安芸の空 ~安国寺恵瓊の策謀~
「よい空ではないな…安芸の空とは違う」
朝方までの雨が上がった空を見上げながら、儂はつぶやいた。視線を下げると、立ちこめていた霧はようやく晴れてきており、大軍勢が目に入る。
美濃国(岐阜県)、関ヶ原。西軍十万、東軍八万の軍勢を南宮山から見下しているのだ。我が軍の前面には、東軍の総大将、内大臣(内府)徳川家康公の本陣がある。我が毛利勢一万五千の軍勢、それに我が軍勢の背後に布陣する長宗我部勢六千六百が背後から強襲すれば、さしもの精強な三河武士団といえど大混乱は必至であろう。それと同時に松尾山に布陣する毛利一門…養子ではあるが…の左衛門督(金吾)中納言、小早川秀秋殿の率いる一万五千が側面へ攻め下れば、東軍は壊滅する。この戦の勝敗は、我が毛利家が握っているのだ。
その毛利家の舵取り、特に外交についての舵を握っているのが、この儂だ。この状況を作ったのは、ほかの誰でもない、この儂なのだ。
石田治部少輔三成殿や小西摂津守行長殿ら西軍首脳と共謀して、西軍の総大将、安芸中納言毛利輝元公を担ぎ出し、この戦を演出した張本人。そして、輝元公の代わりに毛利軍一万五千を率いる参議(宰相)毛利秀元殿を焚きつけ、内府殿の首を狙うに最適な場所に布陣させた男。
そう、それがこの儂、安芸国(広島県)の名刹安国寺の住持、瑶甫恵瓊なのだ。
ああ、ようやくここまで来たのだ。これで、すべてが終わる。幼き頃に誓った我が宿願が、ようやく果たされるのだ。
そう思い、ふと見上げた空は薄暗い雲に覆われて濁っていた。あの晴朗なる安芸の美しい空とは比ぶるべくもない。
まるで儂の心のようだ、と秘かに自嘲する。
もとより、僧の身でありながら兵を率い人を殺めるなど、罪深きことは承知の上。それでもなお我が所領六万石で常備できる千五百の兵に加え、さらに常日頃ため込んだ財にものを言わせて二千二百もの兵を臨時に雇い、合計三千七百、しかもうち七百が騎乗という精強な軍勢を引き連れて参陣したのだ。儂が本気で戦おうとしていると、誰もが見て取るだろう。
だから、儂は苛立って見せた。
「なぜ、吉川殿は攻めかからぬ!? 今こそ絶好の機会ではないか!」
石田治部殿、小西摂津殿のほか備前中納言宇喜多秀家公、大谷刑部少輔吉継殿ら西軍首脳陣が、東軍の先鋒福島正則殿、黒田甲斐守長政殿、細川越中守忠興殿らと激戦を繰り広げている最前線においては、戦況は拮抗しているという使番(伝令)の報告が入っている。
我が三千七百の軍勢の目の前に布陣している毛利家の重臣、吉川広家殿の軍勢が内府の軍勢に突撃すれば、それに続けて毛利軍一万五千が全力で内府の軍勢を攻撃できる。それなのに、肝腎の先鋒である広家殿が動こうとしないのだ。
だが、広家殿に送った使番の返答は、また人を食ったものだった。
「吉川様は『今、弁当を使わせているので動けぬ』と…」
「馬鹿な!」
使番の返答を聞いて、一瞬笑いそうになってしまったのを、怒鳴って誤魔化す。そう来たか、広家殿。上手い手だ。下手に誤魔化そうとするよりは、馬鹿馬鹿しいくらいの理由の方がよい。
これでいい。これで、我が毛利家は、この天下分け目の戦で何もせずに終わるだろう。広家殿は、儂との打ち合わせ通りに上手くやっている。
この戦だけなら、西軍の勝ち目はいくらでもある。だが、それで勝ってどうなるのか。西軍の首謀者、石田治部殿の計数と法理に長けた内政能力の高さは認める。だが、あの男には致命的に人情に対する理解が欠けている。
あの男は万人が「上からの命に従う」「法に従う」ことを疑っていない。自分自身がそういう人種であるから、他人もまたそうだと思い込んでいる。あるいは、そうすべきだと思い、命令や法に従わない人間を悪と見なしている。そういう単純さがある。
