第一章 1話 少年の右手
この世界は目まぐるしく変化する。しかし変わらないものも当然あった。
それは深く深く、どこまでも深く根を下ろす問題。
そしてまた、人も変われないのだ。
「――おい、"ゼロテン"! ボサボサしてんじゃねえよっ!!」
「あぐっ」
河川敷を歩いている六人の小学生の一人、周りより背が一際大きい坊主デブは、背後で六つのランドセルを全て背負っている一人に小石を投げた。
哀れな少年は避けることもできず、額に傷ができる。
――佐々木 天涼12歳。
サラサラの髪に小柄で、可愛らしい顔立ち。頭も悪くはなく、とても優しい性格だ。
そんな彼の両親は既に他界しており、父母両方の祖父祖母、合計四人から大切に育てられている。
だから食の心配も、金の心配も、家の心配も無い。しかし、この少年には重要なものが欠けていた。
半透明の紋章が刻まれている右手の甲で、ゆっくりと垂れてくる手を拭う。
「相変わらずお前の核痣は雑魚のままだな! ははははっ!!」
「ううっ……」
――核痣。
大昔から存在していたとされる、未だ謎多き現象。
そして、人間が生まれた瞬間から刻まれている数字型の痣。それは必ず整数であり、最低でも1以上の値でもある。
世界各国の様々な学者達の一説では、神から与えられた贈与。または人類の進化の結果。
しかし、それら錯綜する情報の中でもはっきりと判明しているものがあった。
核痣は、人々に"力"を与えるということだ。
詳しくはというと、核痣の値が大きくなる程に強力な異能力を行使できるのだ。
故にそれは世界で起きている戦争、抗争、紛争内にも使用されている。
勿論、そんな物騒な事だけに使われることはなく、工事や救助など、人を助ける分野や生活の質を上げる為にも使用されている。
――しかし、一部の人間は己の欲望の為に自由行使する。このイジメっ子達がそうだ。
坊主デブは自身の掌をいきなりテンリョウに向けると――、
「くらえ! 跳火!!」
「うわぁっ!?」
そこから真っ赤な火が、地面をボヨンボヨンと跳ねながらこちらに向かってくる。
当然、テンリョウには当たらない。狙っていないからだ。
もし当たりでもしたら燃えてしまう。自分達のランドセルが。
哀れな少年は、されど尻餅をつく。それを見ながら六人は心の底から笑う。
何故やり返さないのか。それは、たった一つのシンプルな理由だった。
「悔しかったらやり返してみろよ! ――まぁ、"出来たら"の話だけどなぁ!?」
「ぅ、うぅ……」
哀れな少年、その右手の甲には"0"が刻まれていた。加えて、一般人の核痣には色が付いているのだが、それが無い。しかも、自動的に与えられる筈の能力が使用できる兆しは全く見えない。
ゼロを示す核痣。能力は使うことができない。ゼロの天涼。
故に、あだ名が ゼロテン 。
いじめている側も、その学校では有名な悪ガキということもあり、教師は手が出せない。色々と本当に運が悪い。悪すぎるのだ。ただ普通に生きていただけなのだが。
暗く俯きながら歩いている途中、ふと、自身の核痣が浅く光った気がした。
「……?」
「おい! 何やってんだカス!! 早く来ぉい!!」
急に止まって手の甲を見出した少年に対し、坊主デブは遠くから叫ぶ。
それに呼応して、雑魚チビ五人も やいややいや と囃し立てる。
哀れな少年は首をもたげ、歩いていった瞬間――、
――爆発。
目の前から、先程撃たれた小火と比べものにならないぐらいの圧倒的な熱量と、肌が痛む程の暴風が少年達を襲った。
視界は高速で縦横に回り続け、自分の位置が今は高いのか低いのか分からぬまま、教科書が散らばっていく。
そして、魚が跳ねる様な音が近づいてきて。
少年の意識はそこで途切れた。
○○○○○
揺蕩う。その中で夢を見た。暗く暗く、どこか切ない様な。
聞こえるのは声のみ。響く。
『――この子は、私が育てます』
『何故この様な事に……! 本当に殺さねばならぬのか、この子を』
『天涼は貴様には渡さないっ! くたばれ! ――天魔狼牙ぁっ!』
『いつか、君を拐いに来るからねぇ?』
