第十三話 負けてしまっても、一人じゃなければやり直せるし、きっと笑える
店の外に出ると、夜風が少しだけ冷たかった。
木造の看板が、きぃ、と鳴る。
俺は壁にもたれ、握りしめた革袋を見下ろした。中には、さっきの残りだけ。
……この金が無くなったら、どうする?
笑えない。
クエストを受けても、クリアできねぇ。
戦闘素人、魔法も使えねぇ。
体力? 根性?
そんなもん、現実で使い切った。
かと言って、得体の知れない俺を仲間にしてくれるやつなんて、絶対にいない。
この世界じゃ、信用は命より重い。
俺はどっちも持ってねぇ。
……唯一いるとしたら。
「イベルタ、だけか」
あいつは、俺の目を見ていた。値踏みでも、軽蔑でもなく。
俺には、あいつが必要だ。
依存?違う。
利用?いや、違うな。
必要なんだ。
くそ。
俺は踵を返し、バーの扉を押した。
鈴が鳴る。カウンターの奥で、マスターがグラスを磨いていた。
ちら、と俺を見る。
「戻ったか」
「……ああ」
視線が、俺の革袋に落ちる。
「賭場に戻るのか?」
声は小さい。責めるでもなく、止めるでもなく。
ただ確認。俺は、少しだけ考えた。
戻れば、増えるかもしれない。
戻れば、失うかもしれない。
その刺激を、身体はもう覚えている。
「いや」
俺は椅子に腰を下ろした。
「酒が飲みたい」
マスターの口元が、ほんの少しだけ上がる。
「……ほう」
棚から、一本の瓶を取り出す。琥珀色の液体が、ランプの灯りを受けて揺れた。
「これはな。遠征帰りの冒険者にしか出さない酒だ」
「高そうだな」
「高い。だが今日は奢りだ」
「は?」
「さっきの目だ」
トクトク、と音を立ててグラスに注がれる。
「賭けに勝った目じゃない」
俺の前に置かれる。
「何かを選んだ目だ」
そんな大層なもんじゃねぇ。
だが、否定する気力もなかった。
「飲め」
俺はグラスを手に取る。
香りが強い、鼻の奥が焼ける。
一口。
熱い。喉を通る瞬間、火を飲んだみたいだった。
「っ……!」
だが、悪くない。身体の奥がじんわりと温まる。
「帰還者の灯だ」
「縁起悪くねぇか」
「死地から戻った者が飲む酒だ」
マスターはグラスを拭きながら言った。
「戻ってくるやつはな、二種類いる」
「……」
「何も学ばず、また死にに行くやつ」
俺は黙って聞く。
「もう一度、選び直すやつだ」
俺はグラスの底を見つめた。
揺れる灯り。俺はどっちだ?
わからない。
だが、少なくとも今夜は、賭場に戻らなかった。
それから一時間も経っただろうか。
奥の扉が軋み、イベルタが出てきた。
肩が落ちている。
歩幅が小さい。
一目でわかる、負けた奴だ。
「おい」
声をかけると、びくりと肩を震わせた。
「あ、ギャンさん……待っててくれたの?」
驚きと、少しの安堵。
俺は顎で隣を示す。
「座れ」
イベルタは遠慮がちに腰を下ろす。
「酒は?」
「……甘いのなら」
マスターに目配せすると、静かに果実酒が出てきた。薄い桃色。香りが柔らかい。
イベルタは両手でグラスを包み込む。
「イベルタ」
「なんですか?」
俺は革袋から50Gを取り出し、カウンターに置いた。
「……へ?」
「軍資金がほしい」
イベルタの目が瞬く。
「明日、クエストに付き合え。それは前金だ」
数秒、固まる。
そして、イベルタの目にじわりと涙が浮かんだ。
「は、はい……はい! お願いします!」
声が裏返る。泣くほどかよ。
だが、否定はしなかった。
イベルタはぐい、と果実酒を飲む。甘い香りがふわりと広がった。
「結局ですね、シックスボールは当たらなくて……」
語り出す。
「資金が100Gになってからスロットに移ったんですけど、うんともすんとも言わなくて……」