そして、他人の気持ちに致命的に無関心だ。自分が何と思われようとも気にせず、自身が正義と信じる法と、太閤殿下の命令を守ることにしか気が回らない。そして「正しい」ことなら何を言ってもよいと思っており、「正しくない」ことは痛烈に批判する。言葉を飾らず、和らげもしないので、横柄に聞こえる。
どうにも、心の一部が欠けているのではないかと思われるような男なのだ。あの男の逸話としてよく知られているのが、太閤殿下と初めて会ったときに温度を変えた三杯の茶を出したというのがあるのだが、そういう心遣いをしそうな人間に思えないのだ。あれは「もてなしとして正しい方法」を教えられた通りにやっただけではないのか。
また、大谷刑部殿との友情を示す逸話として、病を患っている刑部殿が茶会で茶に膿を落としてしまったのを飲み干したという話も伝え聞くが、あれも実は刑部殿のことを慮ったのではなく「茶会で出された茶は飲まねば失礼」という茶席の決まり事を忠実に守っただけではないのか。
この戦に勝ってしまえば、あの男が天下の権を握るだろう。それで天下が回るか。上手く回るはずがない。あの男は、所詮は太閤殿下の命令を忠実に実行するだけの才しか無いのだ。自分が頂点に立てる男ではない。周囲の敵意を買いまくったあげくに殺されるのが落ちだ。
では、代わりに我が主君、輝元公が天下人になるのはどうか?
断言できる。無理だ。
あのお方は、人品はこの上もなくよい。だが、それだけだ。
決断力も、判断力もない。毛利両川と謳われた二人の伯父、小早川隆景公と吉川元春公に全てを委ね切ってしまっていたため、自分自身の考えというものを持たない癖がついてしまったのだ。
なるほど、部下の能力を活用することには長けている。ほかならぬ、この儂自身からして、毛利家の外交を任されているのは、その能力を認められ、有効に使われているからだ。それは天下人に必要な資質ではあろう。
だが、天下人に必要なことは、部下の献策の良否を判断し、決断を下すことだ。輝元公には、そこが致命的に足りないのだ。
まあ、それだからこそ、この儂が毛利家の外交を握り、表向きは西軍に与することができたのだが。儂の押しに、結局のところ輝元公は「否」と言わなかった。言えなかったのだ。
それに危機感を持ったのが、内府殿に近かった広家殿だ。もともと、西の大国である我が毛利家と、東の大国である徳川家は、別に敵対する関係ではなかった。一度たりとも戦を交えたことは無い。領土を争ったことも無い。太閤殿下の寵を競い合ったということも無い。そんな必要も無いほど、豊臣政権では東西における重要な外様大名だったのだ。
だから、本来は争う必要など無いのだ。たとえ内府殿が豊臣家の天下を簒奪しようとも、毛利家中興の祖である元就様のご遺訓「天下を争うことなかれ」を守り、ただ本領安堵さえ認めさせれば、それでよかったのだ。
そのことに気付いていた広家殿は、独自に内府殿に接触して、内応を約した。決戦において、毛利家は不戦を貫く代わりに、本領安堵を認めさせたのだ。
これには前例がある。前田利家公だ。太閤殿下と柴田勝家殿との天下分け目の決戦、賤ヶ岳の戦いにおいて、利家公は柴田勢を攻撃はしなかったが、最後まで戦うことをせず、退却してしまった。それが原因で柴田勢は大敗し、太閤殿下は天下を取ったのだ。
東軍と西軍の決戦において同じことをすれば、その勲功は大であろう。そう広家殿は考えたのだろう。内府殿もそれを認め、本領安堵を約束したのだ。
そのことを、儂は把握していた。
そして、その策を認めたのだ。あのときの広家殿の呆然とした顔は、今思い出しても笑い出しそうになる。
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「なぜだ、恵瓊殿!? そなたは西軍に与することを主張していたではないか!」
まるで怒鳴るように尋ねる広家殿に対して、儂はいなすように答えた。
