犬猫にも馴染めば思う
上から白いものが落ちてきた。でも、そんな事気にしない。これから真っ白い雪が降るんだとか、寒くなるから暖を取らなきゃだとか。そんな事気にしてもしょうがない。
私には帰る家もないから。
ああ、でも、ねずみ色の空が、美味しそう。
(ーーお腹空いた)
いつも考えるのは、食べ物のこと。昨日も今日も、何も食べていない。もう何日、泥水を啜っただろう。ここの冬は草も生えないし、虫もいない。小さい私では、鳥もネズミも取れない。この前の冬はまだ母親がいて、なんとか凌ぐことができた。
でもこの冬は、ーーーーもうダメだろう。
お腹が空いて空いて、もう痛いくらい。空腹のない世界に行きたい。
街の人々は、こちらの事など目にも映さず足早に通り過ぎていく。きっと家には暖かい家族と、食事が待っているのだろう。食べ物を恵んでもらえないかと、人々の目に触れるように路上に出ようものなら、すぐに蹴り飛ばされる。腹が空いて痛いくらいなのに、更に蹴られたら寿命が縮む。誰だって、自分が一番大切。施すほどの余裕はないのだ。
こんな事だから、母親にも捨てられたのかもしれない。兄弟にイタズラされても、縮こまってばかりだったから。痛い事をするのも、されるのも大嫌い。誰かから奪う勇気もなく、孤独に死を待つだけ。
いつの間にか、目の前は白一色に染まっていた。まだ死ねないようだ。夜の明かりに煌めく白に、ふと足を踏み出してみたくなった。
ドンッ!
(ーーえ?)
何もないはずのそこにぶつかって、踏ん張れずに倒れる。そのまま何かに蹴られたかの様に吹っ飛んだ。何にぶつかったのかもわからないまま、冷たい雪の感触に意識を失った。
◆◆◆◆◆
ーーーー暖かい
もっと、近付きたい。
でも、身体が動かなくて、喉が鳴っただけ。
そのままゆっくりと身体が温まってきて、また眠くなってくる。眠気に誘われるまま、またゆらゆらと漂う。そこは誰かの家のようだ。私は死んだのだろうか。暖炉の火が赤々と燃えている。明かりは暖炉の火だけで、部屋は薄暗い。どこかに隙間があるのだろうか、暖炉の火は勢いがあるのに部屋全体を暖めるには遠い。小さな部屋にはテーブルと椅子だけ。片付いていると言えば聞こえは良いが、どこもかしこも埃だらけ。使っていない、というのが正しそうだ。
ゆらゆらと扉を抜けると、暗い廊下が続いている。廊下の突き当たりの扉から、うっすらと明かりが漏れている。わずかに物音もする。ここの家主だろうか。扉をそっと覗くと、そこにはローブを被った人物が屈み込んでブツブツと何か呟いている。いつもなら警戒して逃げ出すところだが、ふわふわ浮いている自分は死んだに違いない。幽霊なら大丈夫だろうと、ローブの人物に近づいてみた。正面に回ってみると、手入れのされていない長い黒髪で顔は窺い知れなかった。近付いてみても、何を言っているのか聞き取れない。ふと、その人物の手元に目をやると、分厚い本の文字を追うように手が動いていた。しばらくその手を見つめていたが、文字が読めない私はつまらなくなって部屋を探索する事にした。
天井から吊るされた球体の明かりが、部屋を照らしている。部屋には暖炉もなく寒々しいが、ローブの人物は気にしていないようだ。四方の壁は全て天井まで棚になっていて、そこには無造作に瓶や本が並べられている。本は読めないのでスルーして、瓶の中を覗き込んでみる。よく分からない草や昆虫の死骸。液体に沈んだ目玉がギョロっとこちらを向いてそれにビックリして後ろに飛び退いた。
「・・・きみ」
鈴の音みたいな小さな声に、またしてもビックリして身体がビクついた。後ろを振り返るとローブの人物がこちらを見ていた。
(ーー私の事が見えてる?)
