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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

孤独になれなかった男



 ──孤独すぎて辛い。死にたい。


 ──誰にも必要とされない。生きている意味がわからない。



 ネットを徘徊して見つけたスレの書き込みを見て、俺はハッと嘲笑う。

 慰めの言葉を期待しているメンヘラ共に対して、『じゃあ死ねよ』と書き込む。

 

 案の定、発狂したメンヘラと偽善者共が噛み付いてきた。低レベルな奴らとレスバトルするのもバカらしく、俺はスレを離脱して、オンラインゲームを起動する。


「何が孤独だよ。不幸な自分に酔ってる寄生虫共が」


 孤独の辛さ? 人と関わるのなんて面倒なだけだろう。

 誰にも必要とされない? 誰かに利用される奴隷にでもなりたいのか。


 他人の関心を欲する奴らの思考回路は、俺には理解できない。

 孤独を恐れ、精神的な安定を他人に求める奴らは精神的弱者だ。俺はそんな愚かな奴らとは違う。


「はい、雑魚乙ー♪」


 オンラインゲームで碌な抵抗もできずに散った相手を嘲笑う。強者として圧倒的な力で弱者を捩じ伏せる瞬間は最高に気持ちいい。俺は勝利の美酒代わりにエナジードリンクを煽った。


 いつもゲーム内でチームを組んでいる仲間に『もう一戦行こうぜ』とチャットを送ると、『明日仕事だから落ちる』と冷める返事をされた。パソコン画面で時間を確認すれば、深夜二時を過ぎていた。


「っんだよ! これからが面白くなる時間だってのに。あーあ、クソつまんねー」


 俺は悪態をつく。このゲームはソロプレイでもできるが、知らない奴とチームを組まなければいけなくなる。下手な奴とマッチしたら最悪だ。他のゲームをしようと思い、俺はスマホを手に取り、ベッドに寝っ転がってアプリゲームの周回をする。


 社畜と違って、俺は思うままに時間を使うことができる。

 金だって、自分であくせく働かなくても、親の脛を齧ればいい。あいつらは自分たちの欲望のために勝手に俺を産んだ。だから、責任を持って、俺が生きられるように養う義務がある。

 俺は心ゆくまでアプリゲームをして、洗脳された社畜達が出勤していく時間帯に心地よく眠りについた。



「おいっ! おい!! 返事しろバカ息子!!」

 

 ドンドンとドアを叩く鈍い音と親父の怒号に起こされる。スマホを確認すれば、十七時を過ぎていた。煩い起こし方をされたこともあり、俺はイライラと舌打ちする。


「何だよクソ親父!」

「お前、一体何に十万も使ったんだ!!」


 親父はクレジットカードの請求がいつもより高くなっていることに腹を立てたようだ。親父の大袈裟な態度に、俺は心底呆れる。


「ゲームの課金だよ。十万くらいで騒ぐことないだろう。世の中には、百万や一千万くらい課金している奴もいるんだ」

 

 俺は良識的な方だ。怒られる理由がわからない。しかし、古臭い親父の頭では理解できなかったようだ。


「自分で稼いだこともない人間が何をふざけたことを言っているんだ!! 早紀(さき)と違って、何でお前はそんなに出来損ないなんだ!!」


 早紀とは、俺の四つ下の妹だ。バカで泣き虫な妹は、現在は就職して一人暮らしをしている。 


 親父は、昔は男の俺を贔屓して、妹は女だからと見下して家政婦扱いしていた。しかし、俺が高校卒業後に引きこもりになってからは、親父はダサい手のひら返しをしてきた。今ではバカな妹を褒め、優秀な俺を貶めるようになった。


 俺は親父を無視して、部屋の冷蔵庫からエナジードリンクを取り出して飲む。親父はダンと力強くドアを叩いた後、諦めたのだろう。足音が遠ざかり、階段を下りていった。


「たく、親父も小せえ男だよな。大体、大人の小遣いが月二万円とかおかしいだろう。あーあ、俺も金持ちの子供に生まれたかったなー」


 俺はパソコンを立ち上げて別のゲームを始める。ついでに親父へ嫌がらせしようと思い、ゲーム音量を最大にして大声を上げながらプレイする。ゲーム内で銃をぶっ放して無双すると、ストレスも解消できた。


 腹が減った俺は、母親にメッセージを送り、飯を催促する。母親からなかなか返事が来ない。ようやく来たと思ったら、いつもとは違うメッセージが返ってきた。


 ”話がある。おじさんがあんたに仕事を頼みたいって。”