「そうせねば、まず我が毛利家が周囲から袋だたきにされますでな。考えてもみなされ、周囲はみな治部殿に同心しておりますぞ。九州の黒田、四国の蜂須賀あたりはともかく、備前の宇喜多中納言殿など、喜んで攻め込んで来ましょうな。ほかにも治部殿や小西摂津殿はもとより島津義弘殿、立花宗茂殿、鍋島勝茂殿、長宗我部盛親殿…」
儂が並べ立てた諸将の名は、広家殿を冷静に戻す効果があった。
「確かに。だが、それだけの将と軍勢が揃っても内府殿の方が勝つと思われるのか?」
「広家殿と同様に。『船頭多くして船山に登る』とは、よく言ったものでしてな。拙僧は治部殿とは親しいのでござるが、だからこそよくわかり申す。治部殿では、まとめ切れませぬよ。だからこそ、形の上では我が殿を総大将に担ぐことにしたのでござるが」
それを聞いて沈黙した広家殿は、少しためらってから尋ねてきた。
「…そなたは、それでよいのか?」
それに対して、儂は笑って答えた。
「まあ、大恩ある毛利家のためには、この皺首のひとつくらい惜しむものでもございませぬよ。拙僧も禅坊主のはしくれなれば、物だの領地だの、老い先短い命だのに執着するような不覚悟は晒せませんでな」
仮にこの策が成功して、内府が天下を取り、毛利家の本領安堵が許されるにせよ、一度は敵対したことに責任を取る者が必要である。その責任者として、この儂以上にふさわしい者がいるはずもない。
その覚悟を見た広家殿は感動して儂の手を取って言った。
「恵瓊殿、拙者は今までそなたのことを誤解していた。そこまで我が毛利家のことを大切に思っていたとは…」
そこで絶句した広家殿に、儂は答えた。
「まだ若輩の頃に亡き大殿、元就様に見いだされて以来、四十年以上お仕えしてきたのでございます。物事に執着せぬのが御仏の教え、禅の道ではござれども、自然の人情として大切に思う心は捨てられませぬでなあ」
嘘ではない。これもまた、儂の心情として確かに存在することは事実だ。だからこそ、広家殿は我が言葉を一片も疑いはしなかった。
甘いのう。
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タターン!
遠くから鉄砲の一斉射撃の音が聞こえてきたので、儂は我に返った。あれは松尾山の方角だが?
いよいよ、小早川勢が動き出したのかもしれぬ。
広家殿の内応が不戦止まりであるのに対して、小早川秀秋殿の方はより積極的に寝返りを約している。西軍の方に攻撃を加えることになっているのだ。
儂は、そちらの密約も把握していた。というよりも、秀秋殿の家老である稲葉正成殿や平岡頼勝殿を焚きつけて、内府側の調略担当である黒田甲斐守殿(頼勝殿の奥方の従兄弟という縁がある)と接触させたのは儂なのだ。
秀秋殿は太閤殿下の甥。普通ならば内府殿に味方するはずはない。だが、太閤殿下の不興を買って減封の憂き目にあったところを内府殿に取りなしてもらった恩がある。
そして何より、秀秋殿が今率いているのは、毛利両川の一家、小早川家なのである。あの小早川隆景公の家なのだ。秀秋殿が継いで毛利家からは独立したかのように思われているが、家臣の大半は元は毛利家の家臣なのだ。毛利本家の影響力を排除できるわけがない。
その毛利本家で広家殿が中心になって内府殿に付く動きがあるのだ。いや、ほかならぬ西軍与党筆頭であるはずの儂でさえも裏では内府殿に近づいていると教えてやったのだ。気合いを入れて東軍のために尽くそうとするはずである。
内府殿から軍監(監視役)として奥平貞治(内府殿の娘婿で長篠の戦いで勇名を馳せた奥平信昌の叔父にあたる)まで受け入れているのだ。
その割に、今まで動く様子を見せなかったので内心では少し苛々していたのだが、ようやく動いたか。
だが、その直後に来た使番の報告に、一瞬、心臓が止まりそうな思いをする羽目になった。
「徳川勢が松尾山に鉄砲を撃ちかけた模様」
馬鹿な! いくら愚図愚図していたとはいえ、内府殿の方から小早川勢を攻撃しては、すべてが水の泡ではないか!?
