一話
ギルドレア教の聖書によると当初、一つの大きな塊であった陸地は、ある時神の怒りに触れた神の子息イデット・ギルドレアより、陸の王であった彼から領地を奪う目的で神は陸地を4分割されたのだと言われている。
聖書によると、神の雷により分割された陸地はそれぞれ王が配置され、現在の四大陸であるラフォール、アリゾル、マルーン、メイリアと名付けられたのだと言う。父親に領地を奪われたと同時に、力を失ったイデット王は国土を小さくする他なく現在のギルドレア王国の元となる城壁の中の宗教都市を築いた。
ギルドレア――それははじめ、アルト国の中に位置する総面積0.56k㎡の小さな都市国家であった。大陸アリゾルの海岸沿いにあり、貿易の中心であるアルト国の都市から離れた内陸部に位置する小さな宗教の聖地であった。神の子孫であるギルドレアの血筋を信仰するギルドレア教の聖地とされた都市であった。
初代国王であるイデット・ギルドレア・マルーン1世は失った国土を取り戻し、ギルドレア教信仰を広めるために世界中を旅して歩いた。その活動は3代目国王までに続き、徐々にギルドレア信仰は高まって行った。その結果、聖地ギルドレア国へ移住する信者が増加していき、第10代国王の頃には宗教戦争が多発。戦火はアルト国の首都までもを飲み込み、アルトの先住民より土地と交易の権限を奪還。13代目の国王マクベス・ギルベルト・マルーンの時代になっても宗教信仰の勢いは収まらず、ギルドレア王国は大きくなって行った。その後王制が数代に渡る間、ギルドレア信仰は周辺諸国までも飲み込み、大陸の3分の1がギルドレア王国の属国となっていた。ギルドレアが多くの宗教戦争を制したのは、文化として初代国王の特技とされた王宮剣術が盛んであり、優秀な潜在兵が多かったためと言われた。第15代国王の親友ローウェル・ルベルト・パニーニを筆頭に王国騎士団が誕生したのは、ギルドレアが王政をはじめてから、100年以上が過ぎようとしていた頃のことである。
それはよく晴れた日のことだ。少女はいつものように父親と山へ登った。これから始まる修行と言う試練のためだそうだ。母は、少女に修行をさせるのを止めた。だが、王国の騎士団長である父はその判断を彼女自身に委ねた。
「いいか、サラ。これはお前が決めることだ。これから先の人生の話だよ。大人になって、普通の少女のように綺麗な服を着て、誰かの恋人になり、妻となる道もまたお前の幸せだろう。だけどね、お前にはもう一つの道を選ぶ権利も用意されている。それは、パパの後をついで王国騎士団に入隊することだよ。そのためには、今日から少し頑張らなくてはならない。お人形と遊んでいる時間はないかもそれない。それでも良いなら、付いてきなさい」
少女は、茨の道を選択した。女である以上、一流の騎士になるには男に体力で劣るため厳しい道のりであった。来る日も来る日も、少女は剣術の稽古を続けた。不思議と、手が豆だからけになり、血塗れになってもやめようとはしなかった。
やがて、適齢期になると少女は稽古場に通うようになった。彼女には剣の才能があり、その身軽な体を上手に使いこなし瞬く間に強くなったのであった。
揺れる馬車の中で、彼女は誤って積荷に額をぶつけたようだ。夢でも見ていたのだろうか、その美しい大きなグリーンの瞳を涙目にして起床した。まるで鏡餅のように白く丸い額は、痛々しくも赤くなってしまっている。それをごしごしと、似合わぬ華奢な手が擦る。しかし、その女性らしい小さな手のひらをよく見ると皮膚は厚く、まめの跡がたくさんあった。彼女は恥ずかしそうにその腫れてしまった額を絹糸のような金色の髪で覆い隠しす。しかし問題はそこではない。最も隠すべきところが露わになってしまっていた。もっとも、そのような服装なのかもしれないが。動きやすいためかシンプルなトップスの上に防具を着ており、長めのスカートには大きなスリットは入っている。そのため健康的な脚線が丸見えである。それだけでも刺激が強いのに、事もあろうか彼女は防具を取り外しカットソーを脱ぎ始めた。
「サシャの奴が腹だけは隠して行けって言ったんだけど、やっぱ無理。動きにくいもの」