「はあ?」

 

 働くなんてありえない。何が悲しくて、俺の貴重な時間を他人のために使わなければいけないのか。それに、親でさえ面倒くさいのに親戚付き合いなんてごめんだ。


 返信のために画面をタップしようした時、母親から電話がかかってきた。伸ばしていた指が予期せず通話ボタンを押してしまう。


康幸(やすゆき)君? 俺だよ。秋仁(あきひと)おじさんだ。最後に会ったのは、小学生の頃かな? 元気にしてる?』

 

 矢継ぎ早に話しかけられ、俺は驚きのあまり終話ボタンを押すことが頭から抜け落ちた。


 秋仁おじさんは、母親の弟だった。独身で不動産経営をしているらしい。妹はおじさんによく懐いていたが、俺はあまり話した記憶がなかった。


『さっき聞いたと思うんだけど、是非とも康幸君に仕事を頼みたいんだ』

 

 仕事の内容は、おじさんが所有しているアパートの一室に住むことだった。

 今は不景気なのか、なかなか借り手がないらしい。家は人が住まないと痛むらしく、新しい住人が決まるまで管理して欲しいとのことだった。

 もちろん、家賃は発生せず、光熱費も生活費もおじさん持ち。ネット環境も整えてくれる上に、小遣いとして月二十万円使っていいということだった。


(嘘だろ? そんな都合のいい仕事があるのか?)


「……その……事故物件とか」

『まさか! 人が死んだことはないよ』

 

 おじさんは笑い飛ばして否定する。


『まあ建物は古いから、虫とかは出ると思うけどね』

 

 虫は気持ち悪いと感じるが、平気ではあった。

 子供の頃はバッタの脚を引きちぎって遊んでいたし、ダンゴムシを踏み潰す音を聞くのが好きだった。テニスラケットを振って、赤とんぼを一撃で何匹仕留めることができるか試すのも楽しかった。


『……だめかな? 君のような有望な子に頼みたいと思っていたんだけど……。無理なら、他の人に頼むよ』


「あ! ま!」


 俺は慌てて止める。こんなに美味しい話を誰かに持って行かれるのは癪だ。それに、親父や母親のうるさい小言から離れることができる。


「俺がやる」

『ありがとう! 助かるよ! じゃあ、明日の午後に迎えに来るから、用意を頼むよ。また明日ね』


 通話が切れる。俺はおじさんの言葉を思い出してニヤリと笑う。


(そうだ。俺は有望なんだよ。世の中には、働かなくても、存在しているだけで金をもらえる人間がいる。俺はそっち側の人間だ。ようやく、ツキが回ってきたというわけか)



 翌日、おじさんが俺を迎えに来た。

 ファッションとやらに興味がない俺でも、それなりに金がかかっているとわかる服装だ。男なのに、香水の匂いもする。世の中ではイケおじと呼ばれる人種だろう。


 親父は仕事だったので、母親だけに見送られて俺は家を出た。

 外は湿気で蒸し暑い。冷暖房完備な部屋で過ごしていたせいで辟易とする。

 親父の車とは違って高そうな車に乗り込み、俺達は目的地のアパートへ向かった。


 車中でおじさんに話しかけられる。程度の低い人間と会話するのは面倒なのだが、おじさんは割とマシな方の人間だったので苦ではなかった。むしろ、俺のことを尊敬するような態度だったので、気分がとても良くなった。


 辿り着いたアパートは、確かに古い建物だった。

 建て付けが悪い玄関ドアと防犯性のない簡易的な鍵。1DKの間取りの室内。色褪せた畳や、シミがついた壁と襖。清掃はされていたが、生活困窮者しか借りそうにない部屋だった。パソコンやWi-Fi、家具や家電は充実していたので、合格点だろう。


「じゃあ、よろしく頼むよ。あ、冷蔵庫に寿司を入れておいたから食べてね」


 おじさんは俺にクレジットカードと暗証番号のメモを渡して帰って行った。

 冷蔵庫を開けると、それなりに良い値段のパック寿司が入っていた。スマホをWi-Fiに繋ぎ、寿司を口に放る。母親が作るありきたりな料理よりずっとうまい。俺は一気に上機嫌になった。



 親の小言もない快適な引きこもりライフ。

 便利に使える母親はいないが、家事はしなくても問題ない。ゴミも週に一回玄関のタタキに置いておけば、鍵を持っているおじさんが来て代わりに捨てに行ってくれる。飯は宅配を使えばいい。外に出ることはないから風呂はたまにでいいし、面倒だから掃除も不要だろう。どうせ、人に貸す前に専門の業者がクリーニングする。それに、こんなに古い建物だから、いくら汚しても構わないだろう。


