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世界は光に満ちていた

作者: 月森香苗

※終わりの方に「女神と神子と聖女」(https://ncode.syosetu.com/n0182hw/)に出てくる人物がいますが、未読でも読めます。

神子=神の声を聞く者。聖女=神から力を与えられて奇跡を行使する者。役割が違うという事を分かっていれば大丈夫です。

 私は忘れない。暗闇に閉ざされる前に見た光を。




 ジュリア・インファンティの目から光が失われたのは12歳の時だった。

 その日は王宮の庭園の一つで子供を対象としたお茶会が開かれていた。第一王子と歳が近く、側近候補、婚約者候補として家柄なども踏まえた上で選ばれた子供達がそこにはいた。

 ジュリアの家は伯爵家だけれど、王宮魔導師長を父に持ち、ジュリア自身も多くの魔力を持っていた事もあり、やや家格としては劣るものの、それに勝る価値があるとして選ばれた。

 しかしジュリアには未来の王妃の座には欠片も興味が無かった。父を尊敬し、父のような魔導師になりたかったジュリアは大人しく端の席でお菓子を食べお茶を飲んでいた。

 家から言われたのか本人の希望か、王子に気に入られたい令嬢達は隙を見つけては第一王子に声を掛けていた。令息達は令息達で友人になるよう言われていたのだろう、こちらも積極的に話し掛けていて、ジュリアのようにただ招かれたから来ただけの者は隅で大人しくしていたのだけれど、それが却って目立ってしまったのかもしれない。

 ジュリアと同じテーブルに座っていたのは金色の髪の毛に淡い紫の目をした男の子で、ジュリアが父親から魔術を教わっていることを話したら興味深そうにして会話が続いていた最中の事である。

 第一王子がジュリアのいるテーブルに近寄って話しかけて来たので失礼のないように返事をして、少しばかり受け答えをしただけだった。

 王子としては満遍なく話し掛けるのが主催側の礼儀で、ジュリアからすればそれに応えるという、何の変哲もない当たり前の行動でしか無かった。

 しかし、それを不快に思う子供がいた。まだ10歳の令嬢には王子が自ら移動してまで話し掛けた女がいる。それも公爵家の自分よりも下の伯爵家の娘。それが彼女にしてみれば『王子が気に入った女』と見えたらしい。

 感情的になったその令嬢は闇属性の持ち主で、感情のままに魔力を暴走させてジュリアを攻撃した。

 王子がまだ傍にいる状態でのその攻撃で、万が一にも王子にかすりでもしたら、とジュリアは咄嗟に王子に防御魔法を掛けたが、それはつまりジュリアは無防備になっていたという事で。顔面に攻撃が当たったジュリアは酷い痛みに叫び声をあげた。

 痛む目で最後に見たのは、王子ではなく話していた少年で、意識を失ったジュリアが目覚めた時にはもう視力は失われていた。


 ジュリアから視力を奪った公爵令嬢は、親からずっと王子と結婚するのはお前だと言われて育った子供で、甘やかされてきた為か我慢が出来ない子供だった。

 最初、公爵は被害者が伯爵家の娘だと聞いて事件を握り潰そうとしたようだが、そんな事が出来るわけもなかった。

 その場には王子がいたこと、被害者が王宮魔導師長の娘だったこと、何よりジュリアが自身よりも王子を最優先で守ったことなどにより厳格な処分が求められた。

 ジュリアの父はジュリアに甘く、公爵とその娘に対して正当な処分を行わなければ結界を解き、娘を連れて国を出るとまで宣言をした。

 王宮魔導師長の父の魔力は他の追随を許さないもので、この国の結界構築を一人で担っているようなものだった。彼が居なくなることによる損失は計り知れない。


 ジュリアには母がいない。魔力の多い父との間に魔力の強い娘を宿してしまい体が持たなかったのだ。母を愛していた父は命懸けで母が産んだジュリアを大事に育ててくれた。母が生きた証がジュリアなのだと言って。

 ジュリアも両親の愛を受けて立派な魔導師になりたかった。しかしその夢は絶たれた。魔導師は魔法陣の構築が必須で、一度でも構築すれば次からは見ずにでも発動出来るが、一度目はそうは行かない。

 魔法陣の中身は緻密で見ないでどうにかするのは難しかった。

 それに、魔術だけではない。見えなくなった事でジュリアは日常生活にも不具合が生じた。歩く事すら怖くなってしまったのだ。

 ジュリアは声を掛けられたから返しただけ。礼儀の範囲である事はその場にいた誰もが理解していた。証言も多く集まった。

 何よりも王子自身が公爵家と令嬢を許せなかった。

 確かに招いたのは王家だが、まさか10歳にもなって常識がないとは思ってもいなかったのだ。剰え、そこに王子という損ねてはならない存在がいるにも関わらず、魔力を暴走させた事実は重い。

 子供だから許せ、ではない。10歳ならば家で魔力の制御をするのは義務である。それを怠りながら情に訴えようとするのは悪手だ。何故ならジュリアだって12歳の子供なのだから。

 ジュリアが咄嗟に展開した魔術は見事なものだった。王子を守る為の結界は光を放っていて、ジュリアの父が解除するまで強固に王子を守っていた。

 才能溢れる魔導師になる未来を自分勝手な感情で奪うなどあってはならない。

 公爵家と王宮魔導師長、国がどちらを取るかなど答えは決まっていた。公爵令嬢は魔封じの魔道具を付けられ修道院に送られ、公爵家は伯爵家にまで落とされたが、後に様々な悪事が露呈して取り潰しとなった。

 父は気持ち的には処刑してしまいたかったそうだが、10歳の子供を処分ともなれば逆に非難されるのは父である。ジュリアは何も見えなくなった事は辛く悲しいけれど、父の名を貶めたくはなかった。


「お父様の銀の髪が見えなくなったのは悲しいです」

「必ず、ジュリアの目が見えるようにするから、それまで不便を掛けるな」

「お父様は約束を守ってくれるから。待ちます」


 魔法攻撃による攻撃は神経をずたずたにしてしまったらしく、回復の見込みは低いけれども皆無では無いというのが父の見立てだった。

 ジュリアは恐ろしかったけれど、部屋から出ることを目標にした。元々は見えていたのだから、家の中だけでも歩けるようになりたかった。

 侍女に手を引かれながらジュリアは手を使ってどこに何があるのか、どのくらいの歩幅で歩けば間隔を把握出来るかに専念した。

 危険な場所には父が予め音が鳴る魔術を刻んでいたので、次第に家の中は杖があれば歩けるようになった。階段も避けることはしなかった。

 幸いにして自分の体に纏う結界の魔法陣は視力を失う前に覚えていたので、階段から転げ落ちても無傷でいられた。


 視力を失ってから一ヶ月後、ジュリアに来客があった。

 それはあのお茶会で話をしていた金の髪の毛に紫の目の男の子で、彼はジュリアの目が見えなくなった事を知り、平民の目が見えない者が使う道具をいくつか持って来てくれた。貴族用のものとは異なり、無駄な装飾が無く、木で作られていて丁寧にヤスリがけがされたそれらは、手によく馴染んだ。


