卵
「イオ。結局俺、なんの説明もされてないんだけど……」
「ああ! 本当! そうですね!」
「そうですね、って!」
――いったいなんのためにアルデバランに会いに行ったのやら……。
大地は苦笑しながら、ポケットに手を入れる。先ほどアルデバランより手渡された、ハート形をした石が手に触れた。これになんの意味があるのだろう、と大地は考える。お守りのようなものなのだろうか――お守り、と考えると、なんだか少し心強いような気がした。
「それに、これからいったいどこに向かおうとしてるんだ?」
イオは早足で歩いていく。道はなだらかな傾斜を描き、小さな丘へとつながっていた。道の両脇には白樺のような木々が立ち並ぶ。
「これから、大切な出会いがあります」
「出会い?」
「ええ。きっと、素敵な子です」
「え? 『きっと』? イオも初対面の人に会いに行くってこと?」
「人ではないですけど」
「え? なにに会いに行くっていうんだ?」
みずみずしい緑の葉が生み出す新鮮な空気は心地よく、上り坂でも歩くのはまったく苦にならなかった。
イオは丈の長いスカート姿だったが、ペースを落とさず砂利道を登っていく。
――まるで羽根が生えているみたいに軽やかに歩いてるなあ。
大地は木漏れ日の中、きらきらと揺れる金の巻き髪を見つめ、やっぱり、この子は天使なのかもしれない、そんな考えがふと浮かぶ。
「大丈夫。すぐに会えますよ」
イオの声は明るく弾んでいるようだが、いくぶん緊張していることが大地にも伝わった。
――なんだろう? 大切な出会いって……。
わけもわからずアルデバランの屋敷や小さな丘と、イオに案内されるがまま歩いてきたわけだが、大地は不思議と心が落ち着いていた。そして、この奇妙な冒険がしだいに心地よくなっていた。明るい陽光に満ちた美しい風景と温暖な気候が、気ままな旅のような安らぐ気分にさせるのかもしれない、と大地は思った。
――旅。そういえばずっと旅行とかしてなかったなあ。
仕事中心の毎日。こんなに自然の中を歩くのは大地にとって久しぶりだった。
急に、辺りが開けた。丘の頂上に着いたのだった。
「うわっ! すごいな!」
平らな頂上には、丈の低い草むらが広がっていた。その中心に、巨大なまっ白の卵のような物体があった。細いほうをまっすぐ天に向けた形で安定して立っている。近づいてみると、それは六メートルくらいの高さがあった。
「これは……卵?」
圧倒されるような存在感。大地は思わず息をのんだ。
「ええ。卵です」
「生き物の?」
「正確にいうと、普通の動物というわけではありませんが……、生き物、といっていいでしょうね」
「ん? それってどういうこと?」
「大地さん。触ってみてください」
「卵に?」
「はい。お願いします」
おそるおそる、大地は巨大な卵の表面に触れてみた。表面は少しざらついていて、人工物ではない自然のもの、という感触がした。
「……あたたかい」
手のひらに、命の脈動――確かな鼓動が伝わってきた。
――本当に生きてるんだ。でも、これは……、いったいなんの卵なんだ……?
大地は少し恐ろしくなった。巨大な、生き物の卵。大地は畏敬の念を抱いていた。
ピキ。
かすかな音がした。
「えっ!?」
ピキピキピキピキ。
「ええっ!? この音! もしかして、う、生まれんの!?」
「はい」
イオは笑顔で答える。その微笑みは、あたたかく美しく――母のような慈愛に満ちていた。
バキッ!
ひときわ大きな音の後、ひび割れた裂け目から何かが見えた。鳥類のくちばしのようだった。
「うわっ! 生まれたっ!」
大地は手を離し、思わず後ずさる。謎の生物は一刻も早く外界に出ようとさらに動きを激しくした。
「なに!? 鳥!? 鳥の卵だったのか!?」
トリ、と思った瞬間、大地はとっさに「チキン南蛮」を思い浮かべていた。こんなに大きなトリだったら、いったい何人前のチキン南蛮が作れるだろう、いやたぶん、ニワトリではないだろうから「チキン南蛮」とは呼べないか――まったくその場にそぐわないそんな想像をしてしまった自分に、大地は一人失笑してしまった。人間は、あまりにも常識を超えた不可思議なものに出会うと、即座にまったく関係ないのんきなことを思い浮かべて心の均衡を図ろうとするものなのかもしれない。
「大丈夫。怖くありませんからね。この子は、私たちの味方です」
「み、味方?」
バリバリバリッ!
かぶりを振りながら、ついに謎の生物が卵の殻から頭を出し、ほどなくその全身を現した。
「なっ! なんだこれは!?」
クアーッ!
天に向かって、大きく吠えた巨大な怪物――生まれたばかりでまだ濡れた姿だが、トリではないことは大地にもわかった。