今、小早川勢が西軍の側面を衝けば、この戦は東軍の勝利で終わるのだ。逆に、小早川勢が東軍を衝けば、さすがの我らとて内府殿の背後を衝かざるを得ない。東軍必敗の状況で動かねば、疑われるどころの騒ぎではない。勝利した西軍首脳によって裏切り者として処断されてしまう。
逆に、我が軍勢が東軍の背後に襲いかかれば、東軍本陣は大混乱に陥る。そうなれば、前線の士気が崩壊して裏崩れが起こることは必定。東軍は大敗する。
そうなれば儂の描いた絵図は完全に崩壊だ。なるほど、輝元公は西軍総大将として安泰、豊臣政権の筆頭大老として、形だけは丁重に祭り上げられるだろう。
だが、それでは儂の生涯の望みは永久に果たされなくなってしまう! この期に及んで、我が策は水泡に帰すというのか!?
「それは重畳。これで金吾中納言様も動かれることであろう」
内心では恐慌状態に陥りながらも、儂は表面上は喜色を浮かべて見せる。その程度のことができねば外交僧などは勤まらぬ。禅の修行で得た表層上の平常心を保つ癖を、これほどありがたいと思ったことは滅多に無い。
だからこそ、本陣に駆け込んできた次の使番の報告に、儂は内心では欣喜雀躍しながら、逆に驚愕してみせた。
「金吾中納言様、返り忠! 大谷刑部の陣に攻め込んだ模様!!」
「馬鹿なっ! あり得ぬ!!」
立ち上がって駆け出し、本陣を抜け出して松尾山の方角がよく見える位置に立つと、そちらを眺める。確かに、小早川勢が西軍向かって攻め下るのが見える。
それを、呆然と眺める振りをしつつ、儂は内心で自嘲していた。
なるほど、これが武人のやり取りというものか。戦場往来を重ねながらも、儂は所詮は坊主よ。鉄砲を撃ちかけて寝返りを催促するなど、儂には到底思いつかぬわ。
これで勝った。東軍の勝ちだ。我が策は、ほぼ万全に成ったのだ!
「あり得ぬ…あり得ぬ…」
ただ呆然と敗者の表情を浮かべながらつぶやきつつ、儂の内心は勝利の歓喜に満たされていた。
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「拙僧は、この身ひとつで逃れますでな。残った軍勢の始末、お願いいたしましたぞ」
儂は毛利勢の本陣を訪ねると、広家殿に後始末を頼んでいた。
「本当によいのか? 今なら拙者が内府殿に取りなしてもよいのだぞ」
そう尋ねてくる広家殿に、儂は内心で失笑した。広家殿は誠に善良なお方だ。だが、その素直さでは到底内府殿には対抗できぬぞ。毛利家への最後のご奉公として、少し注意しておくかのう。
「くれぐれも、左様なことはなさらんでくだされ。よいですかな、広家殿、これから少しでも舵取りを誤れば、毛利の家は危うくなりますぞ。拙僧などのために毛利家を危険にさらすことはなりませぬ」
「なんだと!? だが、我が勲功は…」
「左様。広家殿の勲功は非常に大きい。ですが、それは広家殿ご本人の勲功。毛利家の勲功ではございませぬ」
「どういう意味か!?」
「内府殿のことです。必ずや広家殿には報いるでしょう。左様、三十万石は堅いでしょうな。ですが、必ずや毛利家の力は削ぎにかかってくるでしょう。百二十万石の安堵など、まず通りますまい」
それを聞いた広家殿はいきりたって反論してきた。
「馬鹿な、本領安堵の約束がある! 内府殿は律儀なお方。約定を違えるはずがない!!」
その通り一遍の考え方では毛利家は危うくなるのう。ここは厳しく言って聞かせねばな。
「考え違いでございますよ。内府殿の律儀は、ときの天下人に対して発揮されるもの。考えてもご覧なされ。太閤殿下がお亡くなりになったら、さっさと殿下のご遺命など反故にして諸侯と通婚を始めたではございませぬか。ご本人が天下人になったあとも律儀の看板をかけ続けるなどとは考えぬがよろしい」
「で、では?」
「間違いなく、敵対したことを理由に改易を申しつけてくるでしょうな」
「改易!? 我が毛利家を潰すというのか?」
おっと広家殿、あまり興奮なさるな。そんな風に冷静さを失っては内府殿の思う壺にはまりますぞ。まあ、落ち着いてもらうために、さっさと解決策を伝えるとしようか。
「ですが、内府殿もそれが通るとは考えておらぬでしょう。広家殿の勲功と引き替えにお家の存続を認める。そのあたりが落としどころでしょうな」