ぷかぷか浮かんでるし、扉だってすり抜けられる。先ほどローブの人物の正面に立った時でさえ、反応がなかった。なのに、見えてる?
「・・・うん。・・・見えてるよ」
(私の言ってる事も、分かるの?!)
「・・・わかる。・・・・・・身体から、抜けちゃったんだね。死にかけた、からかな・・・・・・・・・こちらに、おいで」
ローブの人物はそう言うと部屋を出て、最初に私が目覚めた部屋へ向かった。全身をローブに包み、顔の隠れた人物はいかにも怪しかったが、悪い人物には見えない。私は大人しく後をついて行った。
先ほどの暖炉のある薄暗い部屋に着くと、ローブの人物が何事かを呟いた。声が小さくて、何と言っているのかはさっぱり。それでも目の前がパッと真っ白になって驚いて目を瞑る。恐る恐る瞼を上げると、暖炉の火が見えた。身体を起こそうとするが、重くて動かない。
「・・・あぁ、まだ、動けないよ。・・・しっかり、休んで、・・・いっぱい、食べたら、・・・また、動けるように、なる」
視線だけで返事をすると、ぎこちなく頭を撫でられた。母親以外に撫でられた事はなかったから、一瞬泣きそうになってしまった。よく分からないけれども、私はまだ死んでいなかったらしい。身体に戻ったら、急に空腹感に襲われた。まだ声は出せなかったので、先ほどの様に心の中で喋りかける。
(ーーあの、お腹、空いちゃって・・・)
ローブの人物は「ああ」と言って部屋を出て行った。恐らく通じた様だ。しばらく待つと、小さい器を持って戻ってきたが、器の中には何もない。
「・・・ごめんね。・・・僕は、食べなくても、死なないから、・・・食料が、何も、無かった・・・」
(・・・そっか・・・)
そんな人いるんだって思ったけど、それよりも思い出した様に痛くなるお腹の方が問題だった。虫でもなんでもいい、食べられそうな物は・・・
「・・・食料は、ないけど・・・・・・魔力なら、あげられる・・・」
ローブの人物は私に向かって左手を差し出した。黒髪の奥の表情が見えない為、どんな意図があるのかもわからない・・・が、背に腹はかえられない。
(その、魔力、でも、お腹いっぱいになる?)
「なると・・・思う」
(痛く・・・ないよね?)
「・・・うん」
(ほんと?)
「・・・魔力を、あげたことが、なくて・・・・・・でも、大丈夫、だと思う」
(・・・じゃあ、いいかな?)
「・・・うん・・・・・・触るね」
そう言うと、ローブの人物は私の身体の心臓の辺りに手のひらを当てた。触れる手のひらから、じんわりと温かくなっていく。暖炉の火なんて目じゃないくらいのスピードで身体が温まり、力が戻るような感覚がする。不思議な事に空腹感も徐々になくなり、食べてもいないのにもういらないってくらいに満たされた。もういらないのに、それでもローブの人物は私に触れたまま、どんどん身体が熱くなってくる。
『あのっ!もうお腹いっぱいになったから!い、痛いっ!』
私の言葉にビックリしたみたいに、ローブの人物は左手を離した。
「あぁ、・・・ごめんね。・・・加減が、わからなくて・・・」
小さな声が、申し訳なさそうに更に小さくなった。
『ううん・・・あの、ありがとう・・・』
はっとしたように、ローブに人物が顔をあげた。黒髪の向こうから、信じられないものを見た様に、こちらを凝視しているのが感じられた。
「・・・・・・」
何も言わないので、聞こえなかったのかな?もっと大きな声で喋った方がいいのかな?と、もう一度感謝を伝える。
『私の事、助けてくれて・・・ありがとう』