 俺はニートではなくなった。汗水流して働いている社畜共を嘲笑い、金も十分にもらえないニート達をバカにできる上位の存在となった。


「クソ雑魚無課金ユーザーは死ね! 雑魚乙ー。貧乏乙ー」


 俺はゲラゲラと笑いながらオンラインゲームで雑魚共を殲滅する。


 このアパートは他に住人がいないのか、他の部屋から生活音が全くしない。声を出しても苦情が来ない。思っているよりも快適だ。

 実家にいた頃に比べて、余裕で課金できる。それに、飯だって好きなものを頼みたい放題だ。人の金で食う飯は美味い。人の金で回すガチャは楽しい。


 対戦を終えて一息ついていると、部屋の壁に何か動いているものを見つけた。


「あー、また出たのか。うぜえ」


 俺はティッシュを一枚取って立ち上がる。壁についていた小さな蜘蛛をティッシュで包んで潰した。おじさんが言っていた通り、この家は虫がよく出る。もう何匹殺しているかわからない。


 スマホが振動して、メッセージを受信する。チラリと見ると、おじさんからだった。


(なんだ? もう借り手が見つかったのか?)

 

 嫌な予感に緊張しながらメッセージを開いた俺は、中身を見てホッと胸を撫で下ろす。一週間過ごしてみて、何か困ったことがないか確認のための連絡だったようだ。俺は『ない』と端的にメッセージを返す。


 おじさんは、週に一回は俺が出したゴミを回収するために部屋を訪れていたようだが、顔を合わせてはいなかった。生活時間が違うということもあるが、おじさんは玄関までしか入って来ず、プライベートにきちんと配慮してくれているようだ。


 おじさんからまたメッセージが届いた。


『虫がよく出るだろう?』

『出るけど殺してる』


 この前は、緑色の気持ち悪い芋虫が出た。田舎で裏手に山があるからか、実家にいた頃は見たことがなかった種類の虫が出てくる。まあ、これくらいで快適な生活が約束されるなら許してやってもいい。


『害虫が棲みつくと困るから、退治してくれるの助かるよ。困ったことがあったら連絡してね』


 おじさんは弁えているのか、それ以上連絡はしてこなかった。

 


 アパートで暮らし始めて三ヶ月が経った。

 相変わらず頻繁に虫が出るが、もう慣れた。初期の頃は突如現れるムカデにビビってしまったが、今やゴミばさみで素早く掴んで、空いたカップ麺の容器に入れて熱湯地獄に落として楽しむくらいのレベルだ。虫如きでギャーギャー騒ぐ軟弱野郎どもがバカに思える。


 スレを徘徊していると、また自分は孤独だと騒ぐ奴らの書き込みを見つけた。


「他人なんて面倒なだけだって何でわかんねえんだ? あ、バカだからか」

 

 俺が実家にいる頃は、トイレに行く時や風呂に入る時にたまに母親と顔を合わせていたが、ここで暮らし始めてから全く人に会っていない。おじさんとも相変わらず会わない。ネットで購入した物は置き配を選んでいるので、配達人と顔を合わせることもない。

 

 他人と関わらない生活は、とても快適で、むしろずっと今のままでいたいくらいだ。

 

 どこから入ってきたのか、雨蛙を見つける。潰したらキモいだろうと思い、ムカデと同じように熱湯を注いだ容器に入れてすぐに漫画雑誌で蓋をする。水音を立てて暴れている蛙を放置し、俺はスレ徘徊を続けた。



 久しぶりに、おじさんからメッセージが届いた。

 『仕事をお願いして今日で一年経つけど、元気かな?』という言葉を見て、スマホで日付を確認する。全く気づいていなかったが、ここで生活を始めてもう一年も経っていたらしい。


(まあ、忙しかったからな)


 ゲームに漫画、アニメ、ネット徘徊。割と充実した一年を過ごした。


(そうだ。一年も経ったのなら、そろそろ昇給について交渉してもいいだろう。おじさんは俺の凄さを理解している。喜んで昇給に応じるだろう)


