第21話:深層第1階層の異変
巨大な黒曜石のゲートを潜り抜けた瞬間、鼓膜を圧迫するような異様な「静寂」が、パーティ全体を包み込んだ。
背後で、ズズズ……という重低音と共に、第20階層との境界である扉が完全に閉ざされる。これで、後戻りはできなくなった。
「うわぁ……。ここが、深層……」
リーダーの夏美が、鉄の盾を構えたまま、ポカンと口を開けて周囲を見渡した。
そこは、これまでのダンジョンに見られたような「自然の洞窟」や「石造りの迷宮」とは、根本的に次元が異なっていた。
壁、床、天井。視界に入るすべての構造物が、鈍く光る「未知の金属」と、滑らかな「ポリマー樹脂」のような素材で構成されている。
壁面には血管のように幾何学的なラインが走り、青白い魔力光が明滅しながら奥へ奥へと脈打っていた。空気はひどく冷たく、土の匂いではなく、オゾンと機械油が混ざったような無機質な匂いが充満している。
「な、なっちゃん。なんかここ、ダンジョンっていうより……巨大な『お城の地下室』か、『古代の遺跡』みたいっすね……」
「空気が、重いです……。息をするだけで、魔力が吸い取られそうな……」
コウタとリコが、互いの肩を寄せ合いながらブルブルと身を震わせる。
カランッ。
不意に、彼らの周囲を飛び回っていた手乗りのドローンカメラが、力なく床に墜落した。
「あっ! カメラちゃん!?」
夏美が慌てて駆け寄り、ドローンを拾い上げる。しかし、プロペラは完全に沈黙し、電源のランプも消え失せていた。
彼女が腕のAR端末を確認すると、先ほどまで「二十万人」という狂気的な数字を叩き出していた同接カウンターは『接続エラー(オフライン)』という無慈悲な文字に変わっていた。
「だ、ダメだ……! 圏外になっちゃってる。どんな奥地でも繋がるギルドの最新回線なのに……!」
「嘘だろ!? じゃあ俺たち、完全に外の世界から孤立しちまったってことっすか!?」
パニックになりかけるコウタたちを尻目に、俺(一条誠)は分厚い丸眼鏡の位置を直し、背中を丸めながらも、視線だけは鋭く周囲の空間を走らせていた。
(アイリス。状況は)
『マスター。この深層エリア全体に、極めて高密度の「特殊な磁場干渉」が展開されています。魔素の濃度が上層の約五十倍。この異常な濃度の魔素がジャミング(電波妨害)の役割を果たし、外部への通信を完全に遮断しています』
脳内に響くアイリスの報告に、俺は内心で短く息を吐いた。
(なるほどな。二十万人の監視カメラの目が消えたのは、俺の正体隠匿にとっては好都合だが……環境そのものが最悪だ)
俺は、わざと怯えたように肩をすくめ、「ヒィッ、カメラが壊れたぁ!」と三流のポーターの演技をこなしながら、密かに手袋越しの指先で金属の壁面をノックした。
(硬い。それに、ただの金属じゃない。魔力を通しにくい特殊な合金だ)
『はい。構造物の材質は、現代のギルドの技術水準を約一千年は上回る「ロストテクノロジー」の産物と推測されます。……どうやらこの迷宮は、自然発生した魔窟ではなく、何者かが意図的に建造した『巨大な施設』のようです』
俺とアイリスが水面下で戦術分析を進めている間にも、夏美は「リーダーとしての責任感」から、必死に自分を奮い立たせようとしていた。
「み、みんな、落ち着いて! 配信が切れちゃったのは痛いけど……私たちには、ネームレス様がついてるんだから!」
夏美は、何もない空間に向かって胸を張り、大きな声を出した。
「ネームレス様は、どこからでも私たちを見ててくれるはずだよ! だから、ビビらずに少しだけ探索してみよう!」
「そ、そうっすね! 神の雷を落とすネームレス様が裏にいるなら、電波なんて関係ないっす!」
「わ、私も、頑張ります……!」
お人好しな素人たちは、互いに励まし合いながら、真っ直ぐに伸びる金属の通路を歩き始めた。
彼らのメンタルを支えている「ネームレス様」本人は、重いリュックを背負って最後尾をトボトボと歩きながら、再び胃薬が欲しくなる衝動と戦っていた。
(お前らの言うネームレス様は、監視カメラが消えて『これでコソコソ隠れずに堂々と支援(狙撃)できる』とホッとしているところだがな……)
だが、そんな余裕めいた思考は、通路を数百メートルほど進んだ先で、完全に粉砕されることとなる。
「……えっ?」
先頭を歩いていた夏美が、ピタリと足を止めた。
