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「ふーん……そうきたか」
道の左右に立ち並ぶ背の高い木を眺め歩きつつ、ルイが楽しげに言った。
その左後ろで、シンがふふっと笑う。
「結構上手いね、気配消すの」
「少し、甘く見過ぎたようです。有能そうなコルドは別として、アホ丸出しのシキでさえ、感知できなくなるなんて……
でも、そうしてきたってことは、コルドがやる気を出したみたいですね」
「んー……やっぱり渡しておけば良かったかな。もう一本」
その言葉に、ルイは心底嫌そうな顔で後ろを見やり、
「えぇ~……止めてくださいよぉー……
作戦立ててきたってことは、どー考えても頭脳戦になるじゃないですか。
それだけでも私が不利になるってのに、これ以上のハンデは無理ですよ」
「苦手だもんね、そういうの」
「苦手じゃないです。あんま得意じゃないってだけです」
拗ねた子供みたいな口振りのルイに、シンは爽やかにくすくす笑った。
「まぁ、とにかく――」
ルイは話を変えることにし、再び前に向き直る。
「あいつらが何を仕掛けてくるか、お手並み拝見ですね」
**
シキが走る。気配を悟られぬよう慎重に、けれど出来るだけ疾く。
木々の合間を擦り抜けて、目的の場所までまっすぐ向かう。
所々で幅の変わる道の、なるべく広い場所に出る。
コルドは道の中心に立ち、茂みから音も無く飛び出してきたシキを見やり――
その背後から迫り来るモノたちを眺め、薄く笑った。
**
「うっわ……」
目の前に広がる光景に、ルイは思わず顔をしかめた。
道の上に立ち並ぶ突起型の氷像。自分の背丈より倍高いその像は、道の端から端、あるいは木々の間にまで乱雑に散りばめられていた。その一本一本の間は、人一人が余裕で通れるほどの隙間があるが、幾重にも重なった配置のせいで、道の先まで見通すことは出来ない。簡単な迷路になっている、と言ったほうが分かりやすいだろう。
もしそれらがただの氷の塊だったなら、周りの木々と相まって、幻想的な雰囲気を醸し出していたかもしれない。しかし、うっすらとだが中身が見えているために、どちらかと言えば悪趣味な代物になってしまっていた。それぞれ姿勢が違う、悪鬼やグールたちのせいで。
一通り見回して、ルイが嫌そうに呟く。
「何これ……?」
「見た通りですよ」
声は左上から聞こえた。
反射的に見上げたその先には、そこそこ高い位置にある太い枝の上に、器用にも片膝立ててしゃがみ込み、にっこり笑うコルドの姿。
ルイは小さく息をつき、
「何をやってくるかと思えば……
――言ったはずよ。術の使用は禁止だって」
「それはわかっていますよ。誤解しないでください。
僕は妖魔を倒すために術を使っただけですから。ルール上、問題は無いでしょう?」
「……そうね」
あっさりと正論で言い返され、少々不本意だが素直に認める。
因みに、シンはいつの間にかルイと距離を取っており、そこそこ離れた後ろの方で事の成り行きを黙って見守っていた。
ルイはちらりと氷像を一瞥し、再びコルドに向いてにやりと笑う。
「で? どー見ても怪しいこの間を通って行け――なんて言うつもり?」
「まさか。どこを通るかなんて、貴女たちの自由なんですよ?
