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『…………』
食堂に下りた二人は、真っ先に目に入った異様な光景に、ただ呆然と立ち尽くしていた。
その場にいるのはシキ達を含めて四人だけで、その内の一人である女将はカウンターの傍でにこにこと笑っていた。残るもう一人は、壁際の席で昼食を取っている。
二人に気付いたその人は、一度食事の手を止め、顔を上げた。
年はシキ達と同じか、少し下くらい。肩まで伸ばした本紫色の髪と、同じ色の精悍な目を持つ、なかなかの美少女だった。
服装は、飾り気のない濃い青色の半そでワイシャツと、白いショートパンツというラフな姿。シャツは裾を出したままで、腰に巻いたベルトを隠していた。
シキとコルドは、その少女――ではなく、少女のすぐ横を凝視していた。
まるで塔のように、何枚も積み重なった大小様々な皿たちを。
「すっげー……よく食うなぁ……」
呆れと感嘆の混ざった声で、シキが呟く。コルドは小さく頷いた。
シキも結構食べる方だが、これ程ではなかった。少なめに見ても、四、五人分の量がある。
「うっさいわね。食べられる時に食べておくのは、旅人の基本よ」
渋い顔をした彼女が、ぶっきらぼうに言った。目の前に置かれたチャーハンに、スプーンを差し込み口に運ぶ。何回か咀嚼して呑み込んでから、二人に問いかける。
「あんたたちもご飯食べに来たんでしょ? せっかくだし……一緒にどう?」
「いいのか?」
シキが聞いて、少女はにっこり笑った。
「ご飯は皆で食べた方が、おいしく感じるでしょ?」
シキはぱちくりと瞬きをして、
「お前わかってるなー!」
と言って、嬉しそうに少女の近くまで駆けて行く。
「んじゃお言葉に甘えて!」
シキは少女の前の席に座り、まだカウンターの傍で突っ立っているコルドに手を振った。
「お前も来いよ!」
「…………」
コルドはすぐには反応せず、少し考えた後、
「……今行くよ」
シキが首を傾げるより早くそう言い、シキの右隣りにあるイスに座った。
コルドはにっこり笑い、
「すみません。同席させてもらって……」
と詫びの言葉を入れる。
少女はコルドを見て、同じくにっこりと笑った。
「気にしなくていいのよ。誘ったのはこっちだし」
シキが女将を呼ぶ。適当に二人分の食事とお茶を注文し、女将は厨房に引っ込んだ。
シキは少女に笑顔を向け、
「じゃ、まずは自己紹介からだな! 俺はシキ。こいつはコルド。よろしくな♪」
「あたしはルイ。わかってると思うけど、あんた達と同じ旅人よ」
少女は言って、はくりとチャーハンを一口。
コルドは表情を変えずに、
「同じなのは、それだけではないでしょう?」
「……ふーん……あんたはわかるわけね」
ルイは意味ありげににやりと笑った。
一人不思議顔のシキが聞く。
「お前ら何の話してんの?」
コルドは真顔に戻り、シキを見やる。
「前にも言ったでしょ? 術師なら、相手が通力を持ってるかどうか、一目見れば分かるんだって」
「俺にはわかんねぇよ?」
「それはシキが檄ニブなだけだよ」
「ひでーなぁ……」
シキは不満そうに眉根を寄せ、すぐに何かに気付いてルイを見た。
「ん? ――ってことは……もしかしてあんたも術師!?」
「当たり♪」
ルイはにっこりと笑い、シキは心底嬉しそうに顔を輝かせた。
「マジか! 他の奴に会えるなんて思わなかったよ! すげー偶然!」
「確かにすごい偶然ね。希少な術師が、二人揃ってるだけでも珍しいのに」
興奮を抑えきれないシキに対し、ルイは冷めた反応を返した。
「だって俺達双子だもん。だから一緒にいても不思議じゃねぇだろ?」
にこにこと語るシキに、ルイは目を見開いて二人を見比べる。
「うっそ……双子なの? ぜんっぜん似てないのねー……」
「まぁ、一卵性でも似てないことはありますから」
「あー……そういえば聞いたことあるな、そういう話」
コルドの言葉に、ルイはぼそりと呟いて、再びチャーハンを食べ始めた。
それから間もなく。
「はい、おまたせ」
女将が出来上がったばかりの料理を運んできた。シキとコルドの前に次々と皿が並ぶ。
焼き魚とパンと野菜スープ。あたたかいお茶が置かれ、
「パウロン焼きは誰が食べるんだい?」
「俺!」
元気に答えたシキの前に、薄黄色い物体がいくつか乗った皿が置かれる。
それは動物のような形をした、こぶし大の饅頭だった。
コルドが代金を払い、女将が去った後に、ルイが訝しげな顔で尋ねる。
「……それなに? うさぎ?」
「え? パウロン知らないのか?」
パウロンとは、でかい大福に細長い目と耳を付けたような生き物のことである。
大きさは人の頭と同程度。全身はふわふわの毛で覆われ、体躯に釣り合わないくらい手足は短く小さい。なので動いてる様は、毛玉が這いずっているようにしか見えない。
森に生息しているが、暖かい場所を非常に好むらしく、稀に民家の中に入り込むことがある。
追記、かわいいからペットとして大人気。
「――のパウロンだぞ?」
「へぇぇ……知らなかったわ……」
得意げに説明したシキに、ルイは引きつった笑みを浮かべた。
「パウロン焼きだって人気あるのに。レモン味の饅頭ってだけだけど……
見た目がかわいいから各地で売られてるし」
「あんた……かわいいもの好きだったんだ……」
ルイが呆然と呟き、シキはこっくり頷いた。
「おう! だって癒されるじゃん。ほんとは俺も飼いたいんだけど……旅してると無理だろ?