俺も、前方の開けた空間――ちょっとした広場のような区画――に横たわっている「それ」を見て、思わず眉をひそめた。
「な、なっちゃん……あれ……」
「魔物の、死体……? でも、あんな魔物、ギルドの図鑑でも見たことないよ……」
広場の中央に転がっていたのは、体長が五メートルはあろうかという、巨大な八本脚の蜘蛛と、サソリを掛け合わせたような異形のキメラ魔獣だった。
上層の魔物など比較にならない、恐るべき外殻と凶悪な毒針を持つ、間違いなくAランク以上の高位魔物。
深層に棲まう本来の「生態系の頂点」の一つだろう。
だが、異常なのはその魔物の「死に様」だった。
「ひぃっ……! な、なんてむごたらしい……!」
俺はポーターの演技を忘れないように悲鳴を上げつつ、その死体を鋭く観察した。
キメラ魔獣の分厚い外殻は、何かに「食い破られた」わけではない。
胴体の中心部が、まるで高熱のレーザーで綺麗にくり抜かれたように「円形に消滅」していたのだ。周囲の装甲は溶解し、傷口からはまだチリチリと黒い煙が上がっている。さらに、脚の関節部分は、極めて鋭利な刃物……いや、超高速で回転する「ブレード」のようなもので、機械的に切断されていた。
「これ、他の魔物同士の縄張り争い……じゃないよね」
「はい……。魔物って、普通もっとこう、噛みついたり引き裂いたりして戦うはずっすよね。こんな、定規で測ったみたいに綺麗に切断するなんて……」
コウタとリコも、本能的な恐怖を感じ取って後ずさる。
『マスター。対象の死因を解析。……生物による捕食痕ではありません。高出力の「光学兵器」および「高周波切断振動ブレード」による、極めて無機質で『機械的』な排除の痕跡です』
アイリスの冷徹な分析結果が、俺の脳内に氷水を流し込む。
(光学兵器だと? このファンタジー世界のダンジョンに、そんなものが存在するのか?)
『魔法による熱線の可能性もゼロではありませんが、周囲の魔力残滓のパターンが不自然すぎます。……マスター、この深層第1階層の「生態系」、完全に狂っています』
アイリスが、空間マッピングのレーダーを俺の視界に展開した。
そこには、俺たちを中心とした半径一キロ圏内に存在する「熱源」の分布が表示されていた。
『通常、ダンジョンは魔物という「生体」によって生態系が構築されています。しかし、この階層に存在する反応の九十九パーセントは、生体反応を持っていません』
(生体反応がない? じゃあ、今このレーダーに無数に表示されている、俺たちを取り囲む大量の『赤い光点』は一体なんだ!)
『未知の魔力駆動炉による、高出力の「エネルギー反応」です。……しかもそれらはすべて、規則的なパトロール軌道を描いて、この空間を巡回しています』
――ぞくり。
俺の背筋を、本能的な悪寒が駆け抜けた。
生物ではない。だが、動いている。
規則的にパトロールし、侵入者である高位のキメラ魔獣を、高熱のレーザーで「機械的」に排除する存在。
それが意味することは、ただ一つだ。
(……この深層は、魔窟じゃない。何らかの目的で作られた『防衛施設』か)
俺がプロとしての冷たい思考に切り替わった、その時だった。
ブゥゥン……。
金属の通路の奥、完全な暗闇の中から、低いモーターの駆動音のようなものが響いた。
夏美たちがビクッと肩を震わせ、盾と武器を構える。
「な、なんか聞こえたよ……!?」
「足音じゃないっす。なんか、鉄が擦れるような……」
暗闇の奥で。
一つ、二つ、三つ……と、無機質な『赤いセンサー光』が、次々と点灯していく。
それは、生物の瞳が放つ感情的な光ではない。ただ純粋に「排除すべきターゲット」を捕捉するための、氷のように冷たい機械の光。
『警告。未確認のエネルギー反応、複数接近中』
アイリスの声が、一切の感情を排した完全な戦闘モードへと切り替わる。
『マスター。推測が確信に変わりました。……前方の暗闇から接近してくるのは、魔物ではありません』
(……ああ、嫌な予感しかしないぜ)
俺は、背負っていたリュックを静かに床に下ろし、右手にはめた漆黒のグローブの指先を微かに動かした。
『あれは――私のロストデータに存在する設計思想と極めて類似した、『自律型無人兵器群』です』
深層の闇の中から姿を現したのは、肉と血を持つ魔物ではなく。
全身を鈍色の合金で覆い、両腕に殺戮用の兵装をガトリング砲のように備えた、旧時代の「機械の軍勢」だった。




