副作用が出る場合があります
《転命薬》がなくなる。
王都から届いた通達を父は三度読んだ。
「原料が尽きた。製造再開の見込みなし……か」
食卓の上には小さな硝子瓶が置かれていた。透明な液体が半分ほど入っている。我が家に残った最後の一本だった。
「王宮にはまだあるのでしょう?」
兄が聞いた。
「備蓄だけだ。王族のために管理される」
「別の原料は?」
「見つかっていない」
父は瓶を持ち上げた。巻かれた紙には、見慣れた注意書きがある。
『服用後に生まれた子どもに、副作用が出る場合があります。発現した場合は、本剤を服用させてください』
貴族なら誰でも知っている。
《転命薬》は、治癒魔法でも治せない病や損傷に使う薬だ。
切り傷なら治癒魔法で治る。
骨折も繋げられる。
傷ついた内臓も、残ってさえいれば治せることが多い。
だが、どうしても治せないものがある。
身体そのものに根を張る病。
切除しても再び増える腫瘍。
治癒魔法をかけても時間の経過で病変まで元に戻ってしまうもの。
魔力を生み出す器官そのものを壊す病。
そういう時に《転命薬》を飲む。
すると病は消える。どうやって消えているのかは知らない。転移魔法を応用した薬だとは聞いていたが、どこへ何を移しているのかまで知る必要はなかった。必要になった時に飲み、その後に生まれた子どもになんらかの異常――副作用が出たら、その子にも飲ませればいい。それだけだった。
「最後の一本なら、兄上が持っておくべきでは?」
俺は言った。
「――なぜだ?」
「跡取りだからだよ」
「お前だって父上の子だろ」
「俺は次男だ」
「そういう問題ではない。今は誰にも必要ない。必要になった者が使う」
父が瓶を取り上げた。
それで話は終わった。
その時は、本当にそれだけだった。
翌朝になれば父は領地の書類を読み、兄は家督を継ぐための仕事を覚え、俺は王立記録院へ向かった。薬がなくなっても日常に変化はない。俺は今日も明日も働くだけだ。
それから二か月が過ぎた。
王都では代替品の研究が始まったと聞いた。
その半年後、俺は血を吐いた。
朝だった。
制服の留め具を締めている途中で、胸の奥が引きつった。咳をすると、手のひらに赤いものが落ちた。
もう一度咳き込むと、息が入らない。呼吸ができない。床に膝をついた。
「肺が硬くなっています」
呼ばれた治癒術師が俺の胸から手を離した。
「病気ですか?」
母が尋ねると、治癒術師が答えた。
「はい。ただ、珍しいものです」
「治せるのか」
父が聞いた。
治癒術師は首を横に振った。
「正常な肺と病変の境目を捉えられません。無理に治癒魔法を使えば、病変まで戻してしまう可能性があります」
「薬は?」
「通常の薬では難しいでしょう」
父がしばらく黙った。
「……俺も若い頃、肺を患ったことがある」
「同じ病ですか」
「分からん。もう二十年以上前だ」
父は北部で肺の病にかかったことがある。
その話は聞いたことがあった。
治癒魔法では治らず、《転命薬》を使った。
だが、親子で似た病にかかることくらいはある。
俺も治癒術師も、それ以上は考えなかった。
問題は、今の俺をどうするかだった。
我が家には一本だけ《転命薬》が残っている。
「使うぞ」
父が言った。
「でも、最後の一本でしょう?」
「だから何だ。今使わずにいつ使う」
反論できなかった。
俺は《転命薬》を飲んだ。
味はほとんどなかった。
一時間ほどすると呼吸が楽になった。
その日の夜には血が止まり、三日後には肺の硬化も消えた。
「さすがだな」
兄が言った。
「本当に治るんだな」
「そのための薬だからな」
俺も答えた。
父もそれ以上何も言わなかった。
俺の肺は治った。
そう思っていた。
その時は、それで終わった。
妙な報告が増え始めたのは、それから二か月ほど経ってからだった。
最初は侯爵家の娘だった。
十四歳。
腹部に腫瘍が見つかった。
治癒魔法では取り除けない。
珍しい病だった。
だが、その母親が二十年ほど前に同じ腫瘍を患い、《転命薬》を使っていた。
次は伯爵家の少年だった。
肺が硬化する病。
祖父が若い頃に同じ病で《転命薬》を使っている。
さらに公爵家。
また別の伯爵家。
