翼獣
「で……、でかい……」
卵の大きさからも巨大な生物だろうと想像できたが、実際の姿は想像以上の迫力を感じさせた。誕生したばかりだが、それはひ弱な赤ちゃんとか子どもなどではないようだった。力強い筋肉のつきかた、しっかりと安定感のあるその姿は、成熟した状態で誕生したとしか思えなかった。
――ありえない……。怪獣……?
全身白い豊かな毛で覆われ、くちばしがあり、猛禽類のような顔、巨大な翼を有するが、たくましい肉食獣のような胴体と四肢があった。
「翼の生えた獣……! あっ! あの金貨の裏側に描かれていた動物……!」
「そうです」
それは、首から上と翼の印象は鷲、胴体と四肢はライオン、尾は狼、といったような外見をしていた。
「大地さん。あなたの手がなければこの子は生まれませんでした。本当に、ありがとうございます」
「えっ? なにそれ! 俺はちょっとだけ卵に触っただけだよ!? それに、すでに生きてたし自然にもうすぐ生まれそうだったじゃないか」
「いいえ。あなたのエネルギーが触れなければ、永遠にこの子は卵のままです。誕生のためには、あなたとの接触が不可欠だったのです」
「そんなばかな!」
イオは愛しげに巨大な翼獣のくちばしを撫でた。翼獣も、嬉しそうにイオに顔を寄せる。その怪物は、恐ろしい外見とは裏腹に、とても優しい穏やかな目をしていた。
「大地さん。この子に素敵な名前をつけてあげてください」
「えっ?」
「名前をつけるということは、大変大きな意味を持ちます。それは、運命を紐付けする重要なものです」
「そんな! 俺が名付けるって!?」
――俺が思いつくのは、せいぜいポチとかタマとかピーちゃんとか……。
大地は、自分のネーミングのセンスのなさに呆れてしまった。
「……そんな大事なことなら、今思いついたものなんでもいいってわけじゃないんだろう?」
「大地さんが真剣に考えてくださった名前なら大丈夫です」
「でも、俺センスないし……」
謎の生物は、金色の瞳でまっすぐ大地を見つめた。なんとなく大地はちょっと居心地が悪くなる。
「そんな期待をこめた目で見つめないでくれよ」
困惑しながらも大地は、こいつ、案外かわいいかも、と思いはじめていた。
――『早くぼくに名前をつけて』、なんだかそう言ってるみたいだ。
「……そうだなあ。俺が『大地』だから……。空……。ソラっていうのはどうだろう?」
ちょっと安直かな、と思いながらも翼を有するこの生物にはぴったりな名前のような気がした。うかがうようにイオを見ると、イオは明るく顔を輝かせていた。
「とても素敵ですね! ソラ、あなたの名は、ソラよ!」
クエーッ。
満足そうにソラは天に向かって声をあげた。
「こいつは話してることがすっかりわかるみたいだな」
かなり知能の高い生物なのかもしれない、大地はソラの様子に感心していた。
「ええ。私たちの言葉、意思を感じ取ることができます」
「すごいなあ。ソラは賢いんだな」
自分が名付けたこともあり、大地はソラに親しみを覚えていた。
「ソラ。私たちを連れて行って」
そうイオが話しかけると、ソラはすぐに前足を曲げ、低い姿勢をとった。
「えっ? 今度はどこに行くんだ? しかもソラに連れて行ってもらうって……」
大地が言い終わらないうちに、イオはスカートをふわりとなびかせソラによじ登り、その背にまたがった。
「大地さんも乗ってください」
「えっ!?」
「大丈夫です。ソラが私たちを運んでくれます」
「ソラの背に乗るの!?」
「ソラの首の辺りをしっかりつかんでいれば大丈夫ですよ」
おそるおそる大地もソラの背に乗る。イオの前に座り、ソラの首にしがみつく格好になった。イオは後ろから抱きつくように大地の体に腕をまわし、ぴったりとくっついた。
――え。
大地は思わず顔を赤くする。大の大人の男である自分が、少年のように緊張し、すっかり意識してしまっている――だけど、後ろにいるイオにはわからないだろう――そう思うとちょっとだけほっとした。
ソラが巨大な翼を広げる。
――え。まさか、俺たちを乗せたまま空を飛ぶってこと!?
バサッ!
ゾウほどの大きさのソラが、力強く羽ばたき、地面を蹴り勢いよく飛び立った。
「うわあああ! 飛んでる! ほんとに飛んでる!」
先ほどまで見上げていた木々の緑が眼下へと変わり、ぐんぐん地面は遠ざかる。大地はしっかりとソラの首にしがみついていた。ふわふわとした白いソラのたてがみは、お日様のにおいがした。冷たい風が大地の全身を勢いよく通り過ぎていく。背中にはイオのやわらかな体のぬくもりを感じていたが、大地はその点についてはあまり意識しないように努めていた。
――ソラは、どこに行けばいいのかわかってるみたいだ。迷いもなく飛んでいる。
森が、川が、小さく見える。よく見れば、緑の間に家や人工的な建造物も点在している。
――イオやアルデバランだけでなく、他にも大勢の人々が暮らしているんだ。
当たり前のことだろうが、なんとなく意外な気がした。不思議なこの世界にも、地に足をつけた生活があるのだ。
――他の人が俺たちを見たらびっくりするのかな。それとも、こうして空を飛んでいるのは、ここの人たちにとってはごく普通の光景なんだろうか。
豊かな緑の平野を過ぎると、ごつごつとした岩場が多くなり、ほどなく海が見えてきた。グランブルーの海は、日の光を浴び穏やかな輝きを放っている。白い帆を張った船もいくつか見受けられた。
――本当に、ここはなんていいところなんだろう。とてもきれいだな――
大地は、海を見るのも久しぶりだった。磯の香りが胸いっぱいに広がる。全身に海を感じる。広大な海の上を飛んで渡っていくなんて、数時間前の大地には想像もできない体験だった。
――気持ちいい。鳥は、いつもこんな気分なのかな。
ソラは大地とイオを乗せ、青空の中を駆けていく。
――ああ。心がどんどん解放されていく――
大地は、まるで心の中が青一色に染まっていくような清々しさを感じていた。どうしてここにいるのか、どこに行こうとしているのか、それから、仕事のこと、日常の生活のこと、過去のこと未来のこと、さまざまな疑問や思いは大地の頭からすっかり消え去っていた。ただ、そこにあるのは自然の中に溶け込むひとつの生物としての体の感覚だけだった。
そのとき、ポケットの中で、アルデバランより渡された小さなハートの石が密かに熱を帯びていたことに、大地は気付いていなかった。