「つまり…」
「三十万から四十万石あたり、四分の一残れば御の字でござろう。それと、安芸は取られるでしょうな」
「そんな…」
内府殿のやり口からして、毛利家自体を潰そうとして窮鼠にするよりは、絶対に逆らえない程度の所領を残して飼い殺しにする方を選ぶはず。それも、毛利家の本貫である安芸からは切り離すはず。この読みは、まず外れることはないであろう。
と、ここで儂の読みを聞いて半ば呆然としていた広家殿が、あることに気付いて、改めて儂に食ってかかってきた。
「そこまで読んでいたのに、なぜ内府に味方することを拙者に勧めたのだ!?」
その詰問に対して、儂は自信たっぷりに答えた。
「毛利家百年の安泰のためでございますよ」
「なに!?」
「考えてもご覧なされ。次の天下人として、内府殿以外に誰がおりますかな? まさか、我が殿などとはお考えではないでしょうな。それは、元就様のご遺訓にも反しますぞ。なぜ元就様が、いちいち『天下を争うことなかれ』などと言い残されたのか。殿の器量を知っておいでだったからでござろう」
「…」
主君、輝元公への評としては酷かもしれぬが、広家殿にも異論は無いようで、無言で続きを促している。
「そして、内府殿は百二十万石などという大国の存続を許すような方ではございませぬよ。徳川家の危険になるような要素は、すべて潰そうとするでしょう。百二十万石のままの毛利家では、どんな言いがかりをつけて潰されるかわかったものではありませぬな」
「…まさか!?」
どうやら、広家殿にもご理解いただけたようだ。
「左様。四十万石にも満たない程度の家なら、内府殿の、いや、今後少なくとも百年は続くであろう徳川家の天下において、存続を許されることでしょう」
「そのために、そなたはあえて殿を内府殿に敵対させたのか!」
「いかにも。その責めは拙僧一人が負いますでな。そのためにも、拙僧一人で逃げ出す方がよいのでございますよ」
「恵瓊殿…」
先ほどまでの憤りはどこへやら、感動の面持ちで儂を見る広家殿。やはり素直なお人だ。だが、だからこそ改めて釘を刺しておかねばなるまいて。
「広家殿、拙僧の道はむしろ楽な道ですぞ。六条河原で斬首されるか磔にされるにせよ、所詮は一時の苦しみ。拙僧の苦痛はそこで終わりになり申す。ですが、広家殿はこれから家中の目の見えぬ者どもに『天下を取れる機会を与えられながら、それを見逃してお家を没落させた張本人』と誹られながら、あの狡猾な内府殿を相手に毛利家を守るという茨の道を行かねばならないのですからな」
それを聞いて一瞬呆然とした広家殿だったが、すぐに気を取り直して、力強く答えてくれた。
「それが何ほどのことか! 拙者も覚悟を決め申した。誰に誹られようがかまい申さぬ。拙者が、必ずや毛利家を守り抜いて見せましょうぞ!!」
それを聞いて、儂は大きく頷くと、最後の覚悟を伝えることにした。
「お頼み申しましたぞ。それでは拙僧は逃げ出しまする。これから、なるべく無様に命長らえようと最後まであがく所存にございますれば」
「はて、なぜに? そなたほどの禅僧なれば、命を惜しむようなこともあるまいに」
広家殿の評価はいささか過大ではあるが、儂とて一応は六十年にわたって修行をしてきたのだ。悟りの境地に達したなどとは口が裂けても言えぬような生臭坊主ではあるが、この命が惜しいわけではない。
「拙僧が無様にあがくほど、世人は拙僧の評価を下げ、西軍についた拙僧の見通しの誤りだと思うでしょうほどに」
「…拙者のために、そこまでしてくださるか」
儂が口にした理由に、広家殿はさらに感動した面持ちになって、頭を下げる。いやまあ、この理由も決して嘘ではないのだが、実のところ、それがすべてというわけでもない。
安国寺の名を汚すことは恵心師にもほかの先達にも申し訳ないが、戦場往来の生臭坊主など悟りの境地からは遠いということは示しておいた方がよかろうとも思ってのことなのだ。これからは平和な時代が来るのだ。坊主が戦に関わるようなことをしたら末路は無残なことになると示しておくのも、禅坊主の端くれとして、なしておかねばならぬことであろうよ。
