肉乙女、姫になる⁉︎
宰相の話が終わると、わたしはため息をついた。
「すると、わたしがリシュレー伯爵家に引き取られるということは、決定なんですか?」
わたしの言葉に、リシュレー伯爵はにこやかに答えた。
「あなたのためにも、ぜひともそうしていただきたいのです。もちろん、無理強いはしませんが……」
「無理強いはしないったって、こんな昼日中に店に貴族の紋章入りの馬車で乗りつけてくれちゃって、わたしのことはもう町の噂になっていますよね。このお話をお断りしても、わたしが王家の血を引くことが知れ渡り、これを利用しようと企む者が現れてもおかしくありませんね」
わたしは、ポーカーフェイスを保つ銀だぬき……リシュレー伯爵に言った。そう、わたしに断る権利を与えてくれるのなら、この話はこっそりと進めていたはずだ。つまり、リシュレー伯爵はわたしの選択の余地を封じてしまったのだ。
「わたしが、元通りの『緑の風亭の料理人アナベル』として生活できるとは思えないんですけれど?」
「そうしたければ、姫のために護衛の者をつけますよ。24時間体制で、姫の安全を守りましょう」
「そんな、非現実的な……人手もお金もかかりますよ。費用がうちの店の売り上げよりも高くなってしまうでしょう!」
「でも、姫の安全を守るためなら、仕方がありませんから。あなたはそれだけの価値がある姫なのですよ」
「……」
そして、一生護衛と監視がつく中で、庶民として暮らせというわけ?
この銀だぬきめ。
わたしが睨むと、リシュレー伯爵はようやく真顔になった。
「アナベル姫、どちらにしても、あなたには内密に監視と護衛がつくことになっていました。あなたの容姿は、目立ちすぎます。『王家の至宝』の容貌を知っているのはわたしだけではないし、この地で生活していたら、遅かれ早かれあなたが王家の血を引くことが明らかにされていたでしょう」
「……それは、否定できないわ」
そうだ、いくら粗末なシャツとズボンを身につけて、愛用の肉切り包丁を振るっていても、わたしの顔はゲームキャラ並みの美貌だし、瞳は誰も持たない青と金のゴージャスな輝きを発している。これではただの『肉乙女』を貫き通すのは難しいだろう。
「姫が聡明な女性で助かりました。それに、これは悪い話ではありませんよ。アナベル姫には、これから貴族の姫としての教育を受けていただきます。そして、アナベル姫を育てた功績をたたえて、ご両親には報奨金が与えられますし、妹のメリー嬢が望むならば、勉学を学べる環境を整えることもできます。メリー嬢さえ良ければ経営などの専門的な勉強を受けられるようにいたしましょう。『緑の風亭』 はますます発展しますよ」
「肉料理の腕利き料理人のいない、『緑の風亭』か?」
レオン父さんがぼそりと言った。
「アナベルは、小さな時から厨房に入り、熱心に料理の修業をしてきた。そして今、アナベルの肉料理の腕はこの世界でも認められ始めている。それを無にしろというのか?」
「素晴らしい才能と努力の結果ですね。しかし、アナベル姫の才能は、これだけではないかもしれません。我が家に引き取られて新たに学び、知識を蓄えることは、アナベル姫にとってよいことだと、育ての父親として考えませんか?」
「それは……」
レオン父さんが、顔を歪めた。わたしは言った。
「ありがとう、父さん。父さんにそう言ってもらえて、わたしは嬉しいわ。今までがんばって料理を続けてきた甲斐があった。でも、わたしが王家の血を引くことがわかった以上、今までの暮らしを続けることは難しいと思うの。だから、わたしは宰相閣下のところに行くわ。そして、約束通りにメリーに勉強をさせてもらう。この子は賢いから、きっといろんなことを学んで、このお店を大きくしていけると思うよ。わたしは……わたしには、違う道が見えてきたから、今度はそっちに進んでみるね。……違う道を進んでも、わたしは『緑の風亭』のアナベルだよね?」
「勿論だ! お前は『緑の風亭』の料理人だ、肉料理のアナベルだ!」
「そうよ。アナベルはうちの子なの。どこに行ってもうちの子よ、だから、いつでもここに帰ってきていいの。王家の事情がどうであろうと、父さんと母さんはあなたを守るからね」
