姫生活、スタートでございますわ♡
「うっはー、極楽やーん!」
広い湯船で手足を伸ばし、わたしは満足のため息をついた。
え、『アナベル姫』さまったらお口が悪い?
大丈夫、ひとりで入れるからって言って、侍女さんたちには浴室から出て行ってもらったからね、誰にも聞かれてないよ。だいたいね、お年頃の乙女でも、久しぶりにたーっぷりのお湯に浸かったら、多少のおっさん化をしてもおかしくないと思うの。「炭酸飲料持ってこーい」なんて言わないだけ、自重してると思うの。
……しゅわしゅわ、飲みたいな。
魔法を応用したら、できないかな?
カティ&メイドさんズに拉致られて、わたしがあわあわしながら連れてこられたのは、なんともゴージャスでロマンチックな部屋だった。
どうやらリシュレー伯爵が『王家の至宝』のイメージでわたしのために用意してくれたらしいんだけど、彼の脳内では『金、青、キラキラ、ふりふり、ピカピカ、舞い散る薔薇』がテーマになっているらしくてね。
カーテンやベッドカバーなどには淡いピンクを基調にしてふんだんにフリルをあしらった、おそらくシルク製のファブリックが使われている。家具は焦げ茶色をした重厚でルネッサーンス!な感じの、モチーフが薔薇模様のおそらくは一点物であり、部屋に使われている金具は基本的に金で差し色としてブルーの小物も置かれている。
ベットには天蓋が付いているし、美しい彩色が施された花瓶には薔薇とかすみ草と淡いブルーの小花がいけられているし、うん、とっても素敵。
素敵すぎる。
伯爵家の財力が怖い。
(宮殿かよ! これからここで舞踏会かよ!)と突っ込みたくなるほど素晴らしく芸術的な部屋に通されて、すとんとかぶるだけの質素なワンピース姿のわたしはどうしようかと思って立ちすくんだ。
日本でも庶民、エルスタンでも庶民。
ふたつの人生でバリバリの庶民のわたしには、こんなにもきらびやかな部屋は、テーマパークと同じように非現実的なものなのだ!
そして、呆然としていたわたしは侍女さんたちの手で質素なワンピースを脱がされ、そのままぞろぞろと団体さんでお風呂に向かわされそうになったところで、ちょっと遠くなった意識をたぐりよせて、あわてて言った。
「ひとりで入れます!」
この世界は日本とは違って動力に魔石を使っていたが、お風呂の使い方はだいたい一緒なのだ。だから、ひとりで入っても困ることはない。
今までは、お風呂がない家に住んでいたので、数日に一度公衆の身体洗い場に通って清潔を保っていた。しかし、お風呂好きな日本から転生した身には、湯船に浸かれないというのは物足りなかった。
それなのに、ここに来たら!
身体を伸ばして浸かれるほどの浴槽が置かれたお風呂が自分の部屋についていた!
壁のスイッチを押すと、シャワーが降り注ぐ!
……イリアスおじさまが、ちょっとアイドルオタクっぽいというか、変態っぽいのが気になるけど、リシュレー伯爵家にやって来て本当によかったと思ったわ。
さて、高級そうな香りの良い石鹸で身体と頭を洗い、満足するまで温まったわたしがお風呂から出ると、そこには精鋭部隊が待ち構えていた。
「それではアナベル姫、お覚悟を!」
「わーっ」
ちょっと待とうかカティさん!
両手をわきわきさせながら集団で襲いかかるのはやめて!
