堵していると、ふとこちらに駆け寄ってくる人の気配を感じた。
「かえで、大丈夫!?」
女の子の声に振り返る。どうやら近づいてきた気配は彼女のものらしい。
その子は僕の正面にいる少女と同じブレザーを着ていた。
肩まである髪を右サイドでまとめ、ぱっちりとした瞳に、引き締まった四肢。そして、何よりもスカートの下から覗くスパッツがスポーティな印象を与えてくる。
慌てて駆けつけた彼女は、驚いた様子で固まってしまった。
かえでと呼ばれた少女が首をかしげる。
「夏希さん……?」
それが彼女の名前らしい。
しかし呼びかけても夏希は固まったままだ。
いや、完全に固まっているわけではなく、わなわなと震えている。まるで怒りが込み上げているように。
その理由を、僕はなんとなく理解できる気がした。
駆けつけた彼女が目撃したのは、地面に倒れるかえでと、それを押し倒すように馬乗りになっている僕……。
これは言い逃れできない!
固まっていた夏希がようやく動き出し、こぶしを握った。
「あ、死んだな……」
そう思うくらい、彼女のこぶしから強力なオーラのようなものが感じられた。
「よくもかえでに……っ!」
「ま、待て! 話せばわかる!」
「問答無用ッ!」
一瞬だった。
数メートルの距離を一歩で縮めた夏希のこぶしが、眼前に迫る。
その動きは、明らかに鍛え抜かれたそれだった。
人間の女の子らしからぬ動きに驚かされたのと、あらぬ誤解に戸惑っていた僕に、それを避ける余裕などなかった。
直後、頬に強烈な衝撃が襲いかかる。
まるでトラックに衝突されたような感覚だった。
殴られた勢いのまま体が宙を舞う。
空飛ぶ感覚を最後に、僕の意識は闇に沈んだ。