第二十四話 見に来ただけ
翌朝。
薄い光が、崩れかけの天井の隙間から差し込んでいた。
下層区の朝は静かだ。上層区の鐘も、ここまでは届かない。ただ、遠くで鍋を叩く音と、子供の笑い声が聞こえる。
俺は目を開けたまま、天井を見ていた。
隣ではイベルタが毛布にくるまっている。寝顔は、年相応だ。
「……イベルタ」
「ん……」
「お前、まだスリーセブンスとやるつもりか?」
問いかけは、低い声で。
しばらく沈黙が続いた。
イベルタはゆっくりと起き上がり、膝を抱える。
「昨日は、ちょっとカッコいいって思っちゃった」
「義賊ってやつか?」
「うん。でもね」
彼女は視線を落とす。
「盗みは盗みだよ。私、ローキンス家に秩序を押し付けられてきたけど……だからって、なんでも許されるわけじゃない」
少し間を置いて、俺を見る。
「ギャンさんは?」
俺は鼻で笑った。
「俺はやらねぇ。やりたくねぇ」
金は欲しい。2,000Gはデカい。
だが、あの広場の子供の笑い声が、耳に残っている。あれを踏み潰してまで取る金じゃねぇ。
「……そうだね。私も、そう思う」
イベルタは小さく頷いた。それで決まりだ。
俺たちは、スリーセブンスの三人がいる民家へ向かった。
扉を叩くと、例の男が顔を出す。
「どうした。もう決めたか?」
俺はまっすぐ言った。
「例の依頼は受けねぇ。俺はお前らを外道だとは思わねぇよ……悪い奴には違いねぇけどな」
コワモテは一瞬だけ目を細め、それから小さく笑った。
「正直だな」
奥の二人も、肩をすくめる。
「討伐しねぇ代わりに味方もしねぇ、か」
「中途半端とも言う」
「それでいい。白黒つけたがるのは、上の連中の悪い癖だ」
そう言って、手を差し出す。
「お前はもう友達だ。俺はゲイン。困ったことがあったら言え」
友達、か。軽い言葉じゃない。
俺はその手を握った。
「俺はギャン。またな」
イベルタも、小さく頭を下げる。
「お世話になりました」
外に出ると、下層区の朝はすっかり動き出していた。昨日見た子供が、木の棒を振り回して遊んでいる。老婆がパンを焼いている。誰かが洗濯物を干している。
盗賊の巣というより、ただの街だ。
「……なんか、変な感じだね」
イベルタがぽつりと言う。
「何が」
「悪い人たちのはずなのに、嫌いになれない」
俺は肩をすくめる。
「世の中ってのは、そんなもんなんだろ」
善人が必ず正しくて、悪人が必ず間違ってるわけじゃねぇ。
だからややこしい。前いた世界も、この世界も。
俺たちは下層区を抜け、石畳の整った通りへ戻る。
空気が変わる。視線の質も変わる。
「次はどうするの?」
「決まってんだろ」
俺は顎で示す。冒険者ギルド協会の大きな建物が見える。
あの2,000Gの依頼をどうするか。
受けないと伝えるか、それとも知らん顔をするか。
どちらにせよ、俺たちはもう盤面の外じゃない。
俺はギルドの扉を押した。軋む音とともに、いつもの喧騒が迎える。
「さて、イベルタ。どの仕事にするよ」
「うーん……コレは?」
【アルカレンス渓谷の死霊調査】
内容は現状の視察と報告。
現場の写真撮影。詳しくわかるものを数枚。
報酬は1,500G。
上手くやれば戦闘なしで行けそうだ。
しかし、アルカレンス渓谷ってなんだ?
俺はイベルタに尋ねた。
「エーテルディアから少し離れた場所にある渓谷です。昔は罪人や、不治の病を患った人……そして」
イベルタがいい辛そうにいう。
「介護が無ければ生きられないお年寄りや、産んだ子を育てられない無責任な親が子供を捨てた場所です」
そんなところの亡霊調査……か。
俺は前世では、やれ霊だの神だの、オカルトは一切信じてなかった。あんな物は人を騙すために語る奴か、面白がって話す奴、またはアル中の戯言だ。
だが、この世界じゃ否定はできない。
夜には平原を骸骨が歩いている世界だ。
幽霊くらい、いてもおかしくはない。
むしろ、いない方が不自然だ。
「……戦闘の可能性は?」
俺は淡々と聞いた。
イベルタは少し考える。
「低確率ではありますが、ゼロではありません。渓谷の奥に近づかなければ問題ないはずです。今回は調査ですから」
「死霊の討伐じゃない、と」
「はい」
1,500G。堅実な額だ。
リスクも低め。戦闘なしの可能性あり。
ギャンブルじゃない。
仕事だ、俺は小さく息を吐いた。
「受けよう」
イベルタは頷き、依頼書に印を押した。
翌朝。
エーテルディアを出て半日。馬車を降り、徒歩で森道を抜けると、急に視界が開けた。
そこがアルカレンス渓谷だった。
深く抉れた大地。
岩肌は黒ずみ、霧が底から這い上がっている。
風はないのに、霧だけがゆらゆらと動く。
「嫌な感じだな」
「多くの人の終わりがあった場所ですから」
イベルタの声は冷静だったが、その瞳はわずかに硬い。俺は周囲を見渡した。
崖沿いに続く細い道。
崩れた荷車。
朽ちた布切れ。
誰かが、ここで。
置いていった。
あるいは、置いていかれた。
胸が妙にざわつく。
「……写真だな」
俺は魔導カメラを取り出した。この世界の写真は、魔力で紙のようなものに焼き付ける方式だ。ギルドが貸し出してくれた物だが、壊したりしたらどれだけタダ働きになるかわからない。
パシャ。
崖の全景。
パシャ。
底から立ち上る霧。
パシャ。
白い何かがある。
「……骨、か?」
それは小さかった。大人の骨とは明らかに違う。
俺は一瞬だけ視線を逸らし、もう一度シャッターを切った。
依頼は依頼だ。
感情を挟むな。
だがその時、足元の霧がふっと濃くなった。
背筋を撫でる冷気。俺は反射的に剣へ手をかける。
「イベルタ」
「……感じました」
音はない。風もない。
だが、確かにいる。
霧の向こうに、影が揺れた。
人の形、何人も、そこに立っている。
こちらを見ている。
無言で。
「戦闘は低確率、だったよな?」
俺は笑う。イベルタは静かに弓を構えた。
「まだ敵意はありません」
影は動かない。
ただ、見ている。
責めるでもなく、怒るでもなく。
ただ、見ている。
胸が締めつけられる。
俺は前世を思い出した。
借金。
逃げ。
絶望。
もし、俺がこの世界に転生していなかったら。
もし、俺があのまま終わっていたら。
俺も、あっち側に立っていたのか?
「……調査だけだ」
俺は呟く。
「俺たちは、見に来ただけだ」
その瞬間、霧がふっと薄れた。
影が消えた。最初から何もなかったように。
イベルタは弓を下ろす。
「……干渉してきませんでした」
「俺たちを、拒絶もしなかった」
写真は撮れたし、異常の存在も確認できた。
依頼としては十分だ。
だが、俺は最後にもう一枚だけシャッターを切った。霧の奥、誰もいない空間に向けて。
「……帰るぞ」
背を向けた瞬間、かすかな声がした気がした。
ォィ……ナ……
置いてくな、なのか。
おい行くな、なのか。
わからなかった。
俺たちは足早に、渓谷を後にした。




