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コルドが推測した通り、太陽が真上を過ぎる頃に、目的の村に辿り着いた。
木造の小さな民家が二、三十軒と、一軒だけ大きな家と、二階建ての宿屋があるだけの小さな村だった。森との境として、適当に作られただけの柵で囲われていて、人一人が通れるだけの隙間から中に入った。すぐ近くに立てられている小さな看板には薄れた文字で、"イース村にようこそ!"と書かれている。
「おー! やっと着いたぜ!」
「……疲れた」
元気にはしゃぐシキとは違い、コルドは蚊の鳴くような声で呟いた。
「え? もう? まだ昼だぜ?」
「僕はシキと違って体力バカじゃないの。山越え後に、そんな元気ないよ……」
コルドは少し間を開けてから、
「しかも、村が見えるまでに五回も妖魔と戦ったし……」
「あー……なんか多かったな」
シキはコルドの疲れた顔を見て、心配そうに眉をひそめた。
「そんなになるなら、俺に任せりゃ良かったじゃん」
気を利かせてシキは言ったが、コルドは首を横に振る。
「僕だけ傍観しているわけにはいかないよ」
「無理すんなよ? "通力"だって限度あるし……術の疲れもあるだろ?」
「神経使うからね……」
通力とは、妖魔が持つ魔力に相反する力のことであり、術師はこれを使って術を放つ。その容量は人によって異なり、消費すると同時に精神的にも疲労するため、あまり連続では使えないのが難点である。通力は休息、または食事を取るなど、体力と同じように回復出来る。
コルドは短く息を吐き、
「とりあえずさ、まずは宿行こうよ」
シキは一瞬呆けた後、
「そうだった! メシまだじゃん!」
慌てて言った。次いできょろきょろと辺りを見回し、宿屋の看板を見つけると、そこに向かって真っ直ぐ歩く。
民家の近くで、驚いた顔をこちらに向ける若い女性にコルドは気付いたが、すぐに興味を失いシキを追った。
宿に入ってすぐ、一階には様々な料理の匂いが充満していた。そこは食堂になっていて、テーブルとイスがそこそこに並んでいる。その一角では、三人が料理を囲んで話に花を咲かせていた。
カウンターで暇そうにしていた中年の女性と目が合い、ぽかんと口を開けた女性に、シキは笑顔で話しかけた。
「こんちは! 部屋空いてる?」
女将さんらしき女性はしばし間を置いて、
「おっどろいた! あんた達旅人さんだろ?」
「おぅ! よく分かったな」
「そりゃ分かるよ。この村は小さいからね、皆顔なじみなのさ」
女将は腰かけていたイスから立ち上がり、背筋を伸ばした。
「さてと。いらっしゃいませ、旅人さん。部屋なら、二人部屋が丁度一つ空いてるよ」
カウンターの下から薄い台帳を取り出し、その上に置く。
「しっかし、珍しいことって重なるもんだね。昨日も旅人さんがうちに来たんだよ」
「えっ!? マジ!?」
シキは思わず身を乗り出し、コルドは驚きを少し顔に出した。
女将は二階を指差し、
「もう片方の部屋を使っているんだ。多分まだ上にいると思うよ」
「んじゃ、後で話しに行ってみるか!」
振り向いてシキが言った。コルドは短く、そうだね、と返した。
女将は台帳を開き、数枚めくった。その上にペンを走らせる。
「お二人様、と。村にはどれくらいいる予定なんだい?」
シキはコルドと顔を見合し、
「どうする?」
「二、三日くらいでいいんじゃない?」
「じゃあそうしよう」
適当にそう決め、女将に伝える。女将は頷きながら、
「それなら代金は後で貰うよ。――昼ごはんは食べたかい?」
「まだ。荷物置いたらここで食うよ」
「はいよ。メニューは机に置いてあるから、そこで注文しとくれ」
