兄さまは薔薇を背負う
カティが部屋を出ていったので、わたしは淹れてもらった香り高いお茶を一杯飲んでからソファーにぐでっと沈み込み、精神的なダメージを癒そうとしていた。
誰かここに、妹のメリーを連れてきて。
あの子は究極の癒しなの。
メリーは、お勉強をたくさんがんばってて偉いね。
お姉ちゃんもね、いろいろがんばってるんだけどね、イケメン王子さまにちゅーされちゃったもんだから、ちょっと精神的なダメージを受けちゃったんだよ。
お姉ちゃんは、肉料理は得意なんだけどね、殿方の料理は苦手なの、やったことないの。
ああ、メリーがちゅーしてくれたら、一発で復活できると思うんだけどな。
わたしが物語に出てくる『ちょっとか弱い乙女風』にソファーに横たわり、可愛いメリーのことを思いつつヒロイン的な雰囲気を味わっていたら、兄さまの部屋の方から物が落ちる音とか、なにかが割れるような音が聞こえてきた。
あれ? どうしたんだろう?
そして、しばらくしてからセディール兄さまがわたしの名を叫びながら部屋に飛び込んできた。
「アナベルーッ!」
「に、兄さま⁉︎ そのお姿は……」
「アナベル、なんということだ、アナベル! わたしのアナベル!」
兄さまの姿を見たわたしは、ソファーから飛び起きた。セディール兄さまは、頭から水をかぶってびしょ濡れになり、髪や肩や背中に花がたくさんくっついていたからだ。
こっちが『なんということだ』って聞きたいわ!
「はい、アナベルですわっ、大丈夫ですか、どうなさったの、兄さま⁉︎」
セディール兄さまがあまりにも必死の形相だったので、てっきりなにか非常事態が起きたのだと思い、わたしはすばやく兄さまに駆け寄った。
「兄さまったらこんな姿になって、いったいなにが……」
クールなイケメンな台無しだよ!
花を背負うのは、ゲームのエフェクトだけにしてよ!
「アナベル!」
「はい!」
兄さまがわたしの手を取ったので、わたしもぐっと握り返した。
「なんでしょうか⁉︎」
もしかして、森の中から魔物の群れが町に襲ってきたのかしら⁉︎
それならば大丈夫よ、この肉乙女戦士アナベルが『肉切り包丁・改』を手に見事戦って見せてよ!
だが、襲ってきたのは魔物ではなかった。
「学園でケイン第1王子殿下に襲われたというのは本当か⁉︎」
「へいっ⁉︎」
あらやだ、変な返事になっちゃったわ……じゃなくて、わたしがケイン王子に襲われたですって?
学園で王子に、襲われた⁉︎
そんな認識はないんだけど。
「兄さま、それはちょっと違うような……なにかの誤解を……っていうか、王子に対してそれを言っちゃうのは、兄さまの立場的にまずいかなー、なんて思うんだけど……」
しかし、セディール兄さまは頭に血が上っているらしく、顔面を蒼白にして言った。
「くうっ、わたしの純真無垢なアナベルに、なんてことを……握られたのはこの手か⁉︎ 許せない、いくら相手が王族でも許すことはできない! カティ、急いで濡れた布を持て!」
「承知いたしました。……ベルさま、申し訳ございません。興奮したセディールさまをなんとかお鎮めしようとしたのですが……」
兄さまは頭の花を飛ばしながら、カティの方を向いて叫んだ。
「カティ、急ぐんだ!」
「……はい」
え?
もしかすると、カティが止めようとして、あのどったんばったんした音と兄さまの花まみれ姿が起きたの?
兄さまの花は、もしかすると、カティが花瓶を……。
カ、カティ、恐ろしい子!
目を丸くしたわたしに肩をすくめてみせたカティが布を取りに行っている間、セディール兄さまが「アナベル、怖かったか? かわいそうに……」とわたしの顔を見つめながら手を撫でるので、わたしはいたたまれない気持ちになった。
あのね、襲われてないからね!
