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王国再興コンサルティング  作者: 三波
第一章 セトとエリノア
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6.知らない名前のエネルギー

 とりあえず、本を掘った。土以外を掘るのは生まれて初めての体験だ。


「やー、申し訳ない。今回はちょっと本が多くてさぁ、なかなか出られなくて」

「今回ってことはよくあるんですか?」

「うんまあ、そこそこ」


 あっはっは、と呑気に笑うその男は、俺が本を掘ったその奥からニョキッと勢いよく這い出ると、埃で汚れたシャツを軽く手で払った。襟付きの白いシャツに茶色のベスト、茶色のスラックスという服は、ここに来る途中で他に着ている人を何度か目にしたので、もしかしたら王宮の制服なのかもしれない。

 男は改めて「ルドルフ・プレストンです」と名乗り、へらりと気の抜けたような表情で笑った。握手を求められ、俺もそれに握手を返す。スポーツを知らない柔らかい手だった。


「君は、えーっと、セトだっけ? ごめんねぇ、俺って人の名前を覚えるのが得意じゃなくて」

「ああはい、瀬戸亮輔です。セトって呼んでください」

「じゃあ俺はドルフって呼んで。研究所の皆はそんなふうに呼んでるから」


 よろしくねー。と言って、ルドルフもといドルフが笑う。あっちこっち飛び跳ねたくせ毛の黒髪と、髪と同じ黒い瞳。体はずいぶんと細長く、どちらかと言うと痩せすぎのように見える。研究所員なら体を鍛える機会も多くないだろうから、この痩身も分からなくはないのだが、見た目が不健康すぎて初対面ながら心配になるほどだった。


「あと、セトって二十八歳なんだよね? ほとんど同い年だから気軽に話していいよ。一緒に仕事するんだし、面倒でしょ?」

「さすがに上司にそれは……」

「こんな書庫の整理に部下も上司もないよ。それに俺、二十九歳だし、一歳しか変わらないんだ。さん付けもいらないしさ」


 日本の社会で働いていた身としては、仮にも上司にあたる人に敬語も使わないのは気が引ける。……が、どうやらこの世界では呼び捨てがそう珍しいことではないらしい。タメ口をゴリ押ししてきたエリノアの例もあることだし。

 そう自分に言い聞かせ、苦笑気味に「分かった、よろしくな」と言うと、ドルフは満足そうに笑った。


 それからドルフは、白いシャツに黒の長ズボンという非常にラフな出で立ちの俺を、上から下まで余すとこなく眺めた。その視線は好奇心そのものだ。

 こういう居心地の悪さはひどく久しぶりである。新卒として入社した頃、先輩たちに笑顔で値踏みされていた時を思い出した。

 ドルフはひと通り俺を見ておおよそ満足したのか、真っ黒い目から好奇心を引っ込めると「さて」と小さく呟いた。


「うーん……」

「あの、俺はなにをすればいい?」

「それねー、うーん、本当にどうしようかなぁ」

「えっ」


 どうしようかなぁ、って。どういうことだ。

 ドルフの言葉に、俺は思わずその場で石のように固まった。


「どうしようって……仕事させてくれるんじゃ」


 エリノアに俺が求めたのは「職をくれ」という一点のみである。書庫整理という仕事は、俺が予想していたような、例えば清掃員や厨房の雑用とは異なるけれど、それでも確かに仕事には違いない。まるで子供の手伝いだけれど、それが仕事になるのなら何の文句もなかった。

 だというのに、ドルフは今、俺の目の前で困ったように笑っている。


「いやさぁ、エリノア様が俺のところに来たの、ついさっきなんだよ。それでいきなり客人に仕事を用意したいからここに預けていいか、って言われても。俺もどうしていいか分からないじゃん」