広家殿に別れを告げると、儂は東軍の兵士や落ち武者狩りの農民などに見つからぬように、乞食坊主に身をやつして京の方を目指して歩き出した。
足取りとは裏腹に、心は軽い。何しろ、ようやく宿願が果たせたのだ。幼い頃、まだほとんど物心つかぬ頃の、しかし強烈に刷り込まれた我が父、武田信重の願いが。
「竹若丸、そなたは生き延びよ。生き延びて、何としても毛利に一矢報いるのだ!」
佐東銀山城が毛利家の猛攻によって落ちる寸前、家臣に連れられ城から落ち延びる直前に聞いた父の最後の言葉。安芸武田家の最後の当主に祭り上げられた父の最後の願いを、儂は捨て去ることができなかった。
六十年の禅の修行が聞いて呆れる。結局のところ、儂は世俗への執着を捨てられなかったのだ。復讐という執着を。
そんな儂が元就様に見いだされ、外交の才を買われて毛利家のために働くようになるとは、何という皮肉であろうか。あの元就様の下にいたときは、毛ほどにも復讐のことなどは考えることができなかった。あの鋭い元就様のことだ、少しでも復讐のことなどを考えたが最後、必ず気付かれてしまっただろうからな。
それは、元就様の死後も続いた。輝元公は知らず、実質的に毛利家の舵を取っていた毛利両川の隆景公や元春公も、鋭さにおいては元就様と変わらなかったからだ。
お二方が亡くなったころには、もはや太閤殿下の天下は定まっており、儂が毛利家に復讐する余地などは残っていなかった。儂は、己の才能のすべてを毛利家のために使い、皮肉にもその才が認められて、太閤殿下には六万石の大名にまで取り立てていただいた。
もし、これが安芸武田家に与えられた六万石なら、儂は復讐を捨てたかもしれぬ。だが、この六万石は恵瓊という僧に与えられたもの。肉食妻帯を認める本願寺ならいざ知らず、妻帯を認められぬ禅僧に与えられた六万石など継がせる者もない。
それゆえ、儂は六万石の所領も、太閤殿下への御恩もうち捨てて、秘かに持ち続けていた毛利家への復讐を果たすことにしたのだ。だが、同時に四十年以上にわたって仕え続けてきた毛利家への愛着も、また儂の中にはあった。
だから、儂は毛利家の存続を図りながら、同時に毛利家に大損害を与えるという今回の策を思いついたのだ。
どちらも嘘ではない。どちらも、我が宿願、我が本心なのだ。
そして、我が復讐は成った。毛利家は、間違いなく先祖代々の本貫の地、安芸の国を失うことになる。かつては安芸の守護職であった我が安芸武田家から奪った安芸の国を。
あの美しい安芸の空、儂がこよなく愛するあの空は、もはや毛利家のものではないのだ。
ただ、その空を二度と見ることが叶わぬことだけが、儂にとって唯一残念に思えることなのであった。
誰が書いたのか忘れてしまったのですが、以前に読んだ歴史小説の中で、安国寺恵瓊について以下のような評がされていました。
「安国寺恵瓊というと信長の横死と秀吉の台頭を予言したことで有名だが、信長のやり方は長続きしないだろうということや、秀吉が優秀であることなどは当時のちょっと鋭い人間なら誰でも気付くことだ。恵瓊の予見能力など、関ヶ原の結果を見れば大したことはない」と。
なるほど、と思いましたし、今もこの評は妥当かなとは思っています。
しかし、そこでふと思いついてしまったのですよ。実は恵瓊には負ける西軍について己自身が斬首されることになろうとも、果たしたい宿願があったのではないかと。
恵瓊の出自が、ほかならぬ毛利家に滅ぼされた安芸武田家であることは有名な事実です。その一方で、恵瓊が毛利家のために長い間献身してきたことも事実。
そこには、とてつもない愛憎があったのではないかと思いついて、こんな小説にしてみました。
モチーフとして、タイトルにもした「安芸の空」を恵瓊の愛憎の象徴にしてみましたが、実はこれはタイトルの方が先行で思いつきました。
実は元ネタがあるのですが、あまりに作風に合わないので、ここでは書くのをやめておきます。興味がある方は、活動報告 http://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/1506155/ をご覧ください。
お読みいただきまして、誠にありがとうございました。