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――そして、今に至る。
よろよろと立ち上がりながら、シキが悔しげに言う。
「くっ……思ったより強いな……ルイ」
「あんたが弱いだけでしょ!」
思わず大声を上げるルイ。
一行はすでに、草原の端の方まで来ていた。ルイとシキが前方で、その後をシンとコルドが少し距離を開けてついて行く、という進み方だった。
因みに、二人が持ち歩いていたトランクは、コルドが物質召喚という術で収容している。
コルドは、つい先ほどまでこの術の仕組みを理解していなかったため、消したり出したり出来るのは武器くらいだと思っていたが、シンの解説で大方理解した。
曰く、この術は使用者専用の異空間を作りだし、そこに物体を送る、または取り出すというもの。自分の手で触れている物しか送れないが、無生物の物体なら好きなだけ収容でき、かつ、通力のコストが非常に少ないことが利点であり、ほとんどの術師が使えるらしい。
(さすが、神とその付き人……。術のことを聞くなら、これ以上の適任者はいないな)
慣れない剣で何度も斬りかかり、その全てを難なくかわされ、ついでに投げ飛ばされるシキの姿をぼけっと眺めながら、コルドは一人で考えていた。
(それにしても……)
一切無駄の無い動きで、シキの相手をしているルイをちらりと見て、
(なぜ彼女は、シンさんみたいに霊体じゃないんだ……?
以前、どこかで読んだ文献には、天界に住む神の傍らには"主護者"と呼ばれる者たちがいる――とあった。二人の関係から見て、ルイさんが主護者なのは間違いない。
けど確か……天界には霊魂でないと入れないはず。なら当然、主護者も霊体ってことになる。でもルイさんは――恐らく人間だ。霊体だったら、食事の必要も、宿を取る必要もないはずだし……)
この間に、シキはルイの正面から突きを繰り出し、ルイは軽やかに跳躍して避け、シキの頭に手をついてくるりと一回転。少し離れたところに着地する。
ルイは後ろを振り向き、呆れをあらわに怒鳴る。
「だから! あんた私より弱いんだから、ちょっとは考えてかかってきなさいよ!」
「んなっ! ちゃんと考えてるよ! 通じてないけど!」
慌てて振り返ったシキが叫び返した。
コルドはそんな二人を気に留めず、思考を巡らせていた。
(……もしかして……)
シンを横目で見やり、気付かれる前に視線を戻す。
(天界で――何かが起こった……? 少なくとも、主護者が転生しなければならない程の……そんな何かが……)
そしてまた、高く投げ飛ばされるシキ。きれいな放物線を描き、森の入り口にある太い木の幹に、顔からべしっと当たった。
「へぶっ」
情けない呻きを残してずり落ちる。
ルイは短く息を吐き、体勢を直すと、くるっと振り向いてシンに笑いかける。
「ほら、シン様! もう森ですよ! これを抜ければ次の町ですね!」
「ふふっ♪ そうだね。明日には着けそうだね♪」
シンが明るく答えた。
シキは剣を支えによたよたと立ち上がり、ふと、手持ちの剣を見つめた。
「あれ……? そういえばこの剣、土とか木とかは通り抜けないんだな」
「そうだよ。透過するのは人体だけだからね。それ以外は、普通の剣と一緒だよ」
シンの解説に、シキは、ふーん、と返し、
(まぁどの道……この試験に受からない限り、僕たちには関係ないか)
コルドはそこで考えるのを止めた。
**
森に入ってしばし経ち――
シキたち一行は背の高い広葉樹に挟まれた、南に向かうそこそこに広い道を進んでいた。人通りがほぼ無い割には平淡な道で、ところどころに地面も見える、非常に歩きやすい道だった。
「くっそぉー……かすりもしねぇ」
道端にある太い木の根元で、上下逆さまにひっくり返った格好のまま、シキがぼやいた。
剣を振り上げながら全力で駆けてきたシキを、ルイはすんでのところで横に避け、そのまま足を引っ掛けただけで見事にごろごろ転がって行ったのだ。
ルイは両手を腰に当て、えらそうに胸を反らして得意げに言う。
「ふっふーん♪
ちょろすぎよ、あんた。そんな攻撃、当たってあげる気にもなんないわ!
