第二十二話 足るを知る、身の丈を知る。俺たちが一番できてないこと
俺たちはスリーセブンスの情報を調べることにした。
まず向かったのは、例の鍛冶屋だ。炉の熱気が通りに漏れ、鉄と油の匂いが鼻を刺す。
「ん? また来たのかい?」
今朝会ったばかりのヤンキーネェちゃんが、金槌を肩に担いだままこちらを見る。
「実は知りたいことがあってな」
俺は、スリーセブンス討伐依頼を受けるか迷っていることを話した。
ネェちゃんは一瞬だけ手を止め、ふっと鼻で笑う。
「そうかい……アイツらは確かに犯罪集団だ。だけど、なんつーか、悪い奴じゃないんだ」
「どういう事だ?」
ネェちゃんは作業台の下から一枚の地図を引っ張り出した。煤で汚れた指が、ある一点を示す。
「ここに行ってみな。多分、会える」
指先が止まった場所を見て、イベルタが小さく息を呑む。
「ここって……」
「あぁ、エーテルディアの闇。下層区だ。治安は最悪。表の騎士団もあまり手を出さない。スリーセブンスとやるなら、そこに行くしかないよ」
下層区。絶対ロクでもない。
「治安悪いのか。じゃあやめるか」
俺は即答した。危険な場所にわざわざ足を突っ込む理由はない。効率が悪い。
「ギャンさん、行きましょう!!」
イベルタの目が、きらきらしている。
「行かねーよ」
「じゃ、一人で行ってきます」
くるりと踵を返す。
「……は?」
本気だ。あいつ、本気で一人で行く気だ。
ヤンキーネェちゃんが、にやにやと俺を見る。
「いってやりなよ」
「はぁ……こうなるよなぁ」
俺は頭を掻き、渋々イベルタの後を追った。
夕暮れの光が、街を赤く染めている。
石畳の整った通りを抜け、徐々に道幅が狭くなっていく。建物の壁はひび割れ、窓は板で打ち付けられている。
空気が変わった。酒と汗と、淀んだ水の匂い。
遠くで怒鳴り声。何かが割れる音。
イベルタは少しだけ歩調を落としたが、止まらない。
「……怖くねぇのか」
「ちょっとだけ」
だがその声は震えていなかった。
角を曲がると、視線を感じる。
二階の窓から覗く目。
路地裏でしゃがむ男。
こちらを値踏みする、無数の視線。
俺は無意識に剣の柄に手を置いた。
「ギャンさん」
「なんだ」
「戻ります?」
俺は鼻で笑う。
「今さらか。お前が来るって言ったんだろ」
さらに奥へ進むと、広場のような場所に出た。だが噴水は壊れ、中央には倒れた石像。周囲には粗末な布を張った屋台や、火を囲む連中。
子供がいる。痩せた老人がいる。
武器を持った男もいる。
ここは犯罪者の巣というより、追い出された者の吹き溜まりだ。
「……思ってたのと違うな」
その時だった。
「おい、見ねぇ顔だな」
低い声。振り向くと、背の高い男が立っていた。傷だらけの顔。だが目は鋭い。
周囲の空気が、わずかに張り詰める。
「観光か?それとも何か用事か?」
イベルタが一歩前に出た。
「スリーセブンスに会いに来ました」
広場のざわめきが、ぴたりと止まる。
男の目が細まる。
「誰の紹介だ?」
俺は短く答えた。
「鍛冶屋のネェちゃんだ」
「ヴェネリーナか……。ちっ、話くらいは聞いてやる」
火の向こう側。影の中に、三つの人影が立っているのが見えた。
スリーセブンス。
マヌケな名前。だが、その空気は軽くない。
俺は小さく息を吐いた。
やっぱり、嫌な予感しかしねぇ。
俺たちは、ある民家に通された。
外から見れば崩れかけの木造家屋だが、中は意外と整っている。粗末だが掃除は行き届き、壁には地図と張り紙。食料袋が隅に積まれていた。
「飲むか?」
コワモテの男が、陶器の瓶を机に置く。
睡眠薬入りとかじゃねぇだろうな。
俺が警戒している横で……
「いただきます!」
イベルタが迷いなく栓を抜き、そのまま一口あおった。
「おい!」
「ん? 普通のお酒ですよ?」
喉を鳴らしている。どうやら毒ではないらしい。
俺も渋々口をつける。安酒だが、変な味はしない。
「で、何しに来た?」
低い声。部屋の奥、影の中には他にも二人いる。三人。おそらくコイツらは、スリーセブンス。
俺は正直に話した。
冒険者ギルド協会に、スリーセブンス討伐依頼が出ていること。それも、2,000Gという高額であること。
他所者の俺たちは、いきなり依頼を受ける前に、あんたらがどういう連中か知りたくて来た、と。
コワモテは腕を組み、しばらく黙ったあと、「なるほどな」と短く言った。
驚きも怒りもない。
むしろ、心当たりがある顔だ。
「やっぱり、か」
ぽつりと呟く。
そして、真剣な目で俺たちを見る。
「俺たちはな、税を貪る街の支配層や、勝てねぇカジノでぶっこ抜く経営者から奪った金や物を、この下層区に流している」
机を指で叩く。
