どうして……?
日々は何事もなく過ぎていった。途中で編入したにもかかわらず、わたしは王立学園にもすっかり馴染み、多くの友人と一緒に日々勉強に励んでいる。
友人だからね?
取り巻きでも崇拝者でも、ましてや下僕でもないからね。
ないって言ってるでしょ、フレデリック・ユーゼリス!
「……秀吉って呼ぼうかしら」
げぼ……誓いの騎士とやらを自称し、常にわたしの側に控えているフレデリックを見て、ある日ついうっかりと言ってしまった。彼は聞き慣れぬ名前に眉をぴくりと動かした。
「アナベル姫、それは何者でございますか⁉︎ わたしには、男性の名前のように聞こえましたが……」
「フレデリック、わたくしたちはクラスメイトですわよね。その呼び方はなさらないお約束でしてよ」
「はい、申し訳ございません、アナベルひ……さま。不肖フレデリック・ユーゼリスを友人と認めてくださいますとは、この身に余る光栄でございます! このフレデリック・ユーゼリス、あなたさまの忠実な騎士としてより一層の献身をアナベルさまに捧げ……」
わたしは軽く手を振りながら言った。
「捧げなくてよろしくてよ。ねえ、もう少し、肩の力をお抜きになってくださらないこと? フレデリックさまの姿を見て、他のお友達が萎縮してしまいますもの」
こってこてにわたしを崇め、忠誠を誓われるとね、教室の雰囲気にも影響が出てくるのよ。
わたしに注意されてたフレデリックは椅子から降りると、その場に跪いて頭を下げて言った。
「姫、申し訳ございません! どうかこの未熟なフレデリックをお許しください!」
だーかーらー、あなたはいちいち固いのよ!
この肉乙女が、肉叩きで懇切丁寧に身体中を、ついでに頭の中も叩いてあげようかい、ええっ⁉︎
と言いたいところだけど、言えないので、わたしは口元を押さえて物憂げにため息をついてみせた。
「本当に困った方ね……」
あたりから「憂いを帯びたアナベルさま……一段と美しいな」「まさに一枚の絵のようだ……」とため息交じりの声がした。別に一緒にため息をつかなくていいのよ。
「わたくし、秀吉はあまり好みではないのよ」
「ですから、そっ、その秀吉とは、いったい誰ですか⁉︎ もしや、姫のお心を煩わせる男……でしたら、このフレデリックが斬り捨て、剣の露にいたしますが」
懐いたわんこが牙をむいた。よその犬にやきもちをやいても仕方がないのにね。
「いいえ、秀吉というのは他国のお話に出てくる、忠義が過ぎた従者ですのよ。主人の履き物を懐にしまって温めるという少々気味が悪い忠誠の表し方を……ちょ、ちょっと、フレデリックさま、なにをご覧になってらっしゃるの⁉︎ 淑女の足を見つめるなんて、はしたないことをなさらないでくださいませ」
わたしは、じっと足を見つめ始めたフレデリックから、足を隠そうとした。
「……このフレデリック・ユーゼリス、姫のためならいつでも履き物をこの胸で温める所存にございますので」
なにを勘違いしたのか、フレデリックは妙なことを言い出した。ひとの話をちゃんと聞かないのが、この騎士の特徴なのだ。無駄にイケメンの彼が、跪いたまま制服の胸のボタンを外し出したので、わたしは慌てて止めた。
「そのようなことを求めていませんって申し上げてますのよ! わたくしは、行きすぎた忠義心は好まないと……」
「フレデリックさま、お引きくださいませ。履き物を温めるとしたら、それは侍女のわたくしの役目にございますので」
わあ、カティがさらっと言っちゃったよ!
「……」
フレデリックが黙ってボタンをはめ直し始めた。
さすがだわ、カティ!
「アナベル、学園生活で困ったことはないかな?」
ディナーの後の和やかなお喋りの中で、セディール兄さまがわたしに言った。わたしは優雅にお茶をいただきながら、笑顔で答えた。
「はい。クラスの皆さまと、楽しくお勉強させていただいておりますわ」
今夜も宰相のイリアスおじさまは残業のようで、ディナーは兄さまとふたりきりだ。フェイお姉さまの不在はもう当たり前だ。
このところ、エルスタンの国では風邪が流行っているらしい。この世界にはインフルエンザもあるのだろうか? でも、魔物の肉を食べていれば、体力がアップするので大丈夫だろう。感染性の病気には、体力をつけて自己治癒力で治すしか手段がない。日本のように、抗生物質がないのだ。ちなみに、ケガには回復魔法がよく効く。
回復魔法も体力を底上げできるけど、やっぱり1番効果的なのは肉なのよね!
ドラゴンの肉があったら一発で治るわ。
ただし、狩ってくるのが大変だけどね。
そうそう、シェリーのお菓子にも治癒力があるけれど、あれは精神への癒しがメインなのよ。
イリアスおじさまは、風邪の感染の調査をしていて、いつもより仕事が多いらしい。被害が深刻だと、国が補助を行い市場に強い魔物の肉を流通させて、国民の体力アップを図るのだという。
「それは良かった。アナベルは熱心だから、あまりがんばり過ぎないように気をつけた方がいいよ」
兄さまが、美しい顔に笑みを浮かべて言った。
ケイン王子も、フレデリック・ユーゼリスも、魔法学のマレイド先生も、みんな本当に綺麗な顔をしているんだけど、身びいきというのか、懐いているからというか、わたしは兄さまの顔が1番好きなのだ。表情が柔らかくて、温かみがあると思う。
でも、カティの話によると、わたしがこの伯爵家に引き取られるまでは美貌だけど無表情で、クールな仕事の虫って感じだったんだって!