だからパウロン焼きとぬいぐるみで我慢してんの。旅止める気無いし」
「ぬ……ぬいぐるみ……? 持ってんの?」
「あぁ。実寸大のでかいやつ。十二歳の誕生日の時に、コルドが本物そっくりに作ってくれたんだ♪」
嬉しそうに魚をつつくシキから視線を外し、なんとも言えない複雑な顔をコルドに向けた。
引きつった笑みを浮かべて視線を逸らすコルドに、
「あんた達……今何歳?」
「じ……十六……です」
「私より一つ上か。いい歳ねぇ……」
ルイは遠くを見るような目で呟いた。
「でも男でそれは……」
「わかってますよ。ですが――」
コルドは横に視線を向けて、嬉しそうに饅頭をほおばるシキを見た。
「言いずらい……んですよね……
まぁ……趣味趣向は人それぞれだし……ほっといてもいいかな、と」
「つまり、めんどくさいわけね」
きっぱり言われた言葉に、コルドはしっかりと頷いたのだった。
**
旅の話などをしながら食事を終え、お茶で一服してしばし経ち――
「来たか……」
唐突にルイが言った。
「何が?」
シキは不思議そうに首を傾げ、コルドは静かにルイを見やる。
「あんた達、丁度いいから手伝いなさい」
ルイは声のトーンを低くしてから、
「今、この村の近くに魔族が来てるの。大量の悪鬼を引き連れてね」
「な――」
「声を立てるな」
驚いて口を開けたシキを、ルイは冷めた声音で制した。
「村人に気付かれたらパニックになるでしょ。村に張ってある結界は、低級にしか効かないんだから」
低級――それは魔族と悪魔以外の妖魔を一括りにした呼び方である。妖魔の中で最弱の悪鬼からはじまり、炎のような形をした死霊、獣の姿をしたグールなどがこれにあたる。
コルドはハッとして、
「そうか……だからこの村に着く前に、あんなに悪鬼と会ったのか。魔族が招集をかけたから村に集まってたんだ……
でも、何故魔族がこの村に? 滅多に魔界から来ないのに……」
深刻そうな顔をするコルドに、ルイが平然と言う。
「それはね、この村の結界が弱まっているからよ」
「それって……かなり昔、神様が全ての人里に張った――ってやつ?」
シキが聞く。
「人間を守るためにね」
ルイはテーブルに頬杖をつき、つまらなそうに答えた。
「あることが原因で、結界にまで影響出ちゃったからねぇー……
弱まった結界だと下位程度でも破れるから、そこを狙って来てるわけよ。
まぁ……弱まるのはこの村だけじゃなくて、全部の集落に言えることだけど」
「ヤバいじゃん、それ! 結界破られたら一巻の終わりだぞ!
普通の人達は悪鬼にだって勝てないのに……国や町が襲われたら、逃げ場なんてねぇよ!
皆殺されて終わりじゃないか!」
最悪の事態を想像して、シキの口調が荒くなる。もちろん、女将に聞かれないよう、声量は抑えている。
緊迫した様子のシキに、しかしルイの態度は変わらず、落ち着き払っていた。
「大丈夫よ。一気に襲われる――なんてことは無いから。
妖魔の目的は『人間を殺すこと』だけど、それよりも優先することが一つだけあるのよ」
「それは……何?」
ルイは真っ向からシキを見つめ、一拍の間を置いてからはっきりと答えた。
「ある人を捕えること」
「……え?」
目を丸くして驚くシキに構わず、ルイは言葉を続ける。
「その人が姿を現せば、敵の目は全てそっちに向くわ。
……今は単に、その人がまだ"この世界"に来ていないだけ」
首を傾げるシキの横で、コルドは静かな眼差しをルイに向けた。
「……多元世界は聞いたことがあります。つまり、その人が現れて囮となれば、他の人間は狙われない――ということですか」
率直な物言いに、ぴくり、とルイの眉がわずかに動く。
それをコルドは肯定とみなし、にっこりと微笑んで見せる。
「その人はいつ来るんですか?」
ルイはしばし無言でコルドを見返し、
「正確にはわからないわ。でもすぐに来るよ」
「そうですか。それなら他の国も安心ですね」
にこやかにそう言うコルドをちらりと見て、シキは少しだけ眉根を寄せた。
見慣れているからこそ分かる事だが、コルドのそれが、完全な愛想笑いだということに気付いたからだ。
(囮――嫌な響きだな……コルドもコルドで、気に入らないなら、そんな嫌味っぽくじゃなく、普通に言えばいいのに)
シキは思ったが、それを口に出すことはしない。こういった駆け引きの時は、コルドに任せることにしていた。自分のバカさは自覚しているし、下手に発言してコルドの邪魔になることはしたくないからだ。
コルドの心中を知ってか知らずか、ルイはすうっと目を細め、
「……今の話、信じる?」
「えぇ、信じますよ。貴女が僕たちに、嘘をつく理由が見当たりませんから」
コルドは変わらず、見事な愛想笑いを浮かべたままルイを見据える。
「ただ一つ、教えてもらいたいですね」
「なぁに?」
「――貴女、何者ですか?」
ルイの口角が僅かに上がる。
「……敵じゃないことは確かね」
そう言うとルイはゆっくり立ち上がり、
「さて、そろそろ行くわ。あの人が来るまでに、魔族だけでも倒してこないと……
もし間に合わなければこの村が危なくなるし」
「魔族とはまだ戦ったことないので、雑魚だけでもよければお手伝いしますよ」
言ってコルドも席を立つ。
「じゃあよろしく♪ 魔族は任せてくれていいからね♪」
さっきまでの緊迫感が嘘のように、ルイは明るくニコッと笑った。