「ここにいる連中は、元は真面目に働いてたやつばっかだ。だが税で締め上げられ、借金で潰され、最後は家も職も奪われた」
イベルタの指が、わずかに止まる。
「皆んなが足るを知れば、貧困なんてなくなるんだ」
その言葉は、重かった。
部屋の外から、子供の笑い声が聞こえる。
その笑いは、飢えたもののそれではない。
俺は黙る。
足るを知る。
身の丈を知る。
負けを受け入れる。
どれも、俺たちが一番できていないことだ。
身の丈以上の金を求めて、ギャンブルして。
ゼロを見ても、また賭ける。
イベルタが、ぽつりと言う。
「……でも、盗みは盗みですよね?」
コワモテは即答した。
「ああ、盗みだ」
開き直りでも、言い訳でもない。
「だから討伐依頼も出る。俺たちは正義じゃない。だが、向こうも正義じゃねぇ」
奥にいた一人が口を開く。
「2,000Gだろ? それ、俺たちを潰すための見せ金だ。騎士団が動ける名目作りさ」
もう一人が鼻で笑う。
「最近、王国直属騎士のローキンス家がやけにうるせぇ。秩序だの名誉だの」
ローキンス。イベルタの肩がぴくりと揺れた。
俺は横目で見る。
「……お前ら、ローキンス家と揉めてんのか?」
コワモテは少しだけ目を細めた。
「揉めてるっつーか、邪魔なんだろうな。俺たちが下層区をまとめてるのが」
沈黙が落ちる。
2,000G。
その金額の意味が、さっきよりも重くなる。
これは単なる盗賊討伐じゃない。
政治、見せしめ、排除だ。
コワモテが俺を見る。
「で、お前らはどうする? 2,000Gを取るか。それとも、見なかったことにするか」
イベルタが、俺を見る。
あの目だ。迷っているが、逃げたくはない目。
俺は、ゆっくり息を吐いた。
「……決めてねぇ。だが、2,000Gって数字が、やけに軽く感じてきた」
本音だった。
正義でも悪でもない。
金か、生き方か。
その天秤が、俺の中でぎしりと音を立てている。
だが同時に、この連中を討伐するのは、何かが違うとも思い始めていた。
沈黙が落ちた、その時だった。
軋む音とともに、民家の扉が開く。
「失礼」
ひょろりとした男が入ってきた。黒い外套。年齢不詳。目だけが妙に光っている。
部屋の空気が、わずかに変わる。
「お前は……」
コワモテが眉をひそめる。
男は俺とイベルタを見て、口角を上げた。
「はじめまして、異界の賭博師さんと、金借りのイベルタ」
背筋が凍る。イベルタの肩がぴくりと揺れた。
コワモテたちが一斉にこちらを見る。
「金借りのイベルタ……?」
「お前、ローキンス家の……!」
空気が張り詰める。
やばい。
剣の柄に手が伸びかける。
イベルタの呼吸が浅くなる。
沈黙。一瞬で、敵地に放り込まれた気分になる。
やっちまったか?
次の刹那。
「……面汚しの、追い出されたやつか!」
コワモテが鼻で笑った。
「なら俺ら寄りだろ!」
奥の男も肩をすくめる。
「ローキンス家の奴らから命狙われてんだろ? 噂は聞いてるぜ」
緊張が、わずかに緩む。
イベルタは唇を噛んでいる。怒りか、悔しさか、それとも安堵か。
俺はゆっくりと情報屋を見る。
やたら詳しい。
俺が異界の賭博師であること。
金借りの二つ名。
まぁ、この二つはあのカジノを出入りしてる奴や、酒場のマスター。もしかしたら、ヤンキーネェちゃんや借金取りも知ってる事だ。
だが、イベルタがローキンス家から命を狙われている。
ここまで正確に掴んでいるのは偶然じゃない。
全部こいつの仕業か?
俺の視線に気づいたのか、男はくすりと笑った。
「誤解しないでください。僕は中立ですよ」
嘘くせぇ。
「僕はこの街の全てを知っていますから」
さらりと言う。威張るでもなく、誇るでもなく。
事実のように。
部屋の奥の三人が、わずかに黙る。
コワモテですら、この男には強く出ない。
なるほどな。
力じゃない。情報で支配するタイプか。
「で?」
俺はあえて軽く言う。
「その全てを知ってるあんたが、わざわざ顔出した理由は?」
男はゆっくりと歩き、机に指を置いた。
「簡単ですよ」
その目が、俺とイベルタを交互に映す。
「まず、僕はあなたに興味がある。異界から来たというあなたにね。そんなあなたが、選択を間違えると死んでしまうからです。平たく言うならば……アドバイスをしに来た、とでも」
静かな声だった。だが、その一言で部屋の温度が下がった。
ローキンス家。
討伐依頼。
2,000G。
そして、スリーセブンス。
全部が一本の線で繋がり始めている。
俺は笑った。
「はは。結局、どこ行っても命懸けかよ」
情報屋も笑みを崩さない。
「この街は、そういう場所です」
下層区の夜は、静かに深まっていく。
どうやら、本当に嫌な予感しかしねぇ。




