七品目:ジェネラルサーモンのホイル焼き(中編)
――ドラゴン。
この大陸の頂点に君臨する種族である。
強靭な肉体、鉄よりも硬い鱗、空を割く翼。鋭い爪は岩をも砕き、牙はあらゆる生命を切り裂く。
そして――何より恐るべきは、“魔法”を使う知性だ。
かつて魔法はドラゴンのみが操る秘術であり、人間がそれを模倣できるようになったのは、長い研究と犠牲の果てであった。
ゆえに人々は彼らを、魔竜と呼び、畏怖した。
赤黒い鱗が陽光を受けて血のように輝き、黄金の瞳が地上の小さき命を射抜く。
その一瞬、風が止み、世界の音が消えた。
「なぁ……ドラゴンを倒したら、俺たちSランクになれるのか?」
「……倒せたらな。ムルシラ、レイナ、魔力は?」
【 獅子の闘志】の四人が、岩場に散開する。
地を震わせる足音とともに、巨影が舞い降りた。
――翼の一振りで山の空気が爆ぜ、砂塵が巻き上がる。
空気が焦げるような圧が、全身を刺した。
「まだ余力はある。主よ――我に尊き者を守護するための力を与えたまえ!」
ムルシラの体が金色に輝く。肉体強化の上位魔法【聖刻の護身】。
筋肉が膨張し、魔力の紋様が肌を走る。
「わ、私も……大丈夫です!」
レイナが震える手で魔力回復剤を口にする。その瞳の奥には、恐怖よりも決意が宿っていた。
「ライオ、どうする!?」
「真っ向勝負は無理だ。撤退――」
「……背を見せた瞬間に焼かれるな」
「なら、私が注意を引く!」
ムルシラが地を蹴る。
足跡のたびに岩が砕け、土煙が上がる。
ドラゴンの眼前へ突っ込み、腕を交差させてその爪を受け止めた――が。
――ガァァァァンッ!!!
金属を叩き割るような轟音。
ムルシラの体が宙に弾き飛ばされ、巨岩に叩きつけられた。
「ムルシラッ!!」
「おいおい……嘘だろ……」
オスカーが駆け出す。焦げた風を切り、倒れたムルシラを抱き起こす。
「……っ、生きてるか」
「不甲斐なくて、すまない……」
ポーションを口に含ませながら、オスカーは歯を食いしばる。
――その瞬間、空気が震えた。
「レイナ、下がれ!!」
「ッ!?」
ドラゴンの喉奥で魔法陣が回転し、空気が熱に歪む。
紅い光が集まり――。
「ブレスだ!!!」
ライオが飛び出し、レイナを抱えて走る。セルドが後方に続いた。
咆哮とともに――炎の奔流。
世界が赤に染まり、木々が蒸発する。岩肌が溶ける。
肌を焼く熱風が襲い、息を吸うことさえ痛みになる。
「っ、あぶねぇっ……!」
岩陰に滑り込むと、背後で爆発が続く。
熱で空気が歪み、遠くの景色が蜃気楼のように揺れた。
ドラゴンが息を吐き終えたとき、山肌一帯が黒焦げになっていた。
かつて森だった場所は、ただの焦土だ。
「セルド……頼みがある」
「……言うな、分かってる。けど断る」
「頼む。お前が最速だ。ギルドへ報告を――援軍を呼んでくれ」
「ふざけんな! その間にお前らが焼け死んでたらどうすんだよ!」
言葉を失い、二人は拳を握り合う。
セルドは歯を食いしばり、走り出した。
「生き残れよ、絶対に!」
ドラゴンの巨眼が、逃げる彼を捉える。
再び喉に光が集まる。
「させるか!!」
ライオが地を蹴り、腹下へ滑り込む。
剣が閃き、柔らかな鱗の隙間に突き刺さる。
焼ける肉の臭いとともに、鮮血が飛沫のように舞った。
「ギャアァァァァァッ!!!」
怒号のような咆哮。
ドラゴンがのたうち回り、爪で地面を砕く。
オスカーも続き、右後肢を狙うが、鱗が硬く刃が弾かれる。
「オスカー! 腹だ! 腹が柔い!!」
「了解……!」
――その隙に、レイナが詠唱を開始していた。
杖の先に三重の魔法陣。炎、水流、岩塊。
三属性魔法【過重魔弾砲)】。
「……行けぇぇぇッ!!!」
だが、ドラゴンがそれを察知する。
雷鳴のような咆哮を上げ、レイナへと噛みつく。
「レイナッ!!」
「……間に合わない――!!」
レイナが目を閉じたその瞬間、
間に割って入ったのはムルシラだった。
「仲間は――死なせん!!」
――バキィィィッ!!