「あぁ、……それは、なんか」


 ごもっとも。言われてみればその通りだ。

 突然「職をよこせと言っている客人のために仕事を用意しろ」と言われたところで、困ってしまうのは当たり前の話だった。

 申し訳ない限りである。


「あの、……ごめん。そのへん考えてなかった。エリノアに仕事が用意できたって言われて、つい」

「ああ、こっちこそごめん。別にいいんだよ、人手があって困るようなことはないし。……ただ、」


 ドルフが一度、意味ありげに言葉を切る。

 明らかに「今からちょっと大事なことを口にしますよ」とでも言いたげな間に、俺はコクリと喉を慣らした。


「今、王宮で話題の有名人がいきなりこんな場所に来たものだから、俺もびっくりしてるんだよね」

「……有名人?」

「うん、そう。有名人」

「誰が?」

「セトが」


 セトって誰だ。俺か? 俺だな。

 ……俺っていつから有名人になったんだ。


「なんで俺が王宮で有名人なんだ?」


 思ったとおりの疑問をぶつける。心底意味が分からない。だって俺は、この世界に来たのもたった四日前なのに、いったいどうして有名人扱いされなければならないのだろう。

 しかしドルフは、俺の疑問に対して深く溜息を吐き出すと、やや呆れたように「当たり前じゃないか」と言った。


「あのねえ、エリノア様は治癒秘術を使える方なんだ」

「うん、そうらしいな」

「そのエリノア様が、ある日いきなり得体の知れない男を自分の客人として引き入れたんだ。しかもわざわざ治療までして」

「……得体の知れない男って俺?」

「セトの他に誰がいるのさ」


 ドルフが不満げに腕を組む。

 おかしい。不満を感じるべきはむしろこっちの方なのに。


「エリノア様は基本的に客人を招かないんだよ。自分がどういう存在かよく分かっているからね」

「どういう存在って……第四王女だろ? ほかになんかあるのか?」


 あれ、第三王女だったっけ? どっちだっけ。まあいいや。

 そう言ってドルフに負けじと腕を組む。しかしドルフの表情は不満から解消されることなく、むしろ片眉をピクリと震わせた。

 ……俺はいったい何について怒られているんだろう。


「セトは……エリノア様から何か聞いてる?」

「いや、何も。治癒秘術とやらを使う王女様ってことくらいしか聞いてない」

「治癒秘術とやら、って……。もしかして、セトは治癒秘術のことを知らないの?」

「秘術どころか魔術も知らないよ、俺は。エリノアには言ったけど、俺はこの国の出身じゃない。エメラルディア王国なんて初めて聞いたんだ。エリノアが言うには、転移の構成を持った陰獣のせいでこの国に転移したんじゃないかって」

「それじゃあ、セトの故郷は?」

「チキュウっていう場所だよ。知らないだろ?」

「……知らない」


 ぺし、とドルフが自身のひたいに手をあてる。その表情はいつの間にか不満そうなそれから驚愕に変わっていた。

 エリノアは俺の出身についてドルフに話していなかったらしい。その内容がよっぽど衝撃的だったのか、ドルフはぽかんと口を開けて言葉を失っていた。


「俺の国には魔術なんてものはない。だからエリノアがどういう存在だとか、王宮で有名だとか、魔術研究がどうだとか、そういうことを言われても何ひとつ分からないんだ。……ただ、現実として俺は自分の国に帰る方法が分からない。だから当面の生活のために仕事をくれってエリノアに頼んだんだよ。俺としては清掃か雑用かと思ったんだけどな」

「……宮の中のどこにでも出入りできるような仕事を新人には回さないよ。特にエリノア様の周囲はね」

「ああ、そういうもんなのか」


 ドルフは未だ驚きから立ち直っていないのか、目をぱちぱちと繰り返し瞬かせている。

 手は行き場所を探るように袖口を引っかき、襟から覗く首元が時折コクリと小さく鳴った。


「セト、ひとつ聞いていい?」

「なんだ?」


 いつの間にか、ドルフはとても真剣な顔をしていた。研究員と言っていた彼の仕事中の表情なのか、その目には静かな炎が灯っているかのように見える。

 ドルフは素早く壁際に移動すると、本棚の隣にある小さな照明の隣に立ち、それを指差してこう言った。


「セト、これが何か分かる?」


 これ、と言って指差されているのは、まぎれもなく照明である。もしくはライト、明かり、光源、いわゆる部屋の明るさを保つものだ。

 ガラスのように透明な球体で覆われたその中には、電球に似た石が入っていて、どうやらそれが光を発しているらしい。俺の知っている照明とは原理が異なるものの、用途は間違いなく同じだろう。

 そのため俺は、ドルフの問いに対して「照明だろ」とためらうことなく簡潔に答えた。ドルフはそれに「そうだ」と言って大きく頷いた。


「セトはこれが照明だと分かるんだな?」

「当たり前だろ。俺の国の照明とは光る原理が違うみたいだけど」

「そう、そこだよ」

「は?」


 ドルフが人差し指をピンと立てる。

 学者の声、学者の顔。きっと頭の中ではあらゆる思考が巡っているのだろう、鬼気迫ったような声色に俺はわずかに怖気づいた。


「この照明はカラットの力で動いている。魔術の構成式で回路を引いて、カラットのエネルギーでクオーツに光を集めているんだ。つまり、魔術がないと動かないものなんだよ。それならセトの国の照明はどうやって明かりを作っているんだ?」


 ……また知らない単語が大量に出てきた。

 カラットって宝石の重さの単位だよな。クオーツって水晶だろ。なんで魔術がどうのこうのって話になるんだ。


 ただ、言いたいことはなんとなく分かる。ドルフが言っているのは「この世界における照明の原理」だが、魔術がない俺の世界にも照明があると知って、ならばどうやって照明が明かりを灯すのか、というその原理が理解できないのだろう。

 とりあえず、この世界と地球とではエネルギー形態が異なるようだ。「カラット」という名前のエネルギーは地球に存在しないが、この世界では当たり前に運用されている。たぶんドルフが言っているのはそういうことだと思う。

 っていうか、エネルギーとか回路とか、魔術ってもしかして科学チックなの?


