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王国再興コンサルティング  作者: 三波
第一章 セトとエリノア
3/7

3.彼女の地面は丸くない

 エメラルディア王国、クリスタリア。

 エリノアから聞いたその国名および地名を頭の中で復唱してみるも、明らかに手応えがなかった。地理の授業は苦手でも得意でもなかったけれど、中学二年生の時の社会科の教師がもともと地理専攻だったため、授業で「班で分担して国名をすべて覚える」という課題があった。わりと真面目に取り組んだこともあり、俺は国名の暗記には自信がある方だ。

 でも、いくら思い出そうとしても「エメラルディア王国」という国名は俺の記憶に存在しなかった。


 知らない国だ。間違いなく。

 俺は、気を失っている間に、聞いたことのない国に来てしまったらしい。


 状況の把握が追いつかず、絶句する。

 名前の知らない国にいつの間にか移動しているなんて、俺の常識ではとうてい考えられない事態だ。

 二十八歳にして、こんな小説や漫画のような事態に遭遇するとは夢にも思っていなかった。


「……あの、変なことを聞いてもいいですか」

「なんでしょうか?」


 ニコニコと笑うエリノアに、俺は藁にもすがる思いで問いかけた。


「ここは地球ですよね?」


 我ながら、おかしな質問をしている自覚はある。地球ではないとしたらどこなんだ、という話だ。けれど、現実として「エメラルディア王国」という国は俺の知るかぎり存在していないのだから、それを確認せずにはいられなかった。

 なぜか判決を言い渡されるような気分だった。きょとんとするエリノアをじっと見つめながら、彼女の言葉を待つ。


「……ちきゅう、ですか?」

「はい」

「申し訳ありません。ちきゅう、とはなんでしょう?」

「あー、じゃあ、この世界に名前はありますか? もしくはこの世界の星の名前とか」

「世界自体に名称はございません。それから星とは夜空に浮かぶ光のつぶのことでしょう。名前をつけるようなものではないと思いますが……」

「じゃあ、宇宙とか惑星とかは? 聞いたことありませんか?」

「……ございません」


 はて困った、とでも言いたげな表情で首をかしげるエリノアに、俺は愕然とした。

 ここは地球ではない。少なくとも、地球という名称の天体ではない。それどころかエリノアは宇宙の概念すら知らないようだったので、下手すると世界がなんらかの天体に乗っかっていることさえ知らない可能性がある。


 無論、エリノアの言う「エメラルディア王国」が最近できたばかりの地球の新興国で、文化レベルが日本より数百年分遅れているという可能性も、ゼロではない。

 ……ただ、地動説を唱えたガリレオ・ガリレイが一六〇〇年頃の人間だったことや、古代ギリシア時代の人々がすでに地球は球体であると気付いていたことを考えると、「地球」という言葉さえ知らないエリノアのレベルは恐ろしいほど遅れている。

 いくら教育や文化の差が開いていたとしても、現代社会においてこれほど無知でいられるとは思えない。

 明日の飯に困るほどの飢餓に苦しむ国なら教育が行き届かないこともあり得るけれど、エリノアの言葉はずいぶん丁寧であるし、何より身なりも整っている。栄養失調にかかっているようにも見えない。

 どう考えても、エリノアの言葉はここが「地球以外のどこか」を指しているとしか考えられなかった。


 地球ではないとしたら、ここはいったいどこなんだ。と、思っていたけれど。

 どうやら俺は、地球ではないまったく別の世界に来てしまったらしい。


「ちきゅうとは、セトの生まれ故郷ですか?」

「……まあ、そのようなものです」

「そうですか。……しかし申し訳ありません、この辺りにそのような名前の国や都市はないもので」


 俺を見るエリノアの目に憐情が滲む。片手を頬にあてながら、動揺と困惑で混乱している俺を哀れむような表情だった。

 どうやら彼女は「ちきゅう」が国や街を指していると思っているらしい。日本の常識とあまりにかけ離れたその考えに、俺は思わず頭を抱えたくなった。


「もしかしたら、セトは転移秘術の構成を持った陰獣に遭遇したのかもしれませんね。あの大怪我も、そのせいだと考えれば自然です」


 さらにエリノアは、俺がもっと混乱するようなことを言い放った。

 うーん、と困ったように手のひらを頬にあてるエリノアは、とても冗談を言っているようには見えない。


「……は?」


 転移秘術だの、陰獣だの。

 聞きなれない言葉ばかりが飛び出した気がする。

 おもいっきり眉間に皺を寄せると、エリノアは「ご存知ありませんか」と言って笑った。


「私が治癒秘術の構成を持っているように、獣にも構成を持って生まれてくるものがいるのです。それらは通常の獣と分けるために陰獣と呼ばれています。そして、陰獣の中には転移秘術の構成を持ったものがいると確認されています」

「……よく、分かりません」

「まあ、セトは秘術についてあまりお詳しくないのですね。魔術に馴染みのない地域もあると聞いておりますが、セトもそうなのでしょうか?」


 さも当然のことのように言うエリノアに、俺は言葉を続けられずぽかんと口を開いた。

 だって、魔術って言ったよな? 魔術って、……魔術って何?

 俺はいったいどんな世界に来てしまっているんだ?


