序章
「団長に敬礼! はよーっざいまーす!」
はよーっざいまーす! と数百人の野太い声が呼応する。なんとまあ朝からむさくるしい。だけど、これがギルドレア王国騎士団アドリエル支部団長である私の毎朝である。
「おい貴様ら! 今日も野太いな!」
今日は新入隊員の訓練初日だ。角刈りの団員が鼻の下を伸ばしている。これだから男は……。その、鼻を伸ばしたエロ小僧はまるでビシィ! と音でも付きそうな勢いで敬礼しこう叫んだ。
「だだだ、団長はセクシーでございます!」
この小僧は訓練を舐めているのか。確かに、動きやすさを重視し防具と麻布を巻きつけただけで、露出も多いこの姿は幾分劣情をそそるのかもしれない。私は入隊したての頃よりこの服装を好んでいるが、同期の男たちにも刺激が強い格好であると言われてきた。加えて私は、見目の派手な女であるらしく新人の頃から上官良く襲われかけた。
だが、寄せられる全ての劣情に答えてやる必要はない。自分で誘うような格好をしておいてと言われたこともあるが、そんなつもりで薄着しているわけではないのだ。
だから、私がそのような劣情の視線にあからさまに迷惑した場合に取る行動は一つ。それをよく知る私の部下たちは小さな声で「あいつ、終わったな……」など囁いている。私はその声が耳を掠めるのを感じながら、足の筋肉に力を入れた。
「訓練はもう始まっている! 私は訓練中にたるんだことを抜かす団員には厳しい!」
高くジャンプし、目的の団員の頭上でロックオン。背中の剣を鞘を抜かずに握り、大きく掲げる。咄嗟に、慣れている団員たちは二次被害に遭わぬよう整列を乱し、新人の周りに人垣ができる。
音もなく着地し、首筋へ剣を添えた。これで大抵は逃げるか気絶するかだ。気の毒な新人は、よほど驚いたのか白目を剥いて気絶してしまった。少し、可愛そうだったろうか。だが、女という身分ではこのくらいしなくては騎士団が引き締まらない。
「新入りの小僧ども! よく覚えておけ。以後、この者のように不抜けたことを抜かすやつは容赦しない。地方支部とはいえ仮にも王国騎士団である。気を引き締めて訓練するように!」
「はっ!」
再度、野太い声が響き渡る。脇の角度は45度、肩から指先に向けて真っ直ぐに伸ばす美しい敬礼だ。私はこの、国王に忠義をという意味を持つギルドレア騎士団の敬礼がとても気に入っている。私は声を張り上げた。
「アリー、マック、ドルーネ! 敬礼の角度が間違っている。腕立て百回用意はじめ! 新人は全員、走り込み開始。終わった者から私が剣の稽古を付ける。各団員はアルドネ第一兵長のもとへ集合!」
指示通り、各々の訓練を開始する様子を見送り、新人の様子を把握するため自分もランニングへ参加する。約5kmのランニングを終え、最初に走り終えた新人から稽古に入る。
「脇が甘い! 次の者!」
ギルドレア王国は、剣術の盛んな王国であるから新入団員のほとんどは稽古場に通っており剣を扱うことができる。だが、試合では勝てても実践で勝てる実力のあるものは少ない。
「型は良い。だが俊敏さに欠ける! 次の者!」
特別、私が指導しなくてはならない理由はない。これは私のエゴである。だけど、直に指導することで団員たちの志気が上がるというのはここ数年で得た実感でもある。
何せ、女というだけで体力が劣るのだ。地方の騎士団長になれただけでもありがたいと思っていた。王国騎士団本部には、地方で実力を認められた限られた者のみ所属できる。だが、女騎士で本部へ入団できるものはなかなか現れない。当然のことだった。だから、私もまた生まれ育ったこのアドリエル支部の団長として王国に使えてく身であると思っていた。つい最近まで。
その、いかにも上品で開封するのもためらう程繊細な手触りの紙で作られた封筒が、アドリエル支部団長宛に届けられたのは午後の訓練も半ばに差し掛かることであった。
「パニーニ団長! 王国から通達です!」
伝達兵の少年が焦った様子で走ってきたものだから、私はすぐさま剣を収め稽古を中断した。国境であるアルドレアに王国から伝達が来るということは、戦争を意味するからである。
「戦かっ!?」
「いいえ、それが……戦ではないようです。いつもの羊皮紙とは違う形式のものが届いております」
羊皮紙でなく、国王の蝋印で封のされた書物――すなわち、国王直々の伝達ということだ。
「私宛に?」
ギルドレアは大きな国だ。ましてや、アドリエルは国境とは言え隣国との戦争は和解しており戦火の落ち着いた地域。国王が王国騎士団の一支部団長の存在を知っていること自体が妙である。
