のろのろまこちゃん
まこちゃんは、あしか幼稚園の年長さんです。
本当は野々宮まこ、という名前なのですが、みんなは、まこちゃんを「のろのろまこちゃん」と呼んでいます。
年長組のおともだちは、まこちゃん本人の前で堂々と、ふざけてつついたりしながら。
そして保母さんたちは、保母さんたちだけの会話の中で、こそこそと。
保母さんたちは、まこちゃんの動作がのろいのを、ひそかに心配していたのでした。
もしかして体かおつむに、軽い欠陥でもあるのではないかと。
どうしてまこちゃんが、こう呼ばれるようになったかというと、ふだんから1テンポも2テンポも、他の子より動作が遅れるのも、もちろんですが、まこちゃんは本当にのろい、という事実を、きっぱり裏づける出来事が、毎日のように繰り返されるためなのです。
あしか保育園の年長組は、お家に帰るとき、だれが一番はやく門まで着くかを、お天気のよい日は必ず、競争していました。
一番の子から順番に、門をくぐって帰れることになっていたのです。
「よーい、どん!」
ぱん、と保母さんが手をたたくと、どの子も一番になりたくて、キャーキャーと歓声をあげて、押し合いへし合いしながら、げた箱へ突進します。
ある子は前を行く子のスモックをひっぱったり、保母さんの目がとどかないところで、邪魔者をつきとばしたり、ひっぱたいたりもしていたのです。
保母さんたちは元気のよい子供たちの姿を、満足そうに見守っていました。
ところが、まこちゃんだけは、どういうわけか競争に参加しようとしないのです。
おともだちのみんなが、なだれをうって表にとび出していった後。
まこちゃんはおもむろにカバンをとりあげ、帽子を深くかぶり、げた箱のスノコに座って、おともだちが巻き起こした土けむりを、手でぱたぱた払いながら靴をはきます。
おともだちのみんなが、靴をちゃんとはかず、かかとをふんで、つっかけたまま列に並び、 並んだあとで改めて靴をはきなおすのに、まこちゃんは、きちんと靴をはくまで歩きだそうとしません。
だから、一番や二番や、真ん中あたりや、ビリから二番目なんかは毎回顔ぶれがちがうのですが、ビリは決まって、まこちゃんなのです。
おともだちは、まこちゃんを指差して笑い、保母さんたちは悲しげに首を振ります。
しばらくはずっと、こんな調子でした。
最初、笑い転げていたおともだちは、そのうち笑わなくなりました。
みんな、まこちゃんに待たされるのに、だんだんウンザリしはじめたからです。
「のろのろの、まこ!」
こうはやしたてながら、まこちゃんを小突くおともだちの数も、小突く強さも、その回数も、日増しにエスカレートしてゆきます。
さすがにマイペースのまこちゃんも、考え込まずにはいられませんでした。
まこちゃんは、自分がのろいのを知っていました。
けれどそれが悪いことだとは、ちっとも思っていなかったのです。
……どうやら、そうではないらしい。
まこちゃん一人だけ、他の人と考え方がちがうと、みんなと同じに一番を勝ち取るためにがむしゃらにならないと、おともだちも保母さんたちも、戸惑ってしまうみたいです。
でも、まこちゃんは、自分がのろいのを知っていました。
他のおともだちのように、後ろから突き飛ばされても、転ぶのを踏みとどまって、すばやく体勢を立て直し、突き飛ばした相手にヒジ鉄をくらわせるような芸当は、とてもできそうにありません。
それでも、みんなと一緒に一番を取りたがらないと、みんなは納得しません。
そこで、まこちゃんは、とりあえず一所懸命なフリだけでも、してみることにしました。
「よーい、どん!」
保母さんの掛け声で、いつもどおりに、みんな大騒ぎで外に飛び出そうとします。
まこちゃんは、怪我をしないよう、一呼吸おいてから、あわてた風をよそおって、昨日までより乱暴にカバンをひったくると、帽子も頭に乗せず、靴を地面に放り投げ、スノコには腰をおろさず、かかとを踏んで、急いで走る真似をしました。
本気で走ってはいないので、本当はちっとも苦しくないのですが、はあはあと荒い呼吸をわざと繰り返します。
お芝居は大成功です。
ビリはビリですが、みんなは、とくに保母さんたちは、まこちゃんがやっと、やる気を出してくれたと、とても喜んでいました。