そう言って脱ぎ始めるものだから、男どもは視線を逸らすふりをしながらもその引き締まった肉体に意識を奪われそうである。だが、そんな男たちの願望のような、劣情のようなそれは杞憂であったようだ。彼女が服を脱ぐと、その下に更に丈の短いトップスが現れたのだ。同乗者たちは、ホッとしたような少し残念なような複雑な気分で彼女を見る。アドリエルより約半日。王国専用馬車はギルドレア王国の首都、イデットの関門を通り過ぎた。
ギルドレア王国の首都は、アリゾル大陸の海沿いに位置する交易が盛んな国だが、ギルドレア教の聖地である内陸部のイデットである。イデットとは1代目国王イデット王の収めた面積0.54k㎡の旧ギルドレア宗教都市であり、50mの城壁で囲まれている。世界地図上は城壁周辺も含めイデットとされており、その周辺の街も大陸最大のマーケットとなっており賑やかではあるが、ギルドレア王国内で厳密に首都とされているのは城壁の内側のみである。
この首都イデットは、城壁に関所が8箇所あり許可証がなくては出入りが許されない。例えば国王の認めた商売人や、貴族、それから王国騎士団本部団員などである。
許可証は偽造防止のため、それを持つ者と関所にいるものしかその存在を知らない。それはギルドレア王国の通貨によく似たアクセサリーであり、それを許可証である知らない人間には通貨を身につけた奇妙な人間にしか思えないようになっている。少女――彼女はこの春より国王に召喚された王国騎士団本部初の女性団員である――の場合はその豊満な胸の間にネックレスとして下がっていた。
「許可証を提示せよ」
そう言われ、ガサツなのか業となのか、胸を突き出すものだから関所の役人もタジタジである。厳粛な雰囲気の宗教都市の中で、彼女の露出の多い服装はかなり悪目立ちしているようだ。その奇妙なものでも見るような視線に気づき、少女サラ・リリシエント・パニーニはぼそりと呟く。
「ちぇっ。やーっぱりサシャのやつの言ってることは結局正しいんだよなー」
初めに着ていたトップスはどうやら賢い幼なじみに諭された結果であったらしい。若々しい唇をツンと尖らせた表情は彼女の華やかな見た目をより一層魅力的に写していた。関所を通り過ぎると、王国専用馬車はイデットの中心に高くそびえ建つ城へと向かっていく。
白の門には門兵が二人。王国専用場車に乗っていた者たちが続々と城の門を潜る中、サラは引き止められてしまった。服装に問題があるようだ。それを不服に感じたのか、門兵との押し問答が始まる。
「私はサラ・リリシエント・パニーニだ! 国王に呼ばれていている!」
「存じております! ですが更衣していただかないとお通しできません!」
「これが私の正装だ!」
「その、否定はいたしませんが! しかし!」
そんな押し問答が約10分続いたところで、男が仲裁に入った。それは人間かと疑うほどに体格のよい、筋肉質な無精髭の男であった。身にまとう上品なブラウスが今にもはち切れそうである。
「その娘をこちらによこせ。これは団長命令である!」
「パパ!」
「サラ、何だその格好は。仮にも国王に会うんだ、もっとマシな服を着なさい」
そう言って少女の頭に手を置くと、少女もまんざらでもなさそうである。父親に対し、見目の美しい娘に門兵たちは驚きを隠せないようだ。
「ぱぱぁ!?」
どうやら男は、ギルドレア王国騎士団本部長ローウェル・ルベルト・パニーニ本人であったようだ。
ローウェルに連れられ、動きやすいパンツスーツに正装したサラは国王と謁見するため、謁見の間へ。普段は度胸のある彼女も今回は少し緊張しているようだ。ローウェルはそんなサラの背中を二回ほど叩き緊張を解そうとするが、逆に咳き込ませてしまう。サラの謁見は二、三言葉を交わし無事に終了した。
「あー! 緊張した。パパ、本当に国王様と親友なの?」
「本当だ。そうだな、お前とギルベルトのようなものさ」
「じゃあ国王様が年下なのね」
「ああそうだ」
「何だか不思議」
普段は兵士として軍人らしい口調のサラであるが父親の前では一人の少女に戻る。ローウェルはサラに安価な賃貸住居を集めた資料を手渡し、王国騎士団長の任務に戻ってしまった。時刻は午前中。サラは訓練を見学することにした。