病はばらばらだった。
発症する年齢も違う。
共通していたのは、家族の誰かが過去に《転命薬》を使っていたことだった。
治療院が過去の診療記録を集め始めた。
そこで、さらに妙な傾向が見つかった。
薬を使う前に生まれていた子には病が出ていない。
服用した後に生まれた子に集中している。
俺は記録院へ回ってきた照会書を読んだ。
父の顔が浮かんだ。
その夜、家へ戻ってすぐに聞いた。
「父上が肺の病で《転命薬》を使ったのは、いつですか」
「……急に何だ?」
「いつです」
「二十四の時だ」
「兄上が生まれたのは?」
「その二年前だ」
俺は黙った。
「お前は、その三年後だ」
父もそこで黙った。
俺が生まれた時には、父はすでに《転命薬》を飲んでいた。
兄が生まれた時にはまだ飲んでいない。
そして肺の病が出たのは、俺だった。
それだけなら偶然かもしれない。
だが、王都で同じことが起きている。
俺は翌日から《転命薬》について調べ始めた。
幸い、俺の職場は王立記録院だ。
次男の俺は家を継がない。成人後に王都へ出て、そのまま記録院に勤めている。
王立記録院には王国のすべてが残されている。
戦争。
税。
出生。
婚姻。
処刑。
疫病。
王宮に納められた薬の記録もある。
まず自分の家の使用歴を調べた。
父。
祖父。
曾祖父。
その前。
戦争で腹を裂かれた者。
治癒魔法では取り除けない腫瘍を患った者。
毒で内臓を壊した者。
記録を遡るほど《転命薬》の使用者は増えていった。
そして、ある年代で突然途切れた。
薬がなくなったのではない。
記録がない。
もっと古いはずなのに、最初の使用者も、開発者も分からない。
薬だけではなかった。
同じ年代の王宮魔術院の研究記録。
血統魔法に関する資料。
王族の診療記録。
薬師院の調合記録。
そのあたりだけ、何十年分かまとめて抜け落ちている。
火事があったわけでも水害があったわけでもない。その前後の資料は揃っている。そこだけが、ごっそりない。天災で失われたわけではなく、誰かが意図的に抜いたとしか思えない。俺は記録室長の机へ向かった。
「――室長。少しいいですか」
白髪の室長が顔を上げた。
「何だ」
「百八十年ほど前の王宮魔術院の資料がありません」
「――そうか。だが、古い記録には欠落もある」
「血統魔法も、薬師院も、王族の診療記録も同じ年代だけです」
「なら、まとめて失われたんだろう」
「どうしてですか?」
「知らん」
「火事も水害もありません」
室長の指が止まった。
「何を調べている」
「《転命薬》です」
「やめておけ」
即答だった。
「なぜです」
「仕事に関係ない」
「……俺に病が出ました」
室長が俺を見る。
「父が《転命薬》を使った後に俺が生まれています。父と同じ肺の病が出た。王都でも似た事例が増えています」
「……治療院が調べているところだ」
「だから記録が必要なんです」
「必要なら正式に請求が来る」
その言い方で俺ははっきりと分かった。
「資料は失われたんじゃない。隠されてるんですね」
室長は答えなかった。
だが、答えは聞いたようなものだった。
数日後、王立治療院から正式な照会が届いた。
《転命薬》使用者の家系、服用時期、出生時期、発症した病の照合。
王宮でも対策会議が始まった。
発症者は増えていた。
薬の備蓄は減り続けている。
王族分を除けば、ほとんど残っていない。
俺は照会書を持って、もう一度室長の前に立った。
「今度は仕事です」
「分かっている」
「例の記録を見せてください」
「申請は出した」
「申請?」
「禁書庫だ」
やはり、あった。
「王命で封じられている。俺の判断では開けられん」
「いつ返事が?」
「知らん」
「人が死に始めています」
「それも書いた」
室長は机の上の紙を叩いた。
「お前自身に症状が出たこと。治療院が各家の記録を照合していること。王宮が原因を調査していること。いずれ公表せざるを得なくなることもな」
三日後、閲覧許可が下りた。
対象は俺と室長。
持ち出し不可。
複写不可。
王宮による公表までは口外禁止。
地下のさらに下に、禁書庫はあった。
二重の鉄扉を開ける。
室長が最後の錠へ鍵を差した。
「読んだあとで知らなければよかったとは言うなよ」