「・・・・・・・・・うん」
良かった。伝わったみたい。私は安心して、少し笑った。
『もう身体も動くし、出て行くね。この恩は、いつか返すから・・・』
私は足に力を込めて、立ち上がった。体力も筋力も魔力のおかげで回復したが、バランス感覚が追い付かずに少しよろけてしまう。
「・・・・・・ぁっ・・・待って!・・・」
よろけた身体を支えてくれたローブの人物は、躊躇う様に首を左右に振った。
『・・・?』
よく分からずに髪で隠れた顔を見つめていると、覚悟を決めたかの様に口を開いた。
「・・・あの、・・・・・・街で、・・・ぶつかったの、僕、なんだ・・・」
私は少し目を見開いたが、口を挟むことはしなかった。
「咄嗟に、止まれなくて・・・・・・蹴ったの、も・・・」
『・・・・・・』
ローブの人物は両手を組んで、親指をグリグリし始めた。
「・・・・・・えと・・・、んと・・・・・・、良ければ、・・・君さえ、良ければ・・・・・・」
『・・・・・・』
「ここで、・・・・・・一緒、に・・・・・・」
『・・・・・・』
「・・・・・・」
ローブの人物が、こちらに期待を寄せているように感じるのは気のせいだろうか・・・
待てど暮らせど、続きの言葉は出てこなそうだったので、思いつくままにその先を口に出してみる。
『・・・・・・ここで、一緒に暮らしていいの?』
ローブの人物の雰囲気が綻んだので、恐らく合っていたのだろう。嬉しそうに何度も頷かれた。
これまで外で暮らしてきたので、雨風を凌げる家があるのは嬉しい。食べ物はないが、先ほどの魔力をもらえば飢えることはないのだろう。願ってもない申し出だったが、私は少し考えた。
『・・・それは、お詫びとしてってこと?』
ローブの人物はまた頷いたが、少し考える様に俯くと口を開いた。
「・・・それも、ある、けど・・・・・・ありがとうって、・・・・・・嬉しかった、から」
まさか、そんな事で同居を決めるなんて・・・
『・・・あなた、危ないから・・・一緒にいるわ。会話ができるって言うのも、面白いし』
ローブの人物が笑ったように髪が揺れて、髪の隙間から満点の星空みたいな瞳が見えた。私は思わず、見惚れてしまった。
こうして、1人と1匹の生活が始まった。
◆◆◆◆◆
『ーーーねぇ』
半年前と変わらずにうずくまるローブの頭に向かって、声を掛ける。
「・・・・・・」
一声で返事をもらえた試しはなく、たっぷり60秒数えてから大きく息を吸った。
『この、魔法オタクッ!!!』
ビクッ!
棚に並ぶ瓶を揺らすほどの大声に、ローブの人物も跳ねた。
「・・・な、なに?」
『お腹、空いたんだけど』
私の言葉にローブの人物は急いで立ち上がると、慣れた様に私を抱きしめた。
ここにお世話になってから、早150年。食事はもっぱら魔力で、月に1度こうして魔力をもらう。ただ放っておくと1年くらい動かないものだから、こちらが食いっぱぐれてしまう。なので、魔力を結晶化させた魔石を半年分もらっておくのだが、今回はそれさえも切らせてしまった。まったく、半年もよく動かずにいられるものだ。本人曰く、身体は動かさなくとも思考し続けているとかなんとか・・・難しい話はすぐに聞き流してしまうので、分からない。魔力の貰い方は、私の心臓の辺りに手のひらで触れるだけ。ただ、どうせなら抱っこして撫でさせようと思って、それを教え込ませた。150年もやっていると慣れたもので、私の気持ちいいところをちょうどいい塩梅で撫でてくれる。思わず喉を鳴らしてしまうが、これは生理現象ですから!