カティったら、兄さまにいったいどんな報告をしたの?
「カティから聞いた。アナベルは、その……男性との個人的な深い関わり方について、詳しくないのだと」
兄さまはわたしの手を濡れた布でせっせと拭きながら言った。
「ケインめ……アナベルが初心なのをいいことに、いきなり手を握って迫るなどと……」
「失礼ながら、殿下はアナベルさまの額に口づけもなさいました」
「……なんだと⁉︎」
カティの言葉に、セディール兄さまのアイスブルーの瞳が、ギラリと輝いた。
うわ、今、兄さまの目からアイスビームが出るかと思っちゃったわ!
ってゆーか、兄さまは、ケイン王子が手を握ったというカティの報告だけで、ここまで取り乱していたの? そして今、カティが兄さまの怒りの炎にさらに油を注いだように思えるんだけど?
「ちょっと、カティ!」
「一度に済ませてしまいましょう」
カティが目を細めて言った。
「ここは、ひと思いに」
いやいやいやいや、分割した方が良くない⁉︎
「兄さま、そんな恐ろしい顔をしないでくださ……いたいたいたいた」
濡れた布で額をごしごしと擦られて、わたしは悲鳴をあげた。
「やめて、痛い、兄さま、痛いわ」
「ここに、あの若造の口が触れたのか! よくも、アナベルを汚ような真似を……」
ケイン王子は汚物なの⁉︎
だが、兄さまに拭かれると、本気で痛い。
「兄さま、そんなに擦られると、額が禿げてしまいますわ!」
カティがぷっと噴き出したが、笑い事ではない! エルスタンのアイドル『王家の至宝』の額が禿げてしまっては大変なのだ!
笑いを噛み殺しながら、カティが言った。
「セディールさま、それくらい拭けば充分だと存じます」
「……いや、しかし……」
「アナベルさまの額が禿げてしまっては大変ですので……そうですわね、セディールさまが、同じ場所に口づけをなさればよろしいのでは? そうすれば、ケイン王子殿下のなさったことは取り消しになると存じます」
ええええええええええーっ⁉︎
「なるほど、それもそうだな」
ええええええええええーっ!!!!?
セディール兄さまは、わたしの顎に指をかけて、くいっと上向きにさせた。そして、兄さまの美しい顔が迫ってきて、わたしは耐えきれずに目をつぶってしまった。
額に、温かいものが触れて、ケイン王子の10倍くらい長く触れて、そして離れた。
「……よし」
わたしが目を開けると、兄さまのドアップがあった。そう、なにを血迷ったのか、セディール兄さまは、今度はおでことおでこをくっつけているのだ!
「これで、ケインのやつが触れたことは帳消しだ、わかったね?」
「……はい……」
「いい子だ」
頭に薔薇の蕾をつけた兄さまは、微笑んでわたしの頬を撫でた。
「王家には抗議を行い、二度とこのような事が起こらないようにしてもらうからね、安心しなさい」
「……はい、兄さま……」
「なんなら、わたしが直々にケインをシメてもいいし、もちろん父上や母上にもこのことは伝えておくから、そちらからも不届きな王子にお叱りが行くだろう」
「……はい……」
「では、夕食の席でまた」
セディール兄さまは、もう一度わたしの頬をひと撫ですると、部屋を出て行った。
「……は……い」
兄さまの背中を見送ると、わたしはへなへなと絨毯に座り込んでしまった。
「ベルさま?」
「腰……抜けた……」
わたしは、燃えるように熱い頬を、両手で押さえてカティに言った。
「どうして? どうして、兄さまの方が……」
兄さまに口づけされた方が、ケイン王子にされた時よりも……。
「兄さまの方が、10000倍くらい、恥ずかしくて……」
嬉しいの?