レオン父さんとエマ母さんが、わたしをぎゅっと抱きしめた。
「お姉ちゃん……行っちゃうの?」
「メリー……」
「ごめんなさい。メリーはお勉強できなくても、お金がいっぱいもらえなくても、お姉ちゃんがいた方がいいの。だから、行かないで。お姉ちゃん、メリーとここで一緒に暮らして、毎日お料理して、家族でお店を続けよう? ね? お姉ちゃん、お願い、メリーはずっとお誕生日のお祝いをなしにしてもいいから、ね、お願い」
最後は、目に溜まった涙をぽろんぽろんと零しながら、メリーはわたしの手を握って訴えた。
「お姉ちゃん、行かないで」
「メリー……ありがとう」
わたしも、胸が苦しくなった。メリーは、母さんがお店で忙しかったから、わたしがオムツを替えて、おんぶして、寝かしつけて、育てた妹なのだ。
「離れて暮らしても、お姉ちゃんはメリーのお姉ちゃんだよ。困った時にはいつでも帰ってくるからね。大丈夫、お姉ちゃんは強いからね、誰もお姉ちゃんを止められないんだよ。絶対に戻ってくるから。だから、メリーは、『緑の風亭』を守っていてね。お姉ちゃんの妹でしょ?」
「お姉ちゃん……」
「メリーならできるね」
「……ん」
お目目をうるうるさせながら、口をへの字にして頷くメリー、かわゆす!
伯爵邸に連れて行っちゃいたいくらいだけど、さすがに父さんと母さんがかわいそうすぎるから、それはやめておくわ。
さて、会話にはまったく参加していないけれど、この場にはもうひとりの人物がいた。リシュレー伯爵の息子、セディール・リシュレーだ。
父親譲りのサラサラの銀髪に、アイスブルーの瞳をした、笑顔を見せない貴公子だ。一言で言えば、得体の知れないイケメン、かな?
「それでは、改めて息子を紹介します。姫、これはセディール・リシュレー、我が家の次男で王宮に勤めています。姫の後見はわたしが行いますが、実際の世話役はこのセディールが行いますので、ご了解ください」
「セディール・リシュレーだ」
「よろしくお願いします」
わたしは、アイスブルーの瞳を見返した。
「あの、リシュレー伯爵、わたしには敬語を使う必要はありません。祖母が王家の出身でも、庶民に嫁いだのですから、身分的にはわたしはリシュレー伯爵よりもずっと低いのではありませんか?」
貴族の事情はよくわからないけれど、フィー母さんもわたしも厳密にはお姫様じゃないと思うんだよね。
「なので、どうぞ言葉をお崩しになってください」
セディールさんの方は、普通に喋ってるからいいよね。
と、リシュレー伯爵は、なぜか眉をへの字にして、残念そうに言った。
「わたしにとっては、やんごとなき姫君なのですが……ダメですか?」
「ダメですね。宰相閣下のお立場上、おかしなことをしない方がいいですね」
わたしが言うと、セディールさんも頷いた。
「父上、アナベルに会えて舞い上がっているのはわかりますが、分別ある対応をしないと、かえってアナベルに迷惑がかかりますよ」
わたしの世話役さんは、まともそうで良かったよ。
「そうか、それならばせめて……イリアスおじさま、と呼んでもらえないかなー、と……」
「父上……」
「宰相閣下……」
「宰相閣下……」
「宰相閣下……」
セディールさんも父さんも母さんも騎士のフレデリックさんも、残念な子を見る目でリシュレー伯爵を見た。
しかし、わたしは動じなかった。
「あら、それくらい構いませんわよ。『緑の風亭』ともども、これからどうぞよろしくお願いしますね、イリアスおじさま♡」
わたしは、とびきりの笑顔で首を傾げて、ついでに♡もつけて、リシュレー伯爵に言った。
すみません、利用できるものはすべて利用する『緑の風亭』のアナベルです。
「はうっ! わたしの『王家の至宝』が、お、おじさま呼びを……」
リシュレー伯爵は、胸を押さえてよろめいた。
「父上! しっかりしてください、お気を確かに! 父上! ……アナベル、悪いがそれは今後禁止で頼む!」
「はーい」
だらしない笑顔になったリシュレー伯爵を揺さぶるセディールさんに、わたしは良いお返事をした。
ねえ、本当に、こんな宰相閣下で大丈夫なの?