このままならシン様との二人旅になりそうね!」
「うー……」
身を起こしながら悔しそうに唸るシキ。
(参ったな……マジで強い。……どうすっかな)
考えながら、剣を一度地面に突き刺し、両手で服の汚れを軽く払った。右手だけで剣を抜き、ちらりとコルドを一瞥する。
(コルドなら勝てるかもしれないけど……協力してくれねぇだろうし……)
シキは額から流れ落ちてきた汗を左手の甲で拭い、
「あ! シキ後ろ!」
コルドがシキの真後ろを指差して叫んだ。
シキは反射的に振り向き、
「なにぶぇっ!」
いきなり現れた獣の体当たりを正面から受け、ルイの近くを通り、反対側の道端まで吹っ飛ばされる。シキは瞬時に体勢を整え、しゃがむように着地し、スピードを殺した。左手で腹を押さえ、あまりの苦痛に顔をゆがめて何回か咳き込んだ。
「……くっそいてぇ……」
獣はシキがいた場所に立ち、犬歯をむき出しにして低いうなり声を上げている。
ルイはすぐさま両手に拳銃を現わし、じっと獣を見つめたまま鼻で笑った。
「あんた、グールにも気付けないの?」
グール――狼とライオンを足して、太い紐のような尻尾を三本つけたような、獣型の妖魔である。その大きさは、少し体格のいい人間と同程度。面構えは凶悪で、血走った眼には剣呑さが表れている。獣らしく巨体でありながらも俊敏であり、その顎の力は半端なく強い。人体はおろか、岩程度なら軽々と砕いてしまうほどだ。魔術を使うことは無いが、知能もそれなりにあるため、低級の中では一番やっかいな相手だと言われている。
但し、グールの多くは嬲り殺しが好きらしく、一撃二撃で殺されることはほぼ無いので、反撃はしやすい。
コルドはシキの傍まで駆け寄り、心配そうに声をかける。
「シキ、大丈夫?」
「あぁ……怪我はしてない。ちょっと腹が痛かったけど」
左手は腹部に当て、警戒するようにグールを見つめたまま立ち上がり、シキは答えた。
グールは喉の奥を鳴らし、シキたちとの間に立ち塞がるように佇むルイを睨んだ。だがすぐに、その視線は左側――シンの方へと移される。途端。
パンッ!
ルイは左手の銃で一発だけ撃って、見事にグールの眉間を打ち抜いた。
グールは力を失って横に倒れ、黒い粒子となって消える。
「シン様を狙うなんて、頭が高いのよ」
冷たく言い放ち、不敵に笑うルイ。
木々の奥で、がさがさと複数の足音が聞こえてくる。
「悪鬼五、グール七ってとこか」
ルイが言って、肩越しに振り向いてシキたちを見やる。
「あんたたちは動かなくていいわ。――すぐ終わるから」
そして、大した時間もかからずに、敵十二体は地に転がった。茂みから飛び出した瞬間を狙って、正確に頭部を撃っていた。何も出来ずに動きを止めた妖魔たちが消えていくのを視界に入れつつ、ルイは両方の弾倉を交換し、術を使って銃を消した。
「すっげー……百発百中じゃん」
シキが感嘆の声を上げる。
ルイはくるりと振り返り、しばらくシキを見つめた後、にっこり笑った。
「私、元軍人なのよ。それも銃撃部隊の超エリート。だから銃火器の扱いには自信あるの」
「へー」
素直に相槌を打つシキ。コルドはわずかに眉をひそめた。
シキは小走りでルイに近づき、わくわくした様子で、
「なぁなぁ! 両手に銃持ってたけどさ、ルイって両利きなのか?」
「そうよー」
にこやかに答えるルイ。
「マジで! いーなぁー……俺もコルドも右利きだからさー」
「まぁ、ほとんどの人がそうでしょうね」
ルイはすまし顔でそう言って、
「でも、シン様は左利きだけど♡」
ほんのり頬を赤らめ、どこか嬉しそうにもじもじと動いた。
(チャンス!)
きらり、と目を光らせ、この隙を逃すまいと剣を持つ右手に力を込める。
すぐに下方からの逆袈裟切りを仕掛けた!
