二つの世界
大きな窓からは深緑の庭園が見渡せ、広い部屋の隅まで明るい陽光に満たされている。
部屋の中央には白いクロスのかかった大きなテーブルと美しい装飾の椅子がいくつか置かれていた。部屋の調度品はどれも上品な美しさだったが、とりわけ印象的だったのは部屋の隅に飾られている六角柱のアメジストのような石。大きさは二十センチくらいだが、紫色の神秘的な輝きが目を引く。
「お茶をご用意いたしますね」
イオはそう言って部屋を後にし、大地と大魔女アルデバランは二人きりでテーブルにつく。
――って、二人きりにされても……。
ただでさえ見知らぬ美女と二人きりになったら緊張するというのに、相手が「魔女」だなんて――魔女!? ほうきにまたがって闇夜を飛び回るというあの魔女!? そんなものを相手にいったい俺はどうしたらいいんだ――大地はおおいに困惑していた。
「本当は、もう寝ている時間でしょ?」
唐突に大地に話しかけるアルデバラン。
「えっ!?」
アルデバランの口元には微笑みが浮かんでいるが、その眼差しは射抜くような鋭さがあった。大地という人間の、本人も自覚していない深い部分をあまさず掴み取ろうとするような鋭い目だった。
――まるで、凄腕の面接官みたいだ。もしかしてこれは「魔法使いの面接」なのか?
大地が委縮しているのを察してか、アルデバランはふっと表情を緩めた。
「あなたの住む世界では今頃夜中よね」
「あ……!」
――そういえばそうだった。眠気を感じなかったのですっかり忘れていた。
「ここで眠っても構わないわよ。身の安全は保障しないけど」
「ええっ!?」
アルデバランのエキゾチックな黒い瞳が妖しく輝く。
「食べちゃおうか」
「な、な、な、なにをっ!? ですかっ!?」
「ふふふ。冗談よ」
不敵な笑みを浮かべるアルデバラン。艶やかな赤い唇。男を惑わす涼やかな流し目は、本当に冗談なのかどうかよくわからない。また、「食べちゃおうか」が単に食事の意味なのか、それとも大地を食事として食べてしまう意味なのか、はたまた情欲のほうなのか――ちょっと判別しがたい笑顔だった。
――怖くないって言ってたのに、超怖えーよ! この人!
大地は心の中で、イオの嘘つきー! と叫んでいた。
外見は、大地のまさに理想のタイプの美女だった。端正な顔立ちは他者に媚びる様子を微塵も感じさせず、内面のぶれない芯の強さを物語っているかのようだ。漆黒のドレスは身体に合うよう仕立てられ、女性らしい滑らかな曲線を優雅に描き出している。耳や首元にはダイヤモンドのような宝石が七色の光を放っているが、アルデバランはそれらの宝石に遜色ない美しさと風格があった。
――でも、
大地は思う。
――イオのほうが、かわいくて素敵だ。
大地は、春の野の花のようなイオの笑顔を思い浮かべる。
――あれ? なんでイオと比べてるんだ?