「言いません」
「今はそうだろう」
扉の向こうには、革張りの箱が並んでいた。
一つに王家の紋章が押されている。
封を切る。
最初の冊子を開いた。
一行目に名前があった。
オルヴェン・ラウゼン。
王宮魔術師。
血統魔法研究主任。
《転命薬》の開発者だった。
最初の使用者は、七歳の王女だった。
腹部に腫瘍ができていた。
切除しても再び増えた。
治癒魔法を使えば、切った傷と一緒に腫瘍まで戻った。
当時の術では、王女の身体と病変を完全には見分けられなかった。
余命は半年。
そこでオルヴェンが目をつけたのが、王家に伝わる血統魔法だった。
血統魔法は、人から人へ何かを移す術ではない。王家固有の魔力特性や加護をその血を継ぐ者へ残すための術だった。本人の血統情報に性質を書き込み、その後に生まれる実子へ複製する。だから奴隷にも、罪人にも、赤の他人にも移せない。その人間から続く血にしか届かない。
オルヴェンは、その仕組みを治療に使った。
病変を選別し、治癒魔法で処理できる傷ではなく、治せない異常だけを拾い上げる。それを身体から切り離し、血統情報へ転移させる。
すると身体から病は消える。
だが、病そのものが消滅したわけではない。
血統の中で、発現していない情報として残る。その後に子どもが生まれれば、その時点で蓄積されている情報はすべての実子へ複製される。
すでに生まれている子には渡らない。
いつ発現するかは分からない。
幼少期かもしれない。
成人後かもしれない。
老年期かもしれない。
一生出ないこともある。
発現した時に《転命薬》を使えば、病変は再び身体から切り離され、血統情報へ戻される。その者が後に子どもを持てば、そこからまた次へ渡る。俺はそこで資料から顔を上げた。
「……転移って、そういう意味だったのか」
室長は黙っていた。
父の肺病は治っていなかった。
父の血統情報へ移されただけだ。
兄が生まれた時には、まだなかった。
俺が生まれた時には、あった。
だから俺に複製された。そして俺は、最後の《転命薬》を飲んだ。
肺の病は、また俺の血統情報へ戻った。
俺がこの先に子どもを作れば、その子にも渡る。
「……これは副作用じゃない」
自然と声が漏れた。
「続きを読め」
室長が言った。
王女へ使用する前、王とオルヴェンの会話が記録されていた。
『治せるのか』
『いいえ』
『では何をする』
『この子の身体から病を外します』
『どこへ移す』
『血統です』
『この子に子ができれば継承されます』
『それでは何も解決していないではないか』
そこで記録が途切れ、書記による「長い沈黙」の一文が入っていた。
『それでも、王女殿下は今死なずに済みます』
『生まれてくる子はどうする』
『その頃には、治療法が見つかっているかもしれません』
王は許可した。そして王女は助かった。今に続く王族の血脈はそのおかげで絶えることはなかった。そしてそのときにはまだ《転命薬》は王家だけの緊急措置として秘匿された。
本来なら、そこで終わるはずだった。
だが、王女が助かったという噂は外へ漏れた。
治癒魔法でも治らなかった病を王家の薬が消した。
最初に求めたのは公爵家だった。
王宮は拒否した。
次に別の公爵家が求めた。
それも断った。
その後、王宮の薬庫から二本消え、薬師の一人が突然、屋敷を買った。
翌年には治癒不能だった侯爵が回復した。
さらに別の家。
また別の家。
薬師が買収され、材料が横流しされた。
調合法が写された。
《転命薬》は、王家の管理を離れて貴族たちの間へ密かに広がった。使用者たちは仕組みを知らなかった。王家に伝わる奇跡の薬。治癒魔法でも治せない病を消す薬。知っているのは、それくらいだった。
十数年後、使用者の子どもたちに異変が出始めた。
親が患った病と似た症状。
治癒魔法では処理できないもの。
同じ《転命薬》を飲ませれば消えた。
その頃になって、ようやく王家が事の次第を知ることになる。
オルヴェンは初めて薬がどこまで広がっているのかを調べた。
確認できただけで百を超える家。
実際にはさらに多いと記されていた。
すでに生まれた子どもたちにも病変情報は渡っている。
禁止することはできる。