「回収モードだな」
「絶対そうです! あれは設定悪いです!」
さっきまで死んだ顔してたくせに、もう饒舌だ。悔しさを語り、展開を分析し、言い訳を並べる。
だがその表情は、扉から出てきた時より、ずっと明るい。
現状は何も、変わっていない。
所持金は減った。
借金は消えてない。
明日も保証なんてない。
それでも。
「ギャンさんが待ってると思わなかったんで……ちょっと、嬉しかったです」
……面倒なことを言うな。
「勘違いするな。お前が必要なだけだ」
「それでもいいです」
即答かよ。
マスターが静かに酒を継ぎ足す。
「ところで、クエストって何受けるんですか?」
「ちまちま日雇い仕事みたいな事やっても仕方ねぇ……採取系だ」
「採取系、ですか?」
「ああ。俺とお前が出会って、最初にこなしたやつ。覚えてるだろ」
「新緑鉱石、ですね?」
「そうだ」
神木の樹液が、長い年月をかけて固まることでできる新緑鉱石。武器や装飾品の加工素材として、扱いやすく需要がある。
だが、山は魔物が多い。
中リスク・中リターン。
「正直、戦闘は避けたい。でも、あれはまだマシだ」
「確かに……あの時も、なんとかゴーゴンから逃げ切れましたもんね」
お前のせいだろっと突っ込みそうになるが堪えた。
「戦わない。見つけたら避ける。欲張りすぎない」
……いや、少しだけ欲張る。
「あの時みたいに、余分に取って横流しすれば、それなりの額になる」
規定納品分を超えた分は、個人売買で流せる。
イベルタがにやりと笑った。
「やっぱり欲張るじゃないですか」
「計算のうちだ」
無謀と、勝負は違う。
「明日は朝イチから酒場行くぞ」
イベルタがぴしっと手を挙げる。
「はい、先生。訂正があります」
「なんだ」
「エーテルディアでは、酒場じゃなくて冒険者ギルド協会です」
「クエスト受けるとこなら……似たようなもんだろ」
「違います! ちゃんとしてます! 掲示板もあるし、受付も綺麗です!」
「酒場にも掲示板あっただろ」
マスターがくく、と喉で笑う。
「とにかく!明日、案内しますね!」
「頼む」
イベルタは胸を張った。ほんの少し前まで負け犬の顔してたやつとは思えない。
単純で助かる。グラスを空にし、席を立つ。
「今日は解散だ。寝坊するな」
「はい!」
「遅れたら置いてく」
「起きます! 絶対起きます!」
信用はしていない。
だが、信じることにした。
店を出ると、夜はすっかり深まっていた。
ネオンが滲み、石畳が湿って光る。
イベルタは別方向へ手を振った。
「おやすみなさい、ギャンさん!」
「ああ」
それぞれ宿を取り、明日に備える。安宿の硬いベッドに身を投げると、天井の木目がぼやけて見えた。
ギャンブルで負けて、文無しになりゃ日雇い。
前世と変わらねぇ。
……いや。
借金が無いだけ、マシか。
督促もない。
取り立てもない。
利息も膨らまない。
ゼロからだ。
そのとき、ふとイベルタの顔が浮かぶ。
笑っていた顔。
泣きそうだった目。
……あいつは。
前世の俺みたく、借金もすげーんだもんな。
「……」
俺は天井を睨む。
俺は借金から逃げて……いや、生きることから逃げた結果、たまたまここに来た。
あいつは、まだ背負っている。逃げてねぇ。
なのに、笑う。
目を閉じる。
明日は採取だ。ギャンブルじゃない。
だが、俺にとっては同じだ。
リスクを見積もり、期待値を考え、引き際を守る。
それができなきゃ、またゼロ。
いや、今度はマイナスになる。
静かな夜。
賭場の喧騒は遠い。
だが、心臓はまだ少し早い。
それでも、明日は賭ける。
金じゃなくて、生き方に。