そう言えば、150年間魔力しか食べてこなかった私は、魔法が使える様になっていた。コップ一杯の水を出したり、そよ風を吹かせたり、暖炉に火を入れるくらいの簡単なのしかできないけどね。それに、この家は魔法オタクのおかげで守られてるから、魔法を使う事なんてほとんどない。長期間魔力を食べた事によって魔法を習得した例があまりないとかで、たまに実験に付き合わされてる。変な事されそうになったら逃げてるから、今のところ無事。そうそう、寿命も延びたみたいで身体は2年くらいで成長が止まってしまった。
とにかく、私はこれ以上ないってくらい怠惰な日常を過ごしていた。やがて、ローブの人物が抱っこしていた私を床に下ろした。
『ありがとう』
私の言葉に、ローブの人物は嬉しそうに頷いた。私のしっぽが大きく揺れていたのは、ここだけの秘密。
◆◆◆◆◆
ある天気の良い、日向ぼっこ日和の日に訪問者があった。もちろんローブの人物宛てに。ノックの音がして、もちろんローブの人物は気付かないから、対応してなかった。私も動く気はなかった。しばらくすると、訪問者は勝手に玄関の扉を開けて中に入ってきた。私は扉の閉まる音にビックリして身体を起こし、椅子の影に隠れた。
(ここの玄関、鍵閉めてなかったの?)
人の足音は間取りを把握しているようで、迷わずにローブの人物の部屋に向かっていった。私は迷ったが、その後を追うことにした。私では何もできないが、もしローブの人物に何かあったら、私の怠惰な日常が奪われてしまう。
訪問者は男性のようで、ツヤのある花紫の髪がふわふわと首元で揺れている。すらっとして歩く姿勢が良く、白で所々に金の装飾が入ったマントを着ていた。
訪問者は部屋に入るなり、指を鳴らしてローブの人物の意識をこちらに向けたようだ。
「ベールーズ。姉様の薬はできたか」
「・・・ぁ、・・・あぁ・・・」
「そうか。では、これが代金だ」
「・・・うん」
「助かった」
ローブの人物が小瓶を訪問者に渡すと、訪問者はもう用は無いとばかりに踵を返して玄関に向かって歩いて行った。途中、こちらにふと視線を向けたようだったが、視線はすぐに逸らされた。だが、その美麗な顔はしっかりと目に焼き付けられた。小さな顔の中に完璧なバランスで並んだ金目と鼻、薄い唇は私でさえゾクっとするような色気があった。あまりにも完璧な容貌は、恐怖を感じさせるようだ。知らず、しっぽが身体に寄り添っていた。
訪問者が去ってから、ローブの人物の部屋に足を踏み入れると、部屋もいつも通りで本当に薬を受け取りにきただけのようだ。
『ねぇ、大丈夫?』
「大丈夫。・・・・・・ごめん・・・ビックリ、させた?」
『まぁ・・・人が来たの、初めてだったから』
「・・・さっきのは、・・・・・・僕の弟子の、弟で・・・・・・」
そう言うローブの人物は、どこか元気がなさそうで、悲しそうだった。
「僕の、弟子が・・・・・・病気で・・・、たまに、薬を、渡しているんだ・・・」
『ふーん』
私はローブの人物の足元に行くと、身体をすり寄せた。
『・・・撫でていいよ?』
ローブの人物は私を見つめて、ふっと笑った、ように見えた。
「・・・ありがとう」
ローブの人物は私を抱き上げ、優しく抱き締めてきた。それ、撫でてないわよ、なんて空気の読めない私ではないから、黙って抱かれておく。ふと見えたローブの人物の頬に、頭を優しくグリグリする。これくらいは、許されるだろう。
◆◆◆◆◆
またしばらくして。暑い日だったので、魔法で雪の結晶を作って遊んでいると、玄関の扉が壊れるかってくらいに派手に開いた。ノックも何もない。
「あら、またやっちゃった・・・お師匠様ー。騒がしくして、申し訳ございませんー。お邪魔しますねー?」
私はまたビックリして、急いで椅子の影に隠れた。さすがに今回は音が大きいだけに、ローブの人物も部屋を飛び出してきた。
