第二十六話 名誉という光が照らすのは、いつも誰かの影なのかもしれない
イベルタがどの宿にいるのか、正確には知らない。
昨日はそのまま別れた。Johnnyカジノに向かったのは確かだが、その後どこに泊まったのかまでは聞いていない。
俺はとりあえず、Johnnyカジノのある裏通りへ向かった。
夜は眠らないと言われる大都市だが、朝の街はまだ半分眠っている。酒場の看板は閉じられ、昨夜の喧騒が嘘のように静かだ。
あのバーの前に立つ。
閉まっている。当然だ、ここは午後からだ。
「……くそ」
焦っても仕方ない。
だが胸の奥がざわつく。
あの洞窟で戦った、アルベルト。
その妹のコルディ。
ローキンス家の血が、動いている。
一人でぐるぐる考えても答えは出ない。
とりあえず腹に何か入れよう。
俺は近くの食堂に入った。
木の扉を押すと、焼いた肉とパンの匂いが鼻をくすぐる。
「よォ」
低い声。
顔を上げると、ドナルドがいた。
いつもの胡散臭い笑みで、向かいの席を顎で示す。
「あ、ども」
俺は腰を下ろす。
「調子はどうだ?」
「昨日、イベルタとクエストをこなした。渓谷の死霊調査だ」
「ほう」
「終わったあと、アイツは一人でJohnnyに行ったらしい」
ドナルドはパンをちぎりながら、あっさり言う。
「あぁ、見たな」
俺は顔を上げる。
「見た?」
「他の債務者に用事があって張ってたんだがな。イベルタは確かに入った」
「それで?」
「なんか様子が変だった。入ってから、そう時間も経たねぇうちに出てきた」
ドナルドは目を細める。
「血相変えてな。負けた顔じゃねぇ。あれは、何か聞いた顔だ」
背中に冷たいものが走る。
「まさか……」
俺は拳を握った。
「ドナルド、聞いてくれ」
スリーセブンスのこと。
討伐が実行されたこと。
アルベルトとコルディの名前。
全部、話した。
ドナルドは黙って聞いていた。
いつもの軽薄な笑みは消えている。
「……なるほどな」
低く、短く。
「ローキンス家が動いたってわけか」
「イベルタの従兄弟だ」
「血は水より濃い、ってか」
ドナルドは鼻で笑うが、目は笑っていない。
「で、お前はどうする」
「探す。イベルタを」
「探してどうする」
その問いに、一瞬詰まる。
慰める?
止める?
それとも……
「放っとけねぇだろ」
俺はそれだけ言った。
ドナルドは椅子にもたれ、じっと俺を見る。
「血の話になると人間は理屈じゃ動かねぇ……冒険者ギルド協会を見にいくか?」
「あぁ」
会計を済ませた。俺が出すと言ったが、ドナルドは当たり前のように払ってくれた。
石造りの巨大な建物・冒険者ギルド協会は、朝からざわついていた。
掲示板の前には人だかり。
受付嬢の前には列。武装した連中が、依頼書を奪い合うように見比べている。
その中にイベルタはいた。
いつもの、少し抜けたような笑顔はない。
背筋を伸ばし、掲示板を睨むように見上げている。
鋭い。目が刃物みたいだ。
……少し、怖い。
「いたな」
ドナルドが小さく言う。
「あぁ」
俺は一歩踏み出した。
「イベルタ」
呼ぶと、ゆっくりと振り向く。
その目は、冷えていた。
昨夜、笑っていた女とは別人だ。
「……ギャンさん」
声は平静、だが奥に張りつめたものがある。
「ちょっと話がある」
「私も、あります」
周囲のざわめきが耳に刺さる。
ひそひそ声。
「あれが例の……」
「金借りのイベルタだろ?」
「ローキンス家の恥晒し」
「アルベルト様に怪我させたらしいわよ」
好き勝手言いやがる。
イベルタは聞こえていないふりをしている。だが、指先が白くなるほど拳を握っているのが見えた。
「まず、俺からだ」
俺は低く言う。
「スリーセブンスは討伐された。アルベルトと、コルディって奴が中心だ」
イベルタの瞳がわずかに揺れる。
「……知ってます。ローキンス家の名誉は回復。私の叔父にあたる、エタルド=ローキンスも含めて」
短い返事。バーのマスターから、聞きたらしい。
唇がきゅっと結ばれる。
「だからでしょうね」
視線が、周囲に向く。
冷たい目。
露骨な蔑み。
遠慮のない囁き。
「名誉を取り戻した家に、私みたいなのがいると都合が悪いんでしょう」
淡々としている。
だが、声がわずかに震えている。
「アルベルト様の足を引っ張った従妹」
「借金まみれの出来損ない」
「ローキンス家の汚点」
……言わせとけ。
そう言えればよかった。
だが、言葉が出る前に、別の男が笑った。
「おい、イベルタ。討伐祝いに一杯どうだ?」
「ダメだろ、コイツ金ないからよw」
「借金取りまでいるじゃねーか!」
周囲に、くすくすと笑いが広がる。
イベルタは何も言わない。
俺は、もう我慢できなかった。
「行くぞ」
イベルタの手首を掴む。
「……え?」
「ここで依頼探してもろくなもんねぇ」
ざわめきが強くなる。
「おいおい、庇ってんのか?」
「そんなギャン中女の何がいいんだよw」
うるせぇ。
俺は振り返らない。
「ギャンさん……」
イベルタが小さく呼ぶ。
「聞くな」
それだけ言う。
扉へ向かって歩く。石床を踏み鳴らす音がやけに大きい。
背中に刺さる視線。
冷たくて、重い。
だが、俺は止まらない。
重い扉を押し開けると、外の光が差し込んだ。
ざわめきが背後で遠ざかる。
外気が、肺に入る。
俺はやっとイベルタの手を離した。
「……悪い」
「いえ」
イベルタは、少しだけ笑った。
強がりでも、作り笑いでもない。
それでも、どこか痛い笑顔だ。
「助かりました」
拳が震えている。
怒りか、悔しさか、恐怖か。
「どうするつもりだ」
俺は聞く。
イベルタは空を見上げる。
「……わかりません」
正直だ。
「でも」
視線が戻る。
さっきより、少しだけ柔らかい。
「逃げたくはないです」
胸の奥が、ぎゅっと締まる。
血は水より濃い。
だが、選ぶのは血じゃない。
「なら」
背後から声がした。
振り向くと、ドナルドが腕を組んで立っていた。
「お前らに合わせたい奴がいる」
俺たちは頷き、ドナルドについて行った。
ギルドの喧騒を背に。
冷たい視線を置き去りに。