「……生き、ろ。天、りょ、う」
暗闇の中、怪物がこちらに手を伸ばす。
「――うわぁっ!?」
絶叫しながら飛び上がる。
それと同時に、白い掛け布団が清潔な床にはらりと落ちる。
見慣れない景色。消毒液の臭いが薄く広がっている部屋の中。
周りには、くたばってるのか寝ているのか分からない人間達がベッドの上に設置されていた。
テンリョウは下を見ると、自分も彼等と同じく設置されていた事に気付いた。
「ここは……病院?」
訳が分からない。頭と心の中がグチャグチャになり始めたテンリョウは半ベソをかく。
12歳。仕方がないだろう。泣き叫ばない時点で褒められても別におかしくはない。
そんな中、部屋に若い女性の看護師が入ってきた。
先程、テンリョウが大声を出したからであろうか。もしそうだとしたら申し訳ないが。
「目が覚めたんですね」
「あ、はい! ありがとうございます!」
看護師は優しく微笑む。
別に騒音問題を注意する為にここに来た訳ではない様だ。ほっと胸を下ろすテンリョウ。
しかし、本当に何故ここに運ばれたのか。記憶があやふやだ。
途中、悪夢に近い変な夢を見たが、その内容は既にテンリョウの頭の中には無い。何か恐ろしいものを見たという事実だけは、やんわりと憶えているのだが。
テンリョウが夢の内容と自信に何があったのかを思い出している間にも、看護師は着々と準備をしていた。
採血か、自身の額についているガーゼを変えに来たのか。
「……ガーゼ?」
テンリョウは自身の額を触る。
ザラザラとした布。特に変わっている点は無い。普通のガーゼだ。いや、そこではない。
自分は怪我をしていたのだ。そうだ。この傷は小石を投げられて――、
「――っ」
今、全てを思い出し青ざめる。
目の前で爆発が起こり、そして巻き込まれた一部始終を。
急に顔色が悪くなった哀れな少年を見て、看護師は宥める様に語る。
「大丈夫、君の体には何も無かったわ。ランドセルがクッション代わりになったし、運良く底が深い川に落ちてくれたしね」
「そ、そうなんですか……」
やっぱ運が良いかもしれない。絶対使い果たしたけど。
まぁ何より五体満足、完全無事なら安心だ。
テンリョウは、本日二回目の胸撫で下ろしをした。
看護師は金属が擦れる音を出しながら、ずっと準備している。
人間、自分についての心配事が解決されると必ず相手の事を思い出すものだ。
テンリョウもその一人であり、はっとした表情で"他人"の安否を相手に尋ねる。
「あ、あの! ほか……あの場に居た人達は無事なんですか?」
「君は無事だよ」
「いや、あの……僕じゃなくて――」
「――殺したわ」
看護師は正気が感じ取れない目を、テンリョウに向けた。
思考と身が固まっていく感覚。足の先からビリビリと緊張が伝わり、全身に染み渡っていく感覚。
今まで沢山浴びてきた悪意と根本的に違う。あのいじめは表面的なものだと錯覚するぐらいに。
テンリョウは口をパクパクと開けながら、後ろにずり下がる。
声が出せない。出せば救われる。そんな事分かりきっている筈なのに。
「あ……あ……あ……」
最後の望みを託すかの様に、この部屋に居る人間に目線で訴えかける。
全員動かない。ピクリとも。男女も、老若も、誰も動かない。
寝ている、のか。いや違う。これは――、
「みんな死、しんでっ、ぁ ぁ あ」
皆、目を見開いていた。
何故気付かなかったのか。馬鹿な自分を呪い殺したくなる。
しかし冗談じゃない。殺されたくない。死にたくない。
女は手に小さな注射器を一本持ったまま、こちらに近づいてくる。
その注射器の中身は無い。空だ。
だからこそ、何をされるのかが不明であり、それは哀れな少年を恐怖の底に叩き込む。
「あ、あ、あ」
ずり下がり、ずり下がり、ずり下がり。
壁に背が付く。
「やっと、殺せる。――これでッ!! アイツに復讐できるッ!!」
――女は注射器を逆手に持ち、少年に振り下ろした。
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