「ええ、確かに団長宛です。親愛なるローウェル・ルベルト・パニーニの第一子、サラ・リリシエント・パニーニへと宛名が。団長の名ですよね」
「ああ、確かに父はローウェル、私はサラ・リリシエント・パニーニだ。伝達を貰い受けよう。新入団員には悪いが、サシャ団員に稽古を付けてもらうように」
「はっ」
少々残念そうな新入隊員たちはサシャに任せ、書斎へ戻る。国王直々の伝達である、何か重要なことかもしれない。私は封を開けた。
親愛なる愛娘、サラへ
私はギルドレア王国第15代国王、並びにそなたの父親である王国騎士団本部長ローウェル・パニーニの親友である男である。
ここからは、親友の愛娘へと話をすることにするので、言葉遣いが存在になるのを許して欲しい。
サラよ、18歳になったそうだね。おめでとう。我国では18歳が成人であるが、騎士団は15歳から入団できるようになっている。君は実力のある騎士であるが、王国騎士団は戦争に直結するために戦士の危険が高い場所でもある。そこで君が成人するまではやむなく地方支部に所属させていた。だが、予てより私と生前のローウェルは君を本部へ入団させる予定であったのだ。
ここからは君の選択であるから、断るなり受けるなりは強制しない。だが、私はローウェルの親友として、そして国王として君に選択肢を与えようと思う。
辞令
ギルドレア王国騎士団アドリエル支部長 サラ・リリシエント・パニーニ
国王の要請により
ギルドレア王国騎士団本部 前衛部隊へと配属す
国王からの伝達に書かれていたのは以上だった。私は、頭が真っ白になった。父が、国王の親友? あの人そんなこと一言も言ってなかったのに!
「うそだーあ!」
「団長!? どうされました?」
書斎の近くを通った部下が、あまりの大声に入室してくる。
「ギルベルト私、どうしよう! 王国騎士団本部に呼ばれちゃった!」
だが、ギルベルトにとって問題はそこではなかったようである。
「団長が女の子みたいに喋ってるううううう」
「そこ!?」
「大変だああああ! 団長がああああああ!」
顔を真っ青にしたギルベルトは、訓練場に向かって走り出してしまった。手元に残ったのは、国王からの伝達とのみ。私の戻りが遅いので、しびれを切らしたサシャが戻ってきた。
「それ、本部移籍の件でしょう」
「何故わかった?」
「僕が事務兵長も兼ねているのを知っていますよね。先月くらいでしょうか。王国本部より団長のことについて問い合わせがあったのです。まさかとは思いましたが、まあ貴方はこんな地方にいる人間ではありませんよね」
「だが、アドリエルを仕切るものがいなくなっては……」
「僕が仕切りましょう。予てからの野心が満たされる時です。ですのでさっさと本部へどうぞ。と言うか、行きたいくせに」
「……幼なじみにはお見通しってか。ええ、行く。行ってやろーじゃないの」
「そうと決まれば、明日は出立の準備を。入隊式は一週間後ですから、その間に住居の手配など済まされたほうがよさそうです」
「あまりに急な知らせだったな」
「本部に女性を入隊させるのは初めてですからね。それなりに時間がかかったのでしょう」
「寂しくないのか?」
「まさか。永遠の別れでもあるまいに」
「サシャって昔から淡白だよね」
「サラは昔から腹筋ですね」
そんなやりとりがしばらく続き、その日の稽古は中断、夜には宴会が開かれた。
「団長の腹筋と巨乳が見れないなんて寂しいですう~」
「一度触らせ――ガッ」
酒が入ると団員たちからのセクハラが増えるとは感じていたが、こうもあからさまにセクハラされたのは初めてだ。最後に一花咲かせようとでも言うのだろうか。
「こんな腹筋の割れた女のどこがいいんだかね」
夜風に当たる。もうひとりの幼なじみ、ギルベルトが隣にいた。
「皆けっこう団長に憧れているんですよ。腹筋割れてるっつっても、綺麗な体してますし」
「腹に傷跡のある体のどこが綺麗だよ」
「いや、寧ろそれが……いえ、何でも」
ギルベルトは何か言おうとして口をつぐんでしまった。
「でも、サラ姉さんよかった。長年の夢が叶って」
「あら、姉さんって読んでくれるの久しぶりじゃない」
「うっす。ちょっと寂しいっすけど、たまには帰ってきてください」
「帰ってくるさ」
感傷に浸るも間もなく、出立の日は訪れた。サシャに手伝った貰ったおかげで最小限の荷物だ。
「団長ー! 俺もいつか本部に行きます!」
「ばーかお前にゃ無理だって!」
「にゃにおう!?」
賑やかに見送られながら、私は王国から来た迎えの場車に乗り、アドリエルを後にしたのだった。