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日本語雑感(01)言い換え、とか

作者: 潮 流

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言葉って不思議ですよね。

文法上や意味論的には決して間違いではないのに、感覚的にあれっ?という表現がま〃あります。


一例として、自分を指して「優しい」とは、間違ってはいないのだけれど、通常は言わないと思います。

恐らくですが、ナルが入る気がするし、自分を指して使った瞬間に何故かそして何処か薄っぺらな形容になってしまうように感じるからではないかと思うのです。(私見ですよ?)


一人称で表現をしている作品で、主人公が勝負に負けて気落ちしている恋人に対して、

《俺は彼女に優しく微笑んで慰める》

というとチョット、ナルが見え隠れしてキザだなぁ、となんとなく感じられませんか?


《俺は彼女に柔らかく微笑んで慰める》

と言い換えてみると、不思議とナルっぽさが抜け、かつ彼女に対する思い遣りが込められていることも訴求できるようにも感じます。


多分、前の表現では、「優しい」の対象が自分であり、そこで止まってしまうのに対し、後の表現の「柔らかい」の作用対象が、直接的には微笑みであり、さらにはその先にいる彼女を柔らかく包みたいという気持ちが伝わってくるからだと思うのです。


柔らかくを暖かくと言い換えても良いかもせれませんが、お好みで。



では、「冷たい」はどうでしょう?

こちらもやはり自分を指していうと若干ナルが入る気はしますが、寧ろ偽悪的、自嘲、或いは相手に対する蔑みや突っ撥ねる姿勢といった感じもあるからか適切な言い換えは思い浮かびません。



こういう、チョット変かな?という感覚や言葉そのものの持つ意味と向き合い、色々と表現を考えてみる事で言葉がもっと活きてくるのではないでしょうか?



――ラノベだからといって、言葉まで軽くて良いと誰が言った!?


まぁだからといって重過ぎるのもアレで、ナニですけどね(笑)。


蝶のように舞い、蜂のように刺す。

そう言ったご本人のパンチは決して軽くは無く、だからこそ相手をマットに沈めることが出来た筈ですので、蝶のように舞い、蜂のように刺し、熊のように倒す、と言うべきだったのかもしれませんね。



私自身の好みは、静かな文章です。立原正秋のように、静かで暗くて、その奥底にドロドロとした情念の渦巻いているような……。

とは言え、血沸き肉踊るような文章が嫌いな訳ではありませんよ?また、コミカルな軽妙洒脱な文体も好きですし。

ただ、喩えるなら、大河のようにゆったりと静かな趣きを見せながらも、その内面で激しく渦巻くモノも抱いているような二面性や多面性のある文体が特に好きなのです。

飽くまでも好みですよ?自分の文体がそうであるとはとてもとても。ハァ……。



――言葉は生きている


漢字と平仮名、片仮名、時にはアルファベット等々、多数の文字で構成される日本語は、それだけでも書き手にとって様々な表現手段を与えてくれます。数字だって、1、2、3……、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ……、一、二、三……、壱、弐、参……、その他丸付きやら()付きやらまぁこれでもかという位に多彩です。

更にはルビ、リーダー記号やオノマトペ等の補助的な表現ツール・手段もあり、表現の自由度、多様性を益々高めてくれます。


恐らくですが、ここまで自由な表現を許してくれる言語は日本語だけではないかと思います。英語等でも韻を踏む、同音異義語や同義語で遊ぶ事はありますが、日本語程には自由ではないでしょう。


自由であるが故に、悪く言えば節操が無くなり易いという一面はあります。


宜しく、ヨロシク、夜露死苦、とかです。

節操が無い=悪いと言うのではありませんよ?


――戦いに行く・逝く


単純に言えば、前者がまぁ概ね正しい日本語、後者は概ね誤った日本語な訳ですが、でも表現として誤っているか?と問われれば、いや充分有りでしょ、だと言えます。

そこには単に行くという行為のみではなく、死地に赴く、みたいな別な意味を持たせたいという意識があるからなのでしょうね。無論、単に音(韻)を踏んだ、遊びのような要素もあるでしょうけど、それもまた有りです。


――違う・異なる


「パーティが違うとこうまで(状況が)違うのか」というような文章を見掛けました。

「違う」がダブっていて、文章が少しくどいです。どちらかを「異なる」とすれば煩わしさが減少しますが、さてどちらを変えるかです。いずれを変えても大して差はありませんが、個人的には、前者を変えたいですね。まっこれは気分です。因みに後者を「変わる」としてもいいし、こうすると見た目文意は曖昧になりますが、文意に奥行きが出るように感じます。



誤字指摘が難しいのは、こうした背景もあるからで、それ故に、書き手側は誤字に注意を払う義務があります。

(とりあえず自己の文章については棚上げします)


何を言いたいかと申しますと、言葉は生きているということなのです。

余り細かなルールに囚われ過ぎずに、こういう表現も有りかな?という姿勢で読むおおらかさも持って楽しんでね!というお願いでもあります。


うぅん……そこはかとなく自己弁護のような気もします。えぇ、間違い無く気の所為ですとも!(笑)


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― 新着の感想 ―
[良い点] 普段は気にも留めないことなのに、なぜか言葉選びに窮することがあります。 まるで違う語に置き換えてその場を凌ぐこともあります。 縦書き・横書き・右から・左から さまざまな書き方を可能にする日…
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