「あの時、名乗り忘れてたから。俺はジークって言うんだ」

「ジーク様ですね」

「様は要らない。ジークだけでいい。家名は、今は聞かないで欲しい」

「分かりました、ジーク。お父様が訪問を許したのですから信頼して良いのでしょう?」

「そうして貰えると嬉しいな」

「わかったわ。私のことはジュリアと呼んで。同じように呼び捨てでいいから」


 ジークはあのとき近くにいたのに何も出来なかったことを悔いているようだった。しかし、闇属性の魔力の塊で攻撃されて、魔術を使えなければ対処も出来ない。

 あの時に助けられるとしたら父くらいだっただろう。ジュリアとてジークではなく王子を選び守った。王子を守らず自分を守っていたら、きっと父が責任を問われていた。ジュリアが王子を守ったからこそ、王家が父とジュリアを擁護してくれたのだ。


「ジーク、私は何も見えなくなったけど、色を覚えているの。貴方の金色の髪の毛と紫の瞳を覚えているわ。空が青いことも、葉が緑であることも。だからね、ジーク。貴方が私に教えて。私が見えていないものの色を。貴方の目を通して、私に教えて」

「分かったよ。ジュリアに俺が教える」

「ええ。だからね、いつでもここに来て。私の友達になってくれる?」

「もちろん」


 それからと言うもの、ジークは三日に一度はやって来て、ジュリアに沢山のものを教えてくれた。

 彼の家の庭に植えられていた花をジュリアに触らせて、花弁の色を教えてくれた。彼が気に入っている羽根ペンの羽に触れて、どんな色なのかを教えてくれた。

 それだけでは無い。目が見えないから本を読めなくなったジュリアに様々な本を読み聞かせてくれた。時にはその本に書いてあるケーキを料理人に頼んで作ってもらって、二人で食べあったりもした。

 ジュリアの目は暗闇に閉ざされていたけれど、ジークの語る言葉から世界の色を想像していった。

 父は仕事の合間にジュリアを治す手立てを探していたけれど中々見つからなかった。焦りを見せる父に対してジュリアは手を握って語りかけた。


「お父様。私は確かにお父様の顔が見えなくて悲しいわ。でもね、その分耳が良くなったのかしら、色々な音が聞こえるようになったの。見えていた頃には気付かなかった精霊の声がね、聞こえるようになったわ」


 魔術を使うには精霊の力を借りる必要があり、しかし精霊の姿は余程でなければ見ることも出来なかった。ジュリアは見えなくなってから耳の聞こえが良くなり、最近では精霊の声が聞こえるようになって来た。

 彼らは甘いお菓子が好きで、居心地の良い場所を求めていたから、甘いクッキーを料理人に作ってもらい夜にテーブルの上に置いておいたらいつの間にか無くなっていた。

 ジークに頼んで精霊用に家具を作ってもらって彼らの寝床やブランコ等を用意してみた。精霊の声は楽しげではあるが彼らの言葉は分からなかった。

 それでも、目が見えなくなったからこそ得られたものがある事にジュリアはほんの少しだけ喜んだ。失ってばかりは悲しいから。



 ジュリアの目が見えなくなって四年。デビュタントの歳を迎えた。

 父は結婚しなくていいし貴族の座など返上しても構わないから無理はしなくて良いと言ったけれど、ジュリアは一度だけ王宮に向かうことにした。視力を失ったあの日から一度として訪れていない王宮。恐ろしさはあるけれど、ジュリアはどうしても行きたかった。

 貴族でなければジークの近くにはいられないから。

 この四年でジュリアはジークに恋をしていた。彼は忙しいだろうにジュリアの元に足繁く通ってくれていた。友人がいない上、目が見えないから自分で本を読むことすら出来ないジュリアを憐れんでいたとしても、彼は決してそれを見せなかった。

 父の前では笑っていたけれど、何度も見えない事に涙を流していた時に傍に居てくれたのはジークだった。

 何故私が、と悔しくて零した言葉をジークは優しく受け止めてくれた。

 そんな彼を好きになるのは自然な事だった。

 だけどジュリアだってもう分かっている。彼が本当はジュリアにかまけていられる程、暇な立場の人間ではないことを。

 あのお茶会に招かれるだけの身分を持つだけでない。金の髪の毛に紫の瞳は王族の持つ色で、同年代には第一王子ともう一人、王弟の息子だけが持っていた。

 知らないふりをして彼の傍に居たかったけれど、成人すればそんな訳には行かない。彼と自分の間には大きな壁がいくつもあった。

 目が見えない女を妻には出来ない。だからせめて偶に会う友人でいたい。その為にはジュリアが貴族でなければならなかった。平民が彼に会うなど周りが許さないから。

 それだけの為にジュリアは屋敷の外に数年ぶりに出た。敷地内くらいまでなら誰かの手を借りて歩けたけれど、外は恐ろしく感じた。

 本来、デビュタントは一人で歩いて国王と王妃へ拝謁するのだが、目の見えないジュリアは特例として父の手を借りる事が許された。

 白のドレスを着ていると聞かされたジュリアは一生に一度しか着ないのだから見たかったな、と思いながらも本音はそっと隠した。


「ミシェルによく似て来たな」

「お母様?」

「そうだ。ミシェルのデビュタントの日、私は父の隣で見ているしか出来なかった。あの時は複数の令嬢がいたけれど、私の目にはミシェルが一番輝いていたよ」

「まあ。お父様とお母様は婚約してたの?」

「いや。彼女のデビュタントで一目惚れして、その日の内に父に頼んで釣書を送ったんだ」

「お母様は幸せでしたでしょうね。だってお父様に見つけて貰えたんだもの」


 ジュリアを身篭ったことで母の命は削られてしまった。

 まだ幼かったジュリアに母方の祖父母は、ジュリアが膨大な魔力を持ったせいで母が死んでしまった。孫ではあるけれど愛せない、と言った。

 ジュリアは母が死んだのは自分のせいなのだと泣いたけれど、父は自分が彼女を選ばなければ死ななかったと嘆き、二人で沢山泣いて、そしてジュリアの乳母から「命に代えても必ず産むと決めたのはミシェル様です。死ぬとわかっていて、それでも愛する人との子供を望んだのです。ミシェル様のお気持ちを否定しないで下さい!」と強く言われてからはもう自分を責めるのはやめた。