正直に言うと、まこちゃん自身は、カバンを乱暴に取り上げるのも、帽子を手に持ったまま、靴もきちんとはかないで走るのも、あんまり気持よくなかったのですが。
だって、カバンをあんな風に肩にかけると、反動でカバンが体に当たって痛いし、靴のかかとを踏んで走ったりするのは、今にも転んでしまいそうで、おっかないのですもの。
けれど、まこちゃんの本音はお構いなしに、みんなは嬉しそうです。まこちゃんが、嬉しそうなフリで、にっこりしながら、やれやれ…というため息をついたことに気づいた人はいませんでした。
こんなに大変な、不自然な努力を頑張ってしたのに、まこちゃんの平和な日々は、長続きしませんでした。
フリがばれたのではありません。
むしろ、そのフリが、あまりにも上手すぎたための悲劇と言えるでしょう。
一応、やる気だけは見せたものの、相変わらずまこちゃんはビリから抜け出せないのです。
一所懸命がんばっても、ビリのまこちゃん。
本当に、のろのろなんだ。
努力が認めてもらえたのは、最初のうちだけ。
成果があがらないと見るや、人々は失望を隠さなくなりました。
……おしばいが足りないのかもしれない。
まこちゃんは、こう考えました。
……よし、じゃあ明日から、ビリになったら、うんと悔しそうにしてみよう。本当に、ビリは嫌なんだって顔をするんだ。
やってみました。
逆効果でした。
子供たちを一列に並ばせたまま、保母さんたちが集まって、なにやら相談しています。
保母さんたちが、ちらちらと自分のほうに目を走らせながら、低い声で話し合っているのを、まこちゃんは見逃しませんでした。
「ねえ、みんな」
一人の保母さんが、子供たちをぐるりと見回しながら話しはじめました。
「いっつもまこちゃんがビリなんて、かわいそうよね。だから今日はとくべつに、一番うしろの人から順に帰ることにしましょう!」
ええーっ、という不満の声が、おともだちの口からいっせいにあふれ出します。
まこちゃんは、おなかの中が、ぎゅっとしめつけられたような感じがして、息がつまりそうになりました。
その感じは、おともだちに押されて、転んでひざ小僧をすりむく痛さより、いやなものでした。
「はやく行けよ、のろのろまこ!」
ずっとはなれた所から、男の子が叫びます。一番か二番か、きっとフリでなく、真剣に一番になりたくて頑張った子なのでしょう。
まこちゃんは動けませんでした。そばにいた保母さんが、見かねて手をひいてくれるまで。
『どうして、ほうっておいてくれないのよおっ!』
まこちゃんは保母さんたちに腹を立てました。
あたしは、かわいそうなんかじゃなかった。
一番なんか、はじめからどうでもよかった。
ビリだって、前に並んでるおともだちより、ほんの少し待たされるだけで、二度とおうちに帰れないわけじゃないんだもん。
それより、スモックもカバンもぼうしもクツもきちんとして、ケガしないよう、転ばないよう、ゆっくり歩いて帰りたかっただけなのに。
それさえあきらめて、みんなが安心できるように、みんなと同じように、一番になりたいようなフリまでしてみせたのに!
あたしは、かわいそうなんかじゃない。
かわいそうなのは、今日、一番になった子よ。
あの子の努力は、どうなるのよ!
自分が傷つくかもしれない、おともだちを傷つけてしまうかもしれない、そんな恐怖をかなぐり捨てて、一番をめざしてつき進んだ、あの子のことを考えると、申し訳なさで胸がいっぱいになる、まこちゃんでした。
まこちゃんはよく転ぶので、転んだ痛さは身にしみています。
だからこそ、他の子が転んだ痛さもわかるし、ましてや、自分が他の子たちに痛い思いをさせるなんて……。
『明日もあたしがビリになったら、また、一番になった子が損をするかもしれない』
背筋が急に冷たくなって、まこちゃんは思わず、ぶるぶるっと身ぶるいをしました。
『明日からはフリでなく、本気を出して、ビリにならないようにしなくっちゃ!』
「よーい、どん!」
次の日のまこちゃんは、決心したとおり、頑張りました。
結果は…ビリから四番め!
ビリから四番めです!
ビリじゃありません!