製造を止めることもできる。
だが、すでに受け取った子どもたちが発症した時、今度は逃がす先がなくなる。自分では一度も患っていない病で死ぬのだ。
オルヴェンは三日間、王宮へ出なかった。
四日目に文書を提出する。
その内容は《転命薬》を許可制とすることだった。
治癒魔法では治療できない場合に限って使用すること。
原料となる白脈晶の採掘と保管を王家が管理すること。
そして、外部へ渡るすべての薬に、次の一文を付けること。
『服用後に生まれた子どもに、副作用が出る場合があります。発現した場合は、本剤を服用させてください』
俺は、その文章を何度も読んだ。
嘘ではない。
薬を飲んだ後に生まれた子どもに病気が出る。
発現した時に薬を飲ませれば消える。
実態としては正しい。ただ、病がどこから来たのかを書いていない。消えていないことも。また次の世代へ送っていることも。何一つ書いていない。その日のオルヴェンの日記も残っていた。
『これ以上広げるべきではない』
次の行。
『だが、すでに受け取った子どもたちから薬まで奪うことはできない』
さらにその下。
『王女殿下の時と同じだ』
最後の一文だけ、何度も書き直した跡があった。
『今は治せない病も、その子らが生きる時代には治せるようになっているかもしれない』
俺は本を閉じた。
「――勝手だな」
室長は何も言わなかった。
「未来なら何とかなるかもしれない。それで済ませたのか」
「王女は助かった」
「――だから?」
腹が立った。
七歳の王女を目の前にして未来へ賭けたことは、まだ分かる。
でも薬が広がった後も同じことをした。
今は止められない。
なら次へ。
次の時代なら治せるかもしれない。
その判断が何代も続いた。
誰も最後の世代になるつもりはなかった。
俺たちが、その最後になっただけだった。
王宮が真実を公表したのは、その五日後だった。
王都は荒れた。
王宮前には馬車が並んだ。
薬師院には石が投げ込まれた。
誰が最初に横流しした。
王家はいつから知っていた。
自分の家には何が残っている。
子どもには何が入っている。
いつ出る。
何種類ある。
誰にも全部は答えられなかった。
家系図を抱えて治療院へ押しかける者がいた。
婚約を延期する家も出た。
子を持たないと言い出す者もいた。
逆に、跡取りはもう生まれているから自分には関係ないと口にして、殴られた者もいた。
長男と次男でも、持っているものが違う。
親がいつ薬を使い、いつ子どもが生まれたかで変わる。
俺と兄がそうだった。
家柄を誇るために何百年も残してきた血統記録がそのまま病の記録になった。
王家は特にひどかった。
最も長く、最も多く《転命薬》を使ってきた家だからだ。
そして薬は、もう増えない。
白脈晶は掘り尽くされていた。
別の鉱床も見つからない。
王宮に残っていた備蓄も、発症者へ使われるたびに減った。
一本。
また一本。
やがて、それもなくなった。
妹が倒れたのは、その直後だった。
俺より七歳下だ。
腹が痛いと言い始めた。
最初は食あたりだと思った。
三日後、立てなくなった。
腹部に腫瘍が見つかった。
家の記録を調べた。
父は、俺が生まれた後にもう一度《転命薬》を使っていた。
腹部の腫瘍。
兄が生まれた後。
俺が生まれた後。
妹が生まれる前。
だから兄にも俺にもなく、妹にだけ入っている。
「俺のせいだ」
父は妹の寝台の横で言った。
「父上」
「俺が薬を飲んだからだ」
「飲まなかったら死んでたんでしょう」
「それでも」
「私はまだ死んでません」
妹は笑った。
顔色は悪かった。
王立治療院から来た医師は、妹の腹を診てから家の記録を開いた。
「この腫瘍が最初に血統へ入ったのはいつですか」
父が首を横に振った。
俺は仕事の合間に家の記録を調べていた。
たしか最初は百三十一年前だった。当時の当主が同じ病を患い、《転命薬》を使っている。父の時に新しく生まれた病ではない。父自身も、さらに前の世代から受け取って発症し、それをまた送っていた。医師は記録を見て頷いた。
「百三十一年前か」
「何です?」
「その頃なら確かに治せなかったでしょう」
父が顔を上げた。
「今は?」
「治療できます」