 俺は『元気。そろそろ給料を上げてくれ』と、おじさんにメッセージを送る。おじさんから『君に相応しいだけの値段をつける』と返事があった。

 どのくらい増えるのだろうかと、俺はニヤニヤと笑いながら妄想を膨らませる。


 ゴロリと畳の上に寝転がっていると、不意に右足に違和感を覚えた。何だと思って首を持ち上げて右足を見ると、縄のようなものが載っていた。


 それが何か認識して、俺は一気に血の気が引く。

 茶色の鱗肌、金色の目に縦線のような瞳孔、三角の頭と長い縄のような体。間違いなく蛇だった。


「うわあああああ!!」


 俺は蛇を蹴飛ばすように跳ね起きる。蛇はゴミ山の中に落ちた。

 心臓がバクバクしているが、頭には次々に嫌な情報が浮かぶ。三角頭の蛇は毒を持っていると、昔テレビで観たことがあった。


(蛇まで出るのかよ!! 畜生が!!)

  

 俺はいつも武器にしているゴミばさみを手に取る。


 蛇の姿は見えない。心臓がドクドクと煩くなる。ゴミばさみでゴミ山をかき分けるのは避けたい。もし、近づいた瞬間に蛇が襲ってきたらと考えると怖い。しかし、どこにいるかわからない蛇と一つの部屋にいる状態も怖かった。


 蛇なんて、実際に見たことはない。どうやって退治すればいいのかも知らない。ガサリと物音がして、俺は肩を跳ね上げる。


 カサリ、カサと音がする。蛇が移動しているのだ。

 耳を澄ませていると、音が止んだ。それも恐ろしくて、俺はハーハーと息を吐いてゴクリと唾を飲み込む。


 視線を左右に動かして確認するが、蛇の姿は見えない。脂汗で手から滑り落ちそうになるゴミばさみをギュッと握りしめ、蛇を刺激しないように少しずつ後退する。

 

 部屋同士を繋ぐ引き戸を開けて、キッチン側へ移動することに成功した。俺はホッと息を吐き、スマホで外に連絡しようとする。しかし、手元にスマホはなかった。


(そうだ! 驚いた時に放り投げたんだった!)

 

 俺は絶望を感じた。おじさんや駆除業者に連絡することもできない。俺は玄関へ目を向ける。

 キッチンで過ごすことも考えたが、おじさんが来たのは四日前。あと三日は来ない。俺が寝ている内に蛇がどこかの隙間からこちらへ来るかもしれない。

 

(とりあえず外に。自宅の番号なら覚えているし。あ、でも現金も持っていない。カードは部屋の中だし……。どうしたら……。そういえば、公衆電話で110番する時は料金がかからなかったはずだ! 警察に毒蛇を何とかしてもらおう!)


 俺は一年ぶりに靴を履いて玄関の鍵を開ける。ドアノブに手をかけ、押し開こうとした時、俺は違和感に気づいた。


「なん、で、開かなぃんだっ!」


 体当たりするようにドアを押すが、びくともしない。ドアを蹴り付けても前後に揺れることすらせず、完全に密閉されているような状態だった。元々立て付けが悪かった。木造住宅なので、ドアが膨張して密閉された可能性もある。


「ボロいにも程があるだろう!!」


 俺はドアを殴りつける。大声を上げて助けを求めることも考えたが、今まであんなにゲームで騒いでいても注意すらされなかったことを考えると望みは薄い。


 やはり、スマホを取りに戻るしかなかった。


 俺はキッチンを見渡し、武器になりそうな物を探す。包丁がないかと探したが、おじさんは俺が料理をしないとわかっていたのか置いていなかった。フライパンや鍋もない。あるのは通販で使われていた段ボールだけだ。


(段ボールを盾にすれば、攻撃を防げるかもしれない)


 俺は段ボールを手に取り、貼り付けてあったテープを剥がす。テープの粘着力のない部分を左腕にグルグルと巻き、粘着が残っている部分を段ボールにつけて固定して持ち手を作った。


 左腕にダンボールの盾を、右手にゴミばさみを構え、俺は蛇がいる部屋に繋がる引き戸を睨みつけた。

 ボス戦に挑む勇者にでもなった気分だ。重たい足を前に進める。フーフーと自分の息が大きく耳に届く。ゴミばさみの先で引き戸を掴み、横にスライドさせる。俺は一歩後ろへ下がった。


 蛇の姿は見えない。だが、ドアが開く音に反応したのか、部屋の右側からガサリと大きな音がした。視線を走らせると、蛇の影が見えた。奴はゴミ山にうまく隠れて左へと移動していく。俺はスマホの位置を確認する。部屋の左側に敷いている布団の上に、裏返った状態のスマホが落ちているのが見えた。