おおっ、というどよめきが、周りのおともだちや保母さんたちから湧き起こります。
拍手だって聞こえます。
まこちゃんは、泣き出しそうになりました。
みんなには、うれし涙に見えたみたいです。
けれど、まこちゃんの本当の気持は、ちがいました。
これから毎日、こんな思いをしなくてはならない。
みんなは喜んでくれているけれど、本当は、ちっとも
自分のしたいことではない。だのに、
みんなと同じことをして、
みんなと同じ反応をしなければ、自分を認めてもらえない。
だれも自分をわかってくれない。
これまでも、まこちゃんは保育園が好きでなかったのだけれど、ますます好きでなくなってしまいました。
さて、まこちゃんがあまり好きでない保育園の中でも、もっとも好きでない行事が、運動会です。
他の子との競争に熱心になれない上に、動作ののろいまこちゃんにとっては、針のむしろです。
ただ唯一、気楽なのは、帰りの競争のように保母さんのえこひいきがない点です。
頑張った子や、本当に足の速い子が損をすることはないのですから。
それでもやはり、大勢の前で六人ずつ一列に並ばされ、走らされるのは苦痛でした。
他の五人がとっくにゴールインした後、まこちゃんはたった一人で観衆の視線を浴びて走ります。
その間じゅう、ずっと「自分はだれよりも走るのがおそい」という事実を、晴れの舞台で証明しつづけなくてはならないのです。
「あーあ、かけっこ、いやだなあ」
もうすぐやって来る出番を待って、あらかじめ、ふり分けられたとおりに行儀よく並び、入場門の下でしゃがみこんでいる、まこちゃんたち年長さんのグループ。
まこちゃんの右横の女の子が、ため息まじりに、つぶやきました。
「あたしも走るのきらい。おそいんだもの。ねえ、手をつないではしらない?」
左横のおともだちが、まこちゃんの頭ごしに、ささやき返します。
「なに言ってんだよ。おまえらトクしてるんだぞ。だってまこと走るんだもんな。どんなにおそくたって、ビリから二番めなんだから」
まこちゃんの後ろでしゃがんでいた男の子が、まこちゃんをこづきながら口をはさみました。
こづかれたまこちゃんはバランスをくずし、あやうく前につんのめってしまいそうになるのを、どうにか手をついて防ぎました。
両側の女の子二人は、互いの顔を見つめあい、次に、真ん中のまこちゃんに目をやってから、くすくす笑い出しました。
右側の子は下を向いて、左側の子は口をおさえて。
まこちゃんは大きな目をぱちぱちさせて、涙が落ちそうになるのを、こらえました。
こんな目にあうと、いっそ早く順番が来て、さっさと恥をかいて終わらせたいと願う、まこちゃんです。
「ピーッ!」
入場門の横に立っている保母さんが、笛を吹きました。
いよいよ、まこちゃんたちの番です。
しゃがんでいた年長組のみんなが、保母さんの先導でスタートラインの一メートル手前まで行進します。
先頭グループ以外の子たちは、そこで再び、しゃがんで待ちます。
まこちゃんは背が低いほうなので、先頭グループです。
他の五人と一緒にスタートラインに着きました。
去年の運動会までは三十メートル走で、直線コースだったのですが、年長さんになると六十メートルを走ります。
グラウンドを半周しなくてはなりません。
ぐぐっと緊張でこわばった表情をして、豆走者たちは白線の前でスタートの合図を待ちます。
「……ようい」
パアン!
空気を切り裂くピストルの音に、一瞬ビクンと身をすくませる、まこちゃん。
おともだちのみんなは、合図とともにラインからいっせいに飛び出しています。
スタートからして、ばっちり差をつけられてしまっています。
まあ、いいや。いったん走り出しさえすれば、笑い者になるのは、あっちのゴールに着くまでだけだもの。
しんぼうしんぼう。
おだんご状態で接戦を繰り広げるおともだちから、ずうっと、ずうううっと遅れて、まこちゃんはトテトテと、あくまでもマイペースを崩しません。
おだんごになったおともだちの群れが、ちょうどカーブにさしかかったときのことです。
あっ!
声を嗄らして応援に熱中していた父兄も保母さんも、子供たちも、その場にいたみんなが息をのみました。
先頭の子が、つまずいたのです。
あとに続くみんなも、足をとられて次々と、しょうぎ倒しに地面に転がりました。
ずうっと後ろにいたため、ただ一人難をのがれたまこちゃんは、さあ、どうしたでしょうか?
ふつうの子よりは、やっぱり遅いのですけれど、それまでよりもあきらかにペースをぐんぐん上げてきています。
しかも、その時のまこちゃんの表情ときたら。
本当の本当に、本気です。
まこちゃんなりに、全力をつくしています。
ただのフリなんかではありません。
「まあ、あのまこちゃんが!」
「はじめて一等をとれるかもしれない!」
「しっかり! まこちゃん!」
観衆が、まこちゃんに声援をおくり始めました。
ところが。
土けむりの中でもがいているおともだちのところまで行くと、なんとまこちゃんは、なんの迷いも、惜しげもなく立ち止まり、かがみこんでしまったのです。
「だいじょうぶ?」
肩を上下させ、よこっ腹をおさえながら、転んだおともだちに、片手をのばしています。
全員が、あっけにとられてしまいました。
真っ先に自分を取り戻したのは、こけてしまう前までは三番目くらいを走っていたおともだちです。
「かけっこ、いやだなあ」
と、まこちゃんの右横でつぶやいていた子です。
その子は、すっくと立ち上がると、ゴールをめざして残りの距離を一目散に駆けてゆきました。
すると、取り残された子たちも、ハッとして、必死であとに続きます。
あちこちすりむき、泥だらけのまま、血を流しながら。
ある子は、びっこをひきながら。
おともだちが、また元気に走り出したのを確かめると、ようやくまこちゃんも、ゴールに向かいました。
ほっとしたような笑顔を浮かべて。
マイペースで、トテトテと。
最後まで読んでくれて、ありがとうございました。
えと、この作品はいつだったか、高校時代の友人が就職した先に、小説の個人誌を発行してるひとがいて、なっちゃんもなにか書いてみない? と誘われて、ひねりだした作品でした。
自分の保育園時代の思い出が下地です。
まあ、どこからが実話で、どこまでが脚色か、ということは、ご想像におまかせします、ということで。
つたない習作ですけども、当時はわりとご好評いただいて、ホッと胸をなでおろした記憶があります。