書き終えた台帳とペンをしまい、代わりに銀色の鍵を取り出す。
「はい鍵。部屋は階段を上がって手前の方ね。なんも無い村だけど、ゆっくりしていきな」
「うん、そうするよ」
鍵を受け取り、シキが言った。
シキ達は食堂の奥にある階段を上がり、二階に行く。廊下に並んだ二つのドアの、手前の方に向かい、鍵を開けて部屋の中に入る。ベッドが二つと、小さな机とイスが一つずつあるだけの簡素な部屋だった。入り口の横には、トイレと風呂場もある。
二人はトランクをベッド脇に置き、部屋を出る。しっかりと鍵を閉め、
「あ、そうだ」
シキはそれをズボンのポケットにしまい、隣の部屋を指差した。
「折角だし、メシ誘ってみようぜ」
それだけ言うと、コルドの返事も待たずに隣の部屋のドアを叩く。
何回かノックをしたが、中からの返事は無かった。
「いないのかな……」
「出かけてるんじゃない? 人の気配無いし」
背後から聞こえた冷静な声に、シキはゆっくり振り返り、コルドにジト目を向ける。
「言えよ、そういうことは……」
「そんな暇無かったよ」
コルドはきっぱりと答えた。
人や敵の気配にかなり敏感なコルドのことだ。今言った通り、中に人はいないだろう。
そう判断したシキは肩を落とし、
「ま、いいや。下行くか」
二人は食堂に向かった。
**
カシャン、と微かに金属音がした。
窓のカーテンを閉めた薄暗い部屋の中で、一人の人間が、装填したばかりの自動式拳銃を顔の前まで持ち上げた。撃つつもりは無いため、引き金に指は掛けていない。
人間は銃身から視線を外し、一度だけドアを見た。
「行ったか……」
二人分の足音が遠ざかるのを確認し、完全に気配を消した人間が言った。若い女の声だった。
彼女は再び銃を見つめ、小声で呟いた。
「……そろそろかな」
**
シキとコルドは昼食を取った後、村を散策しに出掛けた。
動きやすい簡素な服を着た村人たちの中には、物珍しそうな目で遠くから二人を見る者もいれば、にこやかに話しかけてくる者もいた。
クワを持った若者は、
「妖魔いるのに凄いね!」
と言って去って行き、雑貨屋で商品を並べていたおじさんは、
「よっぽど腕が立つのか、逃げるのが上手いか……。術師様ってことは無いだろ?
ま、どちらにしろ若いのに大したもんだ!」
一方的にそう言って、がははは、と豪快に笑った。
家の前で花に水をやっていた女性は、目を輝かせながら聞いてきた。
「ねぇ、旅人さんは術師様に会ったことある? 私は本で読んだことしかないんだけど……」
シキとコルドは特に表情を変えず、首を横に振った。
「そっかぁ……やっぱりなかなか会えないのね」
女性は残念そうに肩を落とした。
**
日が暮れ始めた頃、二人は宿に戻ってきた。誰もいない食堂を通り、部屋に行く。
コルドは自分のトランクから本を取り出し、イスに腰掛けた。
ベッドに寝転んだシキは、読書を始めたコルドに話しかける。
「やっぱさ、術師ってバレるとやばいよな……」
「まぁね」
本から目を外さずに、コルドは短く答えた。
術師は、なろうとしてなれるものではない。通力という不思議な力を持って生まれた人間を、そう呼んでいるのだ。
人間の中で唯一、妖魔と対等に渡り合えるが、滅多に生まれてこないため、非常に希少な存在だった。だからこそ、世界中の人間が術師を欲していた。更なる保身を考える者や、国外に出て外の世界を見たいと望む者は後を絶たない。普通の人間は、限られた空間でしか生きることが出来ないのだから、当然と言えるだろう。
「監禁されたくなければ、言わないことだね」
コルドは平然とそう言って、シキは何とも言えない複雑な顔をした。
「……生きにくい世の中だな」