僕が指示しても意味が無いでしょう。そんな無駄なことはしませんよ」
嫌味のこもった言葉にも、表情一つ変えずに答えるコルド。
ルイは内心、穏やかではなかった。
(やっぱ心理戦できたか……どうしようかな……)
ダメ元でシキの気配を探るが――やはり見つからない。恐らく近くの、例えば氷像の後ろとかに潜んでいるとは思う。だが裏をかいて、ということもある。
要するに、今のルイには全く見当がつかないのだ。シキの動きも、コルドの考えも。
唯一確信を持って言えるのは、コルドがルイたちの前に姿を見せたのは陽動のため、ということだけである。
「――あぁ、一応言っておきますね。
僕は何もしませんし、ここから動くつもりもありません。ですから、僕の事は無視してくれて構いませんよ」
にこやかに微笑むコルドに、ルイの笑みが引きつった。
「それ、ほんとでしょうね?」
「えぇ。僕は見てるだけです」
試しにゆさぶりをかけてみたが、やはり無駄だった。コルドの態度は自然そのもので、表情からは何も読み取れない。嘘かどうか見破ることは出来そうになかった。
(悩む要素増やしてくれちゃって……わざとらしいのよ、この腹黒)
――もし、今の言葉を素直に信じるなら。
仕掛けはすでにできている。だから今から何かをする必要など無い。
つまりはそういうことだろう。
だとすれば――
警戒するのはどこかにいるシキと、恐らく仕掛けられているだろう罠だけでいい。
ルイは氷像たちに向き直り、顎に手を当て黙考する。
(普通に考えれば、シキがいるのは氷像のどこか。死角から不意打ちを狙うのが定石……
けど、どー見ても仕掛けがあるようにしか見えないこの氷像の中を、私がバカ正直に通って行く――なんて考えるかしら……)
ルイが導き出した可能性は三つ。
一つはそれ。
一つはその逆。あからさまに怪しいモノを置いておき、本命の罠を隠している。
例えば、氷像を避けて森に入っても、そこに罠を仕掛けてある……とか。
そして、一番可能性が高いのが三つ目。すなわち、どちらにも罠がある――ということ。
――だが。
彼が、わざわざ自分たちの不利になるようなことを言うだろうか。
今の言葉は『不安要素を少しでも減らしましょう』という意味だ。警戒すべき点を一つ減らすことが、彼らにとって有利になるとは到底思えない。
そう考えると、今の言葉も嘘である可能性が高い。
(いやでも……)
そうやって、ぐるぐる思考を巡らせるルイ。
この時すでにコルドの思惑通りになっていたことなど、ルイは気付きもしないだろう。
コルドは始めから嘘をつくつもりなどない。先ほど言った通り、ここから動く気はないし、その必要も無いと考えていた。
もしルイがもう少し単純で、コルドの言葉をそのまま受け取っていたなら、結果は違っていただろう。少なくともその時点で、コルドは計画を変更しなければならなかった。
しかし、今のルイの様子を見る限り、その必要はなさそうだ。彼の狙い通り、ルイは集中力を分散し、コルドにも意識を向けている。シキだけを警戒していたなら、あるいは見つけられていたかもしれないのに。
あからさまな言葉で相手を惑わし、本命を隠すのは心理戦の上等テクニックだ。
それはルイも考え付いたことだが、コルドはそれを何重にも張っていた。そのせいで彼女は余計な疑心を抱き、思考のループから抜け出せないでいる。
普通に考えれば、悩む必要など全くないのだが。
ルイがそのことに気付いたのは、さんざん悩んだ後だった。
(――そうだ)
もしこれが単純な殺し合いなら、読み間違って罠にかかった時点でアウトだが、これはシンが提示したテストにすぎない。何でも有りではなく、お互いにだが制限付きなのだ。
その制限の一つがあの剣。
どう見てもコルドは手ぶらで、間違いなく剣を持つのはシキである。
つまり、どこにどんな罠を仕掛けていようが、例えそれに引っかかろうが、結局はシキの攻撃を避けさえすればいいのだ。
少し前でのシキとのやり取りを考えると、シキのスピードには余裕でついていける。
自分が警戒を怠らなければ、なんとかなるだろう――そう、結論を出した。
(どーこが罠かなんて、考えてても仕方ないし……こういうときは臨機応変。
特攻あるのみよね!)
ルイはふふんと余裕の笑みを浮かべ、
「いいわ。遠回りするのも面倒だし、堂々と通ってやろうじゃない」
コルドに向かって一方的に宣言し、氷像たちの中へと足を踏み入れる。
わざわざあからさまに不審な方を選んだのには理由があった。
(どんな仕掛けか気になるし。それに掛かったうえで、蹴散らしてやろうじゃない!)
