プロローグ 『ゼロの右手』
「――貴方は故にそこに立つのです」
「クソ……がっ」
崩れた大教会、大小の瓦礫と折れた柱が散らばる部屋の中。月光が輝く。
赤と白で構成された、悍ましさを感じさせる修道服に身を包んだ少女は呟いた。幼気な微笑みを浮かべながら。
その言葉に悪態をつくのは金髪でオールバックの青年。ボロボロになった特攻服を羽織っており、傷と血が全身を覆っている。
一般人は既に立てないダメージを受けており膝をついているが、それでも目だけは死んでいない。
目の前に立つ一人と"一匹"を睨む。
「あらあら、それでは豪快さだけで嫋嫋たる日々は無駄になりますよ」
「チッ! 訳、分かんねぇこと……言ってんじゃねえぞっ! ――人虎!!」
息を整え、叫ぶ青年の胸の中央。大きな"5"の数字が赤く光る。まるで 人虎 という単語に反応したかのように。
それに従い、全身が厚くて硬い毛に覆われていく。
「グ、アァアァアアアアアァアっっ!!」
咆哮をあげた時には既に、身長が五メートルを超えた、人と虎のキメラの様な姿に変化していた。
少女は、自分に殺気をぶつけてくる相手に余裕を見せながら気味悪く微笑む。
彼女に対応できる力はあるのか。そのか細い首を飛ばされぬような知恵はあるのか。
何一つ不明なまま、人虎は相手に向かって暴力的に飛び跳ねた。
「――締め殺す揺り籠」
少女は囁いた。
たった、たったそれだけで人虎は軽々と後方に叩き飛ばされた。
石壁に罅を入れながら、ずり落ちる。
月光の下。少女はその一部始終を優雅に見ながら、ゆっくりと手を横に広げる。
修道服が揺らめき、両目は深い青色に輝いた。
「誰か、来訪してくれたら昌運ですね」
「――――」
青年は口から、ごぶっと音を立てながら吐血した。
先程あった殺気は見る影もなく萎み、消散する。加えて左目が、潰れており。
「貴方みたいに、草花の優雅さと儚さがある人は好きですよ。いつでも、如何なる時でも簡単に踏みにじることが出来ますから」
残酷。狂気。この単語だけでは表現できない闇を浮かべて嗤う。
どうしようもなく、どうしようもなく深淵の中に。
「絶対に、勝てませんよ。――だって、この子が憑いてますから」
少女は上を向く。
その目線の先。一匹は青年の内臓と骨が細かく転がっている地面に、手と膝をついた。
そして、自重だけで石造りの地面を軋ませるソレは、――目を閉じた巨大な赤子。月光を簡単に遮る。
しかし、人間の赤子特有の愛想とは程遠い、化け物だ。
陶器と肉の中間に思える質感の肌、翡翠色のクレーンと融合した頭。
そのクレーンの網状の部分には、丁寧に一つずつ太い縄を首に巻かれた、大量の死体が吊られていた。
「人間の、努力と愛には何人たりとも勝てないのです。どの、物語でもそうだったでしょう? 貴方の母親から、よく読み聞かされた筈です」
聞く相手も居ないのに意味もなく話す。単に自己を満足させる為だけに。
青年の息を完全に止める為。赤子は右手を上げ、上から叩き潰そうとしたその時――、
「――させねぇよっ!!」
青年の真横。脆くなった壁を蹴り飛ばしながら突撃してきた少年は、そのままのスピードで彼の目の前に滑り込む。
そして立ち上がりながら、その圧倒的質量を右手で殴るだけで止めた。
同時に白光、轟音、吹き荒れる風。
赤子は跳び下がる。
――その手の甲には白く光る "0" の紋章。
「……来訪者? 小さい、子供ですね」
「お前を倒す! ――絶対に許さない!!」
重体の青年を一瞥した後、怒りを滲ませる様に拳を握りしめた少年。
それを不思議そうに見つめる目は、青く、瞳孔の中に刻まれている 11 の数字と共に光っていた。
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