第四十二話 若き騎士長、正義とは何か?まだチップは置かれていない
とうとう、その日が来た。
下層区は妙に静かだった。視察と聞けば、野次馬が集まるはずだ。だが今日は違う。
皆、様子を窺っている。
空気が、重い。
ドナルドは肩をすくめた。
「俺は取り立て屋だ。政治には関わらん。王だろうが反逆者だろうが、借りた金は返してもらう。それだけだ」
そう言って、キリトリのためにカジノへ向かった。
ロキも同じ。
「僕も情報屋です。どちらにも属しません。属した瞬間、僕の価値が半分以下になりますから」
そう言い残し、人混みに紛れた。
それから時間が流れた。
通りの奥から、整然とした足音が近づく。
重装ではない。
儀礼用でもない。
実戦装備だが、威圧を抑えた装い、その先頭に立つ男。
金髪を後ろで束ね、真っ直ぐな眼差し。
若い。本当に、若い。
「……ライネル義兄さん」
イベルタが小さく呟く。
男は足を止めた。
視線が、アケミに向く。
そして、静かに口を開いた。
「初めまして。アケミ殿」
柔らかい声。だが、その目は曇っていない。
「本来ならば、ここで挨拶を交わす立場ではありません」
アケミは笑う。
「堅いねぇ。挨拶くらい自由だろ」
「……そうであれば良かった」
ライネルは一瞬だけ目を伏せた。
そして、真っ直ぐ告げる。
「アケミ殿。あなたは」
空気が張り詰める。
「エタルド騎士長殺害。アルベルトを含む多数の騎士殺しの罪により、正式に討伐対象となっています」
アルベルトも死んだか……
アケミにダルマにされたんだ。さぞ苦しく、恐怖を抱きながら絶望して死んだんだろう。
少しかわいそうな気もするが。
ライネルは淡々と、事実として述べる。
「王命です」
アケミは肩を竦める。
「へぇ。で?」
動じない。ライネルの視線が移る。
「イベルタ」
イベルタが息を呑む。
「君も同様に、討伐対象だ」
静かな宣告。
「コルディ処刑執行妨害。アリシア殺害未遂。多数の騎士殺し」
イベルタの指が震える。
だが、目は逸らさない。
ライネルは続ける。
「さらに、コルディ殿」
コルディが一歩前に出る。
「あなたは元騎士団員でありながら反逆行為に加担。武装反乱幇助の罪に問われています」
沈黙。通りを風が抜ける。
俺は黙って聞いていた。
そして、気づく。
俺の名前が出ない。
ライネルは一度、こちらを見た。
だが、それだけだ。
「……以上が、公式な立場です」
公式。つまり、彼個人の感情とは別。
アケミが口を開く。
「で? 今日は捕まえに来たのかい?」
周囲の騎士たちが僅かに緊張する。
だがライネルは首を振った。
「いいえ」
「討伐対象だろ?」
「はい」
「なのに?」
ライネルは真っ直ぐ答える。
「私は、事実を伝えに来ました」
空気が凍る。
「王命はあります。しかし、私はまだあなた方と話をしていない」
その言葉に、群衆がざわつく。
「討伐するか否かを決める前に、対話の機会を持ちたい」
アケミが目を細める。
「理想家だねぇ」
「そう呼ばれることもあります」
淡々と、言い訳しない。逃げない。
その姿勢だけは、本物に見える。
イベルタが震える声で言う。
「義兄さん……本気で、私たちを討つつもり?」
ライネルは即答しなかった。
ほんの一瞬、迷いが走る。
「……王命が覆らない限り」
正直だ。濁さない。だが、その目は揺れている。
アケミが笑う。
「つまり今は保留、ってわけか」
「そうなります」
沈黙、俺は一歩前に出る。誰も俺を止めない。ライネルの視線が、ようやく真正面から俺を捉える。
「あなたは……」
一瞬、言葉を探す。
「異界の賭博師さん……ですね?記録上、戦闘参加の確認はありますが、重大戦果の報告はありません」
つまり、認知されていない。エタルドに一方的にやられ、地面に転がっていた男。
それが俺だ。
思わず笑いそうになる。
博打の卓で、まだチップを置いていない客。
そんな扱い。
「ギャンだ」
俺は名乗る。
「今のところ、無名だ」
ライネルは静かに頷いた。
「覚えておきます」
その言葉に、妙な予感が走る。
この男は、敵になるかもしれない。
あるいはもっと厄介な何かになるかもしれない。
下層区の空気が、ぴんと張り詰める。
討伐対象と、若き騎士長。
まだ剣は抜かれていない。
だが、理想と現実は、確実に刃を向け合っていた。
沈黙の中、コルディが口を開く。
「あの、私の黒鞭返して欲しいんだけど」
ここでかコルディ。まぁ、コルディらしいが……
ライネルは少し考えたあと、口を開いた。
「いいでしょう……ただし、条件を飲んでくれるのなら」
空気が変わる。アケミの目が細まる。
「条件?」
「上層部に蔓延る、私利私欲に満ちた悪辣議員達の失脚」
予想外の言葉だった。
騎士団のトップが、
王に仕える騎士長が、
腐敗を、名指しで断じた。
周囲の騎士たちも、動揺しない。
つまり、共通認識。
「あなたの反逆により、エーテルディアは崩れかけました」
ライネルは続ける。
「しかし同時に、均衡を取り戻しつつあるのも事実です」
俺は目を見開く。
反逆が、均衡を?
「腐敗は暴かれ、力だけに固執した者は淘汰された。
恐怖で抑え込まれていた議会も、今は割れている」
アケミが小さく笑う。
「王に逆らう気かい? 若き騎士長」
「逆らうのではない」
ライネルは静かに言う。
「正すだけです」
その目は、まっすぐだった。
「正義とは何か、私はそれを問うています」
そう言い残し、彼は背を向けた。
剣は抜かれない。
血も流れない。
だが確実に、何かが動いた。
夜。
アジトでアケミが俺に語る。
「プロメティウス家が支持される理由、知ってるかい?」
「親の七光りか?」
「半分正解。半分違う」
彼女は壁にもたれ、ゆっくりと言う。
「先代騎士長・レオナルド=プロメティウス」
その名には、重みがあった。
「“金獅子”の二つ名を持つ男さ」
俺はアケミの話を聞いた。
真の平和と平等を謳い、数多の民に慕われた騎士。
強さは段違い。
魔王軍――五つの大陸を支配する暗黒の軍勢。
暗黒大陸に君臨する魔王を除き、
他の四大陸にはそれぞれ四天王が任されていた。
その一角を落としたのが――
レオナルド=プロメティウス。
そして
シュレイド=ローキンス。
ルミナス=クロロアーナ。
このサンライズ大陸の三英雄。
「だからこの大陸は、魔物は残っても、脅威は少ない」
アケミは言う。
「レオナルドが、根こそぎ叩き潰したからさ」
俺は黙る。
つまり、ライネルはその息子。
理想を語る血統。
正義を掲げる家系。
そして今、腐敗を斬る覚悟を持つ若き騎士長。
「厄介だね」
アケミが笑う。
「本物かもしれない」
俺は天井を見上げる。
正義とは何か。
秩序とは何か。
そして、賭けるならどっち側が面白い?
胸の奥で、何かがざわついた。