誰も返事をしなかった。
「……何と?」
「難しいですが、治療できます」
「治癒術師は無理だと言った」
「治癒魔法だけなら、です」
医師は妹の腹へ手を置いた。
「今は病変の位置を細かく調べられます。まず切除する。その後、残った部分だけに治癒魔法を使う。百三十一年前には、正常な組織と病変をここまで見分けられなかった」
「本当に治るんですか」
「絶対とは言いません」
医師は妹を見る。
「でも、百三十一年前よりは、ずっとましです」
妹は二度手術を受けた。
一度目で大きな腫瘍を取った。
二度目で残った病変を細く絞った治癒魔法で焼いた。
一週間、ほとんど食べられなかった。
三週間、寝台から起き上がれなかった。
二か月後、庭を歩いた。
半年後には、俺の皿から肉を奪うまでになった。その必死さがおかしくて俺は思わず笑ってしまった。
「……もう出ないんですか」
俺は医師に聞いた。
「この病については」
「血統には?」
「この病は戻ってはいません。《転命薬》は、発現した病変を血統情報へ戻す薬です。今回はそれをしていない。身体に出た病変そのものを治療した」
医師は記録へ線を引いた。
「だから、ここで終わりです」
オルヴェンの日記を思い出した。
『今は治せない病も、その子らが生きる時代には治せるようになっているかもしれない』
腹が立つのは変わらなかった。
許したわけでもない。
勝手に未来へ送っておいて、未来なら何とかなるかもしれないと言われても困る。
実際、今でも治せない病はあった。
王都では死者も出た。
治療できても片脚を失った者がいた。
目が戻らなかった者もいた。
一つ治した翌月に、別の病が発現した者もいる。
何十もの病変情報を抱えた家系もあった。けれど昔は治せなかったものの中に、今なら治せるものがあった。
一つ発現するたびに調べ、治せるなら治す。治せないなら症状を抑える。以前なら、そのどちらも《転命薬》で次へ送っていた。
けれど今は違う。
一つ治せば、一つ消える。
その病はもう次へ行かない。
俺にも二度目の病が出た。
曾祖母が百年ほど前に患ったものだった。
当時は治癒不能。
今では、薬草から作られた薬で治せた。
三度目はまだ治せなかった。
半年寝込んだ。けれど、それでも死ななかった。
治癒術師が傷んだ臓器を治癒魔法で支え、医師が症状を抑えた。
新しい治療法の研究も始まった。
平民の医師や薬師が、大勢王都へ呼ばれた。平民には《転命薬》がなかった。治癒魔法で治らない病にかかれば、その時代でどうにかするしかなかった。治らずに死んだ者も大勢いる。それでも彼らは、治す方法を探し続けた。
薬草。
切開。
縫合。
消毒。
隔離。
食事。
水分。
治癒魔法の使い方そのものを変えていった。俺たちが病を次へ送っている間に、平民の間では治療法が少しずつ増えていた。
数年後、兄に子どもが生まれた。
男の子だった。
よく泣いた。
よく飲んだ。
よく眠った。
兄は、家に残る病歴を一冊の帳面にまとめていた。
誰が、いつ《転命薬》を使ったか。
その時、すでに誰が生まれていたか。
何を血統へ移したか。
今の医療で治せるか。
まだ治せないか。
妹の腫瘍の欄には一本の線が引かれている。
治療済み。
継承終了。
俺が治した病にも同じ線があった。
「この子にも出るかな」
兄が赤ん坊を抱いたまま言った。
「分からない」
「怖いな」
「うん」
昔なら《転命薬》を一本用意しておけばよかった。
今はない。
兄は帳面を開いた。
「出たら?」
「調べる」
「治せなかったら?」
「その時に考える」
「先には送れないぞ」
「分かってる」
兄は赤ん坊の手を見た。小さな指が、兄の親指を握っている。
「俺たちで、できるところまでやるよ」
俺は帳面を閉じた。
二百年前、オルヴェンは未来なら何とかなるかもしれないと書いた。
俺たちは、その未来だった。
何とかならなかったものもある。
何とかなったものもある。
少なくとも、線を引けた病だけは、もうその先へ行かない。
最後まで、お読みいただきありがとうございます。
今回も、薬の注意書きのようなタイトルから生まれた短編です。
読了後、もう一度タイトルを見ていただけると嬉しいです。