イオの笑顔を思い浮かべたとき、あたたかな光が一瞬心に灯ったようだった。
――あれ? どうして――
意外な自分の心の動きに大地は動揺する。
――どうして、今――
青い空と、金色の輝く髪の少女が、大地の心の中にあった。
「……ここの時間とあなたの住む世界の時間は、スピードが違うのよ」
「えっ!?」
深みのあるアルデバランの声で大地はハッとする。
「ここにいる間はまったくわからないだろうし、今までの時間の感覚と違いはないと思うけど。あなたの世界に帰ってみてはじめて、まったく時間が経ってないことに気づいて驚くと思うわ」
――なんだか浦島太郎の話の逆みたいだな。……こちらとあちら、二つの世界は「夢」と「現実」、みたいだ。
もう、大地は今までの体験が自分の夢や幻であるとは思っていなかった。自分自身もイオもアルデバランも、そしてこの少し不思議な空間全体、すべてが血の通った確かなものとして感じられていた。
「前の人は知的な感じだったけど、あなたは体力がありそうね」
「えっ?」
「ふふふ。あなたに会えて本当によかった」
アルデバランもイオと同じことを言う。
「あの、それで俺はなぜ……」
「失礼します」
ガチャ。
イオがお茶とケーキを乗せたワゴンを押しながら部屋に入ってきた。
――女の子が見たら大喜びしそうなケーキだな。
色とりどりのフルーツがたっぷり乗ったタルトケーキだった。実際、アルデバランはともかくイオはいそいそととても嬉しそうだ。
アルデバランは微笑みをたたえながら、飴色をしたお茶とタルトケーキを勧める。豊かなお茶の香りがゆっくりと広がる。
「どうぞ召し上がれ。これ、あなたの世界の葡萄やベリーや洋梨なんかとそっくりでしょ?でもこれらは果物じゃないの。実はこれ、とっても新鮮な虫なのよ」
「そっ! そうなんですかっ!?」
虫、と聞いて大地は反射的にテーブルから身を離す。
「アルデ様! 変な嘘はやめてください!」
間髪いれずイオが否定したので大地は心底ほっとした。
――よかった……! 虫を食わされるのかと……。
アルデバランは、大地が想像通りの反応を示したので、愉快そうに笑う。
「ふふふ。色々こちらの世界とあなたの世界は似てるのよ。あなたと言葉が通じているのは私たちがあなたの意識に合わせているからなんだけど、自然も植物も動物も多少の違いはあるけれど、本当にそっくり。それは、二つの世界がとても近いところにあるからなの」
「近い……ところにある?」
「そう。そのため、こちらの世界はあなたたちの世界の影響を強く受ける」
アルデバランの瞳に、一瞬深い影がよぎったように見えた。
「影響を受けるって……。どういうことですか?」
「……こちらの世界はとても繊細なの。こちらは受ける一方。あなたたちはとても力強いわ。世界も、人も」
ふとイオを見ると、イオの表情にも深い悲しみのような色が宿っていた。
――繊細? 世界も、人も、強い?
パリンッ!
突然、大きな音がした。紫の石の六角柱がまっぷたつに割れたのだった。
「なっ!? なんだっ!? なんで急に壊れたんだ!?」
なにも触れていない、周りになにも変化が起こっていないのに突如割れた石。石がまん中から二つに割れた以外、周りになにも不自然な点はなかった。床に落ちた紫のかけらが、淡い光を四方に放って――どこか不吉な未来を暗示しているかのようだった。慌てる大地をよそに、アルデバランとイオは静かに顔を見合わせる。
「思ったより早かったわね」
「では、私たちは参ります」
「しっかり頼んだわよ」
「アルデ様もどうかお気をつけて」
アルデバランとイオは何事か頷き合う。
「えっ? なに? いったいなんの……」
イオはすっと立ち上がり、戸惑う大地の横に来た。
「では、大地さん。行きましょう」
「えっ? どこへ?」
「大丈夫です。私についてきてください」
――だからどこへ? 大丈夫ってなにが大丈夫なんだ? 大丈夫ってことは、逆になにか問題があるということなのだろうか?
「大地。これを」
アルデバランは大地になにかを手渡す。
「これは……?」
掌に収まる、透明なハートの形をした石だった。
――これは……水晶、かな?
「あなたに託します。どうかよろしくお願いしますね」
アルデバランはまっすぐ大地の瞳を見つめた。強い眼差しだった。
「託すって、なにをですか?」
「私は、あなたを信じている」
「えっ? 俺になにができるっていうんです!?」
アルデバランは、大地の問いには答えずただ静かに微笑む。
「急ぎましょう」
イオにうながされ、アルデバランの話を、言葉の真意を聞けぬまま、大地は屋敷をあとにした。
一陣の風が吹いた。深い緑に囲まれた深紅の花が揺れていた。