第九話 どうしようもねぇギャンカスが二人なんて、最悪の掛け算だ
街道を進んでいると、向こうから数人の集団が歩いてきた。革鎧に槍。簡素だが統制が取れている。冒険者の小隊だろう。
すれ違いざま、そのうちの一人がイベルタを見て、声を上げた。
「あ?」
足を止め、露骨に顔をしかめる。
「……金借りのイベルタじゃねぇか」
空気が、少しだけ張りつめた。
別の男が、俺を見て顎でしゃくる。
「あんた、その女とつるまねーほうがいいぞ」
善意とも、侮蔑ともつかない声だった。
「ロクな目に遭わねぇからな」
俺は一瞬だけ、相手を見た。それから、軽く肩をすくめる。
「忠告どうも」
それ以上、何も言わなかった。小隊は、興味を失ったように歩き出す。背中越しに、ひそひそと声が聞こえた。
「まだ返してねぇらしいぞ」
「懲りねぇな」
「関わらんほうがいい」
イベルタは、何も言わなかった。ただ、少しだけ歩調を早め、俯いたまま進んだ。
街道は続く。朝の光は変わらず、風も穏やかだ。
だが、イベルタの肩は、小さく震えていた。
しばらく歩いてから、気づいた。
彼女は、泣いていた。
声を殺して。
俯いたまま。
誰にも気づかれないように。
(……だよな)
胸の奥が、じくりと痛んだ。
わかってる。本人が、一番わかってる。
俺は、前世の記憶を思い出していた。
消費者金融、カンスト。
クレジットカード、カンスト。
親に無心。
仲間に無心。
先輩に無心。
後輩に無心。
……別れた元カノにすら、頭を下げた。
周りで、ずっと言われていた。
「アイツと関わらない方がいい」
わかっていた。俺も。
何度も。嫌というほど。
ボロアパートの片隅。
薄い壁。隣の生活音。
一人で、泣いた夜もあった。
金があれば返す。
多めに返す。
礼だって、きちんとする。
でも、ねぇんだ。
運も。
金も。
甲斐性も。
だから、借りる。
だから、嫌われる。
だから、孤立する。
イベルタの背中を見ながら、俺は思った。
(……お前だって、わかってんだよな)
それでも、歩くしかない。
それでも、街道を進むしかない。
止まったところで、何も変わらない。
俺たちは、黙ったまま、並んで歩き続けた。
しばらく、街道には足音だけが続いていた。
土を踏む音。
装備が擦れる音。
遠くを通り過ぎる風の音。
その沈黙を、イベルタが破った。
「……あの」
小さな声だった。
「なんで、ギャンさんは……私に優しくしてくれるんですか?」
俺は、思わず足を止めそうになったが、踏みとどまった。歩きながら、吐き捨てるように言う。
「優しくした覚えはない」
それは、本心だった。
「そう思うならな」
少しだけ、言葉を選ばずに続ける。
「お前の判断基準が、もうバグってんだよ」
「……え?」
イベルタが、きょとんとした声を出す。
「否定されて、追われて、拒絶されて、遠ざけられて」
街道の先を見たまま、淡々と。
「それが当たり前になったんだ。だから俺が普通……いや、むしろ冷たいくらいなのに、優しいって勘違いすんだよ」
少し間を置く。
「……つけ込まれんなよ」
言ってから気づいた。
(……あ)
これ、完全に親切な説明だ。
イベルタは、歩きながら俺を見上げていた。
「……なんで」
声が、少し震える。
「なんで、ギャンさんは……そんなこと、わかるんですか?」
俺は、一瞬だけ黙った。
それから、短く答える。
「末期ギャンだからだ」
「え?」
「末期ギャンなのって言ってんだ。わかるだろ」
自嘲も、誇りもない。ただの事実だ。
その言葉を聞いた瞬間。なぜか、イベルタの顔に笑顔が戻った。さっきまで俯いていたのが嘘みたいに、ぱっと明るくなる。
……不思議だ。
この女、普段はまったく可愛くない。
言動も、金絡みも、全部ダメだ。
なのに、笑顔だけは何故か可愛い。
「一緒ですね!!」
やけに嬉しそうに言うな。
「安心してんじゃねぇ」
俺は、即座に切り捨てた。
「どうしようもねぇギャンカスが二人なんてな」
視線を前に戻す。
「最悪の掛け算だ」
イベルタは、少しだけ肩をすくめて、それでも笑っていた。
「でも……一人より、マシです」
俺は答えなかった。
肯定も、否定もしない。
それが、俺なりの距離感だ。
街道は続く。エーテルディアは、まだ先だ。
どうしようもない二人で。
最悪の組み合わせのまま。
それでも、歩みは止まらなかった。
空がオレンジ色に染まる頃、俺たちはエーテルディアの手前まで辿り着いていた。
街道の先。
視界いっぱいに広がる、石壁と建物の群れ。
「……でけぇ」
思わず、声が漏れた。
高い城壁。
無数の屋根。
夕陽を反射する塔。
「マジで……大都会だな」
賭場がある。
人がいる。
金が回ってる。
胸の奥が、ぞわっとした。
その瞬間だった。
低い唸り声。前方の茂みが揺れ、何かが飛び出してくる。
「……っ!」
四足。
黒ずんだ毛皮。
異様に発達した前脚。
「あれは、マッドドッグ!」
見た目だけで、強敵だと分かる。牙は剥き出し、涎を垂らしながら、獲物を見る目をしている。
イベルタが、即座に動いた。
弓を引く。
迷いがない。
速射。二本の矢が、寸分違わず両前脚に突き刺さる。
「ギャウッ!?」
マッドドッグが、地面に爪を立て、体勢を崩した。
「行くぜ!」
俺は、銅の剣を振りかぶり、全体重を乗せて叩きつけた。
――ガンッ。鈍い感触。
刃は、確かに当たった。
だが、深くは入らない。
(硬っ……!)
筋肉が、鎧みたいだ。
「しまっ――」
気づいた時には遅かった。
マッドドッグは、後ろ脚を踏み込み、身体ごと俺にぶつかってきた。
――ドンッ!!
「ぐふっ……!」
視界が、跳ねた。
肺の空気が、一気に吐き出される。
喉から、鉄の味。
地面に転がりながら、理解した。
(装備……ケチるんじゃなかった)
「ギャンさん!?」
イベルタの叫び。
「クソ犬め……許さないから!!」
怒気を含んだ声。
マッドドッグが、再び俺に向かおうとした、その横を、イベルタが滑るように回り込む。
突進を、紙一重で回避。
弓を捨て、腰の短刀を抜く。
一閃。
短く、鋭い軌道。喉元を裂かれたマッドドッグは、声も上げられず、前のめりに崩れ落ちた。
地面に、重たい音。
完全に、沈黙。
数秒後。遺体が淡く光り、硬貨が転がり出る。
50G。
俺は、咳き込みながら上体を起こした。
「……お前」
息を整えつつ、イベルタを見る。
「ほんと、強ぇな……」
イベルタは、短刀の血を払ってから、こっちを振り返った。
「ギャンさんが、無茶するからです」
そう言いながらも、どこか安心した顔をしている。
まただ。また、助けられた。
(……情けねぇ)
大都市は、すぐそこだ。
だが、その入口でこれだ。
俺は、銅の剣を見下ろした。
次は賭け方を、間違えねぇ。
そう思いながら、俺は立ち上がった。