 俺はゴミばさみで畳をバンバンと叩いて威嚇する。蛇は音を立てるのをやめた。どうやら、ビビっているようだ。俺は少しずつスマホとの距離を縮め、右手を伸ばす。ゴミばさみの先がスマホに届いた。


(やった! あとは引き寄せ……)


 喜んだ時、ゴミ山の中から何かが飛び出してきた。反射的に後ずさると、ベチンと何かがぶつかる音と共に段ボールの盾が揺れる。


 左腕から剥がれ落ちた段ボールの下に蛇の尾が見えて、俺の頭の中は真っ白になった。左足の爪先に蛇がいる。噛みつかれたら、そのまま蛇の毒が体に回って死ぬ。

 

「うあああああああああああ!!」


 俺は声を上げながら両足で段ボールの上に乗る。左足で段ボールを押さえ続けながら、蛇を殺すために右足で何度も踏みつける。足裏に嫌な感触が伝う。蛇は生命力が強いのか、尾が左右に揺れていた。


 段ボールからニュルリと蛇の頭が出てくる。俺は悲鳴を上げながら、蛇の頭めがけてゴミばさみを振り下ろした。

 

 金属製のゴミバサミが蛇の首を貫いた。蛇がビクビクと痙攣する度に、畳の上に赤い血がじわじわと広がっていく。我に返った俺は飛び退き、蛇が徐々に動かなくなるまで凝視していた。


 どのくらい時間が経ったのだろう。俺は手元のゴミを蛇に向かって投げる。蛇は完全に死んだのか動かなかった。俺は部屋に置いていた他の段ボールを使ってスマホを足元まで引き寄せる。


 これでようやく、外と連絡が取れる。手を伸ばした瞬間、ブブッと変な音がして、俺はびくりとする。スマホが振動して、畳の上でゆっくりと回転していた。

 

「っんだよ」


 俺は悪態をつきながら、スマホを手に取る。ひっくり返して画面を確認すると、発信者はおじさんだった。俺は通話ボタンを押す。


『もしもし、康幸君。朝早くにごめんね』


 おじさんの声を聞くと、体から力が抜けた。人の声に、ここまで安堵するのは初めてだった。何故かジワリと目に涙が滲んだ。


『どうしたの? 大丈夫?』


 俺が返事をしなかったので心配したのだろう。おじさんが優しい声で話しかけてくる。

 一人っきりで蛇に立ち向かった時の恐怖と心細さで冷え切っていた心に、じんわりと優しい温かさが広がっていく。


 この気持ちをなんと言い表せばいいのかわからない。ただ、今は無性に人に会いたいと思った。久しぶりに、おじさんと母親に会いたい。顔を見て、自分は生きているのだと安心したい。


『康幸君。話せる? おじさんの声は聞こえてる?』

 

 俺はハッとして、返事をしようと口を開く。


「おじさん」

 

 その言葉の代わりに、ガラスを引っ掻いたような音が耳に届く。俺は眉を寄せ、もう一度言葉を発する。しかし、何度声を出しても、耳障りな音が響くだけだった。


(さっき叫びすぎて喉が潰れたのか?)


 ゴンと音がして、スマホが畳の上に落ちる。突然手の力が抜けて、呆けた俺の視界がグラリと揺れる。目を開けると、畳がすぐ目の前にあった。体に全く力が入らず、声を出しても掠れた音しか出なかった。視界に黒いノイズのような物が入り、意識がプツリと途切れた。



***



「一応、これで完成かな?」


 秋仁はノートパソコンの画面を見ながら、ジャムをたっぷり塗った食パンを齧る。


「できたんだ。あのクソ兄貴がマムシに勝った時はびっくりしたけど。どう? 使えそう?」

 

 ダイニングテーブルを挟んだ向かいの椅子に座っていた早紀が、ゆったりとコーヒーを飲みながら問う。


「まあ、正規の方法じゃないからね。どう作用するかは実験してみないとわからないけど、力はありそうだよ。ねえ、早紀ちゃん。使ってみる?」


「嫌だよ。あのクソ兄貴には二度と関わりたくないの」


「それなら、コレはおじさんが使わせてもらおう」

「本当に狂ってるよね。おじさん」

「君が人のことを言えるかな?」

「おじさんよりマシな人間のつもりー」

 

 早紀はコーヒーを飲み干した後、「見せて」と言って秋仁のノートパソコンを自分の手元に引き寄せる。画面を見た早紀の顔を見て、秋仁は「やっぱり、君は人のことを言えないと思うよ」と苦笑した。