「俺はそっちの専門じゃないから詳細は分からないけど、こっちでは電気で光ってるよ。電気がエネルギーみたいなもんだ」

「……デンキ? じゃあカラットは存在しないの?」

「カラットっていう言葉は存在してるけど、それはこっちでは石の重さの単位を指してる。そんなエネルギーは初めて聞いたよ」


 なるべく淡々とそう言うと、ドルフはまるで化け物でも見たかのような表情を浮かべた。

 どこにそんな衝撃的な内容があったのかと思うけど、エリノアから魔術だの秘術だのと聞かされた時を思い返せばなんとなく理解できなくもない。


 ドルフはしばらく呆然としていたが、すぐ傍の本棚によろよろと寄りかかると、一言、「信じられない」と呟いた。

 そりゃあ信じられないだろう。俺だって、未だにこの現実を受け止めきれていないのだから。


 たぶん、この世界と地球とでは、文化や歴史どころかエネルギーさえ違うのだ。だから話に食い違いが起きてしまう。


「カラット以外のエネルギーを使う国があるなんて……」

「俺だって同じ気持ちだよ。電気以外のエネルギーをメインで使う国があるなんて知らなかった。だいたいこの照明、どこに電源……スイッチあるんだよ。使いにくくない?」

「回路を繋ぐことでカラットが正しく走るから、使わない時は回路を断つために石を外したり紐をほどいたりするけど……。セトの国では他に方法があるの?」

「紐をほどくとスイッチが切れるのか? 使いにくそうだなぁ。俺の国ではスイッチはだいたいボタンだよ。押すことで照明がついたり消えたりするんだ。だいたいリモコン式になってるか、壁に埋まってることが多いな。備え付けのスイッチだと、照明が天井にあったら届かないだろ?」

「え、どういうこと? 遠隔式ってこと? リモコンってなに? ……照明が天井についてるのか?」

「照明なんて天井についてるもんだろ」

「天井に照明があるなんて、王族の部屋とか謁見の間とか、そういう部屋だけだよ……。それも先任の照明係がいるのに」

「は? スイッチを入れたり切ったりする係がいるってこと?」

「そうしないと照明を切れないから……」


 要は天井に照明をつけられるのは、照明係を雇えるような大金持ちというわけだ。便利な明かりはハイソの証。

 現代日本からやって来た俺にとっては信じられない話である。


 お互いの文化の違いに絶句するばかりだ。

 照明ひとつでこれほど違うのかと驚愕を通り越して困惑してしまうほど、その差はあまりにも顕著だった。


「セト」

「ん?」

「そこに座って。聞きたいことがいっぱいある」

「……いや、俺も結構いろいろあるんだけど」


 エリノアのこととか。俺が有名人だっていう話、まだきちんと聞けてないからね?

 するとドルフは相わかったとでも言いたげに頷いて、本棚の影に隠れていたらしい椅子と丸テーブルを引っ張り出してきた。


「セトの当面の仕事が決まりました」

「……なんですか」

「俺と話すことです。照明の遠隔操作とか次の研究テーマにしたいくらい面白い。目からうろこだよ。どうやってるんだろう? どういう回路を引けばちゃんとカラットが走るんだろうなぁ。考えるだけでワクワクする!」

「あー、俺の聞きたいことにも答えてくれるよね?」

「うん、だからセトの当面の仕事は俺と話すことだってば」


 なんでも聞いてね、俺も聞くから。そう言って笑うドルフの表情はびっくりするほど晴れやかである。

 うん、さすが研究職。学者脳。大学の工学部で院まで進んだ奴がこんな感じだったなぁ、とぼんやり思い出す。


「とりあえずデンキとやらについて聞きたいんだけど!」

「あー、うん、俺も専門じゃないから分からなかったらごめんね……」


 ドルフによる脅威の質問攻めが始まった。これはなかなか離してもらえないパターンだ。

 とりあえず仕事の内容が決まったことで喜ぶべきなのか、それとも雇用形態さえ教えてもらえていないことを嘆くべきなのか。

 聞かなければならない事項が多すぎて途方にくれつつ、俺はドルフの質問にとりかかり始めるのだった。

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