少々の好奇心と『その方が誇らしい』という思いが。
**
コルドは内心、ほくそ笑む。
ルイがぐだぐだ悩んでいる間に、彼らの準備は整った。
彼が狙っていたのは、ルイを動揺させることだけではない。むしろ、時間を稼ぐことが重要だった。
彼女は気付いていない。ゆっくり変わった、あることに。
それが勝負の決まり手だった――
ルイはきょろきょろ辺りを警戒しながら、それでもいつものペースで進んでいた。片腕を上げたまま凍っている悪鬼の横を通り、大口を開けて飛びかかるポーズで固まるグールを回り込んで、恐らく最短距離であろう隙間を歩く。
シキの気配は未だに捉えられない。氷の透明度が低いため、視界が悪いことも災いしていた。
その様子は、上にいるコルドからは良く見える。
あと十秒。
(計算通りかな)
コルドは静かにカウントダウンを始める。
九。八。七――
ルイは黄色い肌の悪鬼を避け、立ったまま氷漬けになっているシキを発見。
目を閉じて、宙に浮くような格好の。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
思わず驚いて叫ぶルイ。あまりの予想外の事に、オーバーリアクションで身を引いた。
(ゼロ)
コルドの中で、カウントが終わる。
次の瞬間――
シキが目を開け、その場の全ての氷が砕け散る!
ネタを明かすと、凍っているように見せただけである。
突起型の氷を作り、中と後ろ半分を開けただけの代物。ちゃんとそれらしく見えるよう、中央に氷で台を作り、シキはその上に立っていた。横から見ると間抜け以外の何物でもないが、正面から見ればこの通り。周りの氷像という先入観も手伝って、本当に凍っているように見えたのだ。
砕かれた氷が地面に散らばるより早く、シキは地を蹴り、剣を突き出す。ルイはびくりと体を震わせただけで、動くことが出来なかった。
「もら――あっ!?」
ビリィィィッ
足元に転がった氷の塊につまづいて、前に吹っ飛ぶように倒れるシキ。その際、何かに頭をぶつける。青色の何かに。
「いてて……」
地に手をついてむくりと体を起こすと、すぐ前にルイのきょとんとした顔があった。
どうやら、尻餅をついたルイの足の間にいるらしい。剣はその横に転がっていた。
ルイは左手を地面について上体を支え、右手で服を押さえていた。左脇腹から斜め下に切り裂かれた服を。落ちないように。
シキはぱちくりと瞬きし、
「おわぁぁぁぁっ! ごめんルイ!」
状況を理解した途端、慌てて立ち上がる。青い顔でじりじりと後ずさり、ルイの後ろに視線を向ける。
ルイは体制を横座りに変え、その背にふわりと何かをかけられた。
それはコルドの上着だった。
ルイは思わずそちらを見上げ、半袖ティーシャツ姿のコルドは、全くルイを見ずにそのままスタスタとシキに歩み寄る。
「このバカ! だから言ったのに!
あの剣、服には判定あるだろうから頭か手足狙えって!」
目を吊り上げて怒鳴るコルドに、シキはだらだらと脂汗を流し、肩の位置で両手をぶんぶん振る。
「ごめんって! わざとじゃないんだ!」
「うるさい。いいから後ろを向け、彼女を見るな」
コルドは両手でシキの頭を掴み、無理やり顔の向きを変えさせる。
「あだだだだ! ちょっ! コルド! これ痛い! 首と頭が痛い!」
「知るか。無礼なことをやるシキが悪い」
「うぇ~ごめんってぇ~……」
そんな二人のやり取りをぼけっと眺めつつ、ルイは溜め息を吐いた。
「ふふっ♪ 負けちゃったね、ルイ」
その後ろから声がかかる。振り向いて見ると、爽やかに笑ったシンが近付いて来ていた。
シンはルイの横で立ち止まり、覗き込むように前かがみになる。
ルイはジト目をシンに向け、
「シン様。服切れるならはじめに言ってくださいよ。びっくりしたじゃないですか」
「ちゃんと言ったよ? 人体だけは、透過するって」
にこやかに答えるシンに、ルイは再び溜め息を吐いた。