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王国再興コンサルティング  作者: 三波
第一章 セトとエリノア
1/7

1.もしも次があるのなら

 やり直したいと思ったことはない。

 なぜかというと、どこからやり直せば上手くいくのか、今でもよく分かっていないからだ。


 とは言え、自分が不当に扱われたという事実だけは変わらない。

 俺は裏切られ、嵌められた。培ってきた信頼をぶっ壊された。たった一人の男の手によって俺は会社を追われたのだ。


 やり直したいわけじゃない。

 けれど、もし「次」があるのなら。

 その時は、他人に裏切られるほど嫌われないよう立ち回り、嵌められるような隙を見せることもなく、今度こそ、上手くやりたいと思う。


 *


「七百二十三円になります」

「はい」


 アルバイトの女の子に言われて千円札と二十三円を差し出し、三百円のお釣りを受け取る。

 二年前から愛用しているエコバックの中身は、じゃがいもとにんじん、それからたまねぎ。ついでに缶ビールが二本ほど。酒以外、もれなく今日の夕飯の材料だ。肉は消費期限ギリギリの豚肉が家にあるので、あえて今日は買っていない。ルウも買い置きが残っているからそれを使えばいいだろう。

 今日の夕飯はカレーである。その材料を買った帰り道、俺は薄暗い空を見上げながらのろのろと家に向かって歩いていた。


 瀬戸亮輔、二十八歳。

 酒を愛する禁煙中の独身男。それが俺だ。


「……さむ」


 帰路につく足はどうにも重たい。季節は初春、まだまだ冷える夜の風が体に倦怠感をもたらしているのだろうか。

 駅前広場の時計台は夜の十九時を指していた。ちょうどサラリーマンの帰宅ラッシュだからか、駅周辺はスーツ姿の大人たちで溢れている。

 中にはこれから飲みにくりだそうとしているグループもあって、金曜日の夜にふさわしい喧騒がそこにはあった。


 思えば、つい二ヶ月前まで自分もあそこにいたんだった。

 楽しそうに騒ぐサラリーマンたちを見ながら、俺はぼんやりと考える。


 でも、今の俺はサラリーマンではない。

 自ら辞めて出てきたのだ。社会的な保障、キャリア、人脈、そういうものを全部捨てて。

 後悔はしていない。辞めてしまえと思うだけの理由はあった。……でも、だからといって、虚しくないわけではなかった。


「あー、またあのこと思い出した……」


 ぐぅ、と腹が鳴る。早く帰って夕飯を作ろう。腹が減るから嫌なことばかり思い出すに違いない。

 俺はその集団から勢いよく視線をそらして、駅前の広場を後にした。


 *


 俺はニートだ。

 否定するまでもない。二ヶ月前に仕事を辞めて、自己都合退職ゆえに三ヶ月間は失業保険も出ないから、貯金で食いつないでいる。次の仕事も探していない。

 完全なるニートである。


 二ヶ月前まで勤めていた会社はいわゆるIT系コンサル屋だった。そこそこ大手だけあって、日々忙しく、そしてやり甲斐もあった。給料もよかった。大学を卒業してその会社に新卒入社した俺は、そこで仕事人間として生きていた。


 当時の俺にとっては仕事がすべてだった。

 彼女がいたこともあったけど、仕事にかまけてばかりの俺に理解を示す女はいなかった。仕事と女を天秤にかけて女を取るという選択肢がなかった俺は、去っていく彼女を見ながら「仕方ない」と思っていた。