 気付けば手の中はじっとりと汗で濡れていた。

 よく分からない不快感が胸のあたりで渦巻いていて、まるで酩酊した次の日の朝のようだ。

 気分が悪い。……気持ち悪い。そうと自覚すると途端に吐き気がこみ上げてきた。


「すみません、ちょっと、……吐きそうで」

「まあ! それは気付かず失礼いたしました。申し訳ありませんが、私の治癒秘術で嘔吐感をなくしてさしあげることはできませんので、どうしても我慢がならなかったらこちらをお使いください」


 そう言ってエリノアが差し出したのは金属製のたらいだった。吐くならここに吐けということだろう。

 嘔吐感が喉のあたりまでせり上がってきて、反射的に口元を手でおさえる。するとエリノアは「これくらいしか出来ませんが」と言って背中をさすってくれた。それだけでなんだか楽になった気がするのは、彼女の言う「治癒秘術」とやらのせいなのかもしれない。

 ……でも、俺はそれを知らない。地球には、俺の世界にはなかったものだ。治癒も、転移も、秘術も魔術も。


「無理をさせてしまって申し訳ありません。お話はまた今度にいたしましょう。今はどうかゆっくり休まれてください」

「あの、……家の人は、なんて」


 嘔吐感に耐え切れず涙がぼろぼろ流れ出る。生理的なものとはいえ、自分よりもずっと歳下の女の子に見られたことが気恥ずかしくて、俺は片手で目を無理やり拭った。

 エリノアは優しく微笑むと素早く立ち上がった。そして壁際のチェストの上に置いてあった呼び鈴のような鐘をチリンと鳴らした。


「ここは私の宮でございます。主人は私ですので、お気遣い頂かなくとも大丈夫です」

「……え」

「今、私の侍女をこちらに呼びました。その者をメイドとしてお付けいたしますので、何かあれば彼女にお申し付け下さい」


 エリノアはそう言って、やたらと豪勢な部屋の扉の前に立つ。目が覚めたばかりの時は気付かなかったけれど、扉にもびっしりと装飾が施されていた。

 ……いや、今、エリノアはこの家が自分のものだと言った。自分がこの家の主人であると。

 と、いうことは。この金銀細工が施された扉も、金属の水差しも、高そうなチェストも、椅子も、カーテンも、カーペットも、すべてエリノアのものということだ。


 言葉が出ない。

 意味の分からないことばかりが続いて頭がおかしくなりそうだった。


 ふと、扉を優しくノックする音が聞こえた。素早く二回。それにエリノアが「入りなさい」と応えると、扉が静かに開いた。


「セト、紹介いたします。彼女はジゼル・イニス。私の侍女です」


 そう言って、エリノアは一歩後ろに下がった。それに合わせてジゼルと紹介された給仕服の女性が前に進み出る。

 背はエリノアよりも頭半分くらい高い。髪は栗色、目は灰色、つんとすましたようなその顔は、これまたぎょっとするほど美人だった。


「ジゼル・イニスと申します。よろしくお願いいたします」


 両手を前に、ジゼルさんが深々と頭を下げる。声もまた顔と同様に無表情で、ひどく淡々としていた。

 ただ、とにかく美人だった。エリノアが天使のような可愛らしさを持った女の子だとしたら、ジゼルさんはクールビューティ系の女性だ。栗色の髪は編みこんで後ろにまとめられていて、隙なく着込んだ給仕服には皺ひとつなかった。


 気付けば嘔吐感はどこかに引っ込んでいた。

 俺はからっぽのたらいをサイドボードの上に戻すと、無言でぺこっと頭を下げた。


「セト、何かあったら遠慮なくジゼルに申し付けてくださいね」

「……はい」


 エリノアはそう言うと、笑顔のまま部屋から出て行った。

 途端に部屋の中が静まり返る。窺うようにジゼルさんの顔を見上げると、彼女は無表情のまま「なにかご用はございますか」と言った。


「あの、えっと……ジゼルさん」

「ジゼル、と」

「はい?」

「私のことは、ジゼルとお呼びください」

「は、はぁ、そうですか」


 とりあえず会話してくれたことに安堵しつつも、淡々とした声は相変わらずだ。

 俺は痒くもない頬を指先で引っ掻きながら、ジゼルさん、もといジゼルに「俺はどうしたらいいですか」と問いかけた。

 するとジゼルは、無表情はそのままにコクリと小さく頷いた。


「セト様はお具合がよろしくないと伺っております。今日はもうお休みになった方がよろしいかと存じます」

「じゃあ、お言葉に甘えて寝ようと思います。その間、ジゼルさ、……ジゼルはどうするんですか?」

「私は常に部屋の外で待機しております。何かあればお呼びください」

「わ、分かりました」


 静かに喋る女性に威圧感があるはずもないのに、表情が変わらないせいなのかよく分からない凄みを感じる。

 俺は逃げるように布団に潜ると、それを一気に顔の上まで引き上げた。


「では、もう寝ます」

「はい。おやすみなさいませ」


 静かなジゼルの声がして、それから扉の開閉音が聞こえた。部屋から人の気配が消えたのが分かる。


「……何が起こってんだろう」


 当然ながら、俺のその質問に答えてくれる誰かはいない。ヒントもない。もちろん、対処法も存在しない。

 俺は、しばらくぼーっと天井を眺めていたが、やがて睡眠の中に意識を沈めた。

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