「・・・フー?!」
「あら、お師匠様。お久しぶりです。お元気でしたか?」
「・・・きみ・・・こんな所まで、どうして・・・?・・・それに、カーミル、は?」
「カーミルから、お師匠様が猫様を飼っていたと聞きまして。一番弟子である私としては、ぜひ猫様にご挨拶しなければと思いまして・・・。カーミルは私を外に出してくれないので、内緒で来ました♪」
「・・・・・・」
聞こえた内容から、どうやら私に用があるようだ。私はゆっくりと玄関に向かった。
玄関の扉が変に湾曲しているが、そこにはふくよかな女性とローブの人物がいた。近付いてきた私に初めに気付いたのは女性の方で、私を見て瞳を輝かせた。
「まぁ!あなた様が、件の猫様ですね。なんて可愛らしいのでしょう」
私の目の前までやってくると、しゃがみこんで私に微笑んだ。淡い金髪が顔の横で一つに編み込まれ、ローブの人物と同じ夜空のような瞳が印象的だ。微笑んだ顔は、優しそうな女性である。
「私は、フーリーヤと申します。お名前をお伺いしても、よろしいでしょうか?」
ちらっとローブの人物を見ると、固まってしまっている。私は当てにならないな、とフーリーヤに向き直った。
『私、名前ないの』
私の返答に、フーリーヤも固まった。私にこの状況をどうしろと・・・そう思った時、どこからか低い声が聞こえてきた。心持ち、空気もピリピリするような・・・
「・・・姉様、なぜこちらに?」
「ひっ!カーミル!」
どうやら、この前来た男の様だ。錯覚か、稲光のような光の筋が、男の周りを走っている。
「・・・ご説明を」
「あっ、あのね・・・猫様に会いたくて・・・っ!」
フーリーヤの言葉に、カーミルは側の壁を殴り付けた。
「それなら私に言ってくだされば、猫様を連れて行きますのに・・・帰りましょう、姉様」
「そそそ、そうね。・・・では猫様、また今度私の家にご招待いたしますねっ。それからお師匠様、猫様にお名前を付けなきゃダメですよ!それでは、失礼いたします」
フーリーヤは立て直した様で、優雅にお辞儀をして去って行った。固まったままのローブの人物と、私を残して。
◆◆◆◆◆
「・・・あの・・・」
両手を組み親指をグルグルしているローブの人物を見上げ、言葉の続きを促す。
「・・・・・・今まで、考えて、なかったわけじゃ・・・・・・」
『あなたの好きな様に付けて』
名前である。
「・・・じゃあ、えと、あの・・・・・・ライラ・・・」
『ライラ、ね』
「・・・いいの?」
『名前なんて、そんな気にしないから』
「・・・そっか・・・」
どこか寂しそうにポツリと呟いた言葉に、私は踵を返して暖炉の部屋に向かおうとした。その後ろ姿に、ローブの人物の声が追いすがる。
「・・・ぼ、僕は・・・ベールーズ・・・」
『知ってる』
◆◆◆◆◆
嵐の日だった。
あれから、フーリーヤもカーミルも来ることはなく。穏やかに惰性を貪っていた私に、突然雷が落ちた。そう思うくらいの雷の轟音に、急いで椅子の影に隠れる。
それからバタバタと2人分の足音がして、家の中が静かになった。私はソロっと部屋を抜け出し、ベールーズの部屋に向かう。珍しい事に、扉は全開で、誰も居なかった。
『・・・ベールーズ?』
問いかけに答える声はない。どうやらこの嵐の中、出て行ったようだ。なんだか、嫌な予感がした。
◆◆◆◆◆
20日くらい経って、ベールーズは帰ってきた。ローブはボロボロで、顔もボロボロだった。
『・・・おかえり』
出迎えた私を見て、ベールーズは驚いたようだった。
「・・・ぁあ・・・・・・、ごめん。・・・・・・ライラの事・・・忘れてた・・・・・・」
忘れてたですって?!って怒る気も起きないくらい、ベールーズはボロボロだった。
『・・・撫でる?』
暗い顔はそのままだった。
「・・・いい・・・・・・また、今度・・・」