ぶんっ
しかし、ルイはそれをバックステップで避け、
「さっきよりはいいタイミングね。けど――」
剣を振り上げたポーズのままで、驚いて目を見張るシキの懐に入り込み、無防備な額にデコピンをくらわせた。
咄嗟に目を閉じてしまったシキは、そのまま足払いをかけられ、
「ぅわっ!」
どてっと背中から倒れ込む。
「まっだまだ甘いのよ♪」
ルイは余裕の笑みを浮かべ、シキを見下ろして言った。そして一度シンを見やり、
「さて――行きましょうか、シン様」
にこやかに言うと、南に向かって歩き出した。
シンはちらり、と心配そうにシキを見て、すぐにルイの後を追う。
コルドは仰向けに寝転がったまま動かないシキに歩み寄り、頭の上で片膝立ててしゃがみ、
「もう諦めたら? シキじゃ彼女には勝てないよ」
「…………」
率直な物言いに、シキはぶすっとした表情を見せる。
コルドは静かに息を吐き、困惑と疑問の混ざった顔をした。
「珍しいじゃない、シキがそこまで固執するなんて。いつもは、きっぱり断られたらすぐ諦めてたのに……どうしたの?」
コルドの問いに、シキは少し驚いた顔で見上げ、
「……お前、気付かなかったのか?」
「……何に?」
呆然とした口調で問われ、コルドは思わず聞き返した。
「シンと初めて会った時だよ。あいつ、俺たちを見た瞬間、一瞬だけだけど……すごい悲しそうな目をしてた」
シキは真面目な顔でそう言って、剣を横に置いたまま上体を起こす。
「ただの好奇心だけど――俺はその理由が知りたい。
一緒にいれば、そのうち分かるかもしれないだろ? ……だからだよ」
真っ直ぐシンの背を見据えるシキを見て、コルドは僅かに目を伏せた。
――やがて。
「……わかったよ……」
観念したような呟きに、シキはぱちくりと目を瞬かせ、後ろにいる兄弟の顔を見つめた。
不満そうに眉根を寄せたコルドが短い溜め息を吐く。
(他の事には鈍感なのに、人の機微にはすぐ気付くんだから……そこがシキの凄いところだけど)
「そういうのだけは、解明しないと気が済まない性質だからね、シキは。
――仕方ないから、僕も協力するよ。どうせ止めても聞かないだろうし」
「え? ほんとか? 協力してくれるのか?」
完全に戸惑った様子でシキが言う。
コルドは絶対に味方をしない、と思っていたからだ。
聡明な彼がダメだと言えば、それは本当に良くないことなのだろう。実際、コルドが止めることと言えば、仁義に反する行為や、自分たちに危険が及ぶ可能性のある時だけである。
そして、今回の件では、危険だからと反対した。それが誤りではないことなど、バカなシキでもすぐに分かる。
今までは、その辺にたむろしている悪鬼などの低級妖魔や、盗賊などの悪党相手に戦うことしかなかったが、彼女たちに同行するとなれば、今日のように、魔族や悪魔と遭遇することが多くなるだろう。今よりもリスクが上がるのは目に見えている。コルドが反対するのも、無理からぬことだ。
――だから、もう一度聞くことにした。いいのか、と。
「何を今更。僕が許可しようが止めようが、シキは一人で突っ走って行くじゃない。しかも、そういう事に気付いた時は絶対に譲らないし。
今回は相手が相手だから、さすがに諦めてほしかったけど……引く気は無いんでしょ?
――まぁ、ここまで強情なシキは珍しいからね。たまにはいいかな」
小さく肩をすくめて言うコルド。
シキはパアッと顔を輝かせ、とても嬉しそうにコルドに抱きついた。
「やった! ありがとコルド!」
「はいはい。でも喜ぶのは試験に合格してからじゃない?」
いつもの冷静さで、シキを引き剥がして立ち上がる。
シキは足元の剣を拾い、同じく立ち上がって、
「コルドならルイに勝てるだろ?」
何の疑いも無く、にこやかに言うシキに、コルドは困ったような顔をした。
「いや……それは分からないけど……
――というか、僕は戦う気無いよ」
「え!? だって、協力してくれるんだろ?」
「協力はするよ。でも彼女と戦うことはしない。
女性に手を上げるなんて、僕の流儀に反するからね」
さらりと告げられた言葉に、シキはこてっと首を傾げ、
「……りゅうぎってなんだ?」
コルドはジト目をシキに向け、しばし考えて、
「……自分で決めたルールみたいなもの、かな」
「そうか。それなら仕方ないな」
ほぼ投げやりな説明に、素直に納得するシキ。
「まぁとりあえず。僕がするのはアドバイスだけね。
実行するかどうかはシキの判断だし、通じるかどうかもわからないけど」
「あぁ、それでいいよ。俺のやり方じゃ、ルイには勝てなかったし」
言いながら、シキは一度剣をコルドに持たせ、ぱたぱたと軽く砂埃を払い、剣を受け取り、ルイたちが向かった方に視線を移す。
「んじゃ、まずは追いかけるか!」
ゆるやかに右にカーブしている道の先を見て、元気よくシキが言った。