 二人の愛の証がジュリアだから。

 それからの二人が語る母の思い出は優しいものばかりになった。


 父に手を引かれ、態々一人だけの為に時間を別にしてくれたのは、あの事件から一度も公の場にジュリアが出ていない事を鑑みてくれたのだろう。

 王族を、それも第一王子を身を呈して守ったのは美談となるが、それと引き換えに失ったものの大きさは刺激を求める貴族の暇潰しと娯楽に使われてしまう。

 それだけでない。公爵家の派閥の者には恨まれていてもおかしくなかった。逆恨みだとしても、一つの派閥を崩したのはジュリアだと思われていてもおかしくなかった。

 父が誰よりも強い魔導師だから安全だったけれど、こうして王宮に来ればどうしたって当時の話は掘り返されるだろう。それを避ける為の配慮がありがたかった。


「ジュリア嬢、やっと君に会えたよ」

「国王陛下だよ」


 父が隣にいても緊張していたジュリアは、初めて聞く男性の声に首を傾げ、小声で教えてくれた父の言葉を理解すると慌てて頭を下げる。


「今ここにいるのは余と妃、それから宰相しかいないので気楽にしてくれ」

「陛下、無理を言わないでください。娘は奥ゆかしく慎み深いので陛下を前に気楽に出来るわけ無いでしょう」

「そなたはふてぶてしいのにな。似ていなくてよかったな。いや、それよりも礼を言わせておくれ」

「え、っ」

「四年前、息子を守ってくれて感謝する」

「王国民として当然のことをしたまでです。尊き方を守るのは当然のことにございます」

「そなたは当時まだ12歳で、王子と変わらぬ守られるべき子供であった。これは国王としてではない。親としての感謝の礼だ」


 ジュリアの目には何も見えなかったが、国王と王妃は分かっていて立ち上がると軽くではあるが頭を下げた。王族は頭を下げてはならない。しかし、親としてずっと胸に抱え続けていた。

 元公爵令嬢の思考は異常であった。王子は礼儀としての振る舞いをしていただけだし、ジュリアも貴族として当たり前の対応をしただけなのに。

 王子が出向いたから気がある、などと誰が思うか。あの場にいた他の令嬢達とて特に気にしていなかっただろう。しかもジュリアは伯爵令嬢であの中では一番身分が低かった。

 野心溢れるならば自ら話しかけに行くだろうが、隅のテーブルで公爵家のジークと穏やかに話していたのを使用人が見ていた。

 王宮魔導師長を父に持ち、本人も才能があり、将来を望まれた有望な令嬢を襲った悲劇。

 国一番の魔導師クラウスの離反を示唆する言動を一部は非難したが、最愛の妻を亡くしたクラウスの生き甲斐がジュリアだと知る者はさもありなんと思っていたし、国王もそう思ったくらいだ。

 件の令嬢は修道院に入れられても全く反省をしていない。それどころか、ジュリアを未だに恨んでいると報告が上がっている。

 修道院に入れられたのはジュリアが令嬢を邪魔に思って王子に願ったから、と言う誰にも理解出来ない思考で恨み辛みを吐き出しているそうだ。

 彼女が修道院に委ねられたのにジュリアの意向は一切含まれていない。そんな余裕は彼女に無かったし、決めたのは国王だからだ。

 今の彼女はただの平民でしかなく、仮にジュリアを害そうものならばすぐさま処刑となるのだが、理解はしていないのだろう。

 最も恐ろしいのは、クラウスが秘密裏に処分する事だ。未だに彼は機会を狙っている。修道院を一歩でも出る事があれば容赦はしないだろう。

 今は隣で初々しいデビュタントとして立っているジュリアがいるからか穏やかだが、普段のクラウスは冷酷無比である。銀の髪に淡い水色の目が冷たさを強調する美貌の魔導師。

 ジュリアは色こそクラウスと同じだが、顔は母親譲りの愛らしさ。クラウスと歳の近い国王は、当然ながら彼の亡き妻ミシェルも知っている。

 クラウスの結婚、ミシェルの妊娠、そして死別を国王は近くで見ていた。ミシェルが亡くなった時の彼の深い悲しみ、そして残された愛娘への溺愛も。

 だからこそ王宮で起きた事件に国王はずっと罪悪感があった。


「陛下のお言葉、受け取らせて頂きます。殿下がご無事で良かったです」


 目を伏せたままのジュリアが微笑み、クラウスがその背を優しく撫でている。彼らがこれ以上何も奪われないように。それだけを国王は願った。




 謁見の間を出たジュリアは父に手を引かれて歩いていた。


「お父様、国王陛下とは親しいのですか?」

「そうだな。歳が近いし、私は子供の頃から王宮に通っていたから、自然と顔を合わせる事が多かった。恐れ多くも友だと言ってくれているよ」

「そうなのですね。ふふ。お父様が砕けた雰囲気でしたので」


 静かな廊下。きっとクラウスが手を回してくれたのだろう。

 父の腕に己の腕を掛けてゆっくりと歩くジュリアは四年前の事件を思い出す。顔面にぶつけられた魔力の塊は攻撃性を持っていて、目の奥に与えられた激痛を超える痛みは今後経験することは無いだろう。

 今日は父がいる、それが絶対的な安心感に繋がっていた。父がいれば怖くないと信じられるほど、父から愛されている。


「ジュリア、デビュタントをしたかったのはジーク君の為?」

「……お友達でいる為には、貴族でなければならないでしょう?」


 本当の望みを胸の中にある見えない箱に閉じ込めようとしては出来ない日々。けれどいつかはきちんと仕舞えるようになるはず。


「ジュリアが今着ているそのドレスは、彼からの贈り物だよ」

「え?」

「私が仕立てるつもりだったのに、生地もレースも全て彼が選び、デザインは一応私に確認をとったけれど、彼が考えたものだよ」

「お父様……」

「今、屋敷で彼が待っている」


 貴族として生まれた以上最低限の知識はあるので、異性からドレスを贈られる意味はきちんとジュリアに届いていた。


「お父様……早く、帰りたいです」

「分かった。ジュリア、抱き抱えるから我慢できるか?」

「はい」


 父の腕で横抱きにされたジュリアは身を委ねながら心が逸るのを抑える。

 デビュタントを迎えた令嬢は大人として結婚を許されるようになる。とは言っても直ぐにというのは流石に早すぎて、大抵は一年の婚約期間を設けた後に結婚する。

 美貌の魔導師長が白いドレスを着た愛らしい令嬢を横抱きにして歩く姿を見たのは極わずか。


 その一人が四年前に庇われた王子だった。彼はジュリアに負い目があった。誰もが彼を悪くないと言ったし、被害者の父であるクラウスも王子を咎めなかった。

 あの時離れて座っていた彼女が従兄と笑いあっていたから気になった。従兄は何時でも無表情で他者を拒絶するような雰囲気をしていたから、同じ年頃の令嬢と会話していることが不思議で、挨拶をするだけだと言いながら彼らの会話を聞いてみたかった。

 それがどうしてか一人の令嬢の怒りを買ってしまった。理由を聞かされた王子は愕然とした。何故なら、彼はその公爵令嬢だけは選ばないなと思っていたからだ。

 あの場に呼ばれた公爵令嬢は事件を起こした彼女以外にもいた。その中で無作法にも王子に話しかけ自分こそが隣にいるのを当然と振る舞う彼女は、王妃に向いていないとそう感じていた。