 勉強も必死にやった。本を買い込み、セミナーに参加し、資格も取得した。資格試験の代金は会社が出してくれた。俺はますます仕事にのめり込んでいった。


 充実していたと言っていい。

 俺は、忙しくもやり甲斐のある仕事が大好きだった。


 転機が訪れたのは三ヶ月前だった。

 俺は、顧客管理システムの構築という、よくあるプロジェクトの担当になった。

 メインの担当者が俺、そして補佐として同僚が一人ついた。見田村という、俺と同い年で、同期入社の男だった。


 俺と見田村は、たぶん、特別仲がいいわけでも悪いわけでもなかった。

 飲み会で隣の席になればそれなりに盛り上がるが、二人でわざわざ時間を作って食事に行くようなことはない。

 同僚としてよくある距離間だった。


 俺は、いつも通りに仕事をこなしていった。見田村と連携して、クライアントの要望を組み込みながら戦略を練りつつ、システムの仕様を固めた。

 クライアントの印象もよさそうだったし、見田村はかなり仕事ができる奴だったようでとてもやりやすかった。

 すべていつも通りに進んでいた。


 でも、いつも通りだったのは途中までだった。


『このUSBメモリって瀬戸のだったよな?』


 そう言って見田村が俺につきだしてきたのは、確かに俺のUSBメモリだった。

 いつもなら、鍵のかかった引き出しに入っているはずのそれ。

 ミーティングから帰ってきた俺を、フロアにいる社員全員が刺すように睨んでいる。

 見田村の目もまた、軽蔑を訴えるように細められていた。


『顧客データなんて大事なもの、どうしてUSBメモリに入れておいたんだ』

『……は?』


 見田村が俺を詰問する。

 何が起きているのか、何を問い質されているのか、俺は瞬時に理解し、そして——思わず声を荒らげた。


『違う!』

『なにが違うんだ!』

『俺じゃない!』

『このUSBメモリは瀬戸のだろ!』


 顧客データ。USBメモリ。その二つのワードがあれば何が起きたかすぐ分かる。

 情報流出。しかも、俺が持っている顧客データにはクライアントの今後の戦略に関するデータがまるごと入っている。


 ——血の気が引いた。


『顧客データの外出しなんて、そんなのするわけないだろ!』

『知るか! おまえがそう言っても、現にデータは漏れてんだよ!』


 言って、見田村が書類を突きつける。

 目の前に差し出されたそれは書類ではなく、ファックスだった。クライアントからデータ流出の説明を求める怒りの一文が書いてあった。

 ふと見れば、フロアの片隅には電話しながら必死に頭を下げている女子社員がいた。泣きそうな顔でメールを打っている社員も。今にも血管がブチ切れそうな表情で俺を見ている上司も。


 頭がおかしくなりそうだった。


 俺はやっていない。

 顧客データをUSBメモリに入れて持ち運ぶなんて、そんな馬鹿なことをコンサル屋がやらかすわけがない。


『……おまえには失望した』


 そう言って、見田村はUSBメモリを投げた。カラン、と硬質な音がして、それはデスクの上に転がった。

 

『責任とれよ、瀬戸』


 ——この日、俺は社内の信用を一瞬にして失った。


 *


 家路につきながらあの時のことを思い出す。

 結局、俺は、逃げるように会社を辞めた。


 もちろん、顧客データを外部メモリに移していないことは主張した。

 しかし、現実としてデータは流出していて、しかもそのデータは俺が担当しているクライアントのものだった。おまけに俺のUSBメモリには入れた覚えのないデータファイルがしっかりと入っている。その状況で俺が信用されるはずもなかった。

 懲戒解雇にならなかったことだけが温情なのか、会社は「自己都合による退職」で判を押し、俺を見送った。当然ながら、誰も引き止めはしなかった。


 俺はやっていない。

 でも、事実としてUSBメモリにはデータが入っていた。

 つまり、誰かが俺を嵌めたのだ。


 そして、それは恐らく見田村だろう。

 証拠はない。動機も、せいぜい、同期入社にも関わらず見田村が俺の補佐扱いだったから、くらいしか思いつかない。

 でも、見田村なら、俺がパソコンの起動パスワードを後ろから覗き見ることもできるし、どのデータがなにを指しているかも知っているし、なにより「流出させてもカバーできるギリギリのライン」を見定めることができるだろう。


 もちろん、倍賞といった補償は必要である。だが、おそらく倒産や破産という事態にはならない。

 そういう微妙なラインのデータだった。「この情報が漏れたら賠償金くらいじゃ済まない」という致命的なデータは、USBメモリの中に入っていなかったのだ。


 俺はやっていない。でも、見田村ならできる。

 それが俺の出した結論だった。


「……って言っても、証拠もないし。証拠を探したところで、今さら戻りたいわけでもないし……」


 たとえ俺を嵌めたのが見田村だったとしても、それを確定付ける証拠は何もない。なにより俺はすでにあの会社を辞めてしまっている。

 もう終わってしまったこと。そんなふうに無理やり自分を納得させるしかなかった。


 ……とは言え、同僚に手酷く裏切られ、社内の信用を一瞬で失った身としては、またすぐに仕事を探そうという気も起きない。

 はっきり言って、働きたくない。

 今まで仕事一辺倒だったツケなのか、俺は見事に無気力人間になってしまっていた。


 そんなわけで俺は今、ニートである。

 一人暮らしだし、自分の貯金で生きているし、仕事する気がないだけなので、もしかしたらただの無職かもしれないが。


「あー、仕事どうすっかなー」


 貯金はまだそこそこあるけど、無尽蔵ではない。当たり前だ。

 いずれは働かなければならない。この堕落した生活から抜けだして、もう一度、社会人をやらなければならない。


「めんどくさいな……」


 夜空を見上げる。空には数えきれないほどの星が散りばめられていた。

 吐く息は白く、まだまだ冬の名残を感じた。


「…………ん?」


 ふと。

 どこからか、ビキッという音がした。

 何かにヒビが入ったような、耳に不快な音。

 そして、それと同時に、——頭上に何かが降ってきた。


「は?」


 上から降ってきた「それ」が何だったのか、俺にはよく分からない。

 ただ、ちょうど上を向いていた瞬間だったので、「それ」は俺の額に直撃した。一瞬の衝撃。ゴキッという嫌な音が頭蓋に響く。

 遠くで「看板が落ちた!」という声が聞こえたので、もしかしたら俺は壊れたネオン看板あたりに潰されたのかもしれない。


 意識はすぐに遠のいた。

 あまりにも突然のことで、何がなんだかさっぱり分からなかった。


 救急車のサイレンの音もしない。

 野次馬の喧騒もまだわずかだ。

 事態の把握をするより前に、俺はあっさりと気絶した。


 そして俺は、——それから半日後に死亡した。

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