牙が肉を貫き、血が雨のように散った。
ムルシラの右腕が引き千切られ、絶叫が響く。
「傷つけさせぬッ!!」
獣の首が振られ、骨が軋む音。
ムルシラの右腕が引きちぎられ、彼の体が宙を舞った。
岩に叩きつけられ、動かなくなる。
「ムルシラッ!!」
「……っくそ……」
オスカーが駆け寄り止血を試みる。
「ムルシラァ!!!」
その悲鳴と同時に、レイナの魔法が完成する。
爆音と共に三重の奔流がドラゴンの顔面を焼き、押し流し、削り取った。
巨体が揺らぎ、地が震える。
「今だ!」
ライオが再び腹を斬り裂き、鮮血が噴き上がる。
しかし、ドラゴンはまだ死なない。
赤い瞳に再び魔法陣の光――ブレスの予兆。
「レイナ!!!」
レイナの体はもう限界だった。
魔力は枯渇し、杖を支える手も震えている。
立ち上がることもできない。
「レイナッ!!」
炎が迫る。
その直前、ライオが彼女を突き飛ばした。
炎がライオを包み、光が爆ぜた。
「ライオさんッ!!」
燃え上がる影が一瞬で黒く崩れ、地に沈む。
焦げた匂いが風に流れ、空が灰色に染まった。
オスカーは岩陰でレイナを抱き寄せ、震える声で呟く。
「耐えろ……頼む、今は耐えろ……」
ブレスが止むと、世界は静寂に包まれた。
煙の中、焦げた骸が転がっている。――ライオだ。
「……レイナを守ってくれて……ありがとう、リーダー
炎の海の中、オスカーは静かに剣を握る。
もう恐怖も感じなかった。ただ、怒りと悲しみだけが燃えていた。
「レイナを……守らなきゃ……」
剣を構え直し、オスカーは立ち上がる。
ドラゴンが再び咆哮を上げ、赤い瞳が彼を射抜く。
「レイナ、ムルシラを連れて逃げろ」
「に、兄さん!? 無理です、そんな――」
「セルドが援軍を呼ぶ。生き延びろ、それでいい」
オスカーは叫ぶように言い残し、突撃した。
剣が鱗を弾き、火花が散る。
それでも彼は何度も、何度も斬りつけ
「行け、レイナ!!!」
「っ……でも……兄さんが!!!」
「いいから――行けぇッ!!!」
涙で視界を滲ませながら、レイナはムルシラを引きずり逃げ出した。
ドラゴンが気づき、首を向ける。
オスカーは咆哮を上げて飛び込み、腹を切り裂こうとした。
尾が閃いた。
次の瞬間、オスカーの身体が宙を舞い、木々を砕いて落ちた。
肺が潰れ、呼吸が詰まる。
「レ……イナ……逃げろ……」
血を吐きながら、彼は呟く。
レイナはそれでもムルシラを抱え、必死に進んだ。
――しかし、間に合わなかった。
ドラゴンの爪が振り下ろされ、杖が砕け散る。
レイナの体が紅に染まる。
爪がレイナの腹を裂き、鮮血が飛ぶ。
「レイナァァァァッ!!!」
オスカーが駆け寄り、彼女を抱き上げる。
温かい血が手を濡らし、止まる気配がない。
「レイナ、しっかりしろ!! ポーションを……!」
「……だめ、です……もう、効かない……」
オスカーの指先が震える。
ポーションの瓶を何本も取り出し、必死に傷口にかける。
しかし、赤は止まらない。流れ続ける。
「止まれ……頼む、頼むから止まってくれ……!」
「……にい……さん……」
レイナの手がオスカーの頬に触れた。
弱々しく、震える指先。
「……兄さんは……人付き合い、下手なんですから……もう少し……皆と、話して……くださいね……」
「何を言ってるんだ……っ、そんな話、今するな……!」
「……ご飯も……面倒くさがらずに……ちゃんと……食べて……」
唇が血に染まり、言葉が震える。
それでも、レイナは微笑んだ。
幼いころと同じ、少し照れた笑みだった。
「……もう一度……みんなで……冒険……したかった……なぁ……」
オスカーの瞳から、涙が零れた。