「それにしても、蠱毒(こどく)って毒のある生物が対象でしょう? よくあのクソ兄貴を呪具にできたね」


「何を言ってるんだい? 人間は有毒な生き物だろう」

 

 すぐに人を非難し、蹴落とそうとする。

 康幸は常に誰かに毒のある言葉を撒き散らしていた。早紀から聞いてはいたが、一年前に車でアパートに運んでいる間も、康幸はずっと他人の悪口を言っていた。酷い体臭も相まって、かなり苦痛な時間だった。

 

「確かにね。あの兄貴は、家族にとっても社会にとっても有害すぎる毒だもん。蠱毒になって、ようやく人の役に立てるのか」


「蠱毒に近いけど、完全ではないね。別のものだよ」

「もどきってこと? 失敗なの?」


「元から違う手法を試すための実験だったから、結果を知ることができただけで成功だよ」


 正規の方法で蠱毒を作るのは楽しかった。毎回、最後に生き残る生物が違う。だけど、何回も作り続けていくと飽きてしまう。そこで、今回は手法を変えてみたのだ。


 壺に見立てた家を用意し、康幸を閉じ込める。ゴミを回収するついでに、有毒な生き物を室内に放った。康幸が死んでしまったら、それでもいい。その時は、放った虫達が康幸の死体を喰らうだろうから、今まで出来た蠱毒とはまた違うものが作れただろう。

 

「お金がかかる実験だね。あのクソ兄貴を養うために結構お金使ったんでしょ? 呪具にならなかったら大損じゃん」


「その時は、康幸君自身を売るつもりだったよ。内臓や骨を売れば、十分に元は取れるから」

「うわー。容赦ないね」

「蠱毒を使って、同級生と上司を呪い殺した子が言うかな?」


 秋仁が呆れて言うと、早紀は「てへ」と言って戯けた表情を作った。秋仁は溜め息を吐き、パソコンの画面に視線を戻して思案する。


「今度は人間同士で蠱毒をするのも面白そうだ」

「それはあり! うちのお母さんとお父さんもいらないから使っていいよ」

「いいのかい?」

「うん。私も成人したし、自分で生きていけるから。もういらないや」

 

 早紀の両親は、康幸を溺愛していた。甘やかされて育った康幸は、突然四つ下の妹が生まれ、両親の興味が移るのを危惧したのだろう。両親の見ていないところで、日常的に早紀に暴力を振るっていた。階段から突き落としたり、雪の降る日にベランダに閉じ込めたり。幼い早紀を暴力で脅して、祖父母に金をもらいに行かせた。殺虫剤を顔に噴射し、首を絞めて苦しむ様を笑っていたという。

 早紀が泣きながら両親に訴えても、康幸が言葉巧みに嘘をついた。両親も聡い人間ではなかったこともあり、早紀は厄介な子供として扱われ、愛情を注がれることなく育った。


 秋仁は姉夫婦に対して何の感情も持ち合わせていない。他の多くの人間と変わらず、ただの動く肉人形にしか見えない。早紀に対しても同情の欠片も抱かないし、親族としての情も持ち合わせていない。

 あるのは、ただの興味だ。早紀が蠱毒を使って人を呪い殺した後、秋仁の目に映る早紀の姿が肉人形から僅かに人の形に変わった。まだ肉人形に近いが、両親の死ぬ様を見た早紀がどう変化して秋仁の目に映るのか知りたい。


「問題は、人間を百人集めなければいけないことだね」


「おじさん、それは大丈夫だよ。家族の中にいらない人間の一人や二人はいるはずだよ。処分したくても出来ない人間を代わりに始末してくれるなら、たくさんの人が喜ぶ。きっと、すぐに集まるから」


 早紀に輝く笑顔でお墨付きをもらうと、そういう気もしてくる。秋仁は再びパソコンの画面を眺めた。


 画面に映る、かつて康幸だったモノ。


 体を上から圧縮されたように潰れた肉饅頭。水気のある緑がかった灰色の肌には毛が斑らに生え、手足がいろんな方向に折れ曲がり、頭部らしきものを抱えていた。目は溶けたように体の上を移動していく。呼吸音なのか叫び声なのかわからない奇声を上げ続けていた。


 秋仁は康幸だったモノに対して何の感情も湧かず、そのままノートパソコンを閉じる。

 まるで夏休みに遊びに行く話でもするかのように、早紀とこれからの計画について話をした。



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