ベールーズはそれから部屋に籠って、1年出て来なかった。
◆◆◆◆◆
最後に見た顔が、あまりにも衝撃的で言えなかった。まるで、すべて無くして、もう生きてる意味がないって顔。撫でるって聞いて、撫でなかった事なんてなかったし。私もショックを受けていたのかも。意地になってたのかな。私がいる。フーリーヤがいなくても、私がいるよ・・・って。
だから、気付いたらもう半年魔力をもらってなくて、魔石もとっくになくなってた。私の中に溜まってた魔力のおかげか、それでも長く生きられた方だと思う。ベールーズから離れて生きようかとも思ったけど、150年以上魔力しか食べてなかった私の身体は、普通の食事を受け付けなかった。
扉を開けて、呼び掛けた事もあったけど・・・私の声も聞こえなくなったみたい。ベールーズはずっと座り込んだまま。頭にも肩にも、ほこりをかぶってる。私はここ1ヶ月くらい、ずっとベールーズの膝の上で丸まって最期の時を待っていた。
私の身体が光の粒になって、ポロポロ崩れ始めた。
あの雪の日から、今日まで長生きしてきたな。
あの時と同じように、終わりを迎えようとしてるけど、今は違う。
大好きな人の側で逝けるんだ。
寒くないし。寂しくない。
最期に、名前ーーー呼んで欲しかったな。
いつか、思考の奥底から、ーー目覚めたらーーー
「ライラっ!!」
どうか、幸せにーーー
はらはらと落ちる白い雪を、手のひらで受け止める。雪に触れた手は、冷たくなった。すらりと伸びた足の裏も、小さな鼻の先も、冷たい。
「人間って、こんな寒いんだーーー」
呟く声と共に、白い息がふわっと出た。
死んだと思ったのに、気付いたら人間になっていて。ベールーズの家で倒れてた。ベールーズはいなくて、身体はベールーズの魔力で満たされていた。
きっと、ベールーズが助けてくれたんだ。
今度は、私から一歩踏み出そう。100年、ベールーズを待った。でも、帰って来なかった。だから、探しに行った。世界中を旅して、ベールーズを探した。ベールーズは星屑の大魔法使いとして有名だったけど・・・それは2000年以上前の話で、残っているのは嘘みたいな伝承だけ。それでも決して、もうこの世のどこにもいないなんて、考えなかった。ベールーズはいる。だって、まだこんなに魔力を感じる。
世界中を旅してベールーズを見つけられなかった私は、家に戻ってきた。結界で守られていた家は、旅立った時のままだった。そこで、ベールーズとの思い出を振り返るように過ごした。
私もいつか、また最期の時を迎えるだろう。それまで、どうか穏やかに。ベールーズの残したものに囲まれて・・・
「ライラ」
私を呼ぶ声がする。
それは、夢が見せた幻か。
「まだ、こんな所にいたんだね。どうして出て行かなかったの?」
『だって、あなたはまだいるもの』
「ライラ・・・僕は、もういない。わかってるだろう?」
『いいえ。あなたの魔力を感じる』
「それは、僕が最後に渡したものだよ。ライラを消滅させない為に」
『それでも、私はあなたを感じるの。ベールーズ』
気持ちの良い日で、外にリクライニングチェアを出して日向ぼっこをしていた。気付いたら、寝ていたらしい。呼ぶ声に意識が浮上したが、段々と意識がハッキリしてきた。
「ベールーズの僕は、もういないよ。ライラ」
そう言って、手を優しく掴まれた。私の閉じた瞼から、すーっと涙がこぼれ落ちる。
「じゃあ、今のあなたの名前は?」
「ルトゥフ」
「ルトゥフ・・・もう一度、名前を呼んで」
開いた瞳は、夜空のような瞳で。
こちらを見つめる瞳と、同じ。
「・・・ライラ」
「ルトゥフ・・・」
背はだいぶ小さくなって、闇色の髪は明るいグレーになっていた。それに言葉も流暢になっている。優しく見つめる夜空の瞳には、私と似た色があって嬉しくなった。
「あなたに、ずっと言いたかった事があるの」
「奇遇だね。僕もだよ」