そういえば、わたしが来た時は、すぐに意識を仕事に飛ばしていたなあ。
今はそんなことも減ったけれどね。
「君の妹のメリーも、よく勉強に励んでいるようだ」
「まあ、メリーが! 良かったわ」
セディール兄さまは、わたしが抜けた穴を埋め、そしてメリーに勉強をさせる時間を与えるために、わざわざ『緑の風亭』で働く女性を雇ってくれているのだ。それで、メリーは週に3日、基本的な読み書きから勉強を習っている。将来的に『緑の風亭』を経営していくための知識を身につけられるまで、伯爵家の援助がある。
あとは、いいお婿さんをもらうだけだね!
メリーの夫候補は、お姉ちゃんがきびしーくチェックしてあげるから、大丈夫だよ!
『王家の至宝』フィリシア姫の血を引くというそれだけのために、こんなにも便宜を図ってもらっている。イリアスおじさまもフェイお姉さまも、そしてセディール兄さまもとても親切なので、「アナベルはなにも気にしないでいいんだよ』と優しくしてくれるけど、リシュレー伯爵家への恩はなんとか返したいと思っている。
そして、食後のお茶も飲み終わった頃に、イリアスおじさまが帰ってきた。
「おじさま、お帰りなさい。お疲れさまでした」
わたしが玄関ホールで出迎えると、おじさまが「ありがとう、アナベルちゃん、今夜も……」可愛いねー! と両手を広げてハグしようとするのだが。そこを兄さまが横から攫って「父上、外の埃がアナベルに着くといけないので、とっとと着替えてきてください」とわたしを隔離するのがいつものお約束である。
しかし、今夜はいつもと違って「アナベルちゃん、話があるから、居間で待ってて」という言葉がくっつき、わたしを抱える兄さまの手に少し力が入ったのを感じた。
「婚約……ですって⁉︎」
居間のソファに座ったわたしは、おじさまの言葉で立ち上がった。
「そうだよ。前々から話は出ていたんだけれど、今日、王家の会議があってね。近々正式に話を整えようということになったんだよ。アナベルちゃんと、ケイン王子の婚約を」
「ケインさまと、わたしが、婚約……」
そうか。
ここは『恋のスイートまじっく!』の世界だから、攻略対象者であるケイン王子との婚約話があってもおかしくないのだ。
でも……そうすると、ケイン王子とシェリーがカップルになるはずなんだけど、学園での様子を見る限りそんな兆候は見られない。
そう、ケイン王子はわたしにべったりで、おまけにシェリー・ラスタンまでわたしにべったりなのだ!
これって絶対、おかしいよね?
ゲームの通りに話が進むのなら、わたしはケイン王子に婚約を破棄されるはず。けれど、今のままだと、本当にケイン王子と結婚してしまいそうなのだ。
確かにケイン王子は見目麗しいし、優しいし、わたしのことを気に入ってくれているみたいだし、おまけにエルスタン国の次期国王だ。だから、これはわたしにとっても、リシュレー伯爵家にとっても、大変良い話だと言えるだろう。
でも……。
「セディール兄さま……このお話を、兄さまは……」
わたしは、兄さまの顔を見た。
「知ってらしたの?」
兄さまは、笑っていた。
いつものように優しく。
「ああ、聞いていたよ。正式に決まりそうのは知らなかったけれどね、ケイン王子が乗り気なのも知っているよ」
セディール兄さまは、穏やかに、笑っていた。
「良かったね、アナベル。君なら、きっと素晴らしい王妃になれるよ。わたしが保証する」
兄さまが、良かったねって、笑っている。
わたしが、ケイン王子と結婚することを、よかったねって、言ってる。
「兄さま……」
イリアスおじさまが言った。
「『王家の至宝』が王家に戻ることを、皆喜んでいるよ」
「それは…リシュレー伯爵家にも喜ばしいことなの?」
「もちろんだよ! みんなアナベルの幸せを願っているからね」
わたしの……幸せ?
ケイン王子と結婚して、王妃になるのが、わたしの幸せ……。
わたしは、もう一度、その表情の奥を探るように兄さまの顔を見た。
兄さまは……穏やかに……。
「……はい。おじさま、兄さま、ありがとうございます」
すごいや、肉乙女のアナベルが、王妃になっちゃうなんて!
最高にカッコいいケイン王子と結婚できるなんてね!
それなのに、わたしは、どうしてこんなにも胸が苦しいのだろう?
大好きな兄さまの笑顔を見ることが、どうしてこんなにも辛いのだろう?
『神さま、わたしね。
恋ってどんなものなのか、知りたいの』
昔々のわたしの願い事が、聞こえたような気がした。
わたしは、ケイン王子に恋をしているの?
「ありがとうございます」
もやもやが渦巻く胸の内を押し殺して、わたしは上品な笑みを浮かべて淑女の礼をしたのであった。