そしてわたしは、タオルの敷かれたベッドに倒され、フローラルな香りの香油を使って全身を揉み倒され、スベスベお肌になったところで同じく香油で髪を梳られ、ふわふわのサラサラのぴちぴちの乙女になった。
肌触りのいい下着と水色のワンピースを着せられたわたしは、「なんて素晴らしい輝きの髪でしょう。これは、結い上げてしまうのは惜しいですわね」というカティさんに、サイドを編み込まれて後ろでまとめてリボンを結び、腰まであるストレートの金髪がさらりと揺らめくヘアスタイルにされた。
さすがは伯爵家の石鹸である。洗い上がりに香油を馴染ませたら、自分でも驚く程に柔らかく美しい髪になった。いつもは安い石鹸で洗ってお団子にひっつめているからここまでとは気がつかなかった。
鏡に映った自分の姿を見て、『王家の至宝』のルックスはヤバいと改めて思ったわ。
さて、馬車の中で得た伯爵家の事情だが。
この屋敷は王宮に近いため、現在住んでいるのは宰相のイリアスおじさまと、エルスタン国王子の補佐を行なったり、宰相の仕事を手伝ったりしている(王子は今はゼールデン国の王立学園に留学中らしい)セディールさまのふたりだということだ。
で、イリアスおじさまの奥さまのフェイさまだが、なんとエルスタン国の女騎士で、高い地位についているらしい。騎士団の宿舎に部屋を持っていて、10日に一度くらいこの家にくるとのことだ。
そして、リシュレー伯爵にはふたりの息子がいるのだが、後継ぎである兄のニコラスさんは伯爵家の領地にある本宅に住んで統治を行っている。
奥さまの話をするイリアスおじさまの様子からして、どうやらベタ惚れらしい。おじさまのロリ◯ン疑惑が消えて安心したことは内緒である。
そのおじさまは、残った仕事が片付くまでは王宮に泊まるとのことで、夕食はセディールさまとふたりでとることになった。柔らかな革の靴を履かせてもらったわたしは、仕上がりに満足そうな表情をしているカティさんに連れられて、屋敷のダイニングルームへ向かった。
「あ、セディールさま」
彼もちょうどやって来たところらしく、廊下で会ったので声をかけたら、セディールさまはその場で足を止めた。
「ゆっくりお風呂を使わせていただきました。ありがとうございます」
「……あ、ああ」
「それから、服などの身の回りのものを用意してくださって、ありがとうございます。遠慮なく使わせていただきますね。これ、素敵ですね」
わたしは、いつもの調子で、その場でくるっと回ってワンピースを見せた。裾がひるがえったが、膝下たけだから大丈夫なのだ。
「こんな綺麗なワンピースを着るのは初めてです」
「……そ、か」
無表情のまま、固まっている。セディールさまったら、どうしたんだろう?
「ありがとうございます。お腹が空きましたね。夕飯が楽しみです」
「……うちの……料理人は……いい脚……ではなく、いい腕をしているから」
「わあ、楽しみ!」
美味しい料理に出会えそうで、これは料理人の血が騒ぐね!
わたしが両手の指を組み合わせて笑顔でセディールさまの顔を見ると、セディールさまはふらりと身体を揺らめかせ、壁に手をついた。
「どうなさったの? セディールさま、大丈夫ですか」
わたしが一歩近づくと、セディールさまは五歩、ものすごい勢いで後ろに下がると「ああっ、部屋に忘れ物をしてしまった!」と叫んだ。
「あら、お忘れ物ですか」
「申し訳ないが、失礼する!」
頬の辺りをヒクヒクさせながら、セディールさまは身を翻すと姿を消してしまった。
「……夕食に、何を持ってくるつもりなのかな」
わたしは首を傾げた。すると、側にいたカティさんもセディールさまのように頬をヒクヒクさせたかと思うと、ぷっと噴き出して手で口元を押さえた。
「申し訳ございません」
「どうしたの?」
わたしが尋ねると、カティさんは笑いをこらえながら「失礼いたしました。面白いものを見てしまいましたもので」と言った。
「アナベル姫、その装いはとてもお似合いですわ」
「ありがとう」
「お似合いすぎて、殿方への破壊力が強すぎるようですが、お気になさらなくてよろしいと思います」
「破壊力?」
うーん、包丁を持ってないと、ただの非力な女の子だよ?
「お気になさらずに、ささ、テーブルへおつきくださいませ。セディールさまは『忘れ物』がみつかったらいらっしゃいますので、椅子にかけてお待ち申し上げましょう」
「ん、ありがとう」
わたしはカティさんの言う通りに椅子に座り、どんなご馳走が出てくるのがわくわくしながらセディールさまを待った。