震える声で、必死に呼びかける。
「冒険なら、また行けるだろ!? だから……!」
「……にい……さん…………大好き……です……」
その声は、風に溶けた。
腕が力を失い、落ちる。
オスカーはその手を強く握りしめ、声にならない叫びを上げた。
「――――ッ!!」
世界が、赤く滲んだ。
剣を掴み、ふらつきながら立ち上がる。
ドラゴンが唸る。
オスカーの瞳は血のように赤く、涙と怒りに染まっていた。
「……ぁあ……」
手にした剣が、血を滴らせた。
「うあああああああああぁぁぁ!!」
その咆哮は、龍の鳴き声と混ざり合い、山に木霊した。
――数時間後。
援軍を連れ戻したセルドが目にしたのは、地獄だった。
焦げた地面に転がるライオ。
右腕を失ったムルシラ。
血に染まるレイナ。
そして、屍を晒す紅の巨影。
ドラゴンの頭上に、一人の男が座っていた。
剣を握り締め、血と灰にまみれたまま。
「……何だよ、これ……」
セルドが呟く。
近づくと、ようやく男が顔を上げた。
それは、オスカーだった。
「……すまん……皆、死んだ……」
その声は掠れ、瞳は空っぽだった。
オスカーは一言呟くと、その場に倒れ込んだ。
「オスカー!? オスカーッ!!」
数日後。
【獅子の闘志】のリーダーであるライオ・フィオルとレイナ・アンダルクは戦死。焼き焦がされたライオは回収不可としてロンドヘイム山脈の麓で埋葬。レイナはアバロン教会の墓地に埋葬された。
右腕を失ったムルシラも意識は戻ったが、冒険者の生命線は途切れ引退。
【獅子の闘志】は実質的に解散となった。
「オスカー、悪いが俺は冒険者を辞める」
オスカーは冒険者ギルド【翼竜の鉤爪】の一室で療養しており、そこへセルドが訪れていた。セルドはオスカーへ冒険者引退の報告をしていた。
「そうか……」
「お前はどうするんだ……」
「……分からない……」
幼馴染でありリーダーのライオ、そして、妹のレイナの死を受け入れられていないオスカーの目は生気を失っていた。その目は虚ろだった。
「俺さ……故郷に戻って家業を継ごうと思うんだ……他の冒険者パーティーに入るのも違うと思うし……これ以上、仲間の死を見たくないからさ」
「……そうか……」
「ムルシラにも挨拶は済ませたし……俺、行くわ」
「……そうか……」
「…………無理するなよ、オスカー」
そう言い残すとセルドは部屋から出ていった。一人になったオスカーは窓の外をぼんやりと眺める。暫く眺めていると、今度はムルシラがやって来た。
「オスカーよ、息災か?」
「…………ムルシラか……」
オスカーはムルシラの右腕を見ると、右肩より先が失われていた。ムルシラは恥ずかしそうに左手で自分の頭をかいた。
「いや、恥ずかしいな。こんな無様な姿を見られてしまい」
「…………すまなかった……俺がもっと強かったら……そうすればムルシラの腕も……ライオとレイナも……」
「オスカーだけの責任ではない。冒険者とは死と隣り合わせ。仕方のない運命だ」
「運命……? うん……めい……だと? ふざけるな!!」
オスカーはムルシラの言葉に怒りを覚え、近くに置かれていた花瓶をなぎ倒す。
「運命というのであれば! 神は何故、俺じゃなくてレイナを連れ去った! 教えろ! 教えてくれよ……ムルシラ……」
「軽率であった。すまない」
ムルシラは頭を下げて謝罪すると部屋を出ていった。一人になったオスカーは両手で顔を覆いながら泣き続けた。
「……俺が……俺のせいで……」
こうして、オスカーが所属していた冒険者チーム【獅子の闘志】の幕は閉じたのである。
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