ぽつりと呟いた言葉に、コルドは少し驚いてシキを見た。
「珍しい…………シキがそんなことを言うなんて」
「お前、俺を何だと思ってるんだ?」
不満そうに眉を寄せるシキから手元の本へと視線を戻し、真面目な口調でサラリと答える。
「バカ」
シキはムッとして上体を起こし、コルドに文句を言おうと口を開け――
「だけど、尊敬もしている僕の大切な弟だよ」
優しく微笑んでいるコルドに、シキは何も言えなくなった。そのまま後ろに倒れ込む。
「……なんかずるい」
「そんなことないよ」
「お兄ちゃんて絶対、腹黒いよな」
コルドはシキを一瞥して、
「そんなことないよ」
もう一度同じ言葉を返した。
**
次の日、朝日が昇る少し前に目を覚まし、コルドは半身を起こした。一度大きく伸びをして体の緊張をほぐす。洗面台で身なりを整えた後、寝巻用のシャツとズボンから、洗濯済みのいつもの服装に着替えた。
すぐ隣で、気持ちよさそうに寝ているシキを起こそうとして、
「宿にいる時くらい、ゆっくり寝かせるか……」
ぼそっと呟いた後、シキの掛け布団を直した。コルドはもちろん、シキも寝相は良い方なので、あまり乱れていなかったが。
コルドは昨日と同じ本を手に取り、ベッドの端に座る。日が出てきたのか、少しずつ明るくなっていく室内で本を読んだ。
しばらく経って、村人たちが活動し始める音が窓越しに聞こえてくる。
コルドは一度、シキをちらっと一瞥し、起きだしそうにないのを確認してから、本を置いて食堂に向かった。軽く朝食を済ませて戻ってくる。そしてまた本を開いた。
シキが目を覚ます昼前まで、ページをめくる音は続いた。
**
「寝過ぎたああああああ!」
開口一番、シキは頭を抱えるようにそう叫んだ。コルドは耳をふさいで顔をしかめる。
シキは掛け布団を弾き飛ばし、寝巻のままベッドの上で両手両ひざをついていた。
心底悔しそうな顔で、
「あ……朝飯食いそびれた…………宿にいんのに勿体無い……」
「ご愁傷様」
「お前……起こせよ……」
「…………」
コルドは少し考えてから、
「ベッドでゆっくり寝るのと、調理された朝食をとるの、どっちが良い?」
シキはゆっくり首を動かし、コルドを見て真面目な口調で即答する。
「メシ」
「……そう」
呆れたような顔をするコルドに向き直り、シキはあぐらを組んだ。
「だってさ、寝るのはどこでも出来るけど、ちゃんとしたメシは外じゃ食えないんだぞ。
それなのにお前は――」
「わかったよ、僕が悪かった。次は起こすよ」
不機嫌丸出しでグチるシキを、なだめるようにコルドは言った。
「この一食分は忘れない……食い物の恨みは恐ろしいんだからな!」
「わかったから……機嫌直してよ」
「ヤダ」
「…………お昼ご飯、好きなだけ食べていいから……」
言った途端、シキはぱぁっと目を輝かせる。
「いいの!? 嘘じゃない? 金に余裕あんの?」
期待を込めて問いかけてくるシキに、コルドは優しく微笑んだ。
「今は平気だよ。この前寄った町で盗賊退治頼まれたでしょ?
その時の礼金が結構残ってるから」
「あぁ、あれか」
シキは納得してこくこく頷いた。
どうやら機嫌を直したらしいシキに、コルドはほっと胸を撫で下ろす――と、同時に一つ気付く。
「――ところでシキ」
「何?」
「寝巻のまま食堂に行くつもり?」
コルドはにっこり笑い、本を机の上に置いて立ち上がる。そして楽しそうに言った。
「早くしないと置いてくよ♪」
その後のシキは速かった。一瞬で普段着に着替え、洗面所に行き顔を洗い、髪を見て、
「まぁいいか、このままで」
ところどころ跳ねていたが、気にならない程度だったのでそのままにして出てくる。
その間三十秒弱。
「んじゃ行くか!」
元気良くシキが言った。