 そして起きた事件。あの令嬢が修道院で一生を過ごすと聞いて少しだけ安堵した。

 ジュリアを傷つけておきながら罪悪感が一切無かったのだ。寧ろ邪魔なものを排除した満足感に満ちた笑みに背筋が凍る思いがした。

 ジュリアの目が見えなくなったと聞いたのは一週間後。三日程目が覚めずに魘され、起きた時には目が見えず、医者は元より医療魔術を扱える魔術師も何度も検査して、それでも視力の回復は絶望的だと判断された後に王家に報告が上がった。

 あの時のクラウスは感情を全て削ぎ落としたような顔をしていて恐ろしかった。公爵家並びに公爵令嬢の処分をしなければ国を見捨てるという彼の脅しは、王子にとって当然だし心の中でそうして欲しいと思った。

 あの令嬢は改心する気がしなかった。刷り込まれ続けた妄執と甘やかされ続けて我慢を知らない子供が改善するかどうかわからないが、少なくとも王子は彼女を恐れたし、そばにいて欲しくはなかった。

 人を傷つけて笑う子供が、成長して上手く隠したまま変わっていなかったら。その先に見えるのは国にとっての地獄だ。

 王子教育の一環で歴史を学ぶ。その中に毒婦の存在もあり、王子たちは身を守る為に幼い頃から教えこまれる。国を守るのが国王であり、女の欲望に振り回されてはならない、と。

 あの恐ろしい令嬢が魔力の塊をぶつけに来た時、王子か令嬢か、それとも従兄か。誰を狙っているのか分からなかったが、ジュリアは咄嗟に王子を守った。

 美しく頑強な結界だった。

 顔を抑え叫び声を上げたジュリアが地面に倒れながらのたうち回り、痛みの為に失神してなお、王子は結界に守られて動けなかった。


 自分の所為で目が見えなくなったジュリアに何か償いを、と思っていた王子はクラウスに探りを入れたけれど、クラウスは頑なに固辞していた。

 ジュリアが公の場に出ることはなくなり、四年の間に王子には婚約者が出来た。あの事件の起きたお茶会の場に居た令嬢で、王子がジュリアの事で心を痛めている事を理解してくれる女性だった。

 それもそうだろう。あの時のジュリアは明らかに招待されたから来ただけで、決して王子の婚約者を狙っている訳では無い、というのを誰が見ても分かるように振舞っていた。

 端の席に座り、最初に令嬢たちで挨拶して以来、王子に近づこうともしなかったのだ。

 恐らく、招待したのは婚約者候補と言うよりも、彼女の父クラウスが王宮魔導師長でそのクラウス譲りの魔力から彼女も魔導師になると見越して側近の方向で接触させようとしたのだろう。

 ただ、もちろん婚約者として未来の王妃としての下心も王宮側にはあったはずだ。クラウスは優秀だが、彼が地位も名誉もあまり興味あるものではないということを上層部は知っていた。

 ジュリアがもしも王子の婚約者にでもなればクラウスへの枷となる、とでも考えたに違いない。

 結果として全てが最悪の方向に行った。

 ジュリアは視力を失い、新しい魔術を覚えることが出来なくなった。クラウスは何時でもこの国を捨てることが出来ると明言した。


 王子は婚約者にだけ告げたことがある。

 ジュリアを側室にするのはどうか、と。

 目が見えない彼女が誰かの元に嫁ぐのは絶望的になった。元々領地を所有しない爵位だけの家なので無理に彼女が後を継がなくてもいいわけで、ならば側室になった方が良いのではないだろうか、と。

 別に子を産ませる為とかそういう訳では無い。王宮であれば何不自由ない生活を与えられるから。贖罪のつもりでそう考えたのだ。

 婚約者の令嬢は普段見せない大きなため息を吐いた後、低い声で言った。

『決してそれを他の人には言ってはいけません』

と。



 貴族令嬢にとって結婚とは基本的には家の為にするものである。婚約者の令嬢だって国と家と他の貴族との兼ね合いから選ばれた。しかし、それでも良い関係になりたいと思う。婚約が先でその後に恋愛だって出来る。

 間違っても同情や贖罪の為に側室となり、しかし子を産む訳でもなく一生を後宮で過ごすだけなど想像もしたくない。女を下に見すぎている発言だ。

 例えジュリアが一生目が見えなくても、クラウスがいる訳だし、そのクラウスが先に死んでもジュリアに不自由をさせないように手を打つことくらい簡単に想像出来るだろうに。

 婚約者の女性はあまりにも王子がジュリアを気にするから様子を探らせていたけれど、彼の従兄の公爵令息が足繁く屋敷を訪問していることに気づいた。

 王子が気にする必要は無い。むしろ何もしない方がいい。公爵令息は王弟の息子で、表立って社交はしていない。する必要が無い。むしろ下手に目立つ動きをすればよく分からない者に王位を狙うよう担がれる可能性がある。

 公爵夫妻は領地から滅多に出ない。公爵令息は王都のタウンハウスに滞在しているけれどその理由はジュリア以外ないだろう。

 目が見えない彼女の元へあそこまで通いつめているのであれば、王子の側室になるよりも余程幸せな未来が待っている。

 なので婚約者は重ねて王子に、その事は誰にも、本人にも言わないように、と念を押していた。



 王子は数年ぶりに見たジュリアに声をかけようとしたが、彼女が着ている白のドレスを見て察してしまった。

 あのドレスのデザインを王子は知っていた。彼の従兄が考えたものだ。偶々王都の公爵家のタウンハウスを訪れた時に目にしたので覚えている。従兄は直ぐに隠したけれど、拘っているのが良く分かって誰に贈るのだろうと思っていたのだ。

 そんな話を一度も聞いたことがなかったから。


 そして王子は気付いてしまった。何故ここまで気にしていたのか。何故罪悪感を抱いていたのか。

 今更になって気づいてしまった。

 あの日、従兄が笑みを浮かべていた事に衝撃を受けていたけれど、その隣で笑っている彼女のことも気になっていたのだ、と。

 しかしその直後に起きた悲劇。王子が挨拶に行かなければあの悲劇は起きなかったのかもしれないと思って、それだけで申し訳なくなり。彼女の視力が奪われたと知って、芽生えとなったかもしれない気持ちは永遠に芽吹きを許されなくなった。

 可憐に笑う可愛い女性に育っていた。

 何かを話していたのだろう、ドレスに触れたジュリアが顔を赤らめ、そしてクラウスに横抱きにされると急ぎ足で去っていくのを見ているしか出来なかった。

 ドレスの贈り主を知って顔を赤くしたのであれば、ジュリアは従兄に好意があるのだろう。

 出会いが違えば、あの時にあの事件が起きなければ。

 過去を変える事はできないのにどうしても思ってしまう。少しでも何かが違えば、彼女は自分の隣にいたのかもしれない。

 でも現実は違う。婚約者は別の令嬢で、彼女は目が見えなくなり、そして従兄が彼女の近くにいる。という現実があった。

 今になってやっと気づいた初恋は、やはり芽吹きを許されなかった。

 王子だって分かっている。今更どうしようも無いことを。王子にとって婚約者は掛け替えの無いパートナーで信頼関係がある。それを壊すなんて出来ないし、したくもない。

 ただ、ほんの少しだけ、四年前に生まれていた初恋を弔う時間を許して欲しかった。



 父に連れて帰ってもらった屋敷にジークは居た。


「おかえり、ジュリア」

「戻ってきたわ」

「そのドレス、よく似合ってる」

「ええ……貴方が、私の為に作ってくれたのね」

「そうだよ」


 父は執務室にいるから、とジークにジュリアを託して去っていった。

 恐らく侍女が室内の壁に控えているだろうけれど、会話を邪魔されることはない。

 立ったままのジュリアに近づいたジークがそっと彼女の手に触れる。


「俺はジークフリード。ドレアス公爵家の嫡男。ずっと名乗らなくて悪かった」

「いいえ。ジーク。貴方がもしもその名を先に告げていたら、私は貴方と何度も会おうなんて思わなかったわ」

「なら良かった。ジュリア。クラウス殿にやっと許しを貰えたんだ」

「まあ。お父様に何かを願っていたの?」

「そうだよ。ジュリア、少し外を歩かないか?」

「ええ、大丈夫よ」


 ジークが手を引いてくれる時は侍女は後ろに控えているが、今日は二人きりで話したいからとジークから同行を断り、侍女も父から聞いていたのかすんなりと受け入れていた。

 未婚の男女が完全な二人きりになることは無い。それが許されたのは、この敷地で無体なことが出来ないことを誰もが知っているから。



 本来のデビュタントは夜に行われるが、ジュリアは昼前に行ってもらったおかげで外はまだ明るい。

 庭園は目の見えないジュリアの為に歩きやすく、躓くような障害は徹底的に排除されていた。しかしそれは歩く場所だけで、そうでないところは自然のままに。精霊が好む庭園となっていた。

 明るい中、ジークは彼がデザインから全てに関与した白のドレスを着たジュリアを見つめる。

 初めて顔を合わせた時、なんて可愛い子なのだろうと思った。

 ジークは父親が王弟、母は父が選んだ力の無い伯爵家の娘で、利用されないように人への対応に気を遣っていた。

 従弟の第一王子の為のお茶会に参加したのはそれを望まれたからで、誰かと親しくなるつもりはなかった。

 隅のテーブルで全てに興味が無さそうな令嬢が気になって話をしてみれば、王宮魔導師長の娘だと分かり、魔術に興味があったジークは彼女と話す事を楽しんでいた。

 銀の髪の毛にアイスブルーの目の冷たさを感じる色合いなのに、可愛らしい顔がそれを和らげていて、もっと話したいと思っていた。

 そこに第一王子が来てほんの少しだけ邪魔するなと思ったけれど、ただ挨拶を交わしただけだった。お茶会のマナーだし狭量すぎたか、と反省したところで、ジュリアが魔術を発動し王子の周りに結界を張り巡らせ、彼女自身は何かに攻撃されたのか顔を手で覆い叫んでいた。

 ジークが身動き取れずにいたその時、ジュリアと目が合った。綺麗なアイスブルーの目がジークを貫いた、そんな気持ちになった。


 そこからは大騒ぎで、ジーク自身も王族並みに高貴な身分であり、魔力暴走の先にいたこともあって直ぐに保護され王宮の一室に待機する事を余儀無くされた。

 両親が迎えに来てタウンハウスに戻っている間、ジークはジュリアが気になっていた。一番の被害者は彼女だったから。

 ジークがあの場にいた事もあり、両親が会議に参加している間、ジークは落ち着かなかった。あの子はどうなったの。元気なの。無事なの。


 一週間ほどして顔を強ばらせた父から聞かされたのは、ジュリアの目が見えなくなったという事と、原因が公爵令嬢で第一王子が自ら挨拶に行ったのは王子がジュリアを選ぼうとしたと思い怒りで魔力暴走した事というものだった。

 子供のジークでもわかる。理解が出来ない化け物だ、その公爵令嬢は。挨拶に向かった、それだけで理解の出来ない思考によりジュリアは攻撃されたのだ。

 しかもそこには第一王子と王位継承権を一応持つ公爵令息のジークがいたのに、一切気にせずジュリアを攻撃した。いや、恐らく殺そうとしたのだ。

 ジュリアが強い魔力を持っていたから闇属性へ抵抗が出来たけれど、脳を守る代わりに目が犠牲となった。

 目が見えなければ魔導師にはなれない。これがある程度の年齢となっていて多くの魔術を覚えているならば視力を失ってもどうにかなった。しかし、子供の内に学べる魔術はまだ少ない。

 ジュリアが聞かせてくれた、将来は父のような魔導師になると言う夢が絶たれたという事だ。

 ジークは悔しかった。理不尽で身勝手な子供のせいで奪われたジュリアの未来が。きっと苦しんでいるだろう。

 目が見えていたのが見えなくなるのは怖いはずだ。

 ジークは目を閉じ、さらに目元に布を巻いて視界が見えないということを体験してみた。

 恐ろしかった。

 どこに何があるのか分からない。自分の部屋なのに全くわからない。

 部屋の扉を開けても外が分からない。

 階段がどこにあるか、その段差は、踊り場は。

 暗闇の中、見えないことが恐ろしくて仕方なかった。

 ほんの少しの時間だけでもこんなに恐ろしかったのに、ジュリアはこれからずっとこうなのか。

 両親に頼んで一日目が見えない体験をしてみた。

 食事すら覚束無かった。自分の席が分からないし、椅子の高さも感覚と現実では違った。テーブルの上はもっと分からなかった。

 ナイフとフォークの場所も、スープ皿の場所も、何を食べているのかすらも分からなかった。

 触れているものが何かも分からないし、時間も分からない。

 ジュリアにだって侍女がいるから助けがあるだろうが、そうではない。自分の行動が制限され、知っていたはずのことが分からない、これは恐怖だ。

 手に触れるものが何かも分からないし、装飾が多いのは情報が阻害される。

 ジークは伯爵家出身の貴族出の侍従ではなく、男爵家や子爵家出身の使用人や平民の庭師に話を聞いた。高位貴族は飾りの多い物を持つのがステータスなのでそうでは無いものを知らなかったからだ。

 参考になったのは庭師の話で、平民は木で作られた道具を使うことが多い。怪我をしないようにていねいにヤスリをかけているが、装飾は殆どない。

 目の見えなくなった者が使う道具もそこそこにあるそうだ。

 ジークがそれらを求めて用意し、ジュリアの父に訪問を願ったのは事件から約一ヶ月後のこと。

 最初の頃こそクラウスは断ったのだが、ジュリアの為に用意したものを見せて、彼女の慰めになればと話をして。

 やっと会えた彼女は目を閉ざしていたが、ジークのことは覚えていてくれた。お茶会の時に名乗りをあげなかったので、家のことは言わずにただのジークとして挨拶をした。

 そこから彼女との交流が始まった。

 身元が確かなジークだからか、クラウスが会う事を許したのはジークだけで、三日に一度の頻度で会うことにした。ジュリアの友人がジークしかいないと言うのは誰にも言えないが仄暗い喜びがあった。

 お互いに成長するにつれてジュリアは可愛さを増していった。まるで物語に出てくるようなお姫様のようであり、妖精のような可愛らしいジュリアをクラウス以外に独占出来ているのがジークだけだった。

 いつからが好意が恋慕となった。

 それはクラウスにも見て取れたのだろう。ジークに問うたのだ。ジュリアとどうなりたいのか、と。

 ジュリアの前では優しいクラウスはそれ以外の前だと冷酷である。ジーク相手でも変わりはしない。

「許されるなら、ジュリアと一生を共にしたいです」

「あの子の目が一生見えなくても?」

「構いません。うちは滅多に社交をしません。公爵領は父が臣籍降下の際に王領から分けられたもので、そこを治めるだけです。権力闘争から離れていたいから、彼女が望まない限りは領地から出なくても済みます」


 閉じ込めたい訳では無いので外出を望むならば幾らでも連れて行く。出たくないのであれば屋敷で穏やかに過ごすことも出来る。


「成人するまでは求婚は許さない」

「成人したら良いんですか?」

「ああ。それと、私が住む屋敷を用意出来るならな」

「この屋敷は良いんですか?」

「国王から渡されただけだからな。領地無しの名ばかりの貴族だ。ジュリアの傍に居られるなら住処を変えても問題ない」


 そこからジークは親にも話をした。目が見えない令嬢を妻に迎えたいと願う息子に最初こそ難色を示したけれど、ジークが初めて見せた執着にも似た願いに絆されたのは母の方で、最終的に父も折れた。

 元より表立って動かない家なので、目が見えない事はあまり問題ないのだ。

 クラウスから出された条件から、ジークはジュリアが成人するまで気持ちを隠したが、デビュタントのドレスを贈ることだけは譲れなかった。

 彼女の為に最高の物を。


 そうしてジークが思いを込めて仕立ててもらったドレスを着るジュリアは銀の髪の毛も相俟って、儚く可憐で愛おしくてたまらなかった。




 庭園の一角、目の見えないジュリアでも季節を感じられるように匂いの強い花を点在させている中で、一番大切な場所。彼女の亡き母が育てていた薔薇の植えられた場所に来た二人。

 ジュリアはジークの手に己の手を乗せながら馨しい薔薇の香りに心を落ち着かせる。


「ジュリア。君を愛している。俺と結婚して欲しい」


 初めて会った時のジークはまだ子供らしい高い声をしていた。それがいつの頃からか低くなった。

 彼の変化を目で知ることが出来ないジュリアはジークがどんな顔をしているかもう覚えていないし、きっと大きく変わったことだろう。

 それでもジークはずっとそばに居てくれた。

 目の見えないジュリアが彼の隣を望むなど許されないと思っていたから、心の箱に抑え込んでいた気持ちは、彼の愛を告げる言葉に溢れ出してしまった。


「私、目が見えないの」

「ああ。知ってるよ」

「それでもいいの?」

「構わないよ。君の目が見えなくても、俺達はこうしてずっと一緒にいた。これから先も、ずっと一緒にいたいんだ」

「……嬉しい。私も、貴方が好き。愛してる」


 父が許し、彼がこうして告げてきたからにはきっと根回しもされているのだろう。全てに問題が無いのであれば、素直に受けとっていいはずだ。駄目なら父が許すはずが無いから。



 ジュリアとジークは通例通り、婚約をした。

 二人の婚約に対して外部から文句をつける者もいたが、彼らの親と、国王が許した以上覆す事など出来るはずもなかった。

 一年の婚約期間を経て二人は小規模な結婚式を挙げた。

 クラウスの親は既に亡くなっているし、母方の方とは交流が無い。

 ジークの方は両親である公爵夫妻は当然として、国王と第一王子が参列を願った。

 安全の為、という理由と王弟の息子で王位継承権を有している事から、王城内にある王族が祈る為に建てられている小さな神殿で永遠の愛を誓い合った。

 その際、数年ぶり、二度目の対面となった第一王子から謝罪をされたジュリアは謝らないで欲しいと願った。

 見えなくなった事で困ることは多かったけれど、何も得られなかったわけでは無い。

 それに、未だに父はジュリアの目が見えるようになる方法を探している。ジークもそれに付き合っているから、もしかしたら何時の日か見えるようになるかもしれない、と。

 王子は一瞬言葉に詰まったようだけれど「幸せになってくれ」と願いに言葉を変えたので、ジュリアは笑顔で頷いた。


 そこから更に三年。

 子供は焦らなくてもいいから、と義理の両親となった公爵夫妻に言われてジークと穏やかに過ごしていた中、ジュリアの懐妊が判明した。

 ジュリアの母とは異なり、ジュリアが強い魔力を持っているのでお腹の子が魔力持ちでも問題は無かったのだが、悪阻などが酷くてぐったりしている頃。

 クラウスとジークが少しの期間、国を離れると言って留守にした。

 どうしたのだろうと思いながらも悪阻の酷さにそれどころではなく、義母に慰められたりしながら体を休めていたジュリアの元に帰ってきた二人は、二人の女性を連れていた。


 一人は女神フォリアフォリの神子であり大陸最大の国であるアルバラン帝国皇太子妃のアカネと言う女性と、もう1人は治癒の奇跡を持つ聖女カレンと彼女達は名乗った。

 帝国まではこの国からとても遠くて、道理で時間がかかったのだと納得したジュリアは、何故ふたりを、と疑問に思っていると、アカネと名乗った神子がジュリアが横になっている寝台に腰掛け、ジュリアの手をそっと握った。


「初めまして。私は女神フォリアフォリの声を届ける神子なの。その女神から、貴方という素晴らしい魔導師になる者を助けなさいってお告げがあったの。カレンは治癒の聖女で、死者を甦らせる事は出来ないけれど、体の欠損なら治せる奇跡の力を持つの。貴方のその目を治しに来たわ」


 ゆっくりとした話し方にジュリアは漸く理解が追いついた。


「また、見えるようになるのですか……」

「ええ。貴方は本来素晴らしい魔導師として名を上げるはずだったのにそれがなされていない事に女神がやっと気付いてね。こちらから訪問の許可を取ろうと思ったら、貴方のお父様と旦那様が来たから驚いたわ」

「調べ尽くして、手詰まりになった時、吟遊詩人から聖女の話と帝国の神子の事を聞いたのです」

「一応皇太子妃って立場だから会うのも大変なんだけど、今回は女神のお告げが先にあったからね。女神の導きだよ。フォリアフォリは干渉出来ないけど、流れを少しだけ変えられるからね。カレン、ジュリアのお腹には子供がいるから、目だけよ?」

「分かってるわよ。私、失敗したことないの知ってるでしょ?初めまして、ジュリアさん。今から貴方の目を治します。体に触れるけれど怖がらないでね」

「あの……よろしくお願いします」


 あまりにも急な事だった。だけど、本来ならば会えるような立場では無い人がここに来てくれたのはジュリアを治すためで。

 柔らかな手が目の上に置かれる。

 お腹の子には影響がないようにしてくれると言っていたけれど、無意識にお腹に手を乗せていた。


 温かな何かが目とその奥に届き、身体がふわふわする。


「聖女の奇跡は女神の力なの。魔力とは違う神聖力。少しの間、体に留まるけれど体には害がないし直ぐに消えるから安心していいよ」


 どれだけ時間がかかったのか分からない。

 手が退けられてジュリアは終わったのか、とぼんやりと考えていた。


「もう大丈夫だろうけど、瞼を開ける時はゆっくりね。久しぶりの光は刺激が強いから……カーテン閉めようか。薄暗いくらいがいいよ」


 アカネの声に侍女が音もなくカーテンを閉めていく。

 瞼を開けたら、見えているのか。怖い。見えない事に慣れすぎて、見えるかもしれないと言われて。

 だけどアカネともカレンとも違う手がジュリアの手を包み込む。

 両手にそれぞれ、大好きな人達の手。

 夫と父の手にジュリアは勇気を貰った。

 分かっていた。瞼を閉じていても、うっすらと光を感じていたから。


「お父様……ジーク……ああ、お父様は、変わらないわ。ジークは、こんな顔だったかしら。でも、色は覚えていたわ」


 眩しくて仕方なかった。闇の中にずっといた十数年。もう忘れていた光はアカネが言うように刺激が強かったけれど、それでもどうしても見たかった。

 泣きそうな男性が二人。

 銀の髪の毛が父で金の髪の毛に紫の目が夫で。

 傍に立つ女性がアカネとカレン。

 それから、扉の近くに立っている男女が。


「お義父さま、お義母さま。お顔を見るのは初めてだけれど、ジークはお義父さまに似ているのね」


 ブルネットの髪の毛を上品にまとめあげている夫人が義母なのだろう。口に手を当てて体を震わせながら、ジークによく似た男性の胸に顔を寄せていた。


「ジュリア、見えるんだな」

「はい、お父様」

「俺の顔は、嫌じゃない?」

「何を言ってるの、ジーク。貴方はとても素敵な人よ。ふふ、想像以上に素敵すぎて驚いたわ」


 出来るだけ色々見たいけれども、頭が痛くなってきた。僅かに顔を顰めると、黒髪の女性が一歩近づいてきた。


「見えなかった時間が長くて、頭が疲れちゃったのよ。ゆっくり慣れていきましょう。一週間ほど様子見をさせてくれるかしら。カレンなら直ぐに治療出来るから」


 黒髪の女性がアカネで茶色の髪の毛の女性がカレンなのだろう。服装が違うのは神子と聖女の違いなのか。

 促されて目を閉じる。まぶた越しに光は感じるけれど、先程よりも楽になった気がする。


「客室を早急に用意しましょう。クラウス殿も今日はこちらにお泊まり下さい」


 義父の申し出にアカネ達は了承を告げ、父はギュッとジュリアの手を握る力を強めながら震える声で答えていた。


 それから少しずつ光に慣れる練習をした。薄暗い部屋がちょうどよく、また、悪阻の影響もあり部屋から出られないけれど問題はなかった。

 実家より付いてきてくれた侍女の顔も十数年ぶりに見た。ずっと手を引いてくれた侍女は歳を取っていたけれどこんな顔だったな、と思い出せた。

 彼女は一度結婚したものの、夫側の理由で離縁した。その後再婚することはなくずっとジュリアの侍女を務めてくれていた。


「お嬢様……いえ、奥様でしたね。おめでとうございます」

「ありがとう。貴方がずっと私の傍にいてくれて手を引いてくれたからここまでやってこれたのよ」

「ジーク様に時々お役目を取られましたけれどね」

「ふふ。結婚してもジークはお仕事があるから貴方にお願いしていたわね……もう、手は引いて貰えないけれど、これからも私のそばに居てくれると嬉しいわ」

「もちろんです。もう結婚するつもりはありませんし、そんな歳でもございませんから、体が動く限り奥様にお仕えいたします」


 一週間、アカネとカレンに様子を確認されていたが不調はなかった。疲れたと思えば目を閉じてものを見ないようにするだけで楽になったが、その時間は少しずつ減って今では長時間目を開けることが出来るようになっていた。

 とは言えども、本などを読むのは苦労している。小さな字を目で追いかけるだけで疲れてしまう。仕方ないことだから焦ったらダメよ、と言うアカネへジュリアは素直に頷いた。

 無理をしてお腹の子に何かある方が怖かった。


「もう大丈夫そうね。それじゃあ、私とカレンは戻るわ。もしも何かあったら連絡してちょうだいね。ふふ、あのね、ジュリア。私の夫もジークなの。ジークハルトって言うんだけど、私は彼をジークって言ってるの。だからね、貴方に親近感が湧いたのよ」

「そうだったのですね」

「ええ。ジュリア。大変だとは思うけれど、もしも産後に余裕が出来たら、魔術の勉強をして欲しいの。貴方のその力は女神が惜しいと思ったほどだから、きっと大事なことなの。そうじゃなきゃフォリアフォリは口を出さないわ」

「わかりました」

「貴方に女神の祝福がありますように」


 アカネが手を組み祈ると、キラキラとした光がジュリアの体を包むように降り注いでくる。

 あら、と笑うアカネとカレンに対し、ジークとクラウスは少し警戒したようだったが。


「安心して。女神の祝福よ。母子共に無事の出産を女神が約束してくれたわ。子を産むことを恐れないで。女神は必ず約束を守る。貴方は出産で命を落とすことはないわ」


 子供がお腹にいるのは嬉しくても、子を産んだ際に亡くなる事があることも知っていて少しだけ恐れていたことを女神はご存知だったようだ。だからこその祝福なのだろう。

 お腹に手を添えれば、ジークが肩を抱いてくれた。クラウスはグッと手を握りしめていた。父は失ってばかりだった。ジュリアの妊娠を喜びながら不安だったのは妻を思い出していたからなのだろう。

 大丈夫だという確約はクラウスを安堵させたに違いない。


 アカネとカレンは帝国から乗ってきていた馬車に乗り込んだ。あまりにも身軽に来たから忘れかけていたが、彼女は帝国の皇太子妃という尊すぎる身分の方だった。

 大陸の中ではそこまで大きい国ではないこの国に足を運んでくれただけでも奇跡だと言うのに。


 馬車が去り、見送った者達から自然と息が零れる。緊張していたのは誰もが同じだ。


「国王に教えてくる。ジュリアの目が治ったことを」

「兄上の所に行くのであれば私も一緒に行こう。フィーネ、二人を頼む」

「はい、旦那様。ジーク、ジュリアさん。サロンでお茶にしましょうか」


 父と義父が王宮に向かうのは、ジュリアが治ったこともそうだけれど、かの帝国の皇太子妃が内密に来ていたことを隠す訳には行かないからだ。非公式の訪問であり、神子としてのお役目の一環とは言えども、何かしらの礼をしなければならない。

 神殿関係者は国境を越えるのは簡単である。神殿から発行される許可証さえあればそれだけで終わる。しかもそれが神子や聖女ともなれば詳細確認はないので、帝国の皇太子妃ということは国境の警備員には分からなかったことだろう。

 今から帰還の為に向かっている関所でもきっと行きと変わらない対応に違いない。


「サロンはこのようになっていたのですね」


 彼女達の滞在中、基本的にジュリアは部屋に居た。何度も言うが、悪阻が酷かったので。しかし女神の祝福のおかげなのか、今は随分と楽になっている。気持ち悪さはなく、どこか体が軽い。


「ええ。そうだわ。温室にジュリアさんのお母様が世話をされていたという薔薇の数株を頂いたから植えたのよ。今度見に行きましょうね」

「本当ですか。ありがとうございます」


 クラウスはジークに頼んだように公爵領に居を移した。領主邸に部屋を用意すると公爵からも話があったのだが、実験をするクラウスは安全の関係もあるから、と小さくてもいいから家を求めた。

 ならば、と領主邸から近い場所にあるも人が住んでいない屋敷があったのでそこを提供することにした。

 母との思い出の花は丁重に運ばれて庭師によって植え替えられていたし、王都の屋敷に勤めていて公爵領に付いてきてもいいと言った者はそのまま移動してきた。

 ジュリアの侍女だけは改めて公爵家に雇われたけれど。

 薔薇はきっと父がジュリアを思って分けてくれたのだろう。その思いが嬉しくて胸がきゅっとする。


「神子が言っていた、魔術の勉強をする気持ちは変わりない?」


 ジークの問いかけにジュリアは少し考えたけれど頷いた。


「ええ。その為にこの目を治してもらったもの。それにね……やはり、私は魔術が好きなの。美しい魔法陣を見たことはある?お父様がこの国に張っている結界には複数の魔法陣が使われているのだけれど、そのひとつひとつが全て違うの。でもね、それが発動すると大きな魔法陣に変わって、全ての調和が取れている。私はそれを見た時に、魔術への憧れが増したわ」


 子供心に魅了された魔法陣の美しさ。目が見えなくなった時に抱いた絶望は、あの魔法陣を目に出来なくなるというものだった。

 それがこうして再び世界を見ることが許されたのは、女神がそうせよと望んだから。ならば従うだけ。

 ジュリアの固い意思にジークは何かを言おうとしていたが、しかし分かったと頷いた。彼女がこうして再び視力を取り戻したのは女神の意図があるのは間違いなく、しかも神子に念押しされていたので理由があるのだろう。


「なら、俺がするのはジュリアのサポートだ。君が魔術の勉強に専念出来るようにするよ」

「でも、貴方は公爵様のお仕事の補佐があるでしょう?」

「あら、ジュリアさん。気にしなくていいのよ。元々我が家は力を持ちすぎないようにしているのですから、旦那様の仕事もそこまで多くないわ」

「お義母さま。よろしいのですか?」

「ええ。女神様がそれを願われているのですから、最優先にするのはそちらよ」


 普段はあまり近くに感じなかった女神の存在。しかし確かに存在しているのだと証明した二人の女性。信心深い方ではなかったけれども、今は違う。女神様は確かにいらっしゃるのだ。



 女神が何故ジュリアに魔術の学びを再開するように言ったのか、それを理解したのは子供が生まれて五年ほどの後。彼女が二十六歳の時のことである。

 修道院に預けられていたかつての公爵令嬢だった女性が魔封じの魔道具を着けていたにも関わらずジュリアへの恨みを募らせ続け、遂にそれを破壊したのだ。

 膨大な闇の魔力を放出した彼女だったが、ジュリアが作り上げた父の結界の内側に張り巡らせたもう一つの結界。攻撃性のある闇の魔術を吸い取る効果を持つそれが奪い取ってしまった。

 魔獣が存在する世界で攻撃魔法が使えないのは問題があるけれど、闇属性の魔法は本来精神に作用する魔術の方が多いし、実際に使い手も攻撃魔法として使用することはほぼ無いと言っていたので、元公爵令嬢のような性根の人間対策に張り巡らせていたのだ。

 もしもそれが無ければ多くの人が巻き込まれていたことだろう。

 根こそぎ魔力を奪われた元公爵令嬢は廃人のようになってしまった。神殿関係者と王宮魔導師の見立てでは、魔力と生命力がほぼ融合していて、その魔力を吸い上げられてしまった為に、辛うじて生きるだけの力しか残されなかった、ということである。


「12歳の時の因縁を解消せよ、ということだったのかしら」


 傷つく人が居なくなるように、という気持ちで結界を構築したジュリアからすれば、元公爵令嬢は修道院にいるし無関係と思っていたのだが、一番の関係者だったようで、報告が来て驚いてしまった。

 ジークはジュリアの他者に対しての優しさが過去の因縁に決着を付けたのかと納得し、これで漸くジュリアが安全になったことを喜んだ。

 クラウスもまた、自分が手を下すまでもなくもう人として真っ当に生きることが出来なくなった元令嬢への監視を終わらせることにした。いつまでも関わっていたくはなかったので。


「ジュリア、これからも魔術を学ぶんだろう?」

「ええ、そうよ。次はね、空に花を咲かせる魔術を作ろうと思って」

「ん?どういうこと?」

「アカネ様が教えてくれたの。花火、というもので、火の魔術か光の魔術で夜に放つものなんですって。見て、こういう感じなの」


 今でも定期的に手紙を送ってくれるアカネがそこに描いていたのは花火。彼女は元々異世界から女神によってこの世界に来た者で、元の世界に存在していたそれを魔法で再現して欲しいという事だった。


「夜に花開くなんて素敵でしょう?」

「そうだね。俺も楽しみだ」


 ジュリアとジークが笑いあっていると息子が部屋に駆け込んできた。後ろからメイドが半泣きで追いかけているのでダメでしょうと怒るも、息子は何が悪いのか分かっていないようだった。

 ジークが息子を抱き上げる光景を見ながら、ジュリアは何時でも喜びを感じる。ああ、この光景を己の目で見ることが出来る、それがなんて幸せなのだろう、と。


 一度は失われたはずの世界だった。しかし巡り巡って再び世界を見ることが出来るようになった。

 夫と子供が笑いあっているところにジュリアも近寄る。


 世界は光に満ちていた。

ジュリアが治癒の力で回復するのは決まっていて、聖女を見つけて~と思っていたのですが、どうせなら、と拙作から引っ張って来ました。


最初、ジークはジークハルトだったのですが、アカネの旦那もジーク!と気付いてジークフリードになりました。

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― 新着の感想 ―
愛情に溢れた、素敵なお話でした。 元凶の公爵令嬢が、本当の愛情をカケラでも与えられて育っていたら、ここまで歪むことはなかったのでしょうか。 修道院で十数年暮らしながら、ただ恨みを募らせるだけだったのだ…
王子、途中の思考はちょっと気持ち悪いな
割と思うけど公爵家が自国の王族と結婚するのって王家が弱ってるとか普通に相性がいいとかじゃないとメリット低いよなあ
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