王国騎士団の訓練は、城の敷地内であるグラウンドにて行われており、その内容は主に剣術稽古。王国騎士団の騎士たちが修練するのは、1代目ギルドレア国王イデットが得意とした王宮剣術である。この剣術は他の国のそれとはかけ離れた型を持ち癖が強いため、幼少期より修練した者しか習得できないと言われている。大きな特徴として、刀身の短い片刃の剣を使う剣術であり片手は使用しない代わりに時折強烈な足技が繰り出される。
ギルドレア国民男子の殆どが修練するが、習得し熟練するのが難しい剣術であるため大人になっても続けることができるのは才能のある者のみである。その幼少期より王宮剣術を修練し、才能を見出された者は王国騎士団に入団し、はじめは地方へ飛ばされる。その中でも実力のあるものだけが、この都市イデットにて騎士団本部に入団できるのである。
「そこ! 脇が甘い! それでは詰められるぞ!」
騎士団本部の訓練を初めて見るサラの目に写りこんできたのは、これまで自分が見てきた騎士達とは段違いのレベルの実力を持つ者たちの姿であった。彼女の目には既に闘士が宿り、キラキラと瞬いている。その、鋭い視線に気づいた騎士たちはサラを発見するとそれまでの集中力はどこへやら、その華奢で可憐な姿に見とれてしまった。普段から訓練ばかりしている男の集団である。見慣れぬ女の登場に動揺しているようであった。
訓練を指揮していた上官はサラを見るなりやれやれと頭を掻く。どうやら彼女のことを幾分か知っているようだ。
「おい、パニーニの愛娘! 貴様がそこにいては皆の集中力がもたんのだ。見てないで訓練に参加するか?」
その声にサラは表情を輝かせる。見学上より一気に駆け下り、指揮官へ抱きついた。
「アルトニーニ指揮官! お元気だった? 私はまだ辞令を交付されてないのだけど、参加してもいいのかな?」
指揮官の正体は、サラの叔父にあたるロナウド・アルトニーニである。黒い髭を丁寧に切りそろえた、防具の似合ういかにも武人のような見た目である。この中では誰よりも彼女の実力を知る人物であろう。
「寧ろお前の実力を見たほうが志気も上がるさ。そうだな、マグダット! お前、サラと手合わせしてやりなさい。言っておくが女と組み合えるなんて喜ぶなよ。あっという間に首が飛ぶぞ」
サラにそう言われた騎士の一人がおずおずと前へ出た。満面の笑顔を浮かべるサラとぎこちなく握手を交わし、練習用のナイフを構える。ロナウドが試合開始を告げると遠慮がちに攻撃を仕掛けた。
「女相手にやりづらいとこ悪いけど……一気に行かせてもらうわ!」
脇を緩め、相手が攻撃して来た隙に交わしその細い脚線からは想像できない足技を後頭部に一撃。だが、手加減はしているようだ。まともに衝撃を受けたマグダットは気を失ってしまった。そこからは、誰も彼女のことを女として見るものはいなかった。次々に挑んでくる騎士たちを相手し、まだ対戦希望者が15人ほど残っているところで彼女は限界を訴えた。
「流石にもう無理! やっぱり本部の騎士はレベルが高いわ! 一人倒すのに無傷じゃ済まないんですもの」
彼女の露出された腹筋には、打撲の跡がついている。どれも加減されたものではあるが、積み重なると体力を消耗させるものではあった。
「サラ、もういいだろう。お前たちも、その辺にしておけ。彼女は休日なのだ」
「叔父様ありがとう。ちょっと医務室へ行ってくるわ。可愛い看護兵の顔もチェックしておきたいしね」
そう言うと、水分補給しつつ医務室へと向かう。去り際、明日も手合わせ願いたいという声が殺到する。
「わーったわかった、明日取り合うわ」
サラはふらつく足取りで訓練場を後にした。思ったよりも、自分の実力は劣っていない。口には出さなかったが、頭の隅には今回の事例が父と国王による贔屓ではないかと言う考えがあった。だがそうではなく、自分が騎士団に入団してから数年、訓練してきたことが実力に繋がっていたのだ。そう感じていた。だが、今日は多くの者と初めての手合わせ。自分の戦術の手の内が明かされていない内は勝つことができる。だけど体力で勝つことができない。サラは長期戦になればなるほど、自分の力不足を感じていた。
騎士団本部の長い廊下をサラは進んでゆく。その足は医務室の前で立ち止まった。表情は既に先ほどとは変わっている。それは、スケベを考えている男と同じ種類のものであった。
「看護兵かあ……アドリエルにも可愛い子がいたけれど、本部はどれだけ可愛い子がいるかな。ああ、でも大人っぽいお姉さま系も捨てがたいわね」
劣情と期待の込められた右手で、医務室のドアを開く。そこは、麻の布天井がくつろいだ雰囲気を演出し日差しの心地よい、清潔な医務室であった。そのきちんと整頓された様はどのような可憐な女性によって整えられたのかと期待させるには十分であった。サラは大きく深呼吸し、部屋の奥に見え隠れする白い背中に声をかけた。
「すみません」
「あれ? 怪我人か? まだ訓練始まったばっかりだぜ。早くね?」
しかし、サラの妄想はその現実的な低い声によって打ち消された。その、白い背中はゆっくりと動き始めると、褐色の肌に銀色の髪のよく映える、短髪の青年が顔を覗かせる。白い服は、王国僧侶の正装であった。その瞳は赤色で、思わず目が合ったサラも動揺してしまう。しまった、そう思い謝ろうとすると男はニヤリと笑みを貼り付け事もあろうか不躾な視線をサラの肉体に向けてくる。
「おや、アンタ。もしかしてパニーニ本部長の愛娘? 噂には聞いちゃいたけど、とんだセクシー姉ちゃんだな」
「な……!」
不埒な目で見られることには慣れていたはずのサラは、その紅い目のためか、はたまたこの男の雰囲気に飲み込まれてしまったのか頬を赤く染め動揺していた。それに構わず男はサラに近づき、腹部の打撲後を診察し始める。
「あーあ。アンタ無茶しすぎだ。皮膚が煮えてしまっている。いくら本部の医務室に僧侶がいるからって無茶しちゃダメだぜ。傷は魔法でいくらでも治せるけど、仮にも女だろう?」
「さささ、先程から無礼な! 黙って聞いてりゃ女、女って! っきゃあ! ちょっとどこ触ってんの!?」
ようやく男に慣れてきたのか、自分のペースを取り戻しつつあるサラであったが男が打撲した脇腹に触れた途端に悲鳴をあげてしまう。
「どこって治療だよ、治療。それにアンタ、女の子だろ。俺が女の子扱いするのは当然だ。王宮剣術でどんだけ強いか知らないけどさ、俺は僧侶だからあんま関係ないし。それより今度さ、デートしない? 」
「はあ!? 私は訓練で忙しい!」
「じゃあディナーで。夜なら空いてるでしょ」
「あんた僧侶でしょ? とんだ煩悩まみれね!」
「そうね、俺僧侶っぽくないしね。見た目からして?」
それは彼の紅い目のことを言っている。サラはすぐにわかった。紅い目は、ギルドレアでは神の敵を意味するからである。サラは言葉に詰まってしまった。
「それ、は。あ、傷治ってる……」
「はい、おしまい! さっきの気にするな、冗談だよ。デートは結構本気。俺、アンタみたいなセクシーなお姉さんは好きだぜ」
サラが謝ろうとするのを遮るように男はそう言った。この男と会話していると調子が狂う、サラは生まれて初めてそう思った。
「俺、ナギ。一応ヒーリング魔法の国家資格もちの僧侶だ。歳は25。あんたは?」
「サラ。明日付けで王国騎士団本部に配属される。それと……ナギ、見た目のことは気にすることじゃないと思う。アンタはちゃんと傷を治せる人間なのだから」
ヒーリング魔法は心の美しい者にしか扱えないのだという。王国の医務室にいるのだ、その実力は本物なのだろう。
「へえ、そう言われると嬉しいねえ。俺に気があると勘違いするぜ?」
ナギは治癒したサラの腹筋の割れ目を爪で引っ掻くようになぞった。瞬間、サラの体がビクリと跳ねる。サラは、今は寧ろ美しいとさえ感じ始めた紅い目を睨みつけた。
「……。目に驚いたのは悪かったと思ってる。けどセクハラは許さない!」
ナギの鳩尾に拳を一突きすると、うずくまっている隙に逃げることに成功した。うずくまったナギは、何故か楽しそうに笑い続けている。
あの男、本当に僧侶らしいというか、らしくないというか。結局自分はからかわれただけなのだろう。サラはそんなことを考えながら医務室を後にした。ナギと名乗った僧侶は、会話すると調子が狂うので彼のことは苦手だ。彼とはあまり関わりたくないな。サラはそう考